第11話:二つ名
「あ、ヤトさん! お久しぶりです」
受付へ近付くなり、レイナさんが嬉しそうに笑顔を向けてきた。
「お久しぶりです」
リバテールへ何度も足を運んだり、部屋を借りるための下見や手続きを進めたりしていたせいで、ギルドへ顔を出すのは随分久しぶりになってしまった。
「実は今、ギルドが少し騒がしいんですよ」
「何かあったんですか?」
「王都から、二つ名持ちの冒険者様がエストラへ来られているそうなんです」
「二つ名持ち……」
思わず聞き返す。
この世界へ来てまだ日が浅い俺でも、二つ名という言葉くらいは知っている。実力を認められた一握りの冒険者だけに与えられる名誉ある称号だ。
「はい。詳しい目的は公表されていませんが、ここ数日は街中でもその話題でもちきりです。遠目でも一目見ようと、冒険者の方々が落ち着かなくて」
「そんなに有名な人なんですね」
「ええ。王都でも指折りの実力者だそうですよ。私も実際にお会いしたことはありませんが、『あの方が来るなら何か大きなことが起きるんじゃないか』って噂になっています」
「へぇ……」
俺には縁のない話だ。
例えるなら、有名なスポーツ選手が地元へ凱旋してきたようなものだろうか。
……いや、少し違うか。
この世界の冒険者は、憧れの対象であると同時に、街や人々を守る存在でもある。そんな実力者が王都から訪れたとなれば、街中が騒ぎになるのも無理はない。
そんなことを考えていると、レイナさんは「あっ」と思い出したように書類へ目を落とした。
「それはそうと、配送依頼が大変なことになっていまして」
「何かありましたか?」
「ヤトさんが青銅級へ昇級されてから、指名依頼のお問い合わせが急増しているんです」
「指名、ですか……」
ありがたい。
ありがたいのだが、自分を名指しされるというのは、それだけ期待を背負うということでもある。
正直、少しだけ胃が痛くなった。
俺は並べられた依頼書を一枚ずつ手に取り、配送先を地図と照らし合わせながら順番を組み立てていく。
「……このルートなら、指名依頼を優先しても問題ありません。その後は期日が迫っている配送依頼から順番に回っていきます」
レイナさんは胸を撫で下ろしたように微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、ご負担をお掛けして申し訳ありません。もちろん、お受けになれない依頼は断ってくださって構いません。ペナルティも一切ありませんので」
「いえ。私にできない討伐依頼を他の冒険者の方々が受けてくださっている分、私はその方達が受けない配送を引き受けるべきです。適材適所ですから」
一瞬だけ目を丸くしたレイナさんは、どこか嬉しそうに小さく笑った。
「ヤトさんらしい考え方ですね」
指名依頼は通常の報酬に加え、指名料と仲介手数料が上乗せされる。
その分だけ責任も重い。
一枚ずつ依頼書へ目を通し、地図を広げて配送先を線で結んでいく。最短距離を考えながら順番を組み替えていくと、最後の目的地へ着く頃には、それ以外の荷物は全て配り終えられそうだった。
ジロウ用の鞍袋を作ってもらったおかげで積載量は以前とは比べものにならない。もう一度街へ戻って積み直す必要もないだろう。
「ジロウ。今日はステュール山道を抜けて、最終目的地は西方の港町『ベルゼリア』だ。起伏は激しいけど、積荷優先で頼む」
ジロウは小さく鼻を鳴らし、任せろと言わんばかりに胸を張る。
俺は白銀の外套のフードを深く被り、真鍮製のゴーグルを掛けた。
首元までスカーフを整える。ジロウの毛皮から伝わる微かなぬくもりと匂いが全身を包み込み、外套に宿る魔力が内部をゆっくりと循環する。山の冷気も暑さも程よく和らぎ、常に心地よい温度へ保たれていた。
この外套の性能は、身をもって知っている。
刃も矢も通さず、並の魔法すら寄せ付けない。少なくとも、この外套を羽織っている限り、俺が傷付く光景だけは想像できなかった。
