第23話 A級冒険者ドウティッシュ(後編)
「ほーれ、走れ走れ! 上手く避けねぇと死んじまうぞ! ゼハハハハッ!」
ゲスャロゥデンスが嗤う。
まるで玩具を与えられた子供のように。
マグマのように煮え滾った魔法が次々と放たれ、ドウティッシュの肌を掠っては周囲を焼いていく。
当たるか当たらないか。
その絶妙な距離を狙って弄ぶように。
「あ」
「ぐあぁあああああぁあッ!」
魔法が直撃し、ドウティッシュの身体が地面を転がる。
黒い煙が立ち上り、肉が焼ける音と臭いが周囲に漂う。
魔法が直撃した箇所は、グズグズに爛れていた。
「んだよ、もう終わりかよ、つまんねぇな」
そう言って、なんの躊躇もなくゲスャロゥデンスはドウティッシュへ指を向けた。
「やめて!」
「あん?」
ゲスャロゥデンスがトドメを刺そうとしたその瞬間、アィシィテールがドウティッシュを背後に庇うように、両手を広げて立ち塞がった。
「お願い……私はどうなってもいいから、この人は助けて……」
姉を殺した憎き相手に。
アィシィテールは慈悲を求めた。
「なんで俺様に刃向かった奴を生かしとかなきゃいけねぇんだよ。面倒臭ぇ」
「この人が……私の大切な人だから。この人を……愛しているから」
アィシィテールの告白に、ゲスャロゥデンスが腹を抱えて笑う。
「恐れ入ったぜ! そこまで人間のフリが上手くなってるとはなぁ!」
心底愉快そうに。
馬鹿にするように。
「いいぜ、今からそいつの前でてめぇを犯して喰う。その間、一言も声を出さなかったらそいつは助けてやるよ!」
「だめだ……アシィ……っ」
「……わかった。絶対、約束は守って」
アィシィテールは地面に転がるドウティッシュを抱え起こすと、愛おしそうにギュッとその身体を抱き締める。
「ごめんね、ドゥティ」
アィシィテールの身体は震えていた。
自分より遥かに格上の魔人。
今から尊厳を踏み躙られる恐怖。
それでも、アィシィテールは涙を見せなかった。
別れを惜しむように抱擁を解いたアィシィテールは、ゆっくりと立ち上がる。
そしてゲスャロゥデンスのもとへ歩いていった。
「だめだ、アシィ……!」
ドウティッシュが叫ぶ。
「やめろ、やめてくれ……!」
声の限り叫ぶ。
涙を流しながら叫ぶ。
絞り出すように叫ぶ。
「アィシィテール!!」
「うるせぇ」
ドンッ。
ゲスャロゥデンスから放たれた魔力の塊がドウティッシュに直撃し、その身体を軽々と吹き飛ばす。
「──え?」
強かに木に叩きつけられ、ドウティッシュは全身から血を吹き出した。
「あ、うるせぇから殺っちまった」
ピクリとも動かないドゥティッシュを一瞥し、ゲスャロゥデンスが吐き捨てる。
なんともない事のように。
「ったく、余興を楽しみたかったってのによ」
アィシィテールはただ呆然と立ち尽くしていた。
瞳孔を開き、荒い呼吸を繰り返しながら、動かなくなってしまったドゥティッシュを見つめて。
「あー、なんかもう全部飽きてきた。さっさとアィシィテールを喰って、ねぐらに帰るとしますかね」
ゲスャロゥデンスが歩み寄る。
そしてそのままアィシィテールへ無造作に手を伸ばした──その瞬間。
バツン。
突然、ゲスャロゥデンスの右腕が飛ぶ。
「あ?」
傷口から血と魔力が噴き出し、ゲスャロゥデンスは数瞬遅れて己の腕が斬り飛ばされた事に気がついた。
「てめぇ、なんだそれは……!」
傷口を抑えながら、ゲスャロゥデンスが吠える。
視線の先には、空間を歪めるほどの魔力を滾らせたアィシィテールの姿があった。
「その魔力……隠してやがったのか? 違ぇ、魔人は魔力を偽らねぇ……魔力を隠したり跳ね上がったり、そんなの、まるっきり人間じゃねぇか!」
アィシィテールが俯いたまま口を開く。
「……魔人は人間の感情を模倣する。そうしたほうが円滑に人間社会に溶け込めるって、私はお姉ちゃんに教わった」
