第7話:最強の敵(ゴブリン)
ゴブリンの生態を調べ始めて二日が経った。
ギルドで資料を読み漁り、森では足跡や食痕、ねぐらを観察する。野生動物が相手なら、まず生態を把握する。行動範囲や食性、警戒心の強さを知らずに対策を立てても上手くいかない。
それは日本でも、この世界でも変わらない。だから俺としては、この程度の下調べは慎重でも何でもなかった。
とはいえ、さすがに自分でも少し笑ってしまった。ジロウが生け捕りにしてきた成体のゴブリンを縛り上げ、観察記録を書き込みながら解剖していた時、ふと頭に浮かんだのだ。
……これ、このままギルドへ提出すればいいんじゃないか?
生きた個体の行動観察に加え、内臓の配置や骨格まで調べた資料付きだ。討伐証明として耳だけを持ち帰るより、よほど価値がある気がする。そんなことを考えながら調べ続けてみると、ゴブリンは俺が想像していたより遥かに獣寄りの生き物だと分かってきた。
直立歩行こそするものの、肩甲帯は前方へ張り出し、上腕に対して前腕が長い。股関節の可動域も広く、歩行時には足裏全体を地面につける蹠行性。
樹上と地上の双方を生活圏とするためなのか、その骨格には日本で見たオランウータンと驚くほど似た特徴があった。手指は五本あり、親指は他の指と向かい合わせるように動かせるため、物を掴む能力にも優れている。握力もかなり強く、石を投げたり棍棒を振り回したりする程度なら何の問題もないだろう。
脳そのものは人間と比べれば遥かに小さいが、簡単な道具を扱い、群れで連携して獲物を追い込む程度の知能は備えているらしい。
個体によって体格や腕力にはかなりの差があるものの、少なくとも観察した範囲では、知能水準だけならオランウータンと大きく変わらないように思えた。
一方で食性は雑食性ながら肉食への偏りが強く、小動物はもちろん、家畜や人間まで獲物として認識する。ギルドの資料には一貫して“凶暴”と記されていたが、実際に森で観察してみれば警戒心もかなり強い。物音や見慣れない匂いには敏感に反応し、危険を察知すれば無闇に向かってくるのではなく、まず物陰や茂みへ逃げ込もうとする。
ただ、その警戒心に対して判断能力は決して高くない。
目先の餌には簡単に釣られ、仲間が罠に掛かった直後でさえ、餌が残っていれば平然と近付いてくる。その習性を利用して、この世界では餌による誘導をはじめ、落とし穴や跳ね木罠、鉄製の捕獣罠などを使った駆除が一般的らしい。
複雑な仕掛けを用意するより、単純に食欲を刺激して罠へ誘い込む方が成功率も高いというのだから、警戒心の強さと目先の誘惑への弱さが同居した、なんとも妙な生き物だった。
「あ、が……ぁ……」
痺れ薬で自由を奪われたゴブリンが、喉の奥からくぐもった声を漏らす。
資料では「凶悪な魔物」と一括りにされていたが、実際に観察すると、生物としての特徴が次々と見えてくる。俺にとっては討伐対象というより、危険な野生動物を調査している感覚の方が近かった。
もっとも、今回の収穫はゴブリンだけではない。
むしろ、それ以上に価値があったのは、禁忌とされている毒草や毒茸の効能を実際に検証できたことだ。
この世界では毒は呪いに近い存在として恐れられており、研究そのものを忌避する風潮があるらしい。毒草を栽培するだけで異端視され、毒を調べる者は狂人扱いされる。それでも、俺にとって毒は危険だからこそ知るべきものだった。
日本にも有名な毒植物は数多い。スイセンに含まれるリコリン、トリカブトのアコニチン、鮮やかな赤い実を付けるドクウツギのコリアミルチン。どれも少量で人体へ深刻な障害を与える猛毒として知られている。
だが、この世界はその比ではなかった。
