第8話 第三者視点:絵好きの少女ルネサンヌ
「まてまてー!」
「あはははは、捕まえてみろー!」
「きゃー! こっち来ないでぇ!」
フィッシの町外れにある、由緒正しき修道院。
そこに付属する孤児院の庭先に、子供達の元気な声が響いていた。
「ルネサンヌちゃん、また一人でここにいたのね」
修道着を着た歳若い女性──シンセッチュが、若木の下で蹲っている女の子に声をかけた。
「……うん」
女の子──ルネサンヌは、どこかいじけたような……寂しそうな顔で地面に絵を描いていた。
「これは……ロバさんかな?」
「ちがう、うさぎさん」
シンセッチュの解答を否定するように、ルネサンヌはフルフルと首を横に振る。
「ご、ごめんね、ルネサンヌちゃん!」
「だいじょぶ。私は、おにぃちゃんみたいに上手に描けないから」
そう言って、更にシュンとした顔をするルネサンヌ。
ルネサンヌの言う【おにぃちゃん】とは、約一ヶ月前に孤児院を卒業していったナナシの事だ。
ルネサンヌは彼の描く絵が好きだったようで、暇さえあれば彼に色々と描いてもらっていた。
その彼がいなくなってから、絵を見たいという欲求を満たそうと自身で絵を描き始めたものの、ルネサンヌには絵心が少しだけ欠けていたのであった。
「ル、ルネサンヌちゃんの絵も味があって素敵だと私は思うなぁ!」
あからさまなシンセッチュのおべんちゃらに笑顔を浮かべるわけもなく、手に持っていた枝をポイっと放るルネサンヌ。
「よ、よーし! 私もルネサンヌちゃんに倣って絵を描いてみようかな! ナナ君のように上手には描けないかもしれないけど、見ててね!」
ルネサンヌの放った枝を拾い上げ、気まずげな顔で絵を描き始めたシンセッチュを尻目に、ルネサンヌはゆっくりと空を見上げた。
(おにぃちゃんは、よく空を見てたなぁ)
見慣れた景色。
いつもと変わらない日常。
そんな、なんて事のない日の昼下がり。
『──デザートアマインで暮らす、親愛なる国民の皆々様、ごきげんよう。私の名前はナナ。陛下の忠実なる家臣、ナナと申します』
──空から突然、声が降ってきた。
いつの間にか、気付けば空に、ソレはあった。
『まず始めに、一言おわび申し上げます。突然空に現れたこの光景は、天変地異ではなく私の魔法によるものです。誠に申し訳ございませんでした』
空を覆う四角い半透明の何かは、真っ黒いローブを羽織る謎の人物をただただ映していた。
「……おにぃちゃんだ」
空を見上げたまま、ルネサンヌが呟く。
「あわわわわ……っ! 女神アモレーヌ様がお怒りにぃぃぃ! 町で買い食いした事は謝りますのでどうかお許しをぉぉぉ!」
ルネサンヌは懺悔するように震えるシンセッチュの袖を引く。
「シスター、おにぃちゃんが空にいる」
「ぁぁぁ……天変地異の前触れ──へっ?」
「おにぃちゃんが空にいる」
顔を上げたシンセッチュに同じ言葉を投げた後、ルネサンヌは空を指差した。
「あれ」
「あれって言われましても……」
シンセッチュは困ったように眉を下げる。
孤児院には子供がたくさんいる。
修道女として全員の名前を覚えているし、顔も覚えているし、性格だって把握しているが、ローブで全身を隠されては流石に見分けがつかなかった。
「おにぃちゃんって、ナナ君?」
「うん」
シンセッチュはもう一度空を見る。
『私の正体を一言で言うならば王宮魔導師でございます』
件の人物は、威厳のある声でとんでもない事を言っていた。
「……ほんとにぃ?」
「うん」
ルネサンヌが即答する。
よほど自信があるようだ。
シンセッチュはルネサンヌから目線を外し、ヒスリックの姿を探す。
彼女はナナシと親子のような関係だ。
彼女の様子を見れば本当かどうか、わかるかもしれない、と。
「ヒッ……!」
引き攣ったような悲鳴が漏れる。
ヒスリックは空を見上げていた。
能面のような無表情で、ただジッと。
瞬きもせずに、空を見上げていた。
「……本当かも」
「うん」
シンセッチュは涙目で、ルネサンヌは少しワクワクしたような目で再び空を見上げた。
『こうして皆様の前に姿を見せましたのも、陛下が新たに魔法士の頂点である魔導師の称号を制定した件と、私が初代魔導師を拝命した件、その2つの発表を兼ねての事』
