第8話:初めての討伐
討伐依頼――子鬼四体の駆除。
昇級する意思をギルドへ伝え、それに必要な依頼を受注した俺は、ジロウと共に生息区域まで足を運んでいた。後ろ腰へ佩いているのは一振りの漆黒のナイフ――いや、正確にはナイフではない。ジロウの牙だ。
あの坊主頭の鍛冶師は最初こそ「最高の一本を作ってやる!」と豪語していたが、結果は惨敗だった。
削れない。研げない。叩いても曲がらない。ありとあらゆる工具の方が先に音を上げ、結局、牙そのものへ加工を施すことは一切できず、握りやすい柄と鍔を取り付けるだけで完成となった。
世界一贅沢な柄付き牙である。
試しに軽く振ってみる。すると刃先が掠めただけの岩肌へ一本の線が走り、何の抵抗もなく岩が音もなく切断された。
「……嘘だろ」
切ったという手応えすらない。空気を振り抜いたような軽さだった。さらに刃ではなく側面を岩へ叩き付けると、鈍い衝撃音と共に握り拳ほどの岩石が粉々に砕け散る。
鍛冶師の話では、この牙へ宿る膨大な魔力が作用しているらしい。
刃として振るえば異常な切れ味を生み、面で叩けば魔力が衝撃となって対象を粉砕する。切ることにも砕くことにも特化した、常識外れの武器だった。
正直、一番意味が分かっていないのは使っている俺である。
「さて……」
事前に仕掛けた罠の位置は、もう頭へ叩き込んである。
ジロウは鼻先をわずかに上げ、風へ混じる匂いを拾っていた。その様子を見る限り、十二か所に設置した罠のうち、すでに五体のゴブリンが掛かっているらしい。相変わらず衛星でも飛ばしているんじゃないかと思うほどの索敵能力だ。
「案内、頼む」
俺がそう言うと、ジロウは軽く尻尾を振り、そのまま森の奥へ駆け出した。生まれた頃から知っている庭でも歩くような足取りで木々の間を縫い、迷うことなく一つ目の罠へ辿り着く。
噛み罠へ右脚を挟まれたゴブリンは、こちらへ気付くと必死にもがき始めた。
しかし傷口から体内へ回った薬が効いているのだろう。
腕は震え、脚は力が入らず、まともに身動きが取れていない。鋼鉄の顎は脛を深く噛み砕き、脛骨はひび割れ、腱も半ば断裂している。この状態で逃げ切るのは不可能だ。
「あ……が……」
掠れた声だけが森へ響く。
俺は腰の黒い牙を逆手に握り、ゆっくり近付いた。
「……ごめんな」
返事を待つことなく、刃先を頸部の付け根へ真っ直ぐ差し込む。頸椎の隙間を貫き、延髄を断つ。ゴブリンの身体は一度だけ小さく震え、それきり力なく沈黙した。苦しませる時間は、ほんの一瞬だった。
俺は静かに右耳を削ぎ落とし、小袋へしまう。
討伐の証。
それだけのために耳を切り取る行為には、最後まで慣れそうになかった。
二体目、三体目、四体目。
ジロウは次の罠、そのまた次の罠へと迷いなく俺を導き、俺は同じ作業を淡々と繰り返していく。
不思議と恐怖はなかった。
頭へ浮かんだのは、子供の頃の記憶だった。
夏休みになるたび、近所の雑木林へカブトムシを捕りに行った。樹液の出る木を探し、夜のうちに罠を仕掛け、翌朝わくわくしながら見回る。今日の俺が罠を巡っている姿は、あの頃とどこか重なって見えた。
違うのは、罠に掛かっているものだけだ。
娯楽のために虫を捕まえていた子供の俺と、生きるために害獣の命を奪っている今の俺。
……どちらが残酷なのだろうか。
最後の耳を袋へしまい終えると、近くを流れる川で血に濡れた手を洗った。赤く染まった水は流れへ溶け込み、何事もなかったように消えていく。
「帰るか」
そう声を掛けると、ジロウは満足そうに一声だけ鼻を鳴らした。
準備に三日。
討伐に掛かった時間は、わずか二十一分だった。
◇
「すみません。討伐依頼の納品をお願いします」
ギルドへ戻った俺は、査定窓口へゴブリンの右耳を四つ並べた。
「鉄級のヤトと申します」
「あー、はいはい。そこ置いといてー」
気怠そうな返事と共に奥から姿を現したのは、長い黒髪を無造作に流し、細い煙草を咥えた女性だった。気の抜けた話し方とは裏腹に、切れ長の目元と艶のある黒髪が妙に色っぽい。どこか近寄り難い雰囲気を纏った美人で、思わず視線が止まる。
「ん? 何」
「い、いえ……何でもありません」
「そう?」
女性は気にも留めず煙をひと吐きすると、右耳を手元へ引き寄せた。
「ギルドタグ見せてー」
「あ、はい」
タグを渡すと、耳の数と依頼書を照らし合わせながら、一つひとつ慣れた手つきで確認していく。
「討伐依頼はね、数が合ってても終わりじゃないんだよ。たまに他の魔物の耳を混ぜたり、前に倒したやつを持ってきたりする馬鹿がいるから」
「そんなことまで……」
「いるいる。だから査定係がちゃんと確認するの」
そう言うと、女性の指先が淡い青白い光に包まれた。
細い指で右耳をなぞるように触れると、光が耳全体へ染み渡り、数秒ほど淡く脈打ってから静かに消える。
「……はい、問題なし」
女性は頷き、次々と同じ作業を繰り返していく。
魔法なのか、それともギルド専用の魔道具なのかは分からない。ただ、討伐された個体に残る魔力や死後の反応を調べ、本物かどうかを判定しているようだった。
「全部ゴブリンで間違いなし。耳も新しいし、自分で討伐した個体って反応も出てる。合格」
最後の一つを盆へ戻すと、女性は煙草を咥え直しながら俺を見上げた。
「初昇級?」
「はい」
「じゃあ、おめでと」
ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、その表情はどこか優しかった。
「これで青銅級だよ」
「ほ、本当ですか?」
「うん。昇級条件はちゃんと満たしてる。鉄級卒業、お疲れさん」
ギルドタグを返され、思わず何度も見返してしまう。
「報酬の受け取りと昇級手続きは受付でね。あっちはレイナの担当だから」
「ありがとうございました」
「次はもっと派手な魔物を期待してるよ」
冗談めかして片手を振る女性へ頭を下げ、俺は受付へ向かった。
こちらへ気付いたレイナさんが、花が咲いたように柔らかく微笑む。
「ヤトさん、おめでとうございます。これで青銅級ですね。一人前の冒険者として認められました」
「一人前だなんて、まだ全然ですよ」
照れ臭くなり、頭を掻く。
「でも……ありがとうございます」
「ふふっ。そういう謙虚なところはヤトさんらしいですね」
レイナさんは微笑みながら一冊の書類を取り出した。
「それでは、昇級に伴う資格更新手続きと、青銅級冒険者の権利および義務についてご説明いたします」
資格更新。
その言葉を聞いた瞬間、日本で受けた運転免許の更新講習が頭をよぎる。
異世界へ来ても、手続きというものはどこへ行っても変わらないらしい。
そわそわしながらも、俺は勧められた椅子へ腰を下ろした。




