第12話:価値観
A級パーティー『金獅子の盾』。
ギルド最高戦力の一角と称される五人組だ。
リーダーはギルドで見掛けた長身痩躯の青年、レオンハルト。腰に佩いた細身の長剣と、無駄のない立ち振る舞いから騎士を思わせる男。
その隣には長い銀髪を風になびかせたエルフの魔法使い、フィリア。さらに双子の妹で神官服に身を包んだ僧侶のリリア。
最後に全身を重厚な鎧で覆った二メートル近い巨漢、ガルド。そして、このパーティーへ所属するセリナさんを加えた五人が、『金獅子の盾』の面々だった。
「噂はかねがね聞いているよ、ヤトさん」
穏やかな笑みを浮かべるレオンハルトさんに、思わず警戒しながら愛想笑いを浮かべる。
「碌でもない噂ばかりでしょう。恥ずかしい限りです」
「何も恥じることはない、若者よ。誰も受けたがらない配送依頼を率先して引き受ける。街にとって、それほど有り難い仕事はない」
低く響く声でそう言ったのはガルドさんだった。
「私も同感です」
セリナさんも静かに頷く。
アルム村へ向かう街道を歩きながら、お互い簡単な自己紹介を済ませていく。
俺とジロウだけなら、とっくに半分以上は進んでいる距離だが、これがパーティーとして行動するということなのだろう。周囲を警戒しながら一定の速度を保ち、隊列を崩さず進む姿は、まるで一つの生き物のようだった。
「それにしても、不思議な魔獣だ」
レオンハルトさんの視線が、俺のすぐ隣を歩くジロウへ向けられる。
「これほどの魔力を宿した個体は、私も見たことがない。それ以上に気になるのは……この子が、自分の力を意図的に抑えているように見えることだ。これほどの力を持ちながら、それを制御できるだけの理性がある。正直、そこが一番恐ろしい」
言われてジロウを見る。
当の本人は欠伸を一つすると、何事もなかったように俺の手へ鼻先を擦り寄せてきた。
「そうですか? 幼い頃からずっと一緒なので、あまり分かりませんね」
そう答えると、レオンハルトさんは苦笑しながら肩をすくめた。
「君が特別なんだろう。普通なら、あれほどの存在を隣へ置かれただけで足が竦む」
「……ええ。その点については、私も同感です」
それまで黙って歩いていたフィリアさんが静かに口を開く。
「これほどの魔獣と信頼関係を築いていることは、素直に驚きました。それは間違いなく、あなたにしかできないことでしょう」
一拍置き、フィリアさんの切れ長の瞳が真っ直ぐ俺へ向けられる。しかし、そこに先ほどまでの感心は残っていなかった。
「だからこそ、余計に理解できないのです。これほどの力を持つ魔獣と共にいながら、なぜあなたは救助へ向かわず、ギルドへ戻ったのですか?」
「ちょ、ちょっと姉様っ!」
慌ててリリアさんが制止に入るが、フィリアさんは構わず言葉を続けた。
「セリナ様がお止めにならなければ、あなたは同行すらしなかったのでしょう?」
「……ええ」
素直に頷くと、その瞳が僅かに細められた。
「私なら迷わず助けに向かいます。この瞬間にも、罪のない方々が傷付き、命を落としているかもしれない。それを承知したうえで規則を優先し、背を向けられるあなたの考え方を……私はどうしても受け入れられません」
少しの沈黙を挟み、フィリアさんははっきりと言い切った。
「率直に申し上げます。私は、あなたを軽蔑します」
厳しい言葉だった。
だが、感情だけで責め立てているわけではない。
彼女は本気でそう信じ、その信念に従って行動しているのだろう。
「フィリア、その辺にしておこう」
レオンハルトさんが穏やかな口調で割って入る。
「それは君のような“持つ者”だから言えることだ。圧倒的な力がある者ほど、目の前の命を救うことを選べる。だが、誰もが同じ選択をできるわけじゃない」
フィリアさんは何も答えなかった。
レオンハルトさんはそのまま俺へ視線を向ける。
「ヤトさんは配送依頼の受注者として現場を確認し、状況をギルドへ報告した。規則にも従い、自分に課された役割を果たしている。僕は、それだけでも十分立派だったと思っているよ」
俺を挟んだまま議論は続いていく。
ただ、不思議と居心地の悪さはなかった。
どちらも自分なりの正義を口にしているだけで、相手を言い負かそうとしているわけではないと分かったからだ。
だからこそ、俺にも二人の言い分は理解できた。
フィリアさんの言う「目の前の命を救うべきだ」という考えも、レオンハルトさんの「自分にできることを見極めるべきだ」という考えも、どちらも間違いではない。
ただ一つ違うとすれば、俺は自分の命を懸けてまで他人を救えるほど立派な人間ではない、ということだけだった。
日本で暮らしてきた俺にとって、事件へ遭遇すれば警察へ通報する。怪我人がいれば救急へ連絡し、犯人が刃物を持っていれば、まず自分の安全を確保する。それが幼い頃から教えられ、社会全体へ根付いている「正しい行動」だった。
だから、あの時も迷わなかった。
救助へ向かうより先に、ギルドへ報告する。
戦える者を集め、助けられる可能性を少しでも高くする。
俺にとっては、それが最も多くの命を救える選択だと思ったからだ。
もちろん、フィリアさんの考えも理解できる。目の前で苦しんでいる人を見捨てられない。その真っ直ぐさは、きっと誰よりも多くの命を救ってきたのだろう。
だけど俺には、勝ち目のない相手へ一人で飛び込むという発想そのものがない。
それを臆病と呼ぶなら、否定はしない。
