第16話 ただの農夫ノブ(後編)
ダンジョンは思ったより広かった。
だが、重苦しい雰囲気で狭く感じる。
魔獣はまだ出ない。
心臓がうるさい。
嫌な汗が出る。
……ダンジョンは宝箱から魔道具が出るらしい。
回復薬も、魔道具も、宝箱から出るのだろうか?
余計な事を考えないと、気が変になりそうだ。
それでも、雑念を消して出来るだけ集中する。
魔獣がいた。
村の近くでもたまに見かける、一角兎。
あれは何度か追っ払った事がある。
通り道にいるから避けられそうにない。
グッとクワを握る手に力が入る。
「はっ、はっ、はっ……!」
荒くなった呼吸を、どうにか落ち着かせようとする。
魔獣は仕留めた。
ただ、思ったように身体が動かなかった。
使い慣れてるはずのクワが重く感じた。
ダンジョンという環境がそうさせるのか。
それはわからなかった。
「うぐ……っ!」
背中に衝撃が走る。
慌てて振り返ってみると一角兎がもう一匹いた。
角には血がついている。
たぶん、俺の血だろう。
痛みが鈍いのは、興奮していたからか。
それを気にする余裕もなくなった。
奥から二匹・三匹とわらわら出てくる。
特徴的な赤い目が、全てこっちを向いていた。
「クソ……」
膝をついて悪態をつく。
まだ何もしていない。
まだ何も手に入れていない。
ヒンシィが待っているんだ。
こんな俺を。
ヒンシィを救えるのは、俺だけなんだ。
一角兎が一斉に飛びかかってきた──。
「オラァッ!」
粗暴な男の声。
吹き飛ぶ一角兎達。
何が起きたのかわからず、声のしたほうへ視線を向けると、そこには大剣を振り回す青年がいた。
「大丈夫ですか!? ──ゲロン、そのまま倒せるだけ倒して! ディフェンダスは絶対こっちに近寄らせないで!」
「人使い荒過ぎィ!!」
「わかってる! コイッテンはその人の手当てを!」
盾を担いだ大柄な青年と、腰に剣を佩いた青女も視界に映る。
「あんた達は……」
「私達は冒険者パーティのチュトリアール──って、え? おじさんもしかして、私達の事知らないの!?」
コイッテンが驚いたような反応をする。
ダンジョンの調査を依頼された冒険者だろうか?
冒険者が来る前にとダンジョンに入ったはずが、それに助けられてしまうなんてなんとも皮肉なものだ。
「ありがとう、助かった」
3人に向かって頭を下げる。
「そりゃいいけどよ。おっさん、こんなところで何してんだ?」
たった一人で一角兎を狩り尽くしてしまったゲロンが、そう問いかけてくる。
「それは……」
他人に話すには重い話だ。
助けてもらった手前、口にするのが憚られた。
「なんも装備しないでこんなとこにいるのは自殺志願者だけだ。ただ、あんたはそんな風には見えねぇ。事情があるのはわかってるから、さっさと話してみろよ」
そう促され、俺は事情を説明した。
「そう……」
コイッテンが深刻そうな顔をする。
「だったらなおさら帰ったほうがいい。このままダンジョンを探索しても、冒険者でもないあなたでは無駄死にするだけだ」
ディフェンダスの言葉はもっともだった。
だが、俺はその言葉を拒否するように首を振る。
「今度こそ、大切なものを守りたいんだ」
頭を下げる。
『だから、行かせてくれ』、と。
「おっさん、交換条件だ」
「……何?」
頭を上げる。
ゲロンが真剣な目でこっちを見ていた。
「ディフェンダスも言ってたが、あんたがこのままダンジョンを探索しても死ぬだけだ。ただ、装備の整った冒険者であれば話は別だ」
「……」
「ここには丁度、俺達がいる。回復薬が見つかる保証はねぇが、あんたの代わりに俺達が探索してきてやるよ」
思わぬ提案に、目を見開く。
