⑳
静かな部屋に、規則正しく響く呼吸音。それだけが、夜の帳に沈んだ空間を満たしていた。
セレスティアは、ベッドの傍らに膝をついたまま、じっとユーリの顔を見つめていた。
呼びかけには応えず、ただ穏やかな眠りに沈む彼。
命を削るようにして自分を救った、その代償の深さが伺える。
「……どうして、あなただけが……そんな顔で……」
小さく呟いた声は、震えていた。いつもなら凛とした声音を保つ彼女も、今は隠せない。
「私……守られただけでした。あなたが傷ついて、倒れて……私は……」
掠れた声が、深い悔しさを滲ませた。
心からの感謝と喜び、そして騎士として最後まで彼を護れなかった自分への、苛立ちと痛み。
「ありがとう……ユーリ殿。命を救ってくれて……護ってくれて……嬉しかった。嬉しくて……苦しくて……情けない」
涙が一滴、彼の手の甲に落ちた。
「でも、もう……私は迷いません」
彼女はそっと立ち上がると、膝を揃えて、ベッドの傍に再び跪いた。
瞳には、もはや迷いはなかった。
「私は、王国の騎士を辞します。これからは、あなた一人のために剣を抜きます。あなたの影となり、盾となり、剣となり……どこまでも、あなたをお護りします」
その時、微かに指先が動いた。
セレスティアの目が、わずかに見開かれる。
「……ユーリ殿……?」
息を詰め、彼の名を呼ぶ。ゆっくりとまぶたが上がり、光を取り戻したその瞳が、彼女を捉えた。
「……セレス……ティア……?」
その声はかすれていたが、確かに生きていた。
彼女の目から、堪えていた涙が溢れる。
「ユーリ殿……! ご無事で……よかった……!」
彼女は思わず、彼の手を握った。
「……俺……あの時……君を……」
「助けてくださいました。命を賭けて。……私は、あなたに生かされました」
その言葉に、ユーリは静かに微笑む。
「君を護れたこと……それだけで、俺は……」
だが、彼女は首を振った。
「それではいけないのです。あなたばかりが、傷ついてはいけない。私も……あなたを護らなければ」
涙を拭い、彼女は真正面から見つめた。
「だから私は……ユーリ殿。あなた一人の騎士になります。王も、国も、肩書も捨てて……あなたの傍に生きると、ここに誓います」
その真摯な宣言に、ユーリはしばらく言葉を失った。
だが、やがて、かすかに笑みを浮かべた。
「……ありがとう、セレスティア。でも、俺も……いつか君を護れるような男になりたい。君が安心して剣を収められるように、強くなりたいんだ」
その言葉に──何かが、堰を切ったように彼女の中で溢れ出した。
突き動かされるように、セレスティアは身を乗り出し、彼の唇に、そっと口づけた。
控えめでも、ためらいはなかった。ただ、想いのままに。
「……気づいたのです。私はずっと、あなたに仕えるだけの存在でいいと思っていた。けれど、本当は違った」
そう呟きながら、彼の額に自分の額を重ねる。
「私の……真の希いは、あなたと共に生き、互いに護り合う存在であること。だから──どうか……」
彼女は目を開けた。透き通るような碧の瞳が、まっすぐ彼を見つめる。
「私を、あなたの妻にしてください。私はこの命が尽きるまで、あなたの傍におります」
短く、空気が止まった。
だが次の瞬間──ユーリは、震える彼女の肩に手を添え、もう一度、今度は彼の方から唇を重ねた。
想いが、言葉を超えて伝わる。
二人を隔てていたものは、もうどこにもなかった。
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深夜。静寂の帳が落ち、世界がふたりきりになったような感覚に包まれていた。
蝋燭の灯りは淡く揺れ、壁に映る影が寄り添うふたつの魂を、祝福するように揺れる。
セレスティアはベッドの端に座り、両手を膝に置いて俯いていた。長い髪が肩から零れ落ち、その横顔はどこか、少女のようにあどけない。
ユーリがそっと近づいて座る。呼吸も音にならぬほど、張りつめた空気のなかで。
「……眠れないのか?」
囁くような声に、セレスティアは小さく頷いた。
「……ずっと、夢に見てたの。こんな夜を」
彼女の指が、震えながらユーリの手に触れる。その指先が柔らかく絡みついたとき、ふたりの間にあった境界線が、静かに溶けていった。
「ねえ……ユーリ」
呼び名に、わずかに甘えるような響きが混じる。
その声音は、彼女の鎧を一枚ずつ脱ぎ捨てるように、心をさらけ出していた。
「あなたに――触れてほしいの」
震える言葉の奥にあるものを、ユーリははっきりと感じ取った。
言葉の代わりに、手を伸ばし、セレスティアの頬に触れる。
その指先に、彼女の熱が宿る。
彼女は目を閉じ、まるで祈るようにその手に頬をすり寄せた。
ふたりの唇が重なったのは、あまりにも自然な流れだった。
最初はそっと触れるだけの、慎ましいキスだった。
けれど、感情が溢れ出すように、キスは次第に深まり、肌の熱と共にすべてを飲み込んでいく。
ユーリの腕の中で、セレスティアの体は柔らかく溶けていった。
背中に回された手が、布越しに熱を伝える。
「……ユーリ……」
セレスティアが囁くその声は、吐息に混じって甘く滲む。
胸元の布がゆっくりと緩められ、銀の髪の下から、月明かりに照らされた白い肌が現れる。
その美しさに、ユーリは息を呑む。
彼女の肌は、まるで雪のように白く、そしてなにより、触れた者の心を溶かすほどに柔らかかった。
「見ないで……でも、見てほしいの……わたしの全部を」
セレスティアのその矛盾した言葉に、ユーリはただ、彼女を抱きしめることで応えた。
熱が、確かにふたりを包んでいく。
指が髪を撫で、鎖骨をなぞり、腰のラインを伝う。
そのすべての動きに、彼女は微かな震えと、かすれた声で反応した。
肌と肌が重なり合うたび、時間が緩やかにほどけていく。
布の擦れる音、呼吸の重なり、そして微かな吐息が、部屋の静けさに溶けていった。
「セレスティア……」
名前を呼ぶ声に、彼女は涙を浮かべて微笑む。
「違うわ……セレスって、呼んで……今夜だけじゃない、これからも、ずっと……」
「……セレス」
その一言に、セレスは身体の芯から震えるような安堵の息を吐いた。
「もう……限界……わたし、ずっと……こうしたかった……あなたと……」
吐き出された欲望は、けして卑しくなく、ただひたすらに純粋で切実だった。
唇が、肩に落ち、首筋に這い、胸元へと触れるたびに、彼女の吐息が深まっていく。
まるで、互いに溶け合うように――そうして、ふたりは一つになった。
光と影が絡まり合い、夜が深くなるほどに、ふたりの世界は静かに燃え上がっていく。
情熱は、波のように何度も寄せては返し、終わることを知らなかった。
やがて――
セレスはユーリの胸に顔をうずめ、かすれた声で囁く。
「……幸せ、なの。こんなに、心があたたかい夜なんて、初めて……」
ユーリは彼女の背に手を添えながら、そっと頷いた。
「……俺も、セレス」
世界にふたりきり。
何度も呼び合い、何度も確かめ合い、深く深く溶け合って――その夜、彼らは確かに夫婦となった。




