二
慌しく出立の用意をして、億十郎は両親を伴い、家を出た。背後に、源三と、二郎三郎が従いてくる。
「何でも、清洲屋さんと申されるお家に、理恵は養女として迎え入れられたと聞きますが?」
父親の言葉に、億十郎は深く頷いた。
「左様で御座る。清洲屋は、江戸でも有数の茶問屋。養女として暮らせれば、理恵太……いや、理恵殿も、お幸せで御座ろう」
「そうでしたか……」
父親の口調に、億十郎は振り返った。
「御不満で御座るか?」
「いえいえ!」と、父親は慌てて手を振った。
「すでに理恵は〝ロスト〟しておりますし、家には本体の理恵が暮らして御座います。まぁ、双子の妹が江戸に暮らしておると思えば、納得もできます。ただ、何分にも急な話なので……」
億十郎は一人、頷いた。アイリータの本体が、両親の元で無事に暮らしているなら、あの時、司令官から逃れられたのだろう。
そんな会話を続けているうち、ほどなく一行は清洲屋へと辿り着く。
「まずは、拙者が話を通し申す。呼ぶまで、ここでお待ちあれ!」
夫婦は揃って頭を下げた。億十郎は清洲屋の暖簾を潜り、店先へと歩を進めた。
「あっ! 億十郎様!」
店先で小僧の松吉と、何か話し込んでいたお蘭が、億十郎の顔を見た途端、ぽーっと頬を染めた。
特徴のある、大きな瞳を目を一杯に見開いて、まじまじと見詰めてくる。その視線は、億十郎がどぎまぎするほど、熱っぽい。
久兵衛と、母親のお喜美に、億十郎の活躍を詳しく聞かされ、それ以来お蘭の目付きが熱っぽくなっている。
店の奥から、主人の久兵衛が気配を察し、慌しく顔を出した。億十郎の顔を見た瞬間、へへーっと畏まる。億十郎は閉口した。
「今日は客を呼んで参った。実は……」
と詳しく事情を話した。億十郎の話が終わった途端、真剣な顔つきになった。
「それならば、すぐさま、お二人をお呼び申し上げないと……!」
騒がしくなった店内の様子に、奥からまた一人、今度は理恵太が顔を出す。
「今日は何なのよ、騒がしいけど」
口調は相変わらず憎まれ口だが、理恵太の目にも、お蘭と同じ熱が籠もっている。理恵太の目付きに、お蘭はくっと唇を引き結んだ。
二人の娘の視線が、ばちばちと火花を散らす。億十郎は、どうすれば良いのか判らず、懐手になり、胸毛を捻くったりしている。
が、店先に姿を表した両親の姿に、理恵太は俄かに態度を変えた。
両目がはっと見開かれ、顔が見る見る真赤になった!
「お父ちゃん──っ! お母ちゃん──っ!」
草履も履かず、上がり框から飛び出すと、両親の胸に飛び込んで行く。そのまま三人は、おいおいと泣き崩れた。
「億十郎様……」
久兵衛が話し掛ける。
「聞けば、そちらのお二人は、理恵太の本当のご両親とか。しかし江戸には住まいを持たず、時々こうしてお会いになられるのなら、手前どもも、異存は御座いませぬ。理恵太の普段の暮らしは、手前が責任を持って引き受けますゆえ、是非ともよしなに……」
億十郎は頷いた。
「それが良かろう……。理恵太殿も、そのほうが幸せと存ずる」
久兵衛は愁眉を開いた。そっと袖を引き、囁き声になる。
「それで祝言のことで御座いますが……。億十郎様の御意向をお聞かせ願いたく……」
暗に、お蘭と、理恵太、どちらを選ぶと言外に含んでいる。億十郎は思わず、目を逸らしていた。
「それは、それ。いずれ、また……」
億十郎は何だか、一刻も早く、廻村の旅に戻りたくなってきた。
八州廻り、大黒億十郎の顛末である。