「だが……」
「あんた、農夫だって言ってただろ? 農夫は畑を耕すのが仕事。冒険者は依頼人を助けるのが仕事。この辺の野菜は美味いで有名だからな、木箱いっぱいの野菜を報酬として用意してくれんなら、あんたの依頼を受けてやる」
「ゲロン……あんたまた勝手な事を……もう」
「いつもの事だ」
3人の視線が突き刺さる。
そんな事、あっていいのだろうか。
こんな事、頼んでもいいのだろうか。
「……なぜ、見ず知らずの俺にそこまで親切にする?」
純粋な疑問を、投げかけた。
「実は俺達、最近有名になっちまってよ。町を歩いてりゃ声をかけられて、うかうか立ちションも出来ねぇの。またいつ配信に映されるかわかんねぇし、善行は積んでおく事にしたんだ」
「ノブさんは私達を知らないみたいだし、配信って言われてもわからないですよね……?」
ハイシン。
村の連中が言っていた気がする。
「で? おっさん、依頼すんの? しねぇの?」
3人の優しさに深々と頭を下げて、嘆願した。
「頼む……回復薬を、見つけてきてくれ……っ!」
口下手な俺なりの、精一杯の言葉で。
「ノブ!? 良かった、考え直してくれたんだな!」
村に戻ると、すぐに村長の家に向かった。
よほど心配していたのか、俺の全身をくまなく触る。
「お前……この傷……ッ!」
「冒険者達に助けてもらった」
短い返答。
その後、冒険者達と交わした約束を村長に伝えた。
「そうか……」
村長はそう呟くと、窓の外に目を向ける。
「夜が明けるまで待ってみて、冒険者達が帰ってこなかったら町に行こう。売れそうな物を持ってな」
売れそうな物なんて、うちには──。
「死んだ嫁さんの花嫁道具だ。ヒンシィちゃんに持たせられないのは残念だが、命には変えられない」
村長の提案に少し瞼を伏せてから、俺はゆっくりと頷いた。
夜明け前。
いつもは畑に行ってる時間。
俺は村の入り口で冒険者達の帰りを待っていた。
「あれは……っ!」
遠くに見えた人影に、急いで駆け寄る。
「おい、大丈夫かッ!?」
3人共、装備がボロボロになっていた。
「聞くな」
「だが……」
「ノブさん、聞かないであげて。『装備の整った冒険者であれば話は別だ』とか格好つけて言ったのに、コテンパンにされて帰ってきたんだから」
「張り切り過ぎてまたゲロを吐いていたしな」
コイッテンとディフェンダスの言葉に短く舌打ちをしたゲロンは、俺の前に一本の瓶を差し出した。
「これは……?」
「ご所望の回復薬様だ」
目を見開く。
まさか、そんな、と言葉に詰まる。
「早いとこ、娘さんに飲ませちまえよ。俺らが痛みに我慢出来なくなって飲んじまう前にな」
「…………ありがとう」
震える手で回復薬を受け取り、ヒンシィを寝かせている部屋へと向かう。
ヒンシィは寝ているはずなのに、苦しそうな顔で不規則な呼吸を繰り返していた。
「頼む……頼む……っ」
娘の身体をソッと抱き起こし、回復薬をゆっくりと、ゆっくりと、飲ませていく。
か細い喉が、上下に動いた。
「お……さ、ん」
しばらくして。
ヒンシィがうわ言のような声を上げた。
「ヒンシィ!」
叫ぶように、娘の名前を呼ぶ。
「…………おとう、さん」
気づけば俺はヒンシィを抱き締めていた。
回復薬が効いたかどうかもまだわからないというのに、抱き締めずにはいられなかった。
熱い体温に、小さな鼓動。
ヒンシィが俺の胸元で、また寝息を立てる。
苦しげだった呼吸が、安定してきた気がする。
「回復薬はちゃんと全部飲ませたのか?」
いつの間に家に上がって来たのか。
背後からゲロンが声をかけてきた。
「ああ。あんた達のおかげで娘の命は助かった」
