第11話 名乗り
目の前に、一人の女が立っていた。
長い金髪に、すらりとした体つき。整った顔立ちだけでも十分に目を引くのに、何より気になったのは、その長く尖った耳だった。
「……え、耳が」
思わず口に出していた。
女は自分の耳に触れることもなく、俺をじっと見ている。
その腰には弓が吊るされていた。
(いやいやいや、待て待て待て待て。どこから現れたんや、この人。しかも武器持ってるやんけ)
「あなた……エルフを知らないの?」
女が不思議そうに尋ねた。
「……ほんまにおるとは思わんかったな」
口から出たのは、そんな言葉だった。
エルフ。ゲームや小説ではおなじみの存在だ。けど、それはあくまで空想の話で、実際に出会う日が来るなんて思ってもみなかった。
女の眉が、ぴくりと動いた。
「本当にいるとは、どういうことかしら?」
「んなことより……」
言い返そうとした、そのときだった。
ぐぅ〜……
小さな音がした。
女の表情が固まった。俺も固まった。
……今の、腹の音か?
わずかに顔を赤くしたように見えた。すぐにこちらを睨むような目つきになり、早口で言い直した。
「……っ。ほ、本当にいるとはどういうことかしら?」
「おなか、すいてるん?」
アイが声をかけた。
「え?」
女がアイを見る。
アイは、さっきまで俺たちが食べていた魚に目を落とした。
「これ、まだあるで。よかったら――」
アイは、皿代わりの葉を持ち、女に差し出そうとした。
「アイ!」
女の方へ向かおうとするアイの肩を咄嗟に掴み、そのまま自分の後ろへ引き寄せた。
「あっ……」
アイの手元が揺れ、葉ごと魚が地面に落ちた。
女は俺たちを見ていたが、やがて視線を足元へ落とした。
「……」
それから、少しだけ迷うように手を伸ばす。両手で葉をすくい、魚を拾い上げた。
俺は警戒を解かず、その動きを見守る。
女は魚とアイを交互に見た。
しばらくして、魚の身をひとつまみちぎり、口に入れた。
女は少しだけ目を見開いた。
そして、もう一度指で魚の身をちぎった。今度は、さっきより少し大きかった。
「……」
女は何も言わず、魚を食べていた。
俺もアイも、声をかけるタイミングを見失っていた。
女は魚を飲み込むと、残ったものを葉で包み直した。
そして、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
俺は反射的に身構えた。
女は俺の少し手前で足を止め、包みを差し出した。
「ありがとう。美味しかった」
「あ……うん」
思っていたよりも、ずっと素直な言葉だった。
「邪魔したわね」
女はそう言うと、くるりと背を向けた。そのまま森の方へ歩いていく。
俺たちは、しばらくその背中を見送っていた。
「……結局、なんやったんやろ」
俺は小さく呟いた。
「綺麗な人やったねぇ」
「いや、そこなん?」
「だって、ほんまに綺麗やったやん」
「そら、まあ……いや、そうやなくてな」
俺は女が消えた方をもう一度見た。
エルフ。
弓を持っていて、俺たちのすぐそばまで気づかれずに近づいてきた。
「……とりあえず、少しは警戒しといた方がええかもな」
「うん。そうやね」
アイも頷いた。
俺は手元の魚を見下ろした。
「まぁ、なるようになるか」
*
それから数日が経った。
あの日以来、エルフの女が姿を現すことはなかった。
……いや、正確には、姿が見えないだけかもしれない。
「おーい、おるんかー?」
「ん? おるよー?」
「あ、すまん。アイとちゃうねん」
「?」
試しに声をかけてみたが、反応したのはアイだった。
いつまでも気にしている場合でもない。食料の確保に、道具作り。やることはいくらでもある。
その日も、俺とアイは採ってきた食材を整理していた。
「ワタル、こっち終わったで」
「おう、ありがとな。ほんなら次は――」
言いかけて、顔を上げた。
森の木々の間に、人影があった。
長い金髪。
「……あ」
女はゆっくりこちらへ歩いてきた。
手には、獲物の肉を抱えている。
「この前のお礼よ」
そう言って、肉を差し出した。
「え、これくれるん?」
「そう。私が狩ったものよ。食べられるわ」
「そら、ありがたいけど……ええんか?」
「この前、ご馳走になったから」
女はそれだけ言った。
俺は差し出された肉を受け取った。
あの日は突然現れた相手に警戒していたが、こうして自分から礼をしに来たのなら、少なくとも今すぐ俺たちに危害を加えるつもりはなさそうだ。
「せっかくやし、これ食っていき。今から料理するわ」
「……いいの?」
「ええよ。獲ったんはあんたやしな」
女は少しだけ俺の顔を見てから、頷いた。
「じゃあ、お言葉に甘えるわ」
俺たちは肉を食べやすい大きさに分け、葉で包んで焚き火のそばに並べた。
「葉で包むと何か変わるの?」
「ん? 普段はこんなんせえへんのか? 普通に焼くより、しっとり柔らかく焼けるんや。ま、直火には直火の良さもあるけどな」
「確かに、この前の魚もふわっとしていたわね」
肉が焼けるまで、しばらく時間があった。
その間、女は少し離れたところに腰を下ろし、俺たちの作業を眺めていた。
「いつも、こうやって料理しているの?」
「まあな。道具が足りんから、できることは限られるけど、ちょっとでもうまいもん食いたいしな」
「そう」
それ以上、深く尋ねてくることはなかった。
俺も、無理に話を聞こうとはしなかった。
なんとなく、今ここで根掘り葉掘り聞いたところで、素直に答えてくれるとも思えなかった。
やがて、葉の包みから肉の焼ける香りが漂い始めた。
「お、そろそろええかな」
包みを開くと、湯気とともに香ばしい匂いが広がった。
「わあ、ええ匂いやねぇ」
アイが身を乗り出す。
「胡椒っぽい味の葉でしか味付けしてへんけどな。肉が良さそうやったから、十分やと思うわ」
女も、包みの中をじっと見ていた。
「熱いから気ぃつけや」
俺がそう言って肉を取り分けると、二人はそれぞれ口に運んだ。
「ん、おいしい!」
アイが笑う。
女は何も言わず、もう一口食べた。
それから、こちらに目を向ける。
「……美味しいわね。それに、柔らかい」
「そらよかった。久方ぶりの肉や。俺もガッツリいただくで」
俺は笑って答えた。
しばらく、三人で食事を続けた。
会話が弾んだわけではない。女は相変わらず必要以上のことを話さず、俺たちも彼女の事情を尋ねなかった。
それでも、最初に会ったときのような張り詰めた空気は、少しだけ薄れていた。
「ご馳走さま。帰るわね」
「ああ。またな」
女は森へ向かって歩き出したが、途中でふと足を止め、こちらを振り返った。
「……リシェル。わたしはリシェルよ」
それだけ言うと、今度こそ森の中へ消えていった。




