第15話 ただの農夫ノブ(前編)
40年、真面目に生きてきたつもりだった。
辺鄙な村の片隅で。
ただ黙々と、愚直に、実直に。
俺は畑を耕す農夫として生きてきた。
親父も、爺ちゃんも、先祖代々農夫だった。
みんな似たような性格で、寡黙で不器用だから、生き方を変えられなかっただけとも言える。
この村の村長一家も代々面倒見がよくて気配り上手だから、親父も爺ちゃんも嫁探しまで世話になったと言っていた。
俺も村長の紹介で、近くの町から嫁をもらった。
農夫の嫁としてやっていけるのか心配になるほど痩せぎすな、別嬪さんだった。
なんでも、大家族の商家の末娘だとか。
花嫁道具もいっぱいで、うちのオンボロ家屋にはずいぶんと不釣り合いだと思った。
水で腹を下す。
飯で腹を下す。
ちょこっと畑仕事をしただけで熱が出る。
俺の嫁は身体が弱かった。
あぁ、と腑に落ちる。
厄介払いされたんだな、と。
そんな話はどこにでもある。
別に気にするほどのもんじゃない。
嫁が子供を産んだ。
嫁に似て別嬪さんだ。
なのに、嫁が涙を流して謝ってきた。
「男の子を産めなくてごめんなさい」、と。
「役たたずでごめんなさい」、と。
俺は毎日、畑に行く。
雨の日も、風の日も。
俺にはそれしか出来ないから。
嫁が泣いても、慰める事など出来ないから。
日に日に嫁の身体が弱っていく。
村長一家が心配して隣町から医者を呼んでくれた。
その日も俺は畑に行った。
俺にはそれしか出来ないから。
嫁は口癖のように「ごめんなさい」と謝ってくる。
俺は何も言わない。
ただ、黙って畑に行く。
俺にはそれしか出来ないから。
嫁が死んだ。
産後が悪かったと村長は教えてくれた。
その日も俺は畑に行った。
1歳の娘を村長に預けて。
畑で泣くつもりだったのに、涙は出なかった。
娘が高熱を出して倒れたのは、10歳の誕生日を間近に控えた頃だった。
1日様子を見ても、容態は変わらず。
2日様子を見ても、容態は変わらず。
食い物も食えず、飲み物も飲めず、段々と弱っていく娘をただ見ている事しか出来なかった。
俺に似て身体は丈夫だったはずなのに。
「心配しないで」と娘は言う。
嫁に似た顔で、俺を気遣う。
村長に大きな町の医者にかかる事を勧められたが、それは出来なかった。
我が家に、余分な蓄えなんてなかったから。
馬車で町に行くにも、金がかかる。
医者に看てもらうにも、金がかかる。
悪い病気なら、それを治す為の薬代もかかる。
今日も村長一家に娘の看病を頼んで畑に出る。
金がいる、金がいる、金がいる。
だから、畑に出る。
隣近所の畑も手伝って、二束三文の賃金を稼ぐ。
俺には、それしか出来ないから。
酒も女も、博打もしなかった。
ただ、黙々と……俺なりに一生懸命生きて来たつもりだった。
「ノブ……ヒンシィちゃん、早く医者に診せんとマズイぞ。もう3日目だ。ウチも余裕があるわけじゃないが、少しなら金を出してやれる。だから町に行って医者に診てもらえ」
「……………………」
夜分。
畑仕事を終わらせて、ヒンシィを村長の家に迎えに行った時、村長にそう提案された。
わかっている。
このままだと、ヒンシィが危ないのは。
嫁に託された愛娘を、喪う。
俺に甲斐性がなかったばかりに……全部全部、喪ってしまう。
こんな俺でも真面目に生きていれば、人生はそれなりに満足するものだと思っていた。
違った。
違ったんだ、何もかも。
俺は何も頑張っていなかった。
ただ漠然と、親父や爺ちゃんと同じ道を歩いていただけ。
頑張る努力をしていなかった。
最初から諦めていたんだ。
日常が変化する事を恐れて。
「……村長、頼みがある」
村長の目を見て、声を張る。
「あぁ、今すぐ馬車と金を用意する。夜に移動するのは危険だが──」
「──俺に何かあれば、ヒンシィを頼む」
村長の言葉を遮って、頭を下げる。
「何かあればって……ノブ、何をする気だ?」
村長が困惑したような顔をする。
それはそうだろう、そんな頼み方をされれば。
「今から、ダンジョンに入る」
「ダンジョンって……正気か?」
「あぁ。ダンジョンに入って、回復薬を見つけて来る」
真剣な眼差しでそう宣言すると、村長にも冗談ではない事が伝わったのか、少し怒ったように眉を顰めた。
「ダンジョンが危険な場所なのはノブも知っているだろう!? あそこは装備を整えた冒険者だって、ちょっとの油断で死んじまうところだ。ましてや、お前は農夫だ。体は頑丈だが、それだけだ!」
「わかってる。だが、これしかない。俺は何もしてこなかった。嫁にも、娘にも、何もしてこなかった。大切なものを失ってから気づくのは、もうたくさんなんだ」
「ノブ……お前…………」
「頼んだ」
それだけ言って、村長の家を出た。
我が家に帰ると、オンボロ家屋に不釣り合いな家具達が、いつものように静かに俺を出迎えてくれた。
「……」
それをしばらく黙って見つめ。
俺はクワを強く握って家を出た。
『近くの山の麓に、ダンジョンが出来たらしい』
村の連中が噂していた話だ。
近々冒険者を呼ぶとは言っていたが、まだ手つかずなら浅い階層でも回復薬を手に入れられるかもしれない。
淡い期待だ。
ただ、そうであってくれ。
風が吹いてもいないのに、山が鳴く。
俺はダンジョンの前で、唾を飲み込んだ。
ただの穴に見えるのに、先が見えない。
足が竦んで、身体が震えた。
足が、半歩後ろに下がった。
足が、一歩後ろに下がった。
不意にヒンシィの顔を思い出し、足が止まる。
「一歩踏み出す勇気を出せ……」
自分を叱咤するように震える足を叩いて止め、俺は穴の中へと入っていった。