「礼を言われる筋合いはねぇよ。おっさんが依頼を出して、俺達がそれを受けた。健全で対等な関係なんだからな」
「……それでも、言わせて欲しい」
ヒンシィをソッとベッドの上に寝そべらせ、冒険者達に向き直る。
「本当に、ありがとう」
誠心誠意、頭を下げた。
「………………ゲロ吐きそう」
「あ、ゲロンが照れてる」
「相変わらず変な体質をしているな……」
昼過ぎ。
家の中は少しだけ賑やかになっていた。
「それで!? それで!?」
「そこで俺が颯爽と登場したわけよ。大剣トニカクデカイオーの一撃で兎共をバッタバッタと倒してだな──」
「子供相手にまで見栄を張らなくていいのにね」
「言わせておけ。こいつはそういう男だ」
『次に起きたら良くなっている』。
冒険者達の言葉通り、ヒンシィはとても重症だったとは思えないほど回復していた。
今はキラキラと目を輝かせ、あのダンジョンでの冒険譚をゲロンに強請っていた。
「あ、お帰りなさい。遅かったですね?」
「あぁ、あんた達に渡す報酬を見繕ってきたんだ」
ドンッと荷物を下ろす。
一抱えもある木箱に、ギチギチに詰まった野菜。
こんな物でいいのかと、少し不安になる。
「あー! お父さんの野菜だ!」
ヒンシィが木箱に駆け寄る。
物珍しい物でもないというのに。
「これどうするの? みんなで食べるの?」
「これはこの人達にあげる物だ。ヒンシィの薬を貰ったからな」
その言葉で、ヒンシィが冒険者達に頭を下げる。
「お薬、ありがとうございました!」
今度は俺に向き直り、頭を下げる。
「お父さんも、ありがとう!」
「………………………………」
ヒンシィの感謝の言葉を、俺は素直に受け取る事が出来なかった。
「俺は、何もしていない」
「え?」
「俺は、本当に何も……」
情けない。
思い出すだけで、情けなくなった。
ダンジョンに入ったくせに、ただ傷を負って、冒険者達に助けられて、縋って、家でただ待ってる事しか出来なかった。
「冒険者さんが言ってたよ。お父さんが私の為に頑張ってたって」
「──ぁ」
「装備も身につけないで、凄い根性だって」
「……」
その言葉が、ジワジワと染みてくる。
心の中に。
心の奥に。
「でもね、私はもっと凄いお父さんを知ってるよ」
「…………」
ヒンシィが、木箱に入った野菜を見つめる。
「お父さんは毎日畑仕事を頑張ってるでしょ?」
「………………」
「雨の日も、風の日も、雪が降っても」
「……………………」
「町のみんなも『ヒンシィのお父さんは働き者だね。凄いね』って言ってたよ」
「…………………………」
視界がボヤける。
鼻の奥が痛みだす。
「だからお父さんの野菜は美味しいんだよ! 私、お父さんの野菜、だーい好き!」
屈託なく笑うヒンシィ。
そこに嘘なんて微塵もなかった。
「冒険者さんも、期待しててね! お父さんの野菜はこの村で一番美味しいんだから!」
冒険者達も、みんな笑う。
「そうだな、最高の報酬だ」
「装備代を差し引くと、ちょっとマイナスだけどね」
「守銭奴め、こういう時は水を差すな」
俺は人目を憚らずにヒンシィを強く抱き締めた。
泣いているところを、見られたくなくて。
「……お父さん、泣いてるの?」
「な゛い゛て゛な゛い゛」
「えー、本当に? お顔見せて?」
より強くヒンシィを抱き締める。
この鼓動を。
この温もりを。
大切な存在を。
守れた事を、安堵するように──。
今日も俺は畑に行く。
雨が降っても。
風が吹いても。
雪が降っても。
朝露に濡れた土を踏んで。
一生懸命クワを振るう。
俺にはそれしか出来ないから。
それでも今は、これが俺の誇りだから。