言い訳に聞こえるかもしれないが、もし同じ場面へ戻ったとしても、俺はきっと同じ選択をする。まず状況を伝え、救助できる人間を集め、より生存率の高い方法を選ぶ。
それが、俺にできる最善だと今でも思っている。
◇
「……あそこですか」
ジロウの嗅覚を頼りに辿り着いたのは、アルム村の裏手から続くステュール山道、その中腹にぽっかりと口を開けた巨大な洞窟だった。一度俺とジロウだけで周囲を確認し、安全な距離まで戻ってから『金獅子の盾』を先導する。
「えぇ。中に生存者の匂いがあります。それと複数の武装した人間の気配も」
ジロウは短く鼻を鳴らすと、前足で地面を軽く叩き、続けて爪を立てる。それを見た俺は頷いた。
「武装している者が十八人。拘束されている村人と思われる方が三十五人です」
レオンハルトさんが驚いたように目を見開いた。
「……そこまで分かるのか」
「鳴き方や仕草で伝えてくれるんです。私が分かる範囲で解釈しているだけですよ」
レオンハルトさんは洞窟を一瞥すると、迷いなく指示を飛ばした。
「作戦を変更する。俺とガルド、セリナ様で洞窟内を制圧する。フィリアとリリアは後方待機、生存者の保護と治療を最優先。ヤトさんは最寄りの街へ向かい、騎士団へ状況を報告してください。生存者三十五名を搬送できるだけの人員を要請します」
誰一人として異論はない。
全員が短く頷き、それぞれの役目へ移る。
俺はジロウの背へ跨ると、レオンハルトさんへ一礼した。
「よろしくお願いします」
「あぁ。こちらは任せてくれ」
次の瞬間にはジロウが地面を蹴り、森の景色が一気に後方へ流れていく。
目指すのは、ステュール山道の西側に位置する港町『ベルゼリア』。交易都市であると同時に、この一帯を治める領主直属の騎士団が駐屯する騎士詰所が置かれている街でもある。
街へ到着すると、そのまま石造りの騎士詰所へ駆け込んだ。
「止まれ。何用だ」
入口を守る騎士へギルドタグを差し出し、息を整えながら事情を説明する。
「ギルド所属、青銅級冒険者のヤトです。アルム村の襲撃現場を発見しました。現在、A級パーティー『金獅子の盾』が山賊の制圧と生存者の救出にあたっています。救助対象は三十五名。搬送と保護のため、人員の派遣をお願いします」
騎士は俺のギルドタグを確認すると、驚くほど落ち着いた様子で頷いた。
「話はギルドから早馬で届いている。詳細な位置を教えてくれ」
俺は地図を借り、洞窟の位置と進入路、周辺の地形をできる限り正確に書き込む。
「よし、十分だ」
騎士はすぐさま奥へ振り返った。
「救護班を編成! 馬車を四台、人員三十名! 医官も同行させろ!」
詰所の空気が一変し、鎧のぶつかる音と慌ただしい足音が建物中へ響き渡った。ギルドと騎士団の連携は思っていた以上に迅速で、この世界なりの危機管理体制がしっかり機能していることを、俺は少しだけ意外に感じていた。
◇
洞窟へ戻ると、戦いは既に終わっていた。
山賊たちは全員制圧され、武器を取り上げられたまま縄で拘束されている。数人は抵抗したのだろう。血溜まりの中で動かなくなっていたが、大半は肩を落として地面へ座り込み、項垂れていた。
一方で、洞窟の奥には救出された村人たちが集められていた。
幸いにも奴隷商へ引き渡される前だったらしく、残念ながら数名の犠牲者は出たものの、多くは命を繋いでいる。ただ、衰弱や暴行の痕跡は著しく、今すぐ治療を必要とする者も少なくなかった。
フィリアさんとリリアさんは手分けして治癒魔法を施している。
その様子を見ていた俺は、思わず足を止めた。
「あの……フィリアさん」
「何でしょう」
「その方より、あちらの方を先に診た方がいいのではありませんか」
俺が指差した先には、一人の若い獣人女性が横たわっていた。
猫耳と全身を覆う灰色の獣毛。
呼吸は浅く速い。
脇腹には深い裂創があり、傷口は黄白色の膿と壊死組織で覆われ、周囲は暗赤色に腫れ上がっている。
感染は皮下組織を越えて筋層まで及んでいる可能性が高く、発汗と頻脈、虚ろな眼球、乾いた口腔粘膜から見ても全身性の感染症――敗血症へ移行しかけているように見えた。
このまま放置すれば、数時間どころか一日も保たないかもしれない。フィリアさんは俺の視線を追い、地面へ横たわる獣人の女性を一瞥した。
「……はい?」
あまりにも素っ気ない反応に、今度は俺が戸惑う。
「あの方は獣人ではありませんか」
「え? いや、そうですけど……脇腹の傷が化膿しています。早く処置しないと危険です」
フィリアさんは眉一つ動かさず、俺の言葉の意味が分からないとでも言うように首を僅かに傾けた。
「何を仰っているんですの? 人間の負傷者を差し置いて、獣人を優先しろと? 本気で仰っているのですか」
冷え切った声だった。言葉の意味を理解するまでに、一瞬だけ時間が掛かった。俺は人間より獣人を優先しろと言ったつもりはない。ただ、ここにいる負傷者の中で最も容体が悪く、命を落とす危険が高い者から治療すべきだと伝えただけだ。
だが、フィリアさんにとっては傷の深さや緊急性以前に、人間か獣人かが判断の基準になっているらしい。その表情には悪意も迷いもなく、自分が当然のことを口にしているという確信しかなかった。
その時、俺は初めて思い知った。この世界の常識は、俺が知る倫理観と少し違う程度ではない。命の価値を量る秤そのものが、根本から異なっていた。