ゆっくりと、ゆっくりと、顔を上げる。
「人間を見て、真似て……私はもっと人間について知りたいって思うようになった。最初は、感情に振り回されるなんて人間はつくづく欠陥生物なんだなって思ったけど、人間には人間の強さがあるって学んだ」
「何が言いてぇ……?」
「ドゥティに出会って、一緒に過ごしているうちに……ここがね、ポカポカ温かくなって、何かに満たされていったんだ。それで、気づいちゃったの。『あぁ、私はこの人に愛を教わったんだ』って」
「愛? 愛、だと? ハッ、魔人が何を語ってやがる! 魔人に愛は芽生えねぇ! そんなもの、ただの錯覚だ! そんなものあっても意味はねぇ! 魔人の世界は弱肉強食! 強い者が喰らい、弱い者は淘汰される! だからてめぇも俺様に姉を喰われ、その男も殺されたんだろうが!」
「そうだね。気づくのが遅過ぎたんだ、私は」
ゲスャロゥデンスが訝しげな顔をする。
アィシィテールの魔力が、異常な速度で膨れ上がっていたからだ。
「感情の変化で魔力が急激に上下する、だと?」
ギロリとアィシィテールを睨みつける。
「てめぇ……ッ、魔人でありながら本物の心を手に入れたとでも言うつもりか!」
「この力がどこからきたのか正直わかんない。でもね──」
アィシィテールの瞳が、真っすぐゲスャロゥデンスを射抜く。
「──私は今、あなたを本気で殺したいって思ってるよ」
アィシィテールの威圧感を受けてなお、ゲスャロゥデンスはギラギラとした目で笑う。
「上等だコラ! てめぇが心を手に入れたってんなら、てめぇを喰らってそれを俺様のものにしてやる!」
──そして始まった2人の魔人の戦いは、一方的な蹂躙になっていた。
「クソがッ!」
ゲスャロゥデンスが吠える。
地を這い。
遮蔽物に隠れ。
魔法で相殺する。
ギリギリ致命傷を避けながら反撃の機会を伺う。
視界を埋め尽くすほどの物量。
アィシィテールの魔法が止まらない。
「てめぇ……その風! 姉の魔法を模倣して、当てつけのつもりか!?」
ゲスャロゥデンスの言葉を遮るように、風の刃が四方八方から執拗に襲いかかる。
ザシュッ!
ザシュッ!
ザシュッ!
「この……ッ!」
頬が裂ける。
肩が裂ける。
太ももから血が噴き出す。
「おらァッ!」
ゲスャロゥデンスが反撃で獄炎魔法を放つも、アィシィテールは半身になって紙一重で躱し、お返しと言わんばかりに無数の風刃を叩き込んでいく。
「ッざけやがって!」
ゲスャロゥデンスが腕を振る。
灼熱の炎が地面から吹き上がった。
──しかし。
それすらも風に巻き上げられて霧散する。
「舐めやがっ──」
「あなたはお姉ちゃんより弱かった」
アィシィテールが呟く。
淡々と、感情を削ぎ落とした声で。
「お姉ちゃんは強かった。誰よりも」
「俺様のほうが強ぇ! てめぇの姉は弱ぇから喰われたんだッ!!」
ゲスャロゥデンスの瞳孔が縦に割れる。
苛立ちを宿すその赤瞳を、アィシィテールは紫水晶のような瞳で見つめ返した。
「お姉ちゃんは人間からも強さを学ぼうとしていた。……愛を知ろうとしていた」
「だからなんだッ! あいつは愛なんて手に入れてねぇだろうがッ!」
「私を最後まで守ろうとしてくれた」
アィシィテールは一切目を逸らさずに言う。
「それが人間の真似事だったとしても、私は救われた。だから、お姉ちゃんは強かったんだ」
「わけわかんねぇ屁理屈捏ねてんじゃねぇ!!」
ゲスャロゥデンスが肉薄する。
それを風の防壁で受け止めたアィシィテールは、真正面から言い放った。
「わかんないよね。お姉ちゃんと正々堂々戦うのが怖かった、あなたには」
「──────────」
地面が揺れる。
陽炎が揺れる。
周囲と温度が一気に上昇し、草木が自然発火で燃えていく。
「殺す」
ゲスャロゥデンスの顔から表情が消える。
ドガンッ!
