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 翌朝、村は朝霧に包まれていた。川辺の宿の窓からは、薄靄の中を行き交う村人たちの影がちらほらと見える。


「朝食は簡単なものですが、お口に合うといいですねえ」


 宿の女将が湯気を立てるスープとパンを並べながら笑顔を浮かべる。その横では、昨夜の老主人が座って煙草をくゆらせていた。


「いい朝だな。少し、村を見て回ってもいい?」


 ユーリが振り返って尋ねると、セレスティアは軽く頷いた。


「少しなら問題ありません。時間には余裕がありますから」


 二人は外套を羽織り、朝の村へと出た。


 村の中央にある小さな広場では、野菜や果物が並ぶ簡易の市が開かれていた。子どもたちが走り回り、年寄りたちは道端で世間話に花を咲かせている。


 そんな中、少し離れた井戸のそばで、村の青年たちが集まって何やら話し込んでいた。


「……最近、どうも変だって親父が言ってた。城下の方じゃ、鉄の値が跳ね上がってるらしいぜ」


「武器や鎧がバカみたいに売れてるって話だ。貴族様たちが、こぞって買い漁ってるとか」


「戦争でも始まるのかよ……」


 ユーリは足を止め、何気ないふりでその話に耳を傾けた。セレスティアも同じように、視線だけをそちらに向けている。


 井戸の傍の若者たちは、あくまで世間話のつもりのようだったが、その口調には不安が滲んでいた。


 やがて会話は違う話題へと移ったが、ユーリは立ち止まったまま、しばらく無言だった。


「……気になりますか?」


 セレスティアが小さく問いかける。


「うん。王都から急に召集された理由とは関係ないと思いたいけど……貴族が武器を買い漁るなんて、穏やかじゃないよ」


 彼の声には、僅かな緊張があった。


「正式な軍の動きであれば、私の耳にも何らかの情報が届いているはず。ですが、そういった知らせはありません」


「となると……」


「私的な動き、もしくは、それに近いものかもしれません」


 セレスティアはそう言いながら、村の空を見上げた。どこか物思いにふけるような表情だった。


「……でもまあ、今ここで考えても仕方ないか。王都に行けば、何か見えてくるかもしれない」


 ユーリは気を取り直したようにそう言うと、セレスティアの方を見た。


「それより、もう少しだけ歩こう。せっかくだし、この村の雰囲気、気に入ったから」


 その言葉に、セレスティアの口元がわずかに緩んだ。


「了解しました。ユーリ殿が迷子にならないように、私が見張っていましょう」


「……それ、やっぱり俺が方向音痴ってこと?」


「言ってませんよ。ただの、予防です」


 二人は軽く笑い合いながら、村の小道をゆっくりと歩き出した。どこかに不穏な影を感じつつも、まだ朝の光は穏やかで、村の空気には安らぎがあった。


---------------


 村を発つ朝は、前日よりも幾分か晴れやかだった。


 荷を整え、宿の老夫婦に頭を下げて村を後にする。見送る人影は少ないが、名もなき村人たちの素朴な笑顔が、旅の疲れをほんの少し癒やしてくれるようだった。


 村の背後に広がる林道を進みながら、ユーリはふと隣を歩くセレスティアの表情を盗み見る。


「……昨日より、少し表情が柔らかい気がするな」


 そう思った矢先、彼女がこちらに視線を寄越した。


「何か?」


「いや、何でもない。ただ、今日の天気は旅日和だなって思っただけ」


 セレスティアは、すこしだけ目を細めた。わずかに呆れの色を含んだ微笑。たぶん、ほんの少し、仲良くなってきた証拠。


 二人はそのまま並んで歩き続けた。


 しばらく進んだ森の中、異様な気配が漂ったのは、昼前のことだった。


 茂みの奥から、地を這うような低い唸り声。直後、黒い毛並みをした狼に似た魔獣が飛び出してきた。背丈は人間ほどもあり、目は血に濡れたように赤い。


「来ます!」


 セレスティアが即座に抜刀し、体勢を取る。


「俺も援護する!」


 ユーリも素早く詠唱の準備を始めた。が、先んじて前に出たセレスティアが、一体の魔獣と剣を交える。


 素早い。確かな技量。だが、数の多さが誤算だった。


 一匹の動きを封じた次の瞬間、茂みの陰から飛び出した別の魔獣の爪が、彼女の脇腹をかすめた。


「……っ!」


 わずかに呻く声と、服を濡らす紅。セレスティアはすぐさま体勢を立て直して魔獣を薙ぎ払ったが、その動きは明らかに鈍った。


「セレスティア、大丈夫か!」


「問題ありません……浅い傷です」


 そう言いつつも、その額には汗。痛みに耐えているのは明らかだった。


 ユーリは迷わず手を伸ばした。杖に意識を集中し、紋章が淡く光を帯びる。


「創造の加護よ、癒しの薬を形にせよ」


 淡い光と共に、彼の手のひらの上に青緑の瓶が浮かび上がった。傷薬——否、即効性の高い回復ポーション。


