第6話:噂の新人
「どうやら新人の中に、配送依頼ばかり受けてる奴がいるらしいぞ」
昼下がりのギルドは依頼を終えた冒険者たちでごった返していた。
酒瓶が打ち鳴らされ、木椀がぶつかり合い、受付では新たな依頼を求める列が途切れない。誰かが大声を出せば、それに別の誰かが笑い返す。そんな喧騒の中でも、人の噂だけは不思議とよく耳に入る。
「あぁ。普通なら一日掛かる依頼を、一日に何件も終わらせてるって話だ」
「魔獣使らしいが、連れてる魔獣が見たこともねぇ種類なんだよな」
ここ数日で、エストラ中に広まった噂だった。
配送依頼は不人気だ。拘束時間は長く、荷物を預かる責任まで付いてくる。
そのため依頼板の隅へ追いやられ、期限ぎりぎりまで残ることも珍しくない。最終的にはギルドが特定の冒険者を指名し、半ば押し付ける形で消化される。それが、この街では長年当たり前だった。
そんな配送依頼を、一人の新人が片っ端から受注し、一件の遅延も事故もなく終わらせている。
それだけでも十分に目立つというのに、黒髪黒目という珍しい容姿、大柄な白い魔獣を連れ、誰とも徒党を組もうとせず、依頼を終えれば黙って帰る。
その掴みどころのない振る舞いも相まって、いつしかギルドでは「配送ばかり受ける黒髪の新人」として知られるようになっていた。
羨望する者もいれば、面白く思わない者もいる。冒険者が集まる場所で群れようとしない人間は、それだけで悪目立ちする。まして短期間で着実に実績を積み上げているとなれば、嫉妬や反感を買うのは時間の問題だった。
「気に食わねぇよな、あの新人」
「分かる。こっちは毎日、魔物相手に命張ってんのにな」
「配送なんて荷物届けるだけだろ。それで俺たちと同じ冒険者扱いかよ」
「しかも最近、あいつばっか稼いでるって話じゃねぇか」
「丸腰で配送だけ受けてりゃいいんだから、そりゃ楽だろうよ」
「俺らが傷だらけで帰ってくる横で、涼しい顔して報酬受け取ってんの見ると腹立つんだよな」
「だったら冒険者じゃなくて、最初から荷運びでもやってろって話だ」
「……まあ、あのでかい白いの連れてりゃ、荷物運ぶくらい簡単なんだろうけどな」
……。
…………。
すいません。それ、多分俺です。
まさかここまで噂が広がっているとは思わず、焼き立てのパンを持つ手が僅かに震える。別に楽して稼いでるつもりはない。依頼板を見ても残っているのは配送ばかりで、誰も受ける様子がないから遠慮なく受注しているだけだ。
むしろ俺としては適材適所だと思っている。
戦闘が得意な冒険者が討伐や護衛を選ぶように、俺は自分に向いている配送を選んでいる。それだけの話なのに、ここまで目の敵にされると少し複雑な気持ちになる。
それに、彼等が残した配送依頼だって勝手に消えているわけじゃない。
誰かが荷物を待っていて、その裏では俺のように依頼を受理して実際に届けている冒険者がいる。俺が討伐依頼に手を出さないのと同じで、誰かがやりたがらない仕事を別の誰かが引き受けているだけなのだから、もう少し寛容に見てもらいたいところだ。
……なんてことを、面と向かって言えるはずもない。
俺は誰とも視線を交わさないようフードを深く被り直し、気配を消すことだけに全力を注ぎながら黙々とパンを齧ると、最後にお代を机に置いて逃げるように席を離れる。こういう時は目立たないように立ち回るのが正解だろう。
……頼むから、今日は誰にも話しかけられませんように。
◇
食事を終えると、できるだけ他の冒険者を避けながら受付へ向かった。
依頼書を眺める者や酒を飲んで談笑している者の間を抜け、カウンターの前へ立って軽く頭を下げる。
「お忙しいところすみません。配送の依頼はありますか?」
声を掛けると、書類へ目を落としていた片眼鏡の受付嬢が顔を上げる。その表情は一瞬でぱっと明るくなり、ふわりと笑みを浮かべた。
「あっ、ヤトさん。今日も来てくださったんですね!」
その嬉しそうな声に、周囲の冒険者たちが一斉にこちらを振り向く。どうやら彼女目当てで受付へ通う者も少なくないらしい。透き通るような声と人当たりの良い笑顔は、確かに人気が出るのも納得だった。
