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滞在を始めて、すでに数日が経っていた。


 ユーリとセレスティアは、王都の城に留め置かれたまま、次なる命を待っていた。表向きは「保険」としての待機だったが、実際には王の腹心たちの間でも、まだ事態の全容が掴み切れていないという空気があった。


「……おかしいですね。討伐に出るには、まだ時間がかかると思っていたのですが」


 朝の回廊。城の外庭を見下ろすテラスで、セレスティアが手すりに寄りかかるようにして呟いた。


「動きがあったのか?」


「ええ。さきほど聞きました。南部の反乱の兆候が本格的と判断され、王直属の部隊が出陣したそうです。規模は小さいようですが……」


 ユーリは軽く顎に手を当てた。


「早いな。警戒だけじゃなく、もう踏み込む気か」


「思ったよりも、証拠が揃っているということでしょうか。あるいは、動きを見せて炙り出す意図もあるのかもしれません」


「だとしても、慎重な王にしては強気すぎる。……きっと何か裏があるな」


 セレスティアは少し考えた後、ユーリに視線を戻す。


「王があなたを『保険』としてここに留めた理由が、少しだけ分かった気がします」


「……まさか、王都に何か起きると?」


「断言はできません。ただ、嫌な予感がしてなりません」


 ユーリは頷いたが、それ以上は言わなかった。思い当たる節はいくつもあった。ただ、それを言葉にしてしまえば、もはや引き返せない。


 その後も何度か王からの召喚があり、セレスティアと共に状況の報告を受ける機会が続いた。


 討伐隊は順調に進軍しているらしく、反乱の拠点とされる小貴族の砦の包囲も完了したという。ただ、敵の応戦は予想を下回っていた。想定していたような本格的な軍備もなく、あくまで“兆候”に過ぎなかったのではという見方すら出てきていた。


 そんな穏やかな空気に包まれつつあったある日の午後。ユーリが中庭で剣の素振りをしていたところに、場違いなまでに明るい声が響いた。


「ユーリ様! お元気そうで何よりですわ!」


 振り返ると、そこにいたのは第一王女エステルだった。白銀の巻き髪に、陽光を反射するような明るい笑顔。両手でスカートを摘まみながら、駆け寄ってくる様子は、王女というより貴族令嬢のように無邪気だった。


「王女殿下、護衛もつけずに……ここは騎士たちの訓練場です。危険ですので」


 すかさずセレスティアが前に出て、厳しい口調で言う。だが、エステルは笑って受け流した。


「大丈夫ですわ、あなたがいるのでしょう? 騎士セレスティア。それに、ユーリ様がいれば、百人力ですもの」


「……それは過大評価だと思います」


 ユーリが苦笑混じりに返すと、エステルはくすりと笑った。


「でも、本当のこと。お父様も、ユーリ様の実力をとても高く買っていらっしゃるのよ。……わたくしも、ですけれど」


 その最後の一言が、ほんの少しだけ色を含んでいたことに、セレスティアは気づいていた。


「よろしければ、今夜、お茶会などいかがかしら? ユーリ様の部屋で。静かに語らいたいと思って」


「……え、いや、それは……」


 戸惑うユーリに、エステルは一歩だけ距離を詰める。その無邪気な笑顔の奥に、どこか計算されたものがあることを、セレスティアは直感していた。


「王女殿下。ユーリ殿は現在、城の要員として重要な任に就いております。軽々に動かせる立場ではありません」


「セレスティア、あなた、あなた少し変わった気がしますわ」


 エステルが、笑顔のまま言った。その言葉に、場の空気が少しだけ冷える。


「……そんなつもりは」


「でも、ユーリ様のこととなると、とても敏感になるのね。……ふふ、いいことですわ。そういう熱意、嫌いじゃありません」


 そしてくるりと踵を返し、スカートを翻して立ち去っていった。


 残された二人の間に、しばし沈黙が流れた。


「……ごめん。セレスティアが不快になるようなことになってしまって」


 ユーリが口を開くと、セレスティアは首を振った。


「違うんです。ただ……私が護衛である以上、あのような振る舞いには、どうしても過敏になります」


それに…とセレスティアは少しだけ俯いた。

「……分からないのです。私がどう思っているのか、言葉にすると、何かが壊れてしまう気がして……」


 その言葉に、ユーリは何も返せなかった。ただ、その横顔を見つめ続けていた。


 その夜、討伐隊が反乱の砦を制圧したとの報が入った。想定よりも早い鎮圧に、城内には安堵の声が広がったが――


 それは、静かな嵐の前触れに過ぎなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「討伐は終わった。あっけないほどに、な」


