⑲
夜が明けきらない王城の回廊を、ユーリは静かに歩いていた。
前夜、セレスティアの部屋で過ごしたわずかな時間が、心の奥にまだ温かく残っていた。
黙って剣を研ぎ続ける彼女の横顔は、どこか張り詰めていて、それでいて──美しかった。
「……黙ってていいから、休んでてください」
その言葉が、何度も脳裏をよぎる。彼女の不器用な優しさが、沁みるようだった。
(守られてばかりじゃ、いけないな)
王から渡された情報によれば、街中で起きている不可解な失踪事件の裏には、“深淵の杯”という名の組織が絡んでいる可能性が高いという。まだ詳しい正体はつかめていないが、彼らは精霊族や人間族だけじゃ飽き足らず魔族や他種族までも実験に使っているらしい。
そう、ただの反乱の残党ではない。国家をも崩壊させかねない──“根”が違う存在だ。
「深淵の杯……」
呟いた名は、口にするだけでぞっとするような響きを持っていた。だが、恐れている暇はない。事態は、着実に進んでいる。
「……ユーリ殿」
声がして振り向くと、第一王女・エステルが立っていた。豪奢な外套を纏い、いつもと違い下ろした長い白銀が夜明けの光を受けて淡く揺れる。
「お目覚めが早いのですね。偶然ですわ、私も朝の空気を吸いに来ていたのです」
偶然──というには、彼女が現れるタイミングはあまりにも精確だった。
「……おはようございます。王女殿下」
「そんな堅苦しい呼び方、やめてくださいまし。エステルで結構よ、ユーリ」
まっすぐな視線に、一瞬返す言葉を探したが、結局は曖昧に微笑むしかなかった。
「もう、またそんな反応、私の心は届きませんのね…」
彼女は頬を膨らませて見せる。まるで戯けたように、けれどその瞳は本気の色を宿していた。
「私、あなたの容姿や力に惹かれたわけではないのです。あなたが城でどれだけの者から信頼されているか……その人柄も私、知っています」
「……ありがとうございます」
その言葉だけは、素直に口に出せた。だが──
「私は……誰かを背負って生きる自信が、まだありません。殿下のように……立場のある方を巻き込むのは……」
「私を“守るべき立場”に閉じ込めないでください。……私は、あなたの隣を選ぶ覚悟くらい、持っています」
毅然と言い切るその姿は、王女としてではなく、一人の女性としての決意を帯びていた。
だが、ユーリは言葉を返せずに立ち尽くした。
と、そのとき──
「ユーリ様、王女殿下!」
騎士の緊迫した声が中庭を駆け抜けた。
「何があった?」
「失踪事件の続報です。今度は北区の神殿前で、大規模な“魔法障壁”の痕跡が見つかりました。結界の内側が完全に黒焦げで、空間そのものが歪んでいたと……!」
ユーリの顔色が変わる。
「結界……それも、空間を歪ませるほどの?」
「“深淵の杯”による実験かもしれません」
騎士の顔には恐怖がにじんでいた。
「お部屋に戻ってください、殿下。……これ以上の巻き込みは避けるべきです」
「私は、王族としての務めを果たすつもりですわ。何が起きているのか、知らないままでいたくありません」
エステルは毅然と応えたが、ユーリは少しだけ顔を曇らせた。
「……後で必ずご報告します。だから今は、信じてください」
しばしの沈黙の末、エステルは小さく頷いた。
「ええ……あなたの言葉を、信じています」
それだけ言い残して、彼女は護衛に連れられ城の奥へと消えていった。
その背を見送りながら、ユーリは深く息を吐いた。
(──いずれは、答えを出さなければいけない。だが今は、あの災厄の正体を突き止めることが先だ)
足元の石畳の下で、何かがうごめいているような、そんな錯覚があった。
* * *
その夜、セレスティアは訓練場の端で一人、木剣を振っていた。
技ではない。ただ、感情をなだめるための動きだった。
「……何かあったのか?」
声に振り向けば、ユーリが立っていた。
「……いえ。体を動かしたかっただけです」
少し息を切らしている彼女を見て、ユーリは言葉を探す。
「エステル殿下と、少し話をした。」
「……そうですか」
その返答に、どこか拗ねたような響きが混じる。
「王女の言葉に、俺ははっきりと答えられなかった…俺には…」
セレスティナは空の月を見上げながら
「…私は、あなたの剣でありたい」
ふいに、彼女の目が真っ直ぐにユーリを見た。
「私が守りたいのは、ただの任務の対象じゃない。あなたです」
その告白めいた言葉に、ユーリは驚いた顔を見せ──けれど、それ以上の言葉は返さなかった。
代わりに、そっと微笑みを浮かべて、小さく頷いた。
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それは、何の前触れもなく始まった。
王都に朝の鐘が鳴り響く少し前のこと。西区の平民街、まだ霧が薄く残る石畳の路地に、異様な気配が満ちた。
最初に気づいたのは、門番を務める若い兵士だった。
「……な、なんだ……? 霧の奥、何か……いる……っ」
次の瞬間、肉が裂ける音が響いた。
兵士の叫びも、斬りつける暇すらなかった。それは“化け物”だった。魔族の肉体を無理やり繋ぎ合わせたような、禍々しい異形。まるで複数の獣を強引に繋げたかのような姿──キメラ。
だが、その目は確かに人のように見開かれ、怯えたような、助けを求めるような──いや、全てを呪うような光を宿していた。
王城の警報が鳴るまでに、いくつかの民家が崩壊し、路地は血で染まった。
* * *
「……王都西部にて、魔物による襲撃……現在、騎士団が対応中!」
報告を受けた王城は騒然となった。
その頃、ユーリはセレスティアとともに馬で現場へ向かっていた。
「……魔物、ですか」
手綱を握るセレスティアが、前を見据えたまま呟く。
「いや、違う。魔物“だけ”じゃない。魔族の要素が混ざっているみたいだ──それも、前に戦ったキメラと同じように無理やり繋がれているような……」
ユーリは昨日、騎士団から渡された資料を思い出していた。深淵の杯が行っていたという“人体融合”の記録。
(まさか、本当に……実験体を市街地に放ったというのか?)
