第29話 第三者視点:Sr.ヒスリック(1/7)
「初めまして。この度あなたの婚約者となりました、ナナシュタイザー=ナマエアルジャンカです」
──一目見た瞬間、私は彼に恋をした。
ヒスリッカー伯爵家の長女として生まれた以上、いつかは顔も知らない男性と結婚しなければいけないのはわかっていた。
それは貴族として当然の責務だ。
だから、10歳の誕生日の折に婚約の話を聞かされた時も、大きな驚きはなかった。
ただ、まさか相手がナナシュタイザー=ナマエアルジャンカ侯爵令息だとは思わなかった。
同世代の貴族であれば知らぬ者はいない。
神童。
微笑みの貴公子。
将来を嘱望される次代の重臣。
そんな言葉で称えられる完璧令息なのだから。
「ヒスリック嬢」
トクンと、胸が跳ねる。
名前を呼ばれただけなのに。
「これからよろしくお願いします」
「は、はい! こちらこそ、よろしくお願いいたします」
緊張のあまり声が裏返ってしまい、それが恥ずかしくて私は慌てて目を伏せた。
「ふふ」
彼が小さく笑う。
その微笑みを見た瞬間。
私の世界が今まで以上に色づいたような、そんな気がした。
──それから私達は婚約者として共に過ごした。
「ヒスリック、手を」
さり気なくエスコートしてくれる貴方が好き。
「ヒスリックはどのドレスを着ても素敵ですね」
些細な事でも褒めてくれる貴方が好き。
「ヒスリックは最近、勉強を頑張っているそうですね。貴女に負けないように私も頑張らないと」
人一倍努力家な貴方が好き。
勉強会。
舞踏会。
お茶会。
彼はいつでも完璧で。
彼はいつでも注目の的。
だから私は、そんな彼に少しでも相応しい女性であろうと必死に努力した。
勉強も。
ダンスも。
マナーも。
何もかも。
これからもずっと、彼の隣にいる為に。
──月日は流れ。
私達は王立学園へ入学した。
「ヒスリック、こちらです」
「はい、ナナシュタイザー様」
ここでも私達の関係は変わらない。
私は彼の一歩後ろをついていく。
「相変わらず、ヒスリック嬢はナナシュタイザーの隣にべったりだな。胸焼けがしそうだ」
王太子シュクリーム殿下。
ノゥキンナノディス侯爵令息。
そして、ナナシュタイザー様。
同学年の彼らは幼い頃からの友人同士で、学園でも常に一緒だった。
「当然です。私はナナシュタイザー様の婚約者ですから」
いつものようにシュクリーム殿下に揶揄われ、いつものように私はツンとした顔で答える。
その様子を見て、皆が笑った。
この頃は本当に平和だった。
皆の顔が輝いていて。
誰もが未来を信じていた。
シュクリーム殿下は立派な国王になると。
ノゥキンナノディス様は国を護る将になると。
ナナシュタイザー様は王を支える賢臣になると。
そして私は、彼の隣で生きていくのだと。
疑いもせずに、信じていた。
だからあの日、学園へ一人の少女が転入してきた時も……私は何も疑わなかったのだ。
「本日より転入して来ました!」
教壇の前。
小柄な少女が頭を下げる。
キラキラと煌めくピンクプラチナの髪。
どこか庇護欲を誘う愛らしい顔立ち。
鈴を転がしたような声で、彼女は溌剌と挨拶をした。
「アクジョレーテと言います! どうぞよろしくお願いします!」
平民。
それも成績優秀者として特別に編入してきた子。
教室がざわめく。
今までこの学園に平民が通った事はなかったはずなので、このざわめきの理由もわかる。
私はただただ感心していた。
きっと頑張り屋なのだろうと。
私も頑張ってきたから、親近感すら覚えた。
こんな環境に飛び込んでくるなんて勇気もある。
叶えたい夢があるのだろうと。
──彼女との出会いが、私の心に生涯消えない傷を残すとも知らずに。