葉脈を流れる樹液が金属を腐食させる蔓植物。胞子を吸い込むだけで幻覚を見せる茸。夜になると甘い香りを放ち、匂いを嗅いだ獣だけが眠ることなく衰弱死する花。そして皮膚へ触れただけで神経を焼く乳白色の樹液。
森は魔物だけが脅威ではない。
何気なく踏み締めた草や、木陰に咲く一輪の花でさえ、人を殺せる世界だった。
中でも特に興味深かったのは、『パレスティア蔦』と呼ばれる毒草だった。
その樹液には神経伝達を阻害し、筋肉の収縮を鈍らせる成分が含まれている。
全身を即座に動けなくするほどの猛毒ではないが、四肢から徐々に力を奪い、獲物を衰弱させる性質を持つらしい。単独では致命傷になりにくい反面、狩りに利用するにはこれ以上ない毒だった。
俺は樹液をそのまま使わず、不純物を沈殿させて上澄みだけを取り分ける。さらに弱火で水分を飛ばし、粘性が出るまで濃縮すると、淡い琥珀色をた半液状の薬剤が完成した。
「あ、が……」
四肢を痺れさせられたゴブリンが、喉の奥で掠れた声を漏らす。意識はある。呼吸も安定している。ただ、腕も脚も思うように動かせない。
十分だ。
俺が欲しかったのは毒ではない。安全に無力化し、観察や解剖へ移れるだけの効果だ。
この薬を餌へ染み込ませてもいいし、罠の金具へ薄く塗り広げてもいい。傷口から体内へ入れば、あとは作業台の上で解剖しているのと何も変わらない。
「ゴブリンのことは誰よりも理解した。後は……道具を揃えるだけか」
血に濡れた褻衣を脱ぎ捨て、新しい服へ着替えると、机の上へ銀貨を並べた。
配送依頼をこなして稼いだ銀貨は二十数枚。罠は庶民でも手が届く値段だと聞いていたから足りると思っていたが、実際に見てみなければ分からない。
翌日、俺は狩猟道具を扱う店へ足を運んだ。店内には革紐や縄、金属製の罠が所狭しと並び、壁には用途や対象となる獲物まで簡単に書き添えられている。
「いらっしゃい。何を探してるんだ?」
「ゴブリンの討伐に使える罠を探しているんですが、扱いやすい物はありますか?」
「ゴブリンか。それなら難しい仕掛けはいらねぇな」
店主は慣れた手つきで棚からいくつかの罠を取り出し、作業台へ並べていく。
「まずは噛み罠。踏めば鋼鉄の顎が閉じて足を挟む。こっちは絞め罠で、足を通せば輪が締まって動きを封じる。木が使える場所なら跳ね縄も悪くない。掛かった瞬間に吊り上げるから、そのまま放っておいても逃げられにくい」
「なるほど……どれも殺すためというより、動けなくするための罠なんですね」
「罠ってのは本来そういうもんだ。仕留めるのは掛けた後でいい。特にゴブリンは身体が軽いから、無駄にでかい罠を持ち歩く必要もねぇよ」
その説明は、俺が考えていた方法とも一致していた。
店主に許可をもらって一つずつ手に取り、ばねの強さや重量、仕掛けやすさを確かめていく。力任せに倒すのではなく、相手の行動を制限して確実に処理する。その目的で選ぶなら、大掛かりな物より持ち運べる罠を複数用意した方が都合がいい。
「じゃあ、この噛み罠を二つ。絞め罠を四つと、跳ね縄を六本お願いします。それから交換用のワイヤーと……簡単な修理に使える工具もありますか?」
「ああ。一式まとめて用意してやるよ」
こうして必要な罠と消耗品を一通り揃え、ゴブリン討伐の準備はひとまず形になった。あとは実際に森へ持ち込み、調べてきた生態と照らし合わせながら仕掛ける場所を決めればいい。
銀貨は思った以上に減ったが、これは必要経費だ。
むしろこれでゴブリンを相手にする準備はかなり整っただろう。罠で足を奪い、身動きを封じてから安全に処理する。正面から戦う力のない俺にとっては、それが最も現実的な方法だった。
ただ、店を出ようとしたところで一つだけ問題に気付いた。
……最後、どうするんだ?
