過去の告白
スゥが俺の膝を枕にして、穏やかな寝息を立てている。
あどけない寝顔。くるんとした紫色の髪が、頬にかかっているのをそっと払ってやると、小さな手が夢の中でふにゃりと動いた。何か幸せな夢でも見ているのか、口元がわずかに緩む。
その無防備な姿を見つめていると、胸の奥がじんわりと熱を帯びる。
ああ……やっぱり、どこか似ている。
何度も、何度も否定しようとした。違うと、自分に言い聞かせようとした。
でも、それでも——どうしてもスゥの姿に、あの子を重ねてしまう。
名前を口に出すことはない。だが心の奥底ではずっと、彼女の存在が消えることはなかった。まるで魂の片隅に、今もそっと寄り添うように佇んでいる。
そんな俺を、そっと見つめる視線があった。
ふと顔を上げると、そこには――セレス、リディア、アリア、エルナ、そしてミリアとメルリナ。皆が静かに、しかし真剣に俺を見つめていた。
「……ユーリ、ねえ。ひとつだけ、聞いてもいいかな?」
セレスの声だった。静かで穏やか。それでいて、心の奥に触れようとするような、慎重な優しさが滲んでいた。
「スゥのこと……誰かと重ねて見てる? さっき、あなたの眼差しが、遠くを見てるように見えたの。まるで……何かを思い出しているような、そんなふうに」
その一言に、息が詰まった。
心の内側を、まるで覗かれたような錯覚。すぐに否定の言葉を返せば良かったのに、俺の口は何も言えなかった。
言葉にできない罪悪感が、胸の内を締めつける。
目を逸らすと、ミリアが小さく囁いた。
「……もし、特別な想いがあるなら、ちゃんと教えてほしいです。ユーリ様のこと……全部知りたいんです」
メルリナも、小さく頷きながら続けた。
「どんなことでもいい。だって、私たち……あなたの妻なんだから」
皆の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめていた。その眼差しはまるで、逃げ道を塞ぐようでいて、それでも俺を責める色は一切なかった。ただ、知りたい。寄り添いたい。ただそれだけ。
その温かさが、逆に痛いほどに胸を締めつける。
沈黙の中、俺はゆっくりと呼吸を整えた。そして、ずっと閉ざしていた扉の鍵を、静かに外した。
「……俺には、記憶があるんだ。この世界に来る前……前の世界での記憶が」
空気が、張り詰めたように静まり返るのを感じた。
だが、誰一人として俺の言葉を遮ろうとはしなかった。皆が、最後まで聞こうとしてくれていた。
「前の世界で、俺には――妹がいた。菜々美って名前だった」
喉の奥が詰まりそうになるのを、必死で押し殺す。
「明るくて、優しくて……だけど、ちょっと頑固なところもある子だった。いつも俺の後ろをくっついて歩いててさ……俺は、何があってもあの子を守るって、心から思ってたんだ」
唇を噛みしめ、握りしめた拳が震える。
「でも……ある日、事故で、突然死んだ。俺が。何も言えないまま、何も残せないまま、あの子を遺して……」
途切れかけた声の中に、胸の奥から込み上げる後悔と悔しさが滲んでいた。
「だからなのかもしれない。スゥを見たとき、自然に……あの子の面影を重ねてしまった。守ってやりたい、幸せになってほしいって……そう思ったんだ」
目を閉じれば、菜々美の笑顔が浮かぶ。あの夜、最後に見た涙。その痛みは、時を超えてなお消えなかった。
だが、次に浮かんできたのは、この世界での今の俺を支えてくれた人たちの顔。
笑い合い、泣き、怒り、抱きしめ合った時間。
そして、何よりも――この世界での“俺”という存在。
「でもな……俺は、もう“前の俺”じゃない。俺は、この世界で“ユーリ”として生きてる。お前たちと出会って、支えられて、共に歩いてきた。それが俺にとっての“今”なんだ」
顔を上げ、真正面から皆を見つめた。
「スゥは、妹の面影を感じた存在かもしれない。でも……彼女は彼女だ。別の人間で、俺にとって大切な……この世界で出会った、かけがえのない子だよ」
深く息を吸い、ようやく本当の自分の声で、心からの言葉を口にする。
「……今まで話せなくてごめん。でも、もう全部話せた。これでもう、隠し事はない」
それは俺にとって、長い旅路の果てにようやく辿り着いた“告白”だった。
しばらくの間、誰も何も言わなかった。
けれど、それは拒絶の沈黙ではなかった。
むしろ、皆の眼差しは一層強く、温かく、俺を包み込んでいた。
最初に動いたのは、アリアだった。
そっと近づき、優しく俺の手を取る。
「ありがとう、兄様。……ずっと感じてました。あなたが、何かを胸に抱えてるって。でも……こうして、ちゃんと話してくれて嬉しいです」
リディアが、ぷいと横を向きながら、ぼそりと呟いた。
「……バカ。黙ってたことはむかつくけど……あんな顔見せられたら、怒る気も失せるわよ」
