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異世界の森で、今日もふたり暮らし  作者: なお。


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第3話 生きるための一歩

 泉の水面が、木漏れ日を受けて揺れていた。


 俺は泉のそばに膝をつき、水面をのぞき込んだ。澄んだ水の底には、小さな石が沈んでいる。


 水を見ていると、喉の渇きが急に強くなった。


 俺は手で水をすくい、口に運んだ。


 冷たい水が喉を通っていく。


「……ぷはぁ」


 思わず息が漏れた。


 もう一度、手を伸ばす。今度はゆっくりと水を飲んだ。


 乾いていた喉が潤うと、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻せた。


「……生き返るわ」


 口元をぬぐい、隣にいるアイへ目を向ける。


「アイも……あ」


「ん?」


 そこで、ようやく気づいた。


 見た目がきれいだからといって、そのまま飲めるとは限らない。


「しもた。先に調べてもらえばよかったわ……。アイ、この水、飲んでも大丈夫なんか?」


「ちょっと待ってな」


 アイは目を閉じ、両手をこめかみに当てた。


 俺は自分の腹に目を落としながら、答えを待った。


「うん。この泉の水は、そのまま飲めるみたいやで」


「……よかった。次から先に聞くわ」


 ほっと息をついた。


「ほな、アイも飲んどき」


「うん」


 アイも泉の水をすくい、口に運んだ。


 その様子を見ながら、俺はふと考えた。今のアイには、人間と同じような身体がある。


 なら、喉が渇くこともあるんやろうか。


「……アイは、喉渇いてたんか?」


「んー……。そう言われると、そうなんかな?」


 アイは自分の喉元に触れた。


「飲んだら、なんか落ち着いた気はするで」


「そっか……」


 俺はそれ以上、何も聞けなかった。


 目の前で起きていること。


 アイがどうして人間の姿になったのか。俺たちがどうしてここに来たのか。


 何ひとつ、わかっていない。


 ぐぅぅ。


「…………」


 腹が鳴った。


「……腹減ったな」


 食べ物を探さなければ。


 ふと隣を見ると、アイも自分のお腹に手を当てていた。


「アイ? どないしたん?」


「うーん……。なんか、お腹のあたりが変なんやけど」


「痛いんか?」


「痛いわけやないと思うねんけど……なんか、落ち着かへん」


 アイは不思議そうに自分のお腹を見下ろした。


「……もしかして、腹減ってるんとちゃうか?」


「お腹が……空いた?」


「俺と同じや。食べもんが必要なんやと思うで」


「……そっか」


 アイは自分のお腹に手を当てたまま、しばらくじっとしていた。


「……まあ、食えるもんを探そか」


「うん」


 俺たちは立ち上がり、周囲を見渡した。


 草地の周囲には、木々の生い茂る森が広がっている。


 探せば何かあるだろう。


 だが、すぐに森に入る気にはなれない。


 この草地で食べられるものがあるといいのだが……。


「ん? この木、実が付いてるな」


 泉のそばに、一本の木が生えていた。枝には、ラズベリーのように小さな粒が集まった黄色い果実が実っている。


「アイ。これ食べれるか、わかるか?」


「うん。調べてみるわ」


 アイは目を閉じ、両手をこめかみに当てた。


 俺はその姿を見守った。


 しばらくして、アイが目を開ける。


「食べられる果実みたいやで」


「ほんまか! 生で大丈夫なんか!?」


「うん。なんか渋いみたいやけど、生で大丈夫やで」


「渋いんか……。まあ、食べられるなら文句は言うてられへんな」


 俺はその実を口に放り込み、噛んだ。


「うぐっ……」


 その瞬間、口の中に想像以上の強烈な渋みが広がった。


「……っ、渋っ!」


 思わず顔をしかめる。


 吐き出したい気持ちをこらえて、何とか飲み込んだ。


「なんやこれ……。食えるんは食えるけど、渋すぎるやろ……」


 アイも果実を口にした。


 しばらく噛んでいたが、やがて眉を寄せる。


「……うぅ。なんか、口の中が気持ち悪い……」


「やっぱめちゃくちゃ渋いよな」


「うん……」


 アイは手の中の果実を見つめた。


「これが、おいしくないってことなん?」


「せやな。少なくとも、俺はうまいとは思わんな」


「……そっか」


 アイはもう一度、果実を見た。


 初めて口にしたものの味を、確かめるように。


 食べられるものが見つかった。それ自体はありがたい。


 けれど、実っている数はそれほど多くない上に渋すぎる。これだけで腹を満たせるとは思えなかった。


「……困ったな」


 思わず呟いた。


「ワタル?」


「いや……。食べもんが、これだけやと厳しいなと思ってな」


 今は空腹をしのげても、明日になればまた食べなければならない。


