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沈黙の夜

王都の夜は、まるで何かを喪ったかのように静まり返っていた。


街路を照らす魔導灯の光すら、どこか力を失っているように感じられる。日中の喧騒が嘘のように消え、風が石畳の上をささやくように通り過ぎていく。教会跡地を囲む警戒線の外、騎士団員たちの足取りも重く、誰もが今日の出来事を心のどこかに置ききれずにいた。


ユーリはその場に最後まで残っていた。


全てが終わったはずなのに、足が動かなかった。瓦礫の中に取り残されたあの呻き声――「たすけて」という声は、耳に残って離れない。あれは人の声だった。いや、人であったものの、最後の悲鳴だった。


剣を振るったあの瞬間、救いと殺意が混じったような感覚が胸を突いた。正しかったのか――今さらその問いに意味はないと分かっていても、心のどこかが否定を許さなかった。


だが、それ以上に、彼の胸を締め付けているものがあった。


スゥの涙だった。


それはただの悲しみではなかった。喪失、怒り、理解、そして赦し。幾重もの想いが溶け合いながら、彼女の頬を静かに伝っていった。


「……あいつは、本当に、強いな」


呟きは風に溶けていく。マントの裾を払いつつ、ユーリは重い足取りで屋敷へと戻った。


扉を開けた瞬間、静寂が包み込んだ。リディアもアリアも、おそらく自室で休んでいるのだろう。屋敷には人の気配が確かにあるはずなのに、不思議と誰の存在も感じなかった。


だが――ふと気づく。中庭への扉が、ほんのわずかに開け放たれていた。


夜風がわずかに揺らしたカーテンの隙間から、月の光が差し込んでいた。


そこに、ひとり。スゥの姿があった。


中庭の片隅、白砂の上に静かに座り込んだ彼女の背中は、どこか小さく見えた。月光に照らされ、紫色の髪が風に揺れる。その背を見た瞬間、ユーリは、何か言葉をかけるべきか一瞬迷った。


今、彼女に何かを言う資格が自分にあるのだろうか――。


だがその迷いを見透かすように、スゥが先に言葉を発した。


「……あれは、ある意味で……兄さんだったかもしれない」


静かだった。だが、その声には確かな意志と、深い痛みが宿っていた。


「違うのは分かってる。あれは……別の誰かだった。でも、あの目を見たとき、あの声を聞いたとき……どうしても重なって見えてしまったの。……兄が、もし、あんなふうにされてたとしたらって……」


彼女の横顔は、月明かりに照らされていた。その目には涙がなかった。けれど、それがかえって痛ましかった。涙すら出ないほど、もう涙は流しきったのだろう。


ユーリは静かに歩み寄る。足音を立てぬように、ただ風のように。


「……俺も、見た瞬間に思ったよ。あれは倒さなきゃいけない。でも、できることなら、助けてやりたかった」


「……」


「だけど、もう戻れないんだ。あの姿にされてしまった時点で、魂は引き裂かれてる。あれは、ただ命を無理やり繋ぎ止められているだけの……抜け殻だ」


その言葉を聞いて、スゥはようやく首を横に振った。


「でも……救ってくれたんだよね。兄さんを。……私を、苦しみから」


その一言が、ようやく彼女の涙腺を震わせた。喉の奥から洩れた声は、かすれ、震えていた。


「私は……怖かったの。記憶がなくて、誰も知らなくて、頼れる人なんていなかった。信じることが、何よりも怖かった。でも、あなたは……信じさせてくれた」


ユーリは黙って、それを聞いていた。


「疑って、ごめん。叫んで、ごめん。それでも……あなたは怒らなかった」


「怒るもんか」


小さく、苦笑交じりの返事。けれど、その声は温かかった。


「スゥが兄を思う気持ちは、本物だった。俺はそれを尊重したいと思った。それだけさ」


スゥは、小さく息を吸った。


「……ねえ、ユーリ。もう……一緒にいても、いいかな」


それは告白ではなかった。ただ、誰かにすがりたい、許しを得たいという懇願でもなかった。


彼女自身の意志で、未来を選びたいという言葉だった。


「……もちろんだ。俺にとってお前はもう、家族だよ。リディアもアリアも、きっとそう思ってる」


「……ありがとう」


たった一言。けれど、それがすべてだった。


スゥの小さな手が、ユーリの袖をつかんだ。


「もう少しだけ……こうしてても、いい?」


「……ああ」


ユーリはそのまま隣に腰を下ろした。砂の感触が冷たく、夜気が肌を刺す。けれど、二人の間に流れる沈黙は、凍てついたものではなかった。


やがて、スゥの頭がそっとユーリの肩に寄り添った。


その身体は細く、震えていたが――どこかで、ようやく安らげたような呼吸が聞こえた。


この夜の静けさの中で、誰よりも眠れなかった少女が、今ようやく目を閉じようとしていた。


過去の痛み、現在の悲しみ、そして未来の決意。その全てが、夜風とともにそっと撫でられていく。


やさしい春の夜が、ようやくスゥを包み込んでいた。

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