第21話 A級冒険者ドウティッシュ(前編)
昔から女は苦手だった。
幼少期から町一番の美男子だと持て囃された俺は、年下からも、同年代からも、年上からも、無駄にモテまくった。
小さい頃はただ歩いているだけで、売春婦達に物陰に連れ込まれそうになった事もある。
身体さえ鍛えればそう易々と手を出される事もないだろうと考え、12歳になってすぐに生まれ故郷を離れて冒険者ギルドの門を叩いた。
ただそこで、俺は現実を知る。
どこに行っても、どこにいても、人間の本質なんてそこまで変わるものではないのだと。
『身体を鍛えるならこれを使うといいよ! ほら、ここの筋肉がすっごいカチカチになるでしょ?』
親切なフリをして、やたらボディタッチをしてくるアバズレ。
『へぇ……噂以上に美男子だね。なぁ、アタイがアンタを大人にしてやろうかぁ?』
肉食獣のような目で、舌舐めずりをしながら近づいて来るクソビッチ。
俺は益々、《 苦手意識に拍車がかかっていった。
……女嫌いではなく、苦手意識。
正直、俺だって男だ。
女の華奢な体を抱き締めてみたいと思うし、性が枯れるまで抱いてみたいとも思う。
でも、それが出来ない。
そこらの頭空っぽな男共と同じように、体だけの関係で快楽を満たすのは絶対に嫌だった。
馴染みの酒屋の店主には『難儀な性格だねぇ』などと言われたが、それが俺なのだから今更変わりようもない。
だから、一緒にいて気の置けないような理想のパートナーに出逢える事を願って。
ただ堅実に。
ただ実直に。
鍛えて、鍛えて、鍛えて、鍛えて──。
──気づけば俺は、冒険者ギルドの最高位【A級冒険者】にまでなっていた。
「はぁ? 異変の調査だと?」
冒険者ギルドのギルドマスターの執務室で、並々注がれた紅茶を手に持ちながら、ドウティッシュは困惑気味に声を発した。
「あぁ、ヤッバイ山で何やら魔獣が騒いでいるらしい。行ってくれるか?」
「嫌だね。いくらアンタの頼みでもヤッバイ山は遠過ぎる。それに、異変の調査なんて時間がかかるし、何より面倒だ。そんなのB級以下の連中に投げとけよ」
ギルドマスターであるムキンチョの頼みを、ドウティッシュは即座に断る。
「お前も知っているだろう? あの配信魔法とやらのせいで、名前と顔を売りたい連中が、どいつもこいつも張り切って仕事に出ちまってんだよ。少し前までは酒場で馬鹿騒ぎしてたってのにな」
「……あぁ、あれか」
魔導師ナナとかいう胡散臭い男のトンデモ魔法。
お偉いさんが何を考えているかはわからないが、配信魔法によって世界が少しずつ変化してきているのはドウティッシュも感じていた。
「時代なのかねぇ……。近々、魔法箱型受像機っつうのも販売されるから、貯金までする冒険者もいやがる」
「……おい、話がズレてきてるぞ」
「っと。とにかく、お前は名前も顔も十分売れてるから気にしないだろうし、何より手が空いてる高位ランクの冒険者はお前だけなんだよ。な、引き受けちゃくれねぇか?」
「あー……わかったわかった。ただし、これは貸し1だからな」
「ああ、報酬も少しだけ上乗せしといてやるよ」
ムキンチョの言葉に何も言わずに踵を返したドウティッシュは、早速ヤッバイ山に行く為の準備に取りかかるのだった。
「騒がし過ぎる」
ヤッバイ山に到着してすぐ。
ドウティッシュが眉を顰める。
「魔獣共の気配がそこら中からしやがる。何かに引き寄せられてるのか……?」
鳴き声。
足音。
物音。
地響き。
通常ではありえない事態に、ドウティッシュの冒険者としての経験が警告を鳴らす。
「……問題は山頂じゃないな。麓で起きてる」
余計な戦闘をして周囲の魔獣を呼び寄せてしまわないよう、慎重に歩を進めていたドウティッシュは、騒ぎの中心地へと辿り着いたところで目を見張る。
「! あれは」
そこには、木に凭れかかった全身血塗れの女がいた。
(原因はこれか! だが……いや、今はそれよりも)
ドウティッシュは目にも止まらぬ速さで飛び出し、周囲の魔獣達を威嚇する。
それだけで、魔獣達は蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。
「面倒な魔獣が近くにいなかったのは幸いだな」