風の防壁に力任せの一撃。
風の防壁が霧散するように崩れるも、そこにアィシィテールの姿はすでになかった。
「チッ、どこに──」
風の流れが変わる。
「そこかッ!」
弾かれるように空を見上げると、そこには宙に浮いたままゲスャロゥデンスを見下ろすアィシィテールがいた。
ゲスャロゥデンスは目を見開く。
空いっぱいに、風の刃が並んでいる。
「──『当てつけのつもりか』って聞いたよね? 違うよ。これはお姉ちゃんに教わった、私の魔法だ!」
ザザザザザザザザザザササッ──!
空から風の刃が雨のように降ってくる。
「クソがァアアァアァアァアアアアッ!!」
轟音。
血が舞う。
肉が裂ける。
左腕が落ちる。
ゲスャロゥデンスが血を吐く。
更にアィシィテールの魔力が膨れ上がる。
風が荒れ狂う。
大地が抉れ、景色が変わる。
ゲスャロゥデンスの巨躯が紙屑のように吹き飛び、木々を何本も薙ぎ倒した先でようやく地面を転がった。
風が止み。
土煙が晴れる。
「ぐっ……そ、な、舐めやがって……」
ゲスャロゥデンスがフラフラと立ち上がる。
身体からは大量の血と魔力が流れ出ていた。
「こんな、下級魔人ごときに……」
「終わりだよ」
アィシィテールが無慈悲に告げる。
両手を掲げて、魔力を練る。
最後の一撃。
これで終わる。
そう思った瞬間──。
カクン。
「……え?」
アィシィテールが、地面に崩れ落ちる。
身体から力が抜けていく。
身体が重い。
息が苦しい。
これは──。
「魔力、切れ……?」
震える手を見て、呟く。
魔力がほとんど残っていなかった。
怒りに任せ。
憎しみに任せ。
ただ全力で魔力を使った事を思い出す。
感情を知ったばかりのアィシィテールは、それを制御する術を知らなかった。
「はっ……」
ゲスャロゥデンスが笑う。
「ゼハハハハハハハハッッッ!!!」
血だらけの顔で。
狂気じみた笑みをたたえて。
「そうだよなぁッ! あれだけ派手に魔法を使えば、誰でも魔力切れを起こすよなぁッ!!」
ゲスャロゥデンスが納得したように言う。
ゲスャロゥデンスは満身創痍だった。
身体は傷だらけ。
魔力もほとんど残っていない。
それでも勝ち誇ったように笑うのは、動けなくなるほど弱っていないから。
まだ立てる。
まだ歩ける。
それだけで十分だった。
「感情なんかに振り回されるたぁ、魔人の風上にも置けねぇよ。なぁ、アィシィテール」
ゆっくりと。
一歩一歩。
足を引き摺って。
それでもアィシィテールへ確実に近づく。
「残念だったな」
アィシィテールは動けない。
ただ、目を逸らさずに。
ゲスャロゥデンスを睨みつけていた。
「俺様の勝──」
「俺達の勝ちだ」
──ザンッ!