セレスはまっすぐに俺を見て、静かに頷いた。
「……どんな過去を持っていようと関係ないわ。今ここにいて、私たちの隣を歩いてくれる。それだけで、十分」
エルナはそっと俺の肩に手を置き、微笑んだ。
「ユーリさんは、ユーリさんです。私たちが心から愛する、たった一人の旦那様」
ミリアとメルリナが、同時に俺の両側からぎゅっと抱きついてくる。
「……もう、秘密はなしですよ?」
「うんっ。これからはぜーんぶ、教えてね?」
俺は込み上げてきた涙を押し殺しながら、静かに笑った。
ああ、俺は今、ちゃんとここにいる。
過去ではなく、今を生きている。
彼女たちと共に、未来を選び取るために…
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「……あのね、ユーリ様」
少し間を置いてから、ミリアがぽつりと呟いた。抱きついたままの姿勢で、彼女の頬が俺の肩口に触れている。
「なんとなくだけど……ずっと思ってたの。ユーリ様って、十五歳を過ぎたあたりから、急に変わったように感じたの。話し方も、考え方も、……それに、眼差しまで」
ミリアの声はとても静かだったけれど、どこか確信めいていた。
「でも今ならわかる気がする。あのとき、きっと……“本当のユーリ様”になったんだって」
ミリアの言葉に、俺はそっと頷いた。
その隣で、リディアが腕を組んで少し難しい顔をしていたが、やがて苦笑するように呟いた。
「そういえば……指輪を贈られた時も思ったわ。何ていうか、唐突っていうか、妙に不器用な贈り方だったし」
アリアもそれに続いた。
「でも、今思えば納得できます。貴族社会での正式な婚約手順や、作法を知らなかったのは……前の世界では、そういう文化がなかったから、ですよね?」
「たぶんな……」俺は苦笑しながら答える。「貴族の婚約制度や慣習なんて、当時はまったく知らなかったんだ。だから、渡し方も我流だったし……」
「でも、それでよかったと思いますわ」アリアは微笑みながら言った。「あの指輪があったから、私も姉様も心を決めることができましたもの。少し不器用でも、心が込められていたからこそ、嬉しかったのです」
「そうね」リディアも同意するように肩をすくめた。「貴族的な形式より、ユーリらしいってところが……結局、一番よかったのかもね」
皆の言葉に胸が温かくなりつつも、ふと気になって、俺は口を開いた。
「なあ、貴族の婚約って……本来はどういう手順なんだ?」
リディアが俺を見る目が、ほんの少し呆れたように細められる。
「え、今さら?」
「いや、ほら。ちゃんとした形式とか……結婚式とか、そういうのって、俺……ちゃんとできてなかったなって」
俺がそう言うと、アリアが目を丸くして小さく口元を覆った。
「……あ、たしかに。式、挙げてませんわね……!」
「えっ」ミリアも顔を上げる。「そういえば、私たち、結婚式してません……っ!」
「そもそも、正式な婚約発表すら、ろくにしてないんじゃない?」リディアが眉をひそめる。「アルシェリア領の皆には知られてるけど、王都や他の貴族には……」
「これはマズいのでは?」エルナが控えめに声を上げる。「正式に婚姻の儀を経ていないと、立場を疑問視される可能性も……」
「そういうの、あるのか……!」
俺は思わず頭を抱える。なんということだ。守るべきものを守ると誓いながら、俺自身が大切な手続きを蔑ろにしていたとは。
「……よし、じゃあ決めよう」
俺は皆を見渡して、まっすぐに言葉を紡いだ。
「式を挙げよう。ちゃんと、みんなと夫婦としての誓いを交わしたい。正式に、堂々と。この世界で生きていく俺の決意としても」
その言葉に、皆が一瞬驚いたように目を見張ったあと、ゆっくりと――確かに、笑みが広がった。
「ふふっ、やっとその気になったのね」リディアが肩をすくめながらも、どこか嬉しそうに笑う。
「……楽しみにしてます。兄様との結婚式……ずっと、夢見てましたから」アリアが頬を染めながら囁く。
「わたしも……っ。ドレス、選んでもいいですか?」ミリアが声を弾ませる。
「準備、大変そうですけど……皆で一緒にやれば、きっと楽しいですね」エルナも微笑みを添える。
「場所はどうする? アルシェにする? それとも森の神殿とか……」セレスまで、珍しく乗り気で提案してくる。
俺はそんな皆の反応に胸が詰まりそうになりながら、深く頷いた。
――俺はこの世界で生きている。そして、これからも彼女たちと共に歩んでいく。
この人生を、より確かなものにするために。
「……みんな、ありがとう。必ず、素敵な式にしよう」
皆がこくりと頷いた。その笑顔の輪の中に、ふと寝息を立てているスゥの姿が視界に入る。
その小さな存在も含めて――この世界で、俺はかけがえのない家族を得たのだと、実感するのだった。