ドウティッシュは気を鎮めるように息を吐き出すと、血塗れの女へと目を向けた。
「おいあんた、生きてる──ッ!?」
ゾワリ、と。
ドウティッシュの全身が粟立つ。
小麦よりも浅黒い肌。
こちらを睨みつける縦に割れた瞳孔。
側頭部に生えた山羊のようなクルリとした羊角。
その場から一歩で離脱したドウティッシュは、吐き捨てるように声を投げた。
「お前、魔人だな?」
女は答えず、ただジッと、睨みつける。
「魔人は殺す」
シャリンと、肉厚の剣を鞘から抜き放つ。
そこでようやく、女が表情を変えた。
恐れるような。
悲しむような。
諦めを宿した表情に。
「はっ、人間の真似事か」
魔人は心を持たない。
ただし、人間に擬態し、欺き、殺し、喰べる為に、感情というものを真似ようとする。
だから人間臭いこの表情も、所詮は演技。
下級クラスの魔人であってもA級の冒険者に匹敵する強さを持っているのだから、手負いとはいえ油断は命取りになる。
(一撃で殺す)
何を思ったのか、魔人の女はドウティッシュから視線を切り、項垂れるように下を向いた。
まるで首を差し出すように、無防備に。
「死ね」
息を止め。
脚に力を入れ。
全力で駆け出す。
剣を振り上げ。
剣戟を煌めかせ。
真っ直ぐに剣を振り下ろし。
細首を刎ね飛ばそうとした──その瞬間。
「あーぁ……【オンタントンの頑固親父】の新刊……読みたかったなぁ」
ビタリッと、剣が止まる。
「……どうしたの? 私は何もしていないよ」
魔人の女が呟く。
弱々しい声で、顔も上げずに。
「……なぜ何もしない」
警戒心を滲ませながら、問う。
本当に、無防備だった。
避けるわけでも、反撃してくるわけでも、魔法で防壁を張るわけでもなく……本当に、ただ無防備だった。
ただ無防備に、死を受け入れていた。
「答えろ、魔人」
威圧的に問いかけても、魔人の女は答えない。
ドウティッシュは「チッ」と舌打ちを鳴らすと、魔人の女の身体を検めるように目を這わせた。
ボロボロだ。
そこら中傷だらけで、満身創痍。
衣服には少なくない量の血が滲んでいる。
羊角にはヒビが入っているし、土手っ腹には拳大ほどの穴も開いていた。
こんな手傷を負いながら、呼吸が乱れていないのだから、魔人の生命力には恐れ入る。
「その傷は、誰にやられた?」
冒険者の誰かか、突然変異の魔物か。
魔人の女は何も答えない。
「………………はぁ」
ドウティッシュは色んな感情がこもった溜息を吐き出すと、頭をガシガシと搔いて言葉を投げた。
「【オンタントンの頑固親父】、お前も読んでいるのか?」
口に出してすぐ『俺は何を言っているんだ』とドウティッシュは後悔した。
こんな事を聞いて、どうするのかと。
(あぁ、クソが……ッ!)
自分も【オンタントンの頑固親父】を読んでいたから。
人間臭い呟きに親近感が湧き、心に綻びが出たのかもしれない。
(ダメだ、冷静になれ、さっさと殺──)
「あなたも【オンタントンの頑固親父】を読んでいるの……?」
いつの間にか、魔人の女が顔を上げていた。
その目は最初に見た時とは違い、クリクリとした紫水晶のような色をしていた。
「あ、あぁ……」
「【オンタントンの頑固親父】は面白くて素敵よね! 私は何度も読み直してるからセリフだって覚えたし、聖地巡礼にも行ったのよ?」
「……俺も、北バルギッシュの大聖堂の鐘の音を聴きに行った事がある」
「ふふ、あなた冒険者でしょ? 娯楽書を読んでいるなんて変わっているのね」
「…………知人の娘に勧められて読んだらハマったんだ。すでに新刊の予約もしている」
「そっか。いいなぁ……私も新刊、読みたかったなぁ」
饒舌に語る魔人の女の声に、敵意はない。
楽しそうに笑い。
悔しそうに呟く。
人間同士の会話として成立している。
これが人間の感情を模倣する魔人の術だとしたら、魔人という生き物は本当に恐ろしい生き物なのだと納得出来てしまった。
「最後に会えたのが、あなたで良かった。ちょっとだけだけど【オンタントンの頑固親父】について語れたし……あなたにこの首、あげるわ」
真摯に、真っ直ぐに。
髪を掻き上げて、うなじを晒す魔人の女。
「……その傷、誰にやられた?」
魔人の女のその姿を見て、ドウティッシュが再度問う。