「ま、魔導師……? 魔法士の頂点……? ナナ君、そんな凄い役職に就いちゃったの?」
「おにぃちゃん、魔法が使えたの?」
「え?」
ルネサンヌの何気ない一言に、シンセッチュは目を瞬かせる。
「そういえば……」
ナナシが孤児院にいた頃、魔法を使っているところなんて見た事がなかった。
そもそもナナシは他の子供達のように、魔法士が町に来たという噂を聞いても、魔法士が活躍する絵本を読んでも、ほとんど興味を示さなかった。
いつもポケーっとした顔で空を見ていたり。
ルネサンヌと一緒に地面に絵を描いていたり。
悪そうな顔をしたかと思えば、ヒスリックの木靴に小石を入れて他の子供達のせいにしたり。
少なくともシンセッチュの知るナナシは、魔導師なんて大層な肩書きとは無縁の少年だった。
「……ナナ君って、何者?」
「? おにぃちゃんはおにぃちゃんだよ」
「……ふふ、そうだね」
シンセッチュは困ったように笑う。
単純で、純粋で、正直なルネサンヌの発言に、余計な事を考えるのが馬鹿らしくなったと思ったのかもしれない。
『私の魔法は配信魔法と言って、簡単に言えば〖その時、その瞬間を、産地直送でお届けする魔法〗でございます』
「「ハイシン魔法……?」」
2人揃って首を傾げる。
不思議な響きの魔法だったからだ。
ただなんとなく、凄い魔法なんだろうな、という事だけは伝わる。
何せ今、空にはナナシの姿が映っていて。
それだけでなく、その声が町中に響き渡っているのだから。
『百聞は一見にしかず、という言葉があるように、この魔法の素晴らしさをぜひ皆様に体験していただきたいと思います』
パチンッ。
その音を合図に、空の景色が切り替わる。
「「?」」
森。
鬱蒼と生い茂った木々の合間を、3人の冒険者が走っていた。
「知らない人」
「そう、だね……服装的に冒険者かな?」
思わぬ急展開に、シンセッチュの思考が鈍る。
わかる事といえば、3人が何かから必死に逃げている事だけだ。
『ここはチュトリーの森。調査依頼を受けた3人の冒険者達は、現在進行形でピンチを迎えているようですね』
「ピンチ?」
「なるほど……」
ナナシの補足に、思考が追いついた。
これはきっと、ハイシン魔法で冒険者達を覗き見していて、空を見ている人全員にそれを共有しているのだろう、と。
知らない森。
知らない冒険者達。
そして──。
「※※※※※※※※※※!」
──知らない魔獣。
「わっ!?」
「ひぇぇぇッ!?」
シンセッチュは悲鳴を上げ、ルネサンヌを抱き締める。
けれどルネサンヌは、シンセッチュの腕の中から顔だけ出して空を見続けた。
食い入るように。
身を乗り出すように。
刺激を求めるように。
気づけば、2人の会話もなくなっていた。
冒険者達の戦闘に。
魔獣の恐ろしさに。
目が離せなくなっていた。
「ふぉぉぉぉおッ!」
冒険者達が魔獣を倒した瞬間、ルネサンヌは聞いた事のないような声を上げ、両手を突き上げていた。
興奮したのだろう。
熱狂したのだろう。
その顔が真っ赤に紅潮するほどに。
「す、凄い……」
シンセッチュもまた、余韻に浸っていた。
こんなに凄い魔法を今まで見た事がなかったからである。
「「あ」」
吐息のような声が漏れる。
気づけば、ハイシン魔法は消えていた。
空はいつもの風景を取り戻し、まるで夢だったかのように、鳥と雲が流れていく。
「また、おにぃちゃんに会えるかなぁ」
ルネサンヌが、寂しさを思い出したように呟く。
視線は、地面へと向いていた。
「また会えるよ。だってナナ君『また明日』って言ってたでしょ?」
「……うん!」
ルネサンヌが笑う。
晴れた空に手を振って。
「おにぃちゃん、またねー!」
そこには、大好きなおにぃちゃんに会えなくて落ち込んでいた面影など、微塵も残っていなかった。
──誰も彼もが寝静まった時間。
フィッシの澄んだ星空を、ヒスリックは見上げていた。
そこにはもう、何も残っていない。
それでも、視線を外さなかった。
思い出したように瞬きをして、俯いた彼女は影の差した顔でポソリと呟く。
「ナナシュタイザー様……」