まるで愛犬そのものに守られているような、絶対的な安心感がそこにはあった。
◇
辺境の村――『アルム村』。
今回の配送依頼は、出稼ぎのためエストラへ働きに出てきた男性から、「故郷で待つ家族へ生活費と食料を届けてほしい」という、ごくありふれた内容だった。
他の荷物を全て配り終え、最後の配送先として辿り着いたその村で、俺たちは足を止める。
村の至る所から黒煙が立ち上り、焼け焦げた木材の臭いが鼻を刺した。家屋は無残に焼け落ち、通りには手足を欠損した遺体が幾つも転がっている。
俺は最も近くの遺体へ膝をついた。
成人男性。左上肢は肩関節から、右下肢は大腿部で切断されている。
切断面は鋭利な刃物ではなく、重量武器によって何度も叩き潰されたような不規則な断面だった。
眼球は乾燥によって角膜が白濁し、腹部には腐敗初期特有の緑変が現れ始めている。死後硬直はほぼ全身へ及び、この気温なら死亡から一日前後は経過しているはずだ。
周囲の遺体も確認したが、大半が似たような損傷だった。無差別に殺されたというより、抵抗した者から順番に制圧されたような印象を受ける。
「……少なすぎる」
十数軒はある村に対し、転がっている遺体は半分にも満たない。
その違和感に気付いたのは俺だけではなかった。
ジロウは村中をゆっくり歩き回り、鼻先を僅かに動かして周囲を探っている。
まるで衛星のように一度捉えた匂いをどこまでも追い続ける嗅覚と、生物の気配そのものを感じ取る鋭すぎる感覚を総動員しているのだろう。しかし、しばらくして首を横へ振った。
少なくとも、この村に生存者はいないらしい。
だが、落ちていた子供用の上着へ鼻先を近付けると、小さく鼻を鳴らし、そのまま村の外を見つめる。
「……持ち主は生きてるのか」
こくり、と頷く。
どうやら生存者は別の場所へ連れて行かれたらしい。
俺はその方向へ一度だけ視線を向けたが、すぐ踵を返した。
イレギュラー案件への独断介入は禁止されている。現場を確認した以上、まず優先すべきはギルドへの報告だ。
「戻るぞ、ジロウ」
俺は荷物を担ぎ直し、相棒と共にアルム村を後にした。
◇
エストラへ戻る頃には日が傾き始めていた。
ギルドへ入るなり受付へ向かい、依頼書と荷物の受領証を提出する。
「アルム村への配送依頼ですが、荷物は持ち帰りました。受取人を含め、村は何者かに襲撃された形跡があり、配送を継続できる状況ではありませんでした。家屋は焼失し、住民と思われる遺体を複数確認しています。ただ、村の規模に対して遺体の数が明らかに少なく、魔獣の索敵では村に生存者はいませんでしたが、村の外に生存者と思われる反応を確認しました」
俺の報告を聞いたベテランの受付嬢は表情一つ変えず、手際よく書類へ記入していく。
「アルム村に襲撃の形跡あり、ですね。ご報告ありがとうございます。至急、緊急依頼として討伐および救助依頼を発令いたします」
すぐ隣ではレイナさんが別の冒険者へ対応しており、こちらへ視線を向ける余裕はない。それでも報告内容だけは耳へ入っていたらしく、僅かに表情が引き締まるのが見えた。
「やっぱ配送ばっかやってる腰抜けは違うなぁ」
隣の受付から男の声が飛んでくる。
「村人見捨てて、自分だけ尻尾巻いて逃げてきたんだろ?」
振り向くと、二十代半ばほどの冒険者が三人の仲間と肩を揺らして笑っていた。
「今頃、生き残りは助けを待ってんだろうなぁ。助けが来ると思ってよ」
男はわざとらしく目元を擦る。
「考えただけで泣けてくるぜ」
周囲から乾いた笑い声が漏れる。
俺は小さく息を吐いた。
「それがギルドの規則ですので」
「はっ。便利な言葉だな、規則ってのは」
男が鼻で笑った、その時だった。
「では」
静かな声が割って入る。
いつの間にか応対を終えたレイナさんが、冷え切った表情で男たちを見つめていた。
「皆さんが今から緊急依頼を受注されますか?」
「……え?」
「アルム村では住民の死亡と生存者の存在が確認されています。これより緊急依頼として正式に受理しますので、もちろん受注していただけますよね?」