いやいや、ただの営業スマイルにそこまで過敏にならなくても……と思ったが、周囲から向けられる視線を見る限り、彼女の笑顔にはそれなりの価値があるらしい。
言っておくが、ここにいる冒険者の大半は受付での態度が横柄で、依頼を終えた後の報告や手続きもかなり雑だ。
だからこそ、笑顔で、丁寧に、敬語で接する。それだけでも相手から受ける印象は大きく変わるのだから、俺を睨んでいる彼らには日本のことわざを一つ教えてやりたい。
――人の振り見て我が振り直せ、と。
「はい。昨日の分も全て終わりましたので、今日受けられるものがあればと思いまして」
「それでしたら、ちょうど良かったです。実は今日もお願いしたい配送依頼がかなり溜まっていまして」
受付嬢の女性は、いたずらが成功した子供のように口元を綻ばせると、手を口元へ添え、内緒話でもするように声を潜めた。
「正直なところ、どれだけ忙しくてもヤトさんに来ていただけると助かるんです」
そう言って受付の下から分厚い書類の束を取り出し、カウンターへドサリと積み上げた。十枚や二十枚どころではない。思わずその厚みに目を見張り、俺は一番上の依頼書へ視線を落とした。
「えっ……もしかして、この束が全部配送依頼なんですか?」
「はい。実は今、エストラ支部の配送部門は大陸でも注目されているんです。これまで配送依頼は期限ぎりぎりまで残るのが当たり前でしたが、最近は受理から完了までの時間が大幅に短縮され、未処理依頼も激減しています」
片眼鏡の位置を整えながら、受付嬢はどこか誇らしげに続ける。
「本部からも『エストラ支部の配送処理能力は大陸随一』と評価をいただきました。これもヤトさんとジロウちゃんのおかげです。その評判を聞き付けた商人や住民の皆様から『配送ならエストラ支部へ』という依頼が急増していまして……」
そう言って受付嬢は書類の束を軽く叩いた。
なるほど……以前なら依頼板に貼り出されたまま何日も残っていた配送依頼が、今では俺が来るまで受付でまとめて管理されるようになったらしい。
依頼そのものが増えている以上、毎朝これだけの量を貼って剥がしてと繰り返すより、その方が受付側としても都合がいいのだろう。
依頼先は街道沿いの集落だけではなく、森や丘陵地、湿地帯に近い村まで広範囲に散らばっている。
舗装された道もあれば、荷馬車では迂回を余儀なくされる沼地や起伏の激しい土地もあり、普通なら目的地ごとに地形や街道を考慮して順路を決める必要があるのだろう。
俺は無言で一枚ずつ依頼書へ目を通し、目的地、荷物の種類、期限を確認していく。同時に頭へ叩き込んだ街道や集落の位置を思い浮かべ、最短で回れる順路を組み立てる。ジロウなら街道の有無や地形などほとんど関係ないため、直線距離に近い順路で繋いでしまえばいい。
多少遠回りになる荷物はあるものの、この量なら日没までに十分配り切れる。あとは実際の荷物の大きさを確認すれば問題ない。
「それと実はですね」
受付嬢は少しだけ申し訳なさそうに声の調子を落とした。
「最近は『ヤトさんへお願いしたい』という指名依頼も増えているんです」
「え、私をですか?」
「はい。ただ、ギルドの規則で鉄級の冒険者へ指名依頼を出すことはできません。正式な指名依頼を受理できるのは青銅級以上と決まっているんです」
やはり、そういう決まりがあるらしい。
「もちろん、私どもはヤトさんが青銅級……いえ、それ以上の実力をお持ちだと認識しております」
それは間違いなく買い被りだ。
荷物を運んでいるのもジロウなら、道中で襲ってくる魔物を片っ端から返り討ちにしているのもジロウだ。最近では倒した魔物をそのまま餌にしているせいで、気付いた時には臓器や肉片しか残っていないことすら珍しくない。
俺はその背中に乗って目的地を伝え、荷物を受取人へ渡しているだけなのだから、それを俺自身の実力として評価されるのはどうにも居心地が悪かった。
「ですが、昇級には必ず一度、討伐依頼を達成していただく必要があります。これはどなたにも例外なく適用される規則でして……」
討伐。
その言葉を聞いて、真っ先に思い浮かんだのは、これまで道中で何度となく見てきた惨状だった。