 執務室の机に地図を広げながら、王は低くそう告げた。その場にいるのは、側近の老臣と王直属の文官、そしてユーリとセレスティア。


「制圧された砦は、実質的には軍備の倉庫も兵力も貧弱なものだった。報告によれば、武器は国外製、傭兵たちも素性不明で、捕虜の多くが戦闘経験に乏しい新兵。明らかに囮だったというわけか」


「つまり、黒幕は別にいる……と?」


 ユーリが言うと、王は静かにうなずいた。


「だが、不自然な点が多い。短期間にあれほどの数の兵が集まり、国外からの武器が流入していた。密輸のルートも、何らかの支援がなければ成り立たん。おそらく、王国内の誰かが手を貸していた」


 セレスティアが一歩前に出た。


「王国内部の協力者がいたのだとすれば、それは単なる貴族の謀反ではなく、もっと広範な……」


「……組織的な陰謀ということになる」


 王が唸るように言ったとき、文官が小さな声で口を挟んだ。


「陛下……例の、資料の件を……」


 王は頷き、机の引き出しから一枚の書簡を取り出した。


「ユーリ、これは先日の討伐で手に入った文書の一部だ。読んでみてくれ」


 差し出された羊皮紙には、複数の名と共に、意味の通じない符号が並んでいた。だが、その中に──奇妙な文言があった。


「深淵の杯…」


 ユーリの目が細められる。


「これは……?」


「我々にとっても初見の名前だ。だが、すでに数人の情報将校が、この名を含む複数の文書を確認している。どうやら、貴族らの背後で暗躍していた勢力の名称らしい」


 セレスティアが、息を飲むように呟いた。


「……これまでの『闇の組織』と呼ばれていた存在……それが、この“深淵の杯”なのですか」


 王は頷いた。


「今までは憶測の域を出なかったが、ついに名前が出た。これで追跡の手がかりができる。奴らの企ては、まだ終わってはいないだろうがな」


「魔族、亜人、そして人体実験……これまで断片的に掴んでいた情報と一致します。おそらく、王都で何かが起きる……そう考えるべきです」


 ユーリの言葉に、重苦しい沈黙が落ちた。


 その夜、ユーリの部屋にノックの音が響いた。


 ドアを開けると、そこにはまたしてもエステルが立っていた。今度は護衛の騎士を伴っており、装いも昼間とは違い、深紅のドレスに身を包んでいた。


「ごきげんよう、ユーリ様。少しだけ、お時間をいただけるかしら?」


 セレスティアが後ろから現れたが、ユーリはそっと手を上げて制した。


「いいよ。少しなら」


 エステルは嬉しそうに微笑んだ。


 二人は部屋のテーブルに向かい合って座った。銀のポットから注がれた茶の香りが、わずかに甘く漂う。


「……ここしばらく、ずっと考えていたの。あなたのこと。王都に来てから、たくさんの噂を聞いたわ。英雄のように語られていて、まるで絵物語みたい。でも……あなたは、私の目の前でこうしている。現実に」


「……誤解だ。俺はそんな立派なものじゃない」


「違うわ。最初は口づけをされた衝撃からユーリ様を調べるようになった……知れば知る程あなたに恋焦がれてしまっているの。私はあなたに本気で惹かれてるの」


 エステルはまっすぐに見つめて言った。その瞳に、嘘はなかった。


「あなたの傍にいたいと……そう思ってる。あなたが戦うなら、私もその戦場を見ていたい。護られるばかりじゃなくて、あなたと肩を並べてみたい……」


 言葉を失うユーリを見て、エステルは恥ずかしげに微笑んだ。


「……ごめんなさい。急に、こんなこと。本当はユーリ様に迷惑をかけたくないの。でも、伝えたかったの。正直な気持ち」


「ありがとう、王女殿下。でも……」


 言いかけた言葉を、ユーリは飲み込んだ。言葉にすることで、誰かの気持ちを傷つけてしまいそうで。


 その夜、セレスティアは何も言わなかった。ただ、部屋の外に立ち続けるその背中が、少しだけ震えているように見えたのは──気のせいではなかった。


朝の王城は、清らかで静謐な空気に包まれていた。けれど、その静けさは──どこか不自然なものだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ユーリは中庭を歩いていた。石畳を踏む足音の後ろから、控えめについてくるセレスティアの気配があった。