男たちの笑みが消える。
「い、いや……俺たちは別の依頼が」
「そうですか」
レイナさんは淡々と頷いた。
「そもそも、ヤトさんが配送依頼を受け、現地へ赴かなければ、アルム村の襲撃そのものが発覚していませんでした。配送の完了、現場確認、生存者の痕跡、そして迅速な報告。ギルドとして、これ以上を配送依頼の受注者へ求めることはありません」
その一言で受付周辺は静まり返る。
男たちは気まずそうに舌打ちすると、何も言わず受付から離れていった。
俺は依頼書へ視線を戻しながら、小さく頭を下げる。
「ご報告は以上です」
「はい。確かに受理いたしました。お疲れ様でした、ヤト様」
報酬を受け取り、荷物を背負い直してギルドを後にしようとした、その時だった。
「お待ちください」
聞き覚えのある凛とした声に足を止めて振り返る。そこに立っていたのは金髪の佳人――セリナさんだった。そして、その隣には見覚えのない青年が一人、静かに佇んでいる。
二十代後半ほどだろうか。
長身痩躯で、鍛え上げられていることは分かるのに、身体には不必要な厚みが一切ない。腰には一振りの細身の剣を佩いているだけで、目立つ装備も威圧するような仕草もなかった。それなのに、どういうわけか視線を逸らせない。
周囲の冒険者たちとは明らかに違う何かを感じていると、隣にいたジロウの耳が僅かに動いた。
唸り声も上げなければ、牙を剥くこともない。
ただ金と銀の双眸を青年へ向けたまま、重心を僅かに前へ移している。普段なら見知らぬ人間が近くにいようと気にも留めないこいつが、明確に相手の動きを警戒していた。
……珍しいな。
俺には青年の実力など分からない。だが、ジロウがここまで注意を向けている以上、少なくとも見た目通りの人物ではないのだろう。
「アルム村の緊急依頼ですが、私たち『金獅子の盾』が受注します」
セリナさんが告げた瞬間、それまで騒がしかったギルド内にざわめきが広がった。近くにいた冒険者たちが一斉に顔を見合わせ、何人かは驚いたように立ち上がっている。
「『金獅子の盾』が動くのか……?」
「アルム村の件で?」
「待てよ、それほどの依頼なのか?」
周囲の反応を見る限り、どうやら俺が思っている以上に有名な一団らしい。しかし、セリナさんはそんな視線など意に介さず、真っ直ぐこちらを見つめてきた。
「ヤトさん。あなたにも同行していただきます」
「……俺もですか?」
「正確には、あなたとジロウちゃんに、です」
セリナさんの視線が俺の隣へ移る。
「アルム村には、まだ生存者が残されている可能性があります。そして、その所在を最も早く突き止められるのは私たちではありません。ジロウちゃんです。救助は一刻を争いますから、現地へ到着してから手当たり次第に捜索するより、最初から同行していただいた方が遥かに早い。……お願いできますか?」
理由は明快だった。
俺が戦力として期待されているわけではなく、必要とされているのはジロウの嗅覚だ。とはいえ、正直なところ、あの村の惨状をこの目で見た身としては、これ以上関わりたくないというのが本音だった。
何が起きたのかも分からず、戻れば今度こそ自分まで巻き込まれる可能性だってある。
だが、そんな俺の心情など知る由もなく、子供好きのジロウは既にやる気満々だった。
村で拾った小さな上着の持ち主を探しに行けると理解しているのか、鼻息を荒くしながら今にも駆け出しそうに前脚を踏み鳴らしている。加えて、周囲から集まる視線とセリナさんの真剣な表情を見る限り、ここで「嫌です」と言える雰囲気でもない。
……仕方ない。せめて内心くらいは隠しておこう。
「……分かりました。同行します」
こちらもできる限り深刻そうな表情を作って了承すると、セリナさんの張り詰めていた表情が僅かに和らいだ。
「ありがとうございます。では十分後、東門へ集合してください。必要な準備だけ済ませて、すぐに出発します」




