春風の銀糸
学園生活が始まって、三週間が過ぎた。
新しい制服、見慣れない顔ぶれ、慣れない礼儀作法や授業の雰囲気――
ユーリにとっては刺激と戸惑いの連続だったが、それでも彼は、少しずつ自分の立ち位置を見つけつつあった。
けれど心の奥に、ぽつりと残る空白があった。
それは、置いてきた優しい日々の温もり。
いつも傍にいたミリアとメルリナの笑顔。離れてみて、初めてわかる大切さ。ふとした瞬間、胸がひやりと寂しくなる。
そんなある午後、ふと訪れた中庭で、柔らかく風に舞う光が彼の視線を奪った。
銀糸のような髪が、春の陽に溶けて揺れている。
その姿はどこか儚く、花々の間で一人佇む少女は、まるで絵本の中の妖精のようだった。
「……アリア?」
名前を呼ぶと、彼女がゆっくりと振り返る。
光に透けたまつげの奥で、優しい瞳がふわりとほころぶ。
「ユーリさん……。こんなところで、偶然ですね」
「偶然……かもな。でもアリアがそこにいる、なんとなくそんな気はしてた」
彼女の隣に腰を下ろすと、春風の香りと、ほんのり花の匂いが届いた。
それが彼女の香りだと気づいて、ユーリの心臓が一瞬だけ跳ねた。
「君の髪……あの銀月草と同じ色だな。正直見惚れてた」
「……またそういうことを、さらっと言うんですね。いけませんよ、そういうの」
言葉ではたしなめつつも、アリアの頬がほんのりと染まっていた。
きっと、気づいている。彼の言葉が、誰にでも向けられるものではないことを。
しばらく二人は言葉を交わさず、花を見つめたまま時を過ごした。
けれどその沈黙は、どこか心地よいものだった。
春の風が吹き、アリアの髪がふわりと宙を舞う。
その一本が、ユーリの肩にかかる。指先でそっと払おうとした瞬間――
(……また、だ)
背筋を撫でるような冷たい視線。気のせいにしては、あまりにもはっきりとした感覚だった。
周囲には誰もいないはずなのに。だが、それが錯覚ではないと感じたのは――隣の少女もまた、静かに眉を寄せたからだった。
「……アリア?」
「……最近、ずっと感じてるんです。誰かに見られてるような気がして。ずっと、背後から……冷たい視線で」
震える声ではなかったけれど、その奥にある不安は、確かにユーリの胸に届いた。
「それ、俺も感じてた。……アリア、何かあったら、必ず言ってくれ。アリアを危険な目には合わせたくない」
真っ直ぐな言葉だった。格好つけようともしなかった。けれど――その言葉に、アリアは目を丸くし、それから小さく微笑んだ。
「……ありがとう。ユーリさんって、ずるい人です」
「えっ?」
「そんなふうに言われたら……私、もっと、あなたのこと……頼りたくなってしまうじゃありませんか」
恥ずかしそうに視線をそらすアリア。その頬は、春の日差しよりも暖かそうだった。
その日の帰り道。人通りの少ない裏庭の小道を、ふたりは並んで歩いていた。
「兄は……何をしても、何を言っても、見てくれなかった。私が笑っても、泣いても……まるで人形を見るみたいな目で」
呟くような声。けれど、言葉のひとつひとつに、ずっと胸に抱えてきた孤独が滲んでいた。
「そんなふうに、見られたまま育って……私、ずっと、自分には何の価値もないんだって思ってました。綺麗なドレスを着て、黙って笑っていれば、それでいいって……」
足を止め、アリアが静かに振り返る。その瞳に、揺れる光があった。
「でも、ユーリ様は……私をちゃんと、見てくれる。言葉も、気持ちも、ちゃんと受け止めてくれる」
彼女の指がそっと、ユーリの袖を掴んだ。
その手は小さくて、少しだけ震えていて――それでも、確かに温かかった。
「あなたの傍にいたい、それが今の私の本心です」
その言葉には、誰にも見せなかった想いが詰まっていた。
ユーリはその手を、やさしく握り返した。
「俺は君を、一人にはしない。アリア」
彼の言葉に、アリアの目に涙が浮かんだ。けれど、その瞳は笑っていた。
初めて、本当に心から――自分という存在が、誰かに必要とされていると感じられた。
その瞬間、春風がまた吹いた。
花びらが宙に舞い、二人の間をふわりと彩る。まるで、祝福するように。
そしてその夜。月光の下、学園の壁にひとつの影が佇んでいた。
銀の髪を風に揺らし、冷たい瞳で、ユーリの部屋を見つめる男がいた――。
その瞳には、妹に向ける歪な愛情を宿していた。
「……アリア。あんな男に、心を許すとはな」
月の光が、その言葉をかき消すように静かに照らしていた。
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<アリア視点>
静かな朝の教室。まだ誰もいない窓際の席で、アリアはそっとノートを開いた。
書かれているのは魔法理論の公式。でも、文字の一つひとつが頭に入ってこない。
(……集中できない)
それは、自分でもよくわかっていた。
原因は、昨日の――ユーリとの会話だった。
「俺は君を、一人にはしない。アリア」
あの言葉。
まっすぐに、まるで当たり前のように言ってくれたその一言が、ずっと胸の中で灯り続けている。
(どうして……あんなにまっすぐ言えるんでしょうか)
私だったら、怖くて言えない。
誰かを守るなんて、自分には荷が重いと思ってしまう。
でも、ユーリ様は違う。迷わずに、まっすぐに、私の不安を受け止めてくれた。
ページを閉じ、そっと窓の外に視線をやる。
春の終わりを告げるように、花々が風に舞っていた。
(ユーリ様は、私にとって――何なのでしょう)
心の中で問いかけてみる。
騎士様? 頼れる人? 尊敬する人? それとも……。
胸の奥が、静かに高鳴った。
答えはもう、自分の中にある。ずっと前からあった。
(……お兄様、のような人)
でも、それは血の繋がった「兄」じゃない。
冷たく見下ろすことも、命令することもない。
“私を、私として見てくれる”――そんな、本当の意味での兄。
(……兄様)
その響きを、心の中でそっと繰り返す。
ほんの少し照れくさくて、でも不思議とぴったりだった。
昔の私は、「兄」なんて呼ぶことさえ嫌だった。
けれど今は違う。
この人にだったら……この人にだけは、そう呼びたいと心から思える。
(誰かに許されたかった。見てほしかった。価値があると、思いたかった)
それを、初めてくれた人。
それを、言葉にせずとも感じ取ってくれた人。
――「兄様」と、呼ばせてください。
声に出すのは、もう少しだけ先にしよう。
でも、その名を心に決めた今、私はきっと少し強くなれる。
教室の扉が開き、ざわめきが入り込んでくる。
アリアはそっと背筋を伸ばし、ノートを開き直す。
もう一度、最初のページから。
“兄様”にふさわしい私であるために。
そして――いつかその言葉を、胸を張って伝えるために。
この回は、アリアが自分の感情と向き合い、「兄様」と呼ぶ覚