 その沈黙が、やけに長く感じられる。


「……王女殿下、随分はっきり言ってたね」


 ユーリは苦笑を浮かべたが、目は少しだけ曇っていた。


「彼女の想いは真剣だったと思う。彼女の立場も特別だ軽々しく答えるわけにもいかない」


「ええ、その通りです」


 セレスティアは俯いたまま、少しだけ歩みを早める。


「私は、王女殿下のように……はっきりと言葉に出来る方を眩しく思います」


「そんなふうに考えなくていいんじゃないか」


 思わず、ユーリは口にしていた。


「君は、ずっと俺のそばにい寄り添ってくれている。……それだけで、すごく心強いと思ってる。感謝してる」


 言葉を重ねるごとに、ユーリの声がやや小さくなっていく。それは、まるで照れ隠しのようでもあった。


 セレスティアはその横顔をちらりと見て、ふと微笑みかけそうになった。だが、そのとき──


「失礼します!」


 駆け込んできた文官が、二人の会話を遮った。


「街の北部で、住民が相次いで失踪しています。争った痕跡はなく、誰も騒ぎを聞いていません」


 ユーリとセレスティアが同時に表情を引き締める。


「まるで……姿ごと消えたみたいに?」


「はい。その上、調査にあたった騎士の報告によると、失踪者の近隣に、元・反乱貴族の家臣らしき影が見られたとのことです」


「……反乱は終わっても、残党が潜んでいたのか?」


「それだけではありません」


 文官が顔を強張らせる。


「現場近くに、強い魔力の残滓がありました。調査官いわく、通常の魔法とは異なる“歪んだ魔”の痕跡だったと──」


 セレスティアが眉をひそめる。


「歪んだ魔…?……、禁忌に触れるような何か?」


「……“深淵の杯”」


 その名を、ユーリが初めて声にした。


 それは、つい最近、王の口から漏れ聞いたばかりの名──反乱貴族と結びつきのあった、闇の組織。


「その名が出たのは……初めてです。ですが、陛下はこれが“あの組織”の名だと断言されました」


「……この王都で動き出したのか」


 ユーリは、拳を静かに握った。


 それは、誰かを殴るためのものではなく──守るための決意の形だった。


* * *


 その夜、セレスティアは静かに剣を磨いていた。


 滑らかな刀身に、月光が静かに反射する。


(私は……)


 言葉にできない想いが胸に渦巻いていた。彼の隣にいたい。ただ、それだけのことが、こんなにも遠く感じられる。


 あの王女のように、堂々と言葉にできたら、どれだけ楽だろう。


 けれど。


(私はまだ、剣だ。ただの、彼を護る盾でしかない)


 ──コン、コン。


 不意に、控えめなノック音が響いた。


「……起きてる?」


 聞こえてきたのは、ユーリの声だった。


「はい。どうぞ」


 扉を開けると、彼が書簡を一通手にして立っていた。


「王から、さっき直接渡された。深淵の杯の、初動情報……らしい」


「……ありがとう。後で目を通しておきます」


 セレスティアは受け取りながら、彼の疲れた顔を見た。


「……休んだほうがいいわ。ユーリ殿は無理をしてる」


「……うん。少し、気を張りすぎてるのかもな」


 ぽつりと返す彼の声に、セレスティアは少しだけ戸惑う。


 いつも冷静で、人のことばかり気遣う彼が、こんな風に素直に弱音を漏らすのは珍しかった。


「……なら、少しここにいても構いませんよ」


「え?」


「ほんの少し。……剣の研ぎを終えるまで。黙ってていいから、休んでてください」


 そう言って椅子を指すと、ユーリはほんの少し困ったように笑って、こくりと頷いた。


 月明かりの静寂の中、セレスティアは再び剣を手に取りながら、心の奥に浮かぶ言葉を押し殺した。


(私は、まだ言えない。でも──いつか、きっと)

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