「アイ、ほかに食べ物がないか調べられるか?」


「ちょっと待ってな」


 アイは目を閉じ、再び調べ始めた。


 俺は黙って、その様子を見守った。


 しばらくして、アイが目を開けた。


「うん。エリアル大森林には食べられる果実や植物がいろいろあるみたいやね」


「いや、そんなん森の中やねんから、なんなとあるやろ。採れる場所が知りたいねん」


「あー、具体的な場所まではわからへんけど、どんな植物があって、どういう場所に生えるかはわかるで」


「……そっか」


 俺は思わず、森の奥へ目を向けた。


 食べ物があることはわかった。けれど、それを見つけるには、自分たちで森の中を探し回らなければならないらしい。


 さっきの魔物の姿が、脳裏によみがえる。


 あんなものがいる森を歩き回って、食べ物を探す。


 考えただけで、足がすくみそうになった。


「……とりあえず、今ある分だけ食べとこか」


「うん」


 俺たちは、木に残っていた果実を少しだけ採った。


 渋い果実を口に運びながら、俺は森の方を見つめた。


 いつまで、こんな生活が続くのかもわからない。


 それでも、何も食べずにいるわけにはいかなかった。



*



 果実を食べ終えても、空腹が満たされた感じはしなかった。


 それでも、水を飲み、何かを口にできたことで、少しだけ気持ちは落ち着いていた。


 太陽が森の中に沈もうとしている。


「……もう、こんな時間か」


 日が暮れるまで、そう長くはなさそうだった。


 ここで夜を迎える。


 そのことを考えた途端、落ち着いた気持ちに陰が差した。


 夜になったら、どれくらい暗くなるんやろう。


 気温はどれくらい下がるんやろう。


 魔物は、夜にも動き回るんやろうか。


 考え始めると、きりがなかった。


 俺は思わず、森の奥へ目を向けた。


 先ほど魔物が現れた方向。


 あのときのおぞましい感覚がよみがえる。


 もし、あの魔物がここまで来たら。


 俺たちに、あれから逃げ切る力はあるんやろうか。


「ふぅ……。今、考えてもしゃあないな」


「アイ。とりあえず、地面に敷けそうな草や葉っぱを集めよか」


「うん」


 俺たちは周囲を歩き、乾いた草や大きめの葉を集め始めた。


 立派な寝床なんて作れない。屋根もなければ、壁もない。


 せめて、地面に直接横になるよりはましなようにしたかった。


 集めた草を一本の木の下で重ね、葉を広げていく。


 日が暮れる前に、少しでも休める場所を整えておきたかった。


 やがて、周囲は少しずつ暗くなっていった。


 俺たちは集めた草の上に腰を下ろした。


「……こんなもんか」


 横になれるだけの場所は、どうにか用意できた。


 けれど、これで安心できるわけではない。


 頭上には、枝葉が広がっているだけだ。周囲を囲むものもない。


 もし魔物が近づいてきたら、身を隠すことすら難しいだろう。


 俺は、暗くなり始めた森を見つめた。


「……明日、どうするかな」


 帰る方法はわからない。


 町へ向かうには、魔物のいる森を突っ切らなければならない。


 考えなければならないことは山ほどある。


「くそっ……」


「ワタル……大丈夫?」


 俺は一瞬、返事に詰まった。


 大丈夫かと聞かれても、正直なところ、自信なんてなかった。


 それでも。


「……まあ、なんとかするしかないやろ」


 俺はそう答えた。


「今できることを、一つずつやっていくしかないわ」


「……うん」


 アイは小さく頷いた。


 俺たちは、しばらく黙って座っていた。


 やがて、辺りはすっかり暗くなった。


 森の中から聞こえてくるのは、風に揺れる木々の音と、どこかで鳴く虫の声だけだった。


 それまで気にも留めていなかった音が、暗闇の中では妙に大きく感じられる。


 何かが近くにいるんじゃないか。


 そんな考えが、頭から離れなかった。


「……アイ」


「ん?」


「……こっち、来とき」


 俺は、自分の隣の草を少し空けた。


 アイは一瞬だけ俺を見つめ、それから隣に身体を寄せた。


 俺は草の上に横になり、アイも隣に横になった。


 地面は硬いし、葉っぱを敷いただけでは冷たさも伝わってくる。


 とても、ゆっくり眠れるような環境ではなかった。


 それでも、今はこうするしかない。


 俺は暗闇の向こうへ目を向けた。


 明日になれば、何かがわかるのだろうか。


 食べ物を見つけられるのか。


 この森で、生きていけるのか。


 答えは何ひとつ出ない。


 ただ、隣にはアイがいる。


 俺はそのことを確かめるように、そっと身体を寄せた。


 アイも、離れることなくそこにいた。


 俺たちは、互いの温もりを頼りに、目を閉じた。


冒頭の描写を一部修正し、段落・改行を整えました。

2026.10.31

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