「……ちなみに、魔獣が食べ残した魔物の臓器とか肉片を持ってきて、討伐したことにするのは駄目ですか?」
「駄目です」
「ですよね」
食い気味に返され、俺は大人しく諦めた。
◇
しかし、討伐かぁ。
正直、気は進まない。
この世界には人を襲う魔物がいる。それを討伐する必要があるのも理解しているし、「命は大切だ」なんて綺麗事を言うつもりもない。
それでも、これまで獣医として命を救う側に立ち続けてきた俺には、生き物を殺すことへの抵抗があった。
もちろん、ジロウは別だ。
日本にいた頃から肉食だったし、この世界へ来てからは俺が餌を与えたことは一度もない。その辺で魔物を狩って腹を満たしている。
あれは生きるための捕食だ。
俺が止める理由はない。
……その延長線上に討伐依頼があると考えれば、割り切れなくもないのか。
そこまでして昇級したいわけじゃない。
だが、昇級による恩恵は大きい。
何より魅力なのは、『社会的信用』だ。
ギルドタグは身分証として機能するが、その価値はランクによって大きく変わる。
鉄級は、あくまで駆け出しの冒険者という扱いだ。
宿泊や買い物程度なら問題ないが、家を借りたり購入したり、商会との継続契約を結んだりする際は信用不足として断られることも少なくないらしい。
一方、青銅級以上になると、ギルドから一定の実力と人格を保証された証として扱われる。
住居の賃貸契約はもちろん、商会からの指名依頼や長期契約も受けやすくなるという。
帰れる保証のない俺にとって、その信用は何よりも価値があった。宿暮らしは気楽な反面、一泊ごとに金が消えていく。食事付きとはいえ、長く住めば住むほど賃貸を借りるより割高になるのは目に見えていた。
生活の基盤を作るには、まず安定した住まいが必要だ。そのためにも信用を積み重ね、少しでも早く宿を出る。それが今の俺にとって、一番現実的な目標だった。
……そのためなら、一度くらいは討伐依頼を受ける覚悟も必要なのかもしれない。
「初めて討伐依頼を受けるなら、どの魔物が一番適していますか?」
レイナさんは少し考えるように顎へ指を添え、小さく頷いた。
「そうですね……初めてでしたら、やはり子鬼がお勧めです」
そう言うと、受付奥の本棚から分厚い書物を取り出し、俺の前へ広げた。
「こちらはギルドで使用している魔物図鑑です。特徴や生態、危険度などがまとめられています」
ページに描かれていたのは、以前遭遇したオークをそのまま小型にしたような、醜悪な魔物だった。
「ゴブリンは繁殖力が非常に高く、雑食性です。畑を荒らし、家畜を襲い、人里近くに巣を作ることも珍しくありません」
ページをめくる。
「一体一体の戦闘能力は高くありませんが、群れを作る習性があります。放置すると瞬く間に数を増やし、村一つ壊滅させることもあります」
さらに別のページには、大規模な討伐戦の挿絵が載っていた。
「過去には、ゴブリンの大群によって街一つが滅ぼされたという記録も残っています。だからこそ、見つけ次第討伐することが推奨されている魔物なんです」
俺は図鑑へ目を落とした。
最近ようやく、この世界の文字が少しずつ読めるようになってきた。
まだ辞書代わりに教えてもらわなければ理解できない単語も多いが、毎日こうしてレイナさんに付き合ってもらっているおかげで、以前よりは随分読めるようになった。
「ゴブリンは単独で行動しているように見えても、近くへ仲間が潜んでいることが少なくありません。討伐する際は、必ず周囲を確認してください」
「ありがとうございます。本当に助かります」
心からそう思った。
「冒険者を続けていられるのも、レイナさんのおかげです」
「えっ……」
彼女は目を丸くすると、慌てて片眼鏡を押し上げた。
「そ、そんな……私は受付として当然のことをしているだけですから」
ほんのり赤くなった頬を見て、少し照れくさくなる。
右も左も分からない異世界で、ここまでやってこられたのは間違いなく彼女のおかげだった。
「それでも感謝しています。本当にありがとうございます」
俺は深く頭を下げると、受け取った依頼書と図鑑で覚えた魔物の特徴を頭の中で照らし合わせながら、ギルドの出口へ向かった。




