廃墟に刻まれし断章
王都の南西に広がる郊外。かつての開拓計画が頓挫し、今では草に覆われたまま放置された古い廃墟がある。
石造りの小屋の残骸、崩れた壁、苔むした道。人の手が加わらなくなって久しいその場所は、風の音すら吸い込むように静かだった。
「……ここで最後か」
ユーリは足を止め、夕陽に照らされた瓦礫を見つめた。
「ここは、かつてセレスが命を落としかけた場所。ダランの放ったキメラが暴れ、街を襲いかけた……俺たちは、あそこで戦った」
懐かしくも苦い記憶が、胸の奥に疼くように蘇る。あの時、剣を振るう自分の手が、何者かの“救い”となり、“破壊”ともなった。
スゥはいつもと違う静けさを纏って、ユーリの隣に立っていた。
ご機嫌でプリンやアイスを頬張っていた数時間前の姿からは、想像もつかないほどに。
「……昔、ここで……何が……あったの?」
スゥがぽつりと尋ねる。声は細く、だが確かな興味と……何かを怖れるような色を含んでいた。
ユーリは彼女の顔を見た後、静かに目を閉じた。
「キメラとの戦場だ。街の住民を守るため、セレスと……仲間たちと力を合わせて戦った」
「……勝てたの?」
「なんとか、な。だが、あの時……命を落としそうになった者もいた。相手は、ただの獣じゃなかった」
その言葉にスゥの眉がかすかに動いた。彼女は数歩、廃墟の奥へと進む。そして、何かを感じ取ったように足を止める。
「……血の匂いがする。とても古いのに……鼻の奥が焼けるような、嫌な匂い」
声が震えていた。
「……スゥ?」
ユーリが一歩近づくと、スゥはそっと右手を空にかざし、何かをつかもうとするように空を撫でる。
「誰かの匂い。すごく……懐かしい匂い……知ってる……」
スゥの瞳に、淡い光が宿る。記憶の扉が、きしむ音と共に開きかけていた。
「私……知ってる……思い出せそう。あれは……兄ちゃん……?」
その瞬間、スゥの視界が一変する。
――断片的な記憶が、怒涛のように押し寄せた。
黒衣の男たちに囲まれ、恐怖に震えながら立ち尽くしていた幼い自分。
血に染まる兄の手。
「スゥ、走れ! ここから離れろっ!」
叫び声とともに、目の前で兄が弾き飛ばされる。
白衣を着た男が嗤う。冷たく、狂気を孕んだ目。
「これはいい。実験体として申し分ない。魔族の特性も……素晴らしい」
「に、げ……ろ……スゥ……」
その声を最後に、兄の胸を何かが貫いた。
鮮血。飛び散る魂。崩れ落ちる体。
彼女の叫びは届かず、兄の命は、その場で消えた。
「いや……いやぁぁああっ!!」
頭を抱えてしゃがみこむスゥ。肩が震え、呼吸が乱れ、全身が冷え切ったように硬直する。
「……兄さんが……私の目の前で、殺された……!」
ユーリは動揺を隠せぬまま駆け寄った。
「スゥ、大丈夫か!? 無理に思い出さなくていい――」
だがスゥは、その顔を上げ、じっとユーリを見つめた。
その瞳には、明確な疑念が宿っていた。
「……ここから兄さんの匂いがする。さっきからずっと、薄いけど……確かにいる」
「スゥ……それは……」
「戦ったのは、キメラだった。人の形を保ったまま、苦しみながら……魔族の身体を使われていたって……言ってたよね?」
「――まさか。まさか……ユーリが戦ったキメラって、あれって……私の兄さん……だったの?」
信じたくない、でも、そう思わずにはいられない。
スゥの声はかすかに震え、目には薄い涙がにじんでいた。
「違うと言ってよ、ユーリ……お願い……」
ユーリは、言葉を飲み込んだ。
否定すべきか。だが、あの時の敵――あの苦しそうに吠えた個体の顔を、彼は覚えていなかった。記憶が曖昧なほど、相手は既に“人”ではなかった。
「……俺には、わからない。だが、俺は……俺たちは、あの時――戦うしかなかったんだ」
声が掠れていた。彼女を傷つけまいとする一方で、真実を歪めることもできなかった。
スゥは何かを言いかけて、そのまま唇を噛みしめた。
そして、一歩引くように立ち上がり、そっと背を向ける。
「……帰る。ごめん……少し、一人にして」
彼女の小さな背中が、沈みゆく夕陽の中で遠ざかっていった。
ユーリはその背に手を伸ばしかけて――結局、何も言えず、拳を握りしめた。
その夜。王都の宿の一室。
スゥはベッドに腰を下ろし、月明かりに照らされた窓を見つめていた。
どこかで鐘の音が鳴っていた。静かな街の音が、逆に胸を締めつける。
「……私、何を信じればいいの……」
記憶。兄の死。ユーリへの想い。
全部がぐちゃぐちゃに絡まり合って、もはや何が真実で、何が偽りかも分からなかった。
「ユーリは優しい。嘘をつくような人じゃない。でも……でも……」
確信が持てないことが、こんなにも苦しいとは思わなかった。
彼を信じたい自分と、恐れてしまう自分――その狭間で、心が裂けそうだった。
「……苦しいよ……兄さん……ユーリ……」
彼女の声は小さく、夜の闇に吸い込まれていった。
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同じ頃。王都・騎士団詰所。
「隊長! 緊急報告です!」
「なんだ?」
「市街地北部、第三地区の外れで“異形”の目撃情報がありました!」
「キメラか……?」
報告官が頷く。
「はい。ただし、今回のものは“獣人由来”と見られます。体格は人型に近いですが、牙と爪が異常に発達しており……以前のキメラとは形状が異なります」
その言葉に、詰所の空気が張り詰める。
「……獣人由来、だと……?」
騎士の一人が眉をひそめる。
「まさか、魔族だけでなく――獣人まで実験材料に?それで市民への被害は!?」
「いえ、今の所目立った被害は確認されておりません。何かを探している様子で姿を消しました。」
「隊長っ! 緊急報告です!」
「なんだ!?またか!もしかしてまたキメラなのか?」
「今度は西地区で獣人型のキメラが確認されました。対応した兵士が負傷しましたが、こちらもまた姿を消しております」
「魔族への対応計画を練らなければならない、こんな時にキメラまでも…」
闇は、今も生きている。
彼女の過去を引き裂き、そして新たな命を踏みにじる何かが――。




