㉑
薄明かりが差し込む静かな朝。城の離れに設けられた客間は、夜の名残を色濃く湛えていた。
しんとした空気の中、まだ温もりを残す寝台で、ユーリはゆっくりと目を開けた。天蓋の向こうからは、朝日が揺れるカーテン越しに淡く部屋を照らしている。
その腕の中には、彼女がいた。
セレス──昨夜、自らの想いを余すことなく捧げた女性。その身は柔らかく、肌は絹のように滑らかで、夜のすべてを抱きしめてくれた。その体温が、今も胸の内に深く、熱く残っている。
セレスはまだ眠っていた。穏やかな寝息を立てながら、微かに眉を動かすその横顔は、まるで少女のようにあどけない。だがその首筋には、夜の名残が確かに刻まれていた。
ユーリの胸元に頬を寄せ、腕を絡めるようにして眠る姿が、愛おしくてたまらなかった。
(夢じゃないんだな……)
指先で、そっと彼女の銀の髪を梳く。光を受けてきらきらと瞬くその髪は、まるで聖なる糸のようだった。昨夜、幾度もその髪に口づけた。指を絡め、肌に触れ、心ごと溶かされたあの感触は、まだ全身に残っている。
そのとき、セレスが微かに目を開けた。
「……ん……ユーリ……?」
掠れるような声が、まどろみの中から紡がれた。
「おはよう、セレス」
彼女の瞳がゆっくりと焦点を結び、そして、ふわりと笑った。満ち足りた安堵の色がそこに滲んでいた。
「あなたが隣にいてくれる朝……こんなに幸せなことがあるなんて……」
ユーリはそっと額に唇を押し当てた。昨夜のように激しくはない。ただ、彼女を包むように、祈るように。
「セレス……君を抱きしめて、君に触れて……初めて知ったよ。こんなにも、大切にしたいと思える人がいるってことを」
その言葉に、セレスの頬がほんのりと赤く染まる。だが、視線は真っ直ぐにユーリを見ていた。
「わたしも……昨夜、ずっと考えていたの。あなたに抱かれて、初めて知った。私は、ただあなたの傍にいたいだけなんだって」
シーツの中、彼女の指がそっとユーリの胸をなぞる。指先は震えていたが、その動きは確かな意志を宿していた。
「ねえ……呼んで。もう一度……その名前で」
「……セレス」
名を呼ぶだけで、彼女の身体が微かに震えた。まるで甘美な音に溶かされるように。
セレスは、そっと身体を寄せた。肌と肌が触れ合うたび、まだ昨夜の熱が残っていることを実感する。
「この名前で呼ばれるたびに、私はあなたのものなんだって思えるの。誇りとか、使命とか、全部置いてきた……。もう、私はあなたの――ただの、セレスでいいの」
「それじゃ……これからも、ずっと、セレスと呼ぶよ。何があっても、ずっと」
囁くようにそう言って、彼は彼女の額にもう一度キスをした。それは誓いのようでもあり、祈りのようでもあった。
セレスは静かに笑って、彼の胸に顔を埋める。
「じゃあ、次に呼ぶときは、もっと甘く囁いて……夫婦らしくね」
ユーリは小さく息を飲んだ。そして、彼女の髪に顔を埋めながら、そっと言った。
「……セレス」
それは、愛しさに満ちた声音だった。
静かな朝。二人の間を流れるのは、昨夜の熱を抱きながらも、確かに“夫婦”として始まった新たな絆。
窓の外では鳥がさえずり、世界は新しい一日を迎えていた。
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朝日が差し込む謁見の間は、戦乱の影を拭うように静謐だった。だがその空気は、張り詰めた緊張を孕んでいた。
玉座に座す国王の前には、ずらりと重臣たちが並んでいる。捕縛された反乱貴族の処遇を議する者、そして──
「ユーリ・アルシェリア、進み出よ」