罠はあくまで捕らえるための道具であって、掛かっただけで確実に死ぬわけではない。今回受けたのは捕獲依頼ではなく討伐依頼なのだから、最終的には俺自身で止めを刺す必要がある。
ジロウに任せれば一瞬だろうが、それでは俺が依頼を受けた意味がないし、何より今後も毎回頼り切るわけにはいかない。
手持ちにある刃物といえば、野営や解体に使う小さなナイフくらいだ。
拘束されたゴブリンを相手にするだけならそれでも不可能ではないが、わざわざ危険なほど接近する必要もない。できるだけ距離を保ったまま、少ない力で確実に急所へ届く武器が欲しいところだった。
そう考えると、次に向かう場所は自然と決まった。
店を出て通りを見渡せば、少し先に剣と槍を交差させた看板が見える。いかにも冒険者向けといった店構えに少しだけ場違いな気分を覚えながら、俺はその武器屋の暖簾をくぐった。
◇
「おう、この前の兄ちゃんじゃねぇか!」
坊主頭の店主が豪快に笑う。武器を買いに来たのは事実だが、剣士や冒険者のように戦うためじゃない。俺が欲しいのは、罠で動きを封じた獲物へ安全に止めを刺せる道具だ。
「その後どうだい? 革鎧は馴染んだか?」
「おかげさまで、順調です。ただ、やっぱり武器くらいは持っておこうかと思いまして」
「はっはっは! そうこなくっちゃな!」
軽く頭を下げると、店主は満足そうに頷きながら品棚へ目を向けた。
「で、どんなのがいい?」
「うーん……素人でも扱いやすい物があれば」
「だったら長剣はやめとけ。振り回すだけでも体力を食うし、間合いの取り方を知らねぇ奴が持ったところで危ねぇだけだ。兄ちゃんみたいに戦い慣れてねぇなら、ナイフ、短刀、それかボウガンあたりだな」
そう言って一本のナイフを差し出してくる。恐る恐る握ってみると、掌へ程よい重みと金属特有の冷たさが伝わった。実用品だと分かっていても、男なら一度くらいは憧れる代物だ。悪くないかもしれない――そう思った次の瞬間だった。
バシッ。
「いてっ!」
ジロウの尻尾が俺の手首を弾き、ナイフが宙を舞う。
「な、何するんだよ」
睨み付けると、ジロウは「そんな物はいらない」と言わんばかりのジト目を返してきた。そして小さく口を開くと、ペッ、と白い何かを床へ吐き出す。転がったそれは、狼でいうところの犬歯――いや、牙だった。
「……え?」
見守る俺たちの前で牙が淡く輝き始める。乳白色だった表面はゆっくりと漆黒へ染まり、黒曜石のような艶を帯びていく。そのまま床へ落ちると、金属音ひとつ立てることなく石畳へ深々と突き刺さった。
「お、おい兄ちゃん……それ、ちょっと見せてもらっていいか」
「どうぞ」
店主は厚手の革手袋を嵌めると、慎重に牙を引き抜いた。先ほどまでの豪快な態度は鳴りを潜め、光へかざして表面を確かめ、根元から先端まで何度も角度を変えながら観察していく。
さらに作業台から小さな工具を持ち出し、傷を付けない程度に表面へ当てたところで、その眉間に深い皺が寄った。
「……硬ぇ。いや、硬いなんてもんじゃねぇな。それでいて妙な粘りもありやがる。それに、この魔力……こんな素材、俺も見たことがねぇ」
驚いているというより、職人として冷静に素材を分析しているようだった。しばらく無言で牙を調べていた店主は、やがて俺が握っていたナイフへ視線を移し、首を横に振る。
「兄ちゃん。これが武器に加工できるなら、下手に他の武器を使わねぇ方がいい」
「そんなにですか?」
「ああ。これだけの素材を持ってるのに、わざわざ市販の鉄を使う理由がねぇ。それに中途半端に別の武器へ慣れてから持ち替えるより、最初からこいつに合わせて扱い方を覚えた方がいい。加工できる保証はねぇが……試す価値は十分ある」
店主はそう言うと、今度は牙の長さを測りながら俺の手や腕へ視線を向ける。握りの太さや重心まで考えているのか、先ほどまでとは完全に職人の顔になっていた。
「短刀にするのが無難だな。牙そのものを刃として使って、柄と鍔だけこっちで作る。ただし、この素材じゃ普通の加工法が通用するか分からん。何日か預からせてくれ」
「構いません。ただ……先ほど罠も買ったので、手持ちがあまりなくて」
「ああ、駆け出しならそんなもんだ。ギルドに登録してるんだろ?」
「はい」
「だったら俺の方からギルドへ請求を回しといてやる。冒険者向けの装備なら、店とギルドで手続きできるからな。代金は今後の依頼報酬から少しずつ差し引かれる形になる。加工費がどこまで膨らむか分からねぇ以上、その方が兄ちゃんも楽だろ」
「そんな仕組みがあるんですか?」
「装備も買えねぇ新人に裸で魔物と戦わせたって、ギルドに得はねぇからな。まあ、踏み倒して逃げたら面倒なことになるが」
「逃げませんよ」
「なら決まりだ」
店主はニヤリと笑うと、ジロウの牙を布で丁寧に包み、大事そうに抱えて工房の奥へ向かっていった。
「こんな素材、一生に一度触れるかどうかだ。加工できるか分からねぇが、やれるだけやってみる。仕上がったらギルドに知らせといてやるよ」
「よろしくお願いします」
その背中を見送ってから、俺は隣へ視線を落とした。原因を作った張本人は何事もなかったように尻尾をゆっくり振り、胸を張ってこちらを見上げている。
「……お前なぁ」
褒めてほしいのか、得意げな顔で尻尾を振る速度が少しだけ上がった。
いや、そういう問題じゃないから。




