告白と決意—
王都の空は曇っていた。灰色の雲が低く垂れ込み、雨こそ落ちてはこないものの、空気は湿気を帯びて重苦しい。
「……緊張、してる?」
並んで歩くスゥの小さな声が、ユーリの耳に届く。彼女はいつものように無表情で、けれどその瞳の奥には不安と決意がないまぜになっていた。
「まあな。でも俺より、スゥのほうがよっぽど緊張してるんじゃないか?」
「……そりゃ、そう……だよ」
スゥは顔を伏せたまま、ぎゅっと胸元を握りしめる。歩みは途切れずとも、その足取りはどこかぎこちなかった。
王城の大理石の廊下を踏みしめる音が、やけに大きく感じられる。玉座の間へと続く扉が視界に入ったとき、ユーリはそっと彼女の手を取った。
「俺が、隣にいる。何があっても、スゥの味方だ」
「……うん。……ありがとう、ユーリ」
小さく返されたその言葉には、確かな力がこもっていた。
◆
玉座の間は静まり返っていた。王と数人の側近のみが控える中、ユーリとスゥはゆっくりと進み、玉座の前に膝をついた。
「顔を上げよ、ユーリ。そして……その娘が、例の“スゥ”か」
王の声は穏やかで、どこか親しみすら感じさせる。だが、スゥの名を呼ばれた瞬間、彼女の肩がわずかに震えた。
「はい、陛下。彼女がスゥです。実は、本日お伝えしたいことがあり、こうして――」
「――その前に、私から話がある」
王は静かに、だが制するように右手を上げて言葉を遮った。ユーリは一瞬だけ躊躇し、それから黙って頷いた。
「……昨日、最前線より報告があった。西方第三師団が、魔族の大規模な侵攻を受けた。被害は甚大、前線の維持すら危ういという」
空気が、ぴんと張り詰める。
「これまでの小競り合いとは、規模が違う。まるで……怒りに任せて軍を総動員してきたかのようだ。理由は――魔族の姫、つまり王女が人間に殺されたという噂が出回っているせいだそうだ」
「……!」
スゥの指先がわずかに動いた。息を飲み込むようにして、彼女はユーリの隣で唇を噛んだ。
「その噂の真偽は不明だ。だが、いずれにせよ現状を放置すれば、大戦になる。私は、君に頼りたい。ユーリ――いや、“橋”である君に、何か策があるのなら示してほしい」
王の声には焦りはない。だがそのまなざしには、確かに国を背負う重責が宿っていた。
ユーリは少しだけ沈黙し、スゥに視線を向ける。スゥは目を伏せたまま、ゆっくりと呼吸を整えるようにしてから、ぽつりと口を開いた。
「……私が……その、姫……です」
「……なんだと?」
王の眉がわずかに動いた。だが、即座に問い返すことはなかった。
「私は、魔族の王の娘……本当の名前も……覚えてる。でも、長い間……思い出せなかった。記憶が……抜けていて……でも最近、思い出したの」
彼女の声はかすれていたが、そこには一切の偽りがなかった。
「……兄が、死んだ時……ユーリが、助けてくれた時……少しずつ戻ってきて……今は、全部思い出してる。……私は……本当に、魔族の姫だったの」
静寂が、玉座の間を包み込んだ。
「……なぜ、今まで黙っていた?」
王はようやく口を開いたが、その声は責めるものではなかった。
「……記憶がなかった。それに、怖かった……話したら、皆が、私のこと……遠ざけるかもしれないって。でも……今は、違う。……ユーリがいて、私も……もう逃げたくない」
言葉を紡ぐたびに、スゥの声は少しずつ確かになっていった。震えながらも、目は真っ直ぐ王を見据えている。
「……なるほど。ユーリ、お前は……このことを知っていたのか?」
「はい。彼女が思い出してすぐに聞きました。そして、すぐに陛下にお伝えしようと、今日こうして来ました」
「そうか……それならば、信じよう。君たちの言葉を」
王は、立ち上がると背後に控えていた書記に目配せをした。
「至急、魔族の王宛に書状をしたためる。内容はこうだ――“失われたはずの姫が、生きていた。記憶を奪われ、人間の手により保護されていたこと。事態の全てに、人間と魔族の双方を翻弄した『第三の勢力』が関与している可能性がある”」
ペンが走る音が静かに響く中、スゥはユーリの手をぎゅっと握った。強くはないけれど、確かにそこにある温もりだった。
「……時間がかかるかもしれん。だが、誤解を解くには、まず事実を示さねばならぬ。君たちには、しばし王都で待機していてほしい」
「承知しました」
ユーリは頭を下げ、隣のスゥもそれに倣う。小さな肩は震えていたが、それでも彼女は逃げなかった。
――これは、過去に決着をつけるための一歩。
そう信じて、彼女は今ここに立っている。
◆
書状が送られたその夜、王城の一角にある静かな部屋で、ユーリとスゥは肩を並べて窓の外を見ていた。雨はまだ降らなかったが、風が時折、軋むように塔の壁を鳴らす。
「……ありがとう、ユーリ」
スゥがぽつりと呟く。彼女は、まだ何も終わっていないと分かっている。それでも――
「少しだけ、心が……軽くなった気がするの」
「そうか。じゃあ、次は魔王からの返事を待とう。全部が終わるまで、俺も隣にいるから」
「……うん。頼りにしてる……よ、ユーリ」
そう言って彼女が見せた微笑みは、雨空の下に咲く小さな花のように、かすかだけれど確かな強さを宿していた。