呼び声に応じて進み出た青年の隣には、騎士団副団長のセレスティアが控えていた。彼女の水色の髪は礼装の鎧の上でもなお眩く、堂々とした姿は騎士の鑑そのものだった。
「この度の反乱鎮圧における功、誠に見事であった。王都に仇なす貴族らの野望を食い止め、混乱を最小限に留めた働き、王として深く感謝する」
「恐れ入ります、陛下」
跪いたユーリの声はよく通っていた。国王は一拍置き、やがて静かに尋ねた。
「では、望みを述べよ。貴公の功績に相応しき褒美を与える」
一瞬の沈黙。セレスティアが身じろぎする。だがユーリは迷いなく口を開いた。
「一つ、願いがございます。──このたびの戦いにおいて、私を支え、命を賭して護ってくれた騎士、セレスティアを、私の妻として迎えることをお許しいただきたく思います。また、彼女をアルシェリア領に引き入れる許可も、併せて賜りたいと存じます」
重臣たちの間に、ざわめきが走った。
「馬鹿な、騎士団の副団長を私的に引き抜く気か」
耳障りな声がいくつか飛ぶが、国王はそれを制した。
「静まれ」
その一声で全ての囁きが止んだ。
王は少しだけ目を細め、玉座から立ち上がった。
「セレスティア、貴女はどう考える?」
「……この命、ユーリ・アルシェリア様に捧げる覚悟はとうにできております。わたくしの真の望みもまた、彼の傍で生き、剣となり盾となること。それを許していただけるのなら、何も恐れるものはありません」
その言葉は毅然として、それでいて真っ直ぐだった。
国王は、ゆるやかに頷いた。
「……ならば、認めよう。セレスティア・グランシュタインをアルシェリア領に嫁ぐこと、そしてユーリ・アルシェリアの正室として迎えることを、王命として許可する」
頭を垂れたまま、ユーリの拳が強く握られるのがセレスティアには分かった。セレス──いや、今ではもう彼の心の中で、そう呼ばれているのだろう。
「……ありがとうございます」
ユーリはそう呟き、隣の彼女に静かに目を向けた。彼女もまた、目を伏せたまま、微かに唇を噛みしめていた。
だが、王の声は続いた。
「さらに、今回の功に鑑み、反乱を起こした幾人かの貴族の所領のうち、南部国境沿いの三領をアルシェリア家に組み入れることとする。あわせて、貴公を侯爵に昇格させよう。アルシェリア侯爵として、王国の守りの要たれ」
再び騒然とする重臣たちの中で、一際目立つ声があった。
「王よ、それはあまりにも特別待遇では?」
「功績があればこそだ。口先の忠義より、実をもって報いた者に報いる。異論があれば、そなたら自身がこの都を守ったか?」
誰も答えなかった。
その時──
「陛下」
ひときわ艶やかな声が場を割った。第一王女、エステルであった。彼女は一歩進み出て、堂々と告げる。
「わたくしも、王女として申し上げます。この度のユーリ様の働きに、異議を唱える者は王国の未来を見誤っていると言わざるを得ません。──それともう一つ、陛下」
王が目を細める。
「……申せ」
「わたくしも、いずれ、ユーリ様に嫁ぎとうございます。……そのお覚悟、今ここでお持ちいただけるならば」
一瞬、空気が止まった。
セレスティアがわずかに目を見張る。ユーリは動揺した様子を見せず、ただ静かに、息を吐いた。
「……王女殿下。それは光栄なお申し出ですが──」
「……その時が来れば、か」
エステルは笑った。切なげに、だがどこか諦めぬ光を湛えて。
「はい、ユーリ様。その時が来れば。……お待ちしておりますわ」
場は静まり返っていた。だが王が拍手を一つ打つと、空気が一変する。
「それぞれ、持ち場に戻るがよい。ユーリ、貴公は領地への帰還の支度を進めよ」
「はっ」
ユーリは深く頭を下げた。
こうして、戦の論功行賞は幕を閉じたのだった。




