第2話 森の中で
「……なあ、アイ」
「んー?」
俺は、目の前に座っているアイに目を向けた。
いきなり見知らぬ場所に放り出されて、目の前にアイがいる。わからないことだらけだ。
「俺ら、日本に帰れるんかな?」
「んー……調べてみるね」
アイは目を閉じ、両手をこめかみに当てて、ぐりぐりと動かした。
しばらくして、目を開けた。
「……ごめんな。なんでここに来たんかも、どうやったら帰れるんかも、わからへんみたいやわ」
「そっか……しゃあないな」
俺は小さく呟き、頭を切り替えた。
帰る方法がわからないなら、次に考えるべきことはひとつだけだ。
「なあ、アイ。この辺に、人が住んでる町とかはないんかな?」
アイは再び目を閉じ、両手を頭に当てた。
「アイ……それ……」
思わず口にしかけた言葉を飲み込み、俺は答えを待った。
やがて、アイが目を開けた。
「あっちの方に町ならあるみたいやで。ただ、ここからやと、歩いて二、三日はかかるみたいやね」
「二、三日か……」
俺は、アイの指し示す木々の向こうへ目を向けた。
木々が連なる森の景色に、変わったところは見当たらない。
「でも……今はそれより、どうやって町まで行くかやな」
しばらく黙っていた俺は、深いため息をついた。
「アイ、道順はわかるんか? 途中に川とか湖とかあればいいんやけど」
「大丈夫、川までたどり着いたら、あとはその川に沿って進めば町に行けるみたいやで」
「はぁ……行くしかないか」
俺は、木々の向こうへ目を向けた。少し体がこわばる。
「ふぅ……行こか、アイ」
「うん」
草地を横切り、木々の間をアイと並んで進んでいく。
「こっちであってる?」
「うん、大丈夫やで」
「川まではどれくらいあるんやろ? 確認するん忘れてたな」
「えっとね、一番近い場所まで三十分くらいやで」
「そうか、着いたら一度休……」
おぞましい感覚が、突然身体を襲った。
「っ……!」
思わず足が止まる。
「……また、これ……」
隣のアイに目を向けた。
「アイ……お前もか?」
「うん……。なんやろ、これ。変な感じがする。気持ち悪い……」
そのとき、少し離れた所で木の割れる音がした。
「なっ……!」
音のした方へ目を向けると、木々の間に、大きな獣がいた。
四つ足で、身体つきは猪に似ている。だが、頭からは五本もの角が伸びていて、黒い霧のような物が身体から漂っていた。
「……なんや、あれ」
「調べるね」
アイが目を閉じ、両手を頭に当てようとしたその瞬間、魔物と目が合った。
「――っ!」
考えるより先に、アイの手を引く。
「アイ、走るで!」
来た道を必死に駆け戻る。背後で、へし折れる木の音。
まるで、エンジンをふかしたような轟音が何度も響き、同時に生暖かい風が背中を押してくる。
振り返る余裕なんてない。
ただ走った。
息が切れても、足がもつれそうになっても、必死で手を離さなかった。
木々の向こう側、さっきまでいた開けた場所にさしかかった瞬間。
「あっ……!」
アイが転んだ。
引かれて俺も後ろに倒れ込んだ。
「アイ!」
地鳴りのような足音。
アイに被さって、衝撃を待った。
……無限とも思える時間の中、衝撃は訪れない。
俺はうっすらと目を開いた。
「え……?」
森の中に、あの獣がいた。
立ち止まったまま、こちらをじっと見つめている。
しばらくすると、獣はゆっくりと背を向け、森の奥へと姿を消していった。
「……アイ、大丈夫か?」
「うん……大丈夫やで」
アイを引き起こし、俺はほっと息をついた。
「……ほんまに、無事でよかった」
けど、すぐにアイの顔を見て言った。
「アイ、さっき何しようとしてたんや」
「え……? サーチしようと思っただけやけど……」
「あんなもん目の前におるのに、調べようとしてる場合ちゃうやろ!」
「え? ワタル、あれが何なんか知りたかったんちゃうの?」
「そうやけど、さっきはそれどころやなかったやろ!」
思わず声が大きくなった。
アイは不思議そうに俺を見つめていた。
「……頼むから、危ないことはせんといてくれ」
俺は震える手でアイの両肩をつかんだ。
「お前になんかあったら……俺……」
「……ワタル?」
「……ないてるん?」
しばらく、アイは黙って俺を見つめていた。
「……なんで?」
「お前になんかあったら……俺、嫌やねん」
「……そっか……ごめんな?」
「……うん」
……
俺はバッと顔をそらした。
「し、しかし……さっきの魔物、なんでここまで追ってこんかったんやろな! 助かったけど!」
「調べるね?」
「……お、おう。頼むわ」
アイは目を閉じ、両手を頭に当てた。
しばらくして、目を開けた。
「エリアル大森林には、魔物が近寄らへん場所がいくつかあるみたいやで。ここも、そのうちの一つみたいやね」
「……へえ。そうなんか」
俺は、魔物が立ち止まっていた場所に目を向けた。
あそこまでは追ってきた。けど、ここには入ってこなかった。
なら、あの辺りが境目なのだろう。
「ほんまに、間一髪やったんやな……」
気が抜けた途端に喉の渇きを覚えた。
「そういや泉があったな」
俺は、少し離れたところにある泉に目を向けた。
「アイ、水を確保しよう」
「うん、わかった」
俺たちは泉へ向かった。