「ふふふ、内緒。でも、冒険者とか魔物じゃないわ。この辺でやられたわけでもないから、そこは安心して」
冗談めかして笑う、魔人の女。
魔人の女の階級はわからないが、もし下級魔人だとしても、それをここまで傷つけられるのは格上の魔人しかいない。
(……格上の魔人から命からがら逃げ出して、ここに行き着いたというのが妥当な線か)
「どうしたの? 私の首を取れば、冒険者って出世出来るんでしょ?」
冒険者の階級は、下からG・F・E・D・C・B・Aの7つがある。
ギルドに寄せられた雑多な依頼を達成し、国に貢献すれば、その階級は着々と上がっていく。
ただ、Aより上にSという特権階級もある。
魔人を倒した冒険者にのみ与えられる、英雄の称号だ。
このS級を所持していた冒険者は、歴史の中でも片手で数えられるほどしかいない。
魔人の女はそれを知っているのだ。
娯楽書の事といい、階級の事といい、この魔人の女はよほど人間に詳しいのだなとドウティッシュは少々呆れてしまった。
「今は殺さない。転がっていた負け犬の首を持って帰って来ましたなんて、ギルドに報告したくないからな」
ぶっきらぼうに吐き捨てて、剣を収める。
「わぁ、優しい。私を見逃してくれるんだ?」
「見逃すとは言っていない。しばらくお前を生かし、傷が癒えたところで、お前を殺す」
土手っ腹に風穴が開いていて、全身の傷からも魔力が漏れ出ている。
これでは傷を癒すのに相当時間がかかるだろう。
だから放置していても、この女自体は問題がないはずだ。
「行き着いたのがこの森で良かったな」
言うが早いか、ドウティッシュが魔人の女を抱き上げる。
「わ、わっ!?」
「暴れれば殺す。不審な動きをすればすぐ殺す。だから少しの間、大人しくしていろ。いいな?」
口を手で押えて、コクコクと頷く魔人の女を抱えたまま、ドウティッシュは森の奥へと駆け出した。
しばらくすると、冒険者も魔物も寄りつかないような、鬱蒼とした場所へと行き着いていた。
岩壁をなぞり。
特定の石を奥へと押し込み。
魔力を数回に分けて流す。
すると、まるで切れ目が入るように岩壁に光が走り、小部屋が姿を現した。
ドウティッシュが魔人の女を抱えたまま小部屋に入ると、入口は静かに閉まっていった。
「こんなところに隠し部屋なんてあったんだ。よく見つけたね」
簡素な椅子に乱雑に下ろされた魔人の女が、感心したように言う。
「あぁ、たまたまな。著名な魔法士の隠れ家だったようだが、今はこうして俺の秘密基地として使っている」
「へぇー」
気の抜けた声を発しながら、魔人の女が小部屋を見渡す。
秘密基地と言っていたように、ここには生活する上で使えそうな生活用品が揃っていた。
「で、冒険者さんは私をここに連れてきてどうするつもり?」
「言っただろう、お前の傷が癒えるまで生かすと。負け犬を殺す気はないが、他の冒険者や魔物に横取りされるのは御免だ。だから、お前をここで飼う」
その言葉に、目を見開く魔人の女。
「飼うなんて、やーらし! 弱ってる女の子をこんなところに閉じ込めて、エッチな事をするつもりなんだ、やーらし!」
「だ、誰がそんな事するか! そもそも女の子って、お前は魔人だろうが!」
「魔人でも女の子ですぅ! 肉体構造的にはほとんど人間と一緒だから、エッチしちゃったら赤ちゃんもちゃんと出来る女の子ですぅ!!」
「きゃー犯されるー」と、自分の身体を抱き締めて戯言を抜かす魔人の女に、『生かしたのは間違いだったかもしれない』とドウティッシュは頭を抱えた。
「いいから黙ってお前はここにいろ。瀕死とはいえ、魔人の気配にあてられて、魔獣共が騒いでいるからな。いいか、黙ってこの部屋から抜け出す事は許さない。必要な物は用意するし、飯も持ってきてやる。監視を兼ねて、毎日な」
魔人の女は小部屋をキョロキョロと見渡して、口を開く。
「……トイレは? 見当たらないよ?」
その言葉に、スッと部屋の隅を指差す。
そこには、程よい大きさの木桶が転がっていた。
魔人の女の顔が引き攣る。
「言う事を聞いて大人しくしていると約束出来るなら【オンタントンの頑固親父】の新刊も持って来てやる」
「はい、はい! 大人しくしてまーす!」