そんな恐ろしい考えが脳裏をよぎる。
やがて現場に到着すると、焦げた石畳、裂けた路地、血の臭いが鼻を突いた。
「ここが……っ」
セレスティアが思わず息を呑む。数人の騎士が治療を受け、何人かは担架に乗せられていた。
「ユーリ様……!」
一人の騎士が駆け寄る。
「出ました、キメラです。魔物と魔族の融合体のようなもの。剣が効かない……体が再生するんです! いくつかの頭が吠えると、周囲の魔力が乱れ──魔術師がまともに詠唱できません!唯一、浄化の祈りのみ効果を出しているような状況です。浄化の効果がおそらく魔族の部分に強く反応しているのかと思いますが…」
「今はどこに?」
「……あの路地の奥です。住民を避難させつつ、追い込んでいますが……」
言葉を遮るように、空気が揺れた。悲鳴が、空を裂いた。
ユーリとセレスティアは顔を見合わせ、一気に走り出す。
* * *
──そして、戦場にたどり着いた瞬間、それは目の前にいた。
全身を鎧のような鱗に覆い、背中からは異様な角が何本も生えていた。三つの顔──狼、蛇、そして人の面が、同時にこちらを見据えている。
「……気をつけてください、ユーリ様」
セレスティアが剣を構える。だが、その手がわずかに震えていた。
「来るぞ!」
次の瞬間、黒煙のように地を這う影が突進してきた。
──速い!
ユーリは咄嗟に剣で受け止めたが、重さと勢いに押され、後方へ吹き飛ばされそうになる。
「っぐ……!セレスティア、こいつかなり出来るぞ!!」
一度距離を開けるように飛び退き態勢を整える。
ユーリの額に汗が一筋流れた。
それからどれくらいの時間が経過したのだろうか?
何度も斬りつけ、魔法を放ち、殴りつけ…どれだけ繰り返してもその度に修復してしまう。
この回復力は普通じゃない…もしかしたら素体となった魔族の特殊能力!?
戦闘中に余計な事を考えてしまったバチが当たったのだろうか、キメラのしなる触手のような腕に打ちつけられる。
「グァッ!」
ヴォオロロロロロロッ!キメラの追撃が倒れるユーリに迫る…その刹那──
彼が倒れそうになる直前、セレスティアが間に入る
「──下がってください!」
その声が響いたのと同時に、鋭い爪が彼女の鎧を裂いた。
「セレスティア!」
血が舞った。セレスティアが崩れ落ちる。
「……な、に、これ……動かない……」
ユーリが駆け寄った時、彼女の瞳は意識の境界に揺れていた。
「……駄目だ……セレスティア…こんな所で……君を守れなきゃ、意味がないだろ……!」
静かにセレスティアの身体を横たえユーリは自分の加護に集中する。
「創造の加護よ…キメラを葬れる術を与えてくれ……」
加護は何の反応も示さない。
「くっ…なんでうまくいかないんだ!!」
『唯一、浄化の祈りのみ効果を出しているような状況です。』
先程の兵士との会話が脳裏に浮かんだ。
ユーリは再び創造の加護に願う。
「浄化の祈り…あのキメラをどうにかできる程の威力の聖属性の魔法を作ってくれ」
ユーリの願いを受け辺りが優しい光に包まれる。
思わず眩しさに目を瞑ってしまう、次に目を開けた時、そこにはキメラの存在は跡形もなく消え去って
いた。戦いは終わった。
しかし、ユーリには勝利の喜びも助かったという安堵も感じられない。
セレスティアを失ったという現実に向き合えないでいた。
ユーリは色を失いかけているセレスティアの隣で三度願った。
そして創造した、創造出来てしまった。
聖神の石。それはその名の通り神の御業。神の領域。
効果は絶大だった。対象の命を繋ぐ事が出来るアイテム。
未熟な者が使えば、自身に深刻な代償が返ってくる。下手をすれば、命すら失いかねない。
それでも──
「……お願いだ。彼女を、助けてくれ……!」
聖神の石が、眩い光を放った。
* * *
──気づけば、セレスティアの傷は塞がり、呼吸も整っていた。
「たしか…私は…」
ふと目を向けた先、そこで見たのは、力が抜けた人形のようにユーリが崩れ落ちる瞬間であった。
「ユーリ様……?」
彼はその場に倒れていた。顔は蒼白で、汗が額を濡らしている。
「ユーリ様……!」
泣きそうな声で、彼女は彼の名を呼んだ。
(私を庇って……傷ついて……)
セレスティアはその頬にそっと触れると、震える声で囁いた。
「お願いです、戻ってきて……わたしは、まだ……何も言えていない……!」
セレスティアの声にこたえる者はいなかった