肉を断ち斬る音が響く。
「あ?」
視界が傾く。
空が回る。
森が回る。
地面が近づく。
そして。
剣を振り抜いた体勢で自身を見下ろす、死んだはずの男が見えた。
「てめ──」
ゲスャロゥデンスは理解した。
首を刎ね飛ばされたのだと。
「魔力がなくなれば、その魔力障壁も維持出来ないんだろ?」
ドウティッシュが血を滴らせながら笑う。
「教えてくれて、助かったよ」
「ふざ……け…………」
ゲスャロゥデンスの身体が崩れていく。
光の粒となって。
空へと溶けていく。
「俺様が……人間なんぞ、に…………」
その言葉を最後に。
上級魔人ゲスャロゥデンスは消滅した。
最後まで、信じられないといった表情のまま。
拳大ほどの魔石を遺して。
「ドゥティ……?」
アィシィテールが呆然と呟く。
「なんだ、アシィ。そんな死人を見たような顔をして」
「だ、だって…… ゲスャロゥデンスの不意打ちで、死んじゃったのかと思ったから……」
「勝手に殺すな。気を失ってただけだ」
ドウティッシュは地面に倒れるアィシィテールへフラフラと近づき、力の限り抱き締めた。
「勝手に、殺すな」
「……」
「言っただろ。世界を敵に回しても、君を護るって」
アィシィテールの肩が震える。
「君と、ずっと一緒にいるって」
「──うん……う゛ん……っ!」
アィシィテールは大粒の涙を流し、ドウティッシュを必死に抱き締め返す。
もう離れたくないと。
そう言うように。
「ッ」
限界がきたのか、ドウティッシュもアィシィテールの隣へ倒れ込んだ。
「はは……上級魔人を倒してしまったな」
「かっこよかったよ、ドゥティ」
「ほとんどアシィのおかげだ。俺は美味しいとこ取りしただけだよ」
「ううん。そんな事ないよ」
アィシィテールは首を横に振る。
「ドゥティのおかげで、私は強くなれたんだから」
「……じゃあ、2人で手にした勝利だな」
地面に寝そべったまま、2人で『ふふふっ』とおかしそうに笑う。
一通り笑った後、ドウティッシュは曇りのない顔で口を開いた。
「アシィ」
「なーに?」
「俺を喰べろ」
アィシィテールの目が見開かれる。
「さっきは格好つけたけど、俺もアシィも満身創痍だ。俺は血を流し過ぎてるし、アシィは魔力が抜け過ぎてる。たぶんもう、助からない」
「……うん」
「だけど、アシィだけならなんとかなるはずだ。俺を喰べて、肉体と魔力を回復する事で」
アィシィテールの紫水晶のような瞳は、ただ真っすぐにドウティッシュを見つめていた。
「だからアシィ、俺を──ッ!?」
ドウティッシュの言葉を遮るように。
アィシィテールが唇を落とした。
温かく。
柔らかい。
触れただけの口づけ。
「ふふっ」
アィシィテールが、はにかんで笑う。
「キス、しちゃったね」
呆気にとられた顔をするドウティッシュに、アィシィテールは噛み締めるように吐露する。
「私、ドゥティが大好き」
──それは、純粋で真っすぐな告白だった。
「私ね、ドゥティと出会ってから『人間に生まれたかったなぁ』って何回も思ったんだよ?」
「……」
「人間に生まれて、ドゥティに出会って、助けられて、素敵な町へ行って、2人で暮らして、結婚して、可愛い赤ちゃんを産んで、育てて、死ぬまでずっと一緒……そんな幸せな人生が送れたのにって……」
「……言っただろう、アシィ。俺は女性が苦手だって」
アィシィテールの目を見つめながら、ドウティッシュは続ける。
「そんな俺が、初めて女性を好きになった。アシィがいない人生なんて考えられない。人間とか魔人とか、そんなの関係ない──アシィじゃなきゃ駄目なんだ」
アィシィテールを抱き締めたまま。
心の底から、伝わるように。
「……ふふっ、温かいね、ドゥティ。なんだか私、眠くなってきちゃった」
「あぁ……少しだけ、眠ろう。大丈夫、俺もずっと、傍にいるから」
アィシィテールが寄り添うようにドウティッシュへ身を寄せて、目を閉じる。
ドゥティッシュもまた、アィシィテールの温もりと胸の鼓動を感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
解けないように。
愛を確かめ合うように。