「これ、使え。……多少苦いけど、効き目は保証する」


 セレスティアは目を見開いた。


「今の……創造の加護、ですか?」


「ああ。俺の加護は“創造”だよ。……言ってなかったっけ?」


 彼の言葉に、セレスティアは無言のまま瓶を受け取る。躊躇するように一瞬見つめた後、ぐいと一気に飲み干した。


 数秒後、彼女の表情から痛みが和らいでいくのが見て取れた。


「驚きました。創造の加護とは、ここまで精緻な薬を……。正直、加護と聞いて少し軽く見ていたかもしれません」


「よくあることさ。俺も最初は何ができるのか分からなくて困ったし」


 ユーリが軽く笑うと、セレスティアは僅かに視線を逸らした。


「……感謝します、ユーリ殿。助かりました」


 その声音には、今までにない素直な響きがあった。信頼以上、けれどまだ、それ以上と呼ぶには微妙な距離感。その変化を、ユーリは何となく感じ取った。


「お互い様だよ。俺一人だったら、とっくにこの森で餌になってたかもしれない」


 彼の冗談に、セレスティアは小さく笑った。


「それは……確かに否定しきれませんね」


 少しだけ砕けたその声に、ユーリの胸の奥がわずかに温かくなる。


 魔獣の死骸を脇に、二人は再び歩き出す。旅は続く。けれど、たった一つのポーションが、二人の間の何かを静かに変えていた。


---------------


 陽が落ち始め、あたりが金色の影に染まる頃、ユーリは開けた林の中にちょうどよい野営地を見つけた。水場に近く、木々の枝も風除けに使える。獣道からもやや外れている。


「ここで一泊しよう。セレスティア、大丈夫か?」


「ええ。ポーションのおかげで、傷の痛みはもう感じません」


 そう答える声に嘘はなかった。動きにも無理は見られない。ただ、どこか心なしか彼女のまなざしが柔らかい。以前なら、無言で焚き火の準備を始めていたところだろう。


「じゃあ、俺は薪を集めてくる。セレスティアは周囲の警戒を頼める?」


「分かりました。お互い、無理はしないように」


 ユーリが軽く頷き、歩き出すと、その背に小さく返る声が聞こえた。


「……ありがとう、改めて」


 振り返っても、セレスティアはもう背を向けていた。けれどその言葉は、まっすぐ心に届いていた。


***


 夜。


 焚き火の炎が、赤く揺れていた。枝葉のぱちぱちという音に混じって、遠くの虫の声が時折風に乗って届く。


 二人は焚き火を挟んで腰を下ろし、簡素な干し肉とパンで食事を済ませていた。言葉少なではあったが、沈黙は重くなかった。


 夜気は冷たくなってきたが、火のぬくもりと、それ以上に隣に誰かがいるという安心感が、静かに心をあたためてくれる。


 やがて、ユーリがふと、炎越しに目を上げた。


「……セレスティア、今日、少しだけ雰囲気が変わったよな」


「え?」


「いや、なんというか……少し、前より俺に心を許してくれてるっていうか。表情がやわらかくなったっていうか」


 セレスティアは少し驚いたように目を見開き、それから視線を落とした。焚き火の光が彼女の頬を橙に照らしている。


「……そう見えるでしょうか?」


「ああ。悪い意味じゃないよ。むしろ、仲良くなれてきたのかなって、少し嬉しくて」


 ユーリが照れくさそうに笑うと、セレスティアも目を細めて、それに応えた。


「そう、ですね。たぶん……今日のことが、きっかけになったのかもしれません」


「創造の加護、のこと?」


「ええ。加護は誰にでもあるものですが、あなたのそれは……ただの力じゃなく、他人のために使おうとしているのが分かりました」


 そこまで言って、彼女は焚き火の炎をじっと見つめる。


「私は……王都の騎士という立場もあって、人との距離を測るのが癖になっていて。でも、あなたと旅をして、話をして、今日のことがあって……少しずつ、私の中で何かが変わってきたのかもしれません」


「……うん」


 ユーリは、うなずくだけだった。無理に言葉を返さず、ただ彼女の言葉を受け止める。その沈黙が、かえって心地よい。


 風が一陣、木の葉を鳴らして通り過ぎた。焚き火の火がぱちりと跳ねる。


「ユーリ殿」


「ん?」


「……あまり調子に乗らないでくださいね。私が気を許してきたからって」


 セレスティアがわずかに笑いながら、からかうような口調で言った。


「はいはい。気をつけます」


 そんな風に答えながらも、ユーリは心の中で、少しだけ胸を撫で下ろしていた。彼女の笑顔を引き出せたことが、素直に嬉しかったのだ。


***


 その夜、焚き火が静かに燃える音の中、二人は交代で見張りを立て、眠りについた。


 信頼という土台の上に、少しずつ、目に見えない何かが築かれ始めているのを、ユーリはまだはっきりとは言葉にできなかったが、確かに感じていた。


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