第10話:白銀の冒険者
数日後。
『リバテール』から完成の知らせを受けた俺は、期待と少しの緊張を胸に工房を訪れていた。店内へ足を踏み入れた瞬間、作業をしていた職人たちの視線が一斉にこちらへ集まる。その誰もが疲れた顔をしているにもかかわらず、目だけは異様なほど輝いていた。
「ヤト様、お待ちしておりました」
執事を思わせる身なりの壮年の男性が、以前と変わらぬ丁寧な所作で一礼する。
「皆様、この数日ほとんど工房へ泊まり込みで作業を続けておりました」
「え……そこまでしていただいたんですか」
「職人とは、己の技術を超える素材へ出会ってしまえば、寝食すら忘れてしまう生き物でございます」
その言葉に周囲の職人たちは否定するでもなく、疲労の滲んだ顔でどこか満足そうに頷いている。どうやら本当に、この数日をほとんどこの素材のためだけに費やしてくれたらしい。
そこまで熱を注いでもらったことに嬉しさと申し訳なさを覚えていると、壮年の男性が静かに手を叩き、奥の工房から二人の職人が大切そうに木箱を運んできた。
「お待たせいたしました」
箱の蓋がゆっくりと開く。
その瞬間、工房へ差し込む朝の光を受け、純白の毛並みが静かに揺らめいた。
「……綺麗だ」
思わず声が漏れる。
そこに納められていたのは、ジロウの白銀の毛で仕立てられた膝下まで届くフード付きの外套だった。
長い毛並みは一本一本が生きているように光を反射し、風もない室内で緩やかに波打って見える。内側には柔らかな革が丁寧に縫い込まれ、高速で走っても形が崩れないよう各所へ補強が施されていた。
肩口から背中へ流れる毛並みは一頭の白狼をそのまま纏っているような迫力があり、それでいて嫌味な豪華さはない。
隣には同じ素材で織られた長いスカーフと、身体へぴたりと沿う鎖帷子が並べられていた。
「どうぞ、お手に取ってみてください」
促されるまま外套を持ち上げた瞬間、予想していた重さとの違いに思わず目を見開く。
「……軽い」
膝下まで届く丈と豊かな毛量から、もっとずっしりとした重量を想像していたが、片手でも容易に持ち上げられる。それでいて生地には確かな厚みがあり、軽さに反して頼りなさは微塵も感じなかった。
「ご試着ください」
勧められるまま腕を通してみれば、その軽さ以上に着心地の良さに驚かされた。
身体へ吸い付くように馴染み、肩を回しても腕を上げても一切突っ張らず、長い裾も足運びを邪魔しない。採寸して仕立ててもらったとはいえ、まるで何年も着続けてきた服のように自然だった。
続けて鎖帷子を身に着ける。普通なら金属鎧特有の重さや圧迫感があるはずなのに、それすらほとんど感じない。見た目こそ白銀色の鎖帷子だが、着心地は厚手の服に近かった。
最後にスカーフを首へ巻き、深くフードを被る。
「鏡をどうぞ」
目の前へ姿見が運ばれる。
映っていたのは、今までの俺ではなかった。深いフードが黒髪を完全に隠し、口元は長いスカーフで覆われている。白銀の毛並みを纏ったその姿は、もはや冒険者という言葉では収まらない。
周囲の景色へ自然と溶け込むような静けさを纏いながら、それでいて目を逸らせないほどの存在感を放つ――獲物を追い、仕留めることだけに特化した“狩人”そのものだった。
「……誰だ、これ」
あまりの変わりように自分でも可笑しくなり、口元が緩れると、周囲からも小さな笑いが漏れた。
「よくお似合いでございます」
執事風の男性は穏やかに微笑んだ。
「最初に素材を拝見した時、この毛並みの美しさを損なわず仕立てることだけは譲れないと思っておりました。しかし、こうして実際に身に着けられたお姿を拝見すると……ようやく、この素材に相応しい持ち主へお返しできた気がいたします」
「そんな大袈裟ですよ」
少し気恥ずかしくなってそう返すと、男性はゆっくりと首を横へ振った。
「いいえ。どれほど優れた品でも、身に着ける方と調和しなければ完成とは申せません。その点、この外套は最初からヤト様のために存在していたかのようでございます」
ここまで大袈裟に褒められると、逆に胡散臭く感じてしまう。職人として本心から言ってくれているのだろうが、どうにも落ち着かずにいると、ジロウが静かに俺の隣まで歩み寄ってきた。
一人と一頭が並んだ瞬間、工房の空気が僅かに変わった。
「……なるほど」
誰かが小さく呟く。
「最初から、この姿になるための素材だったのか」
白銀の外套を纏う俺の横には、同じ白銀の毛並みを持つジロウ。その姿には確かに不思議な統一感があり、元々こいつの毛から作られた物なのだから、似合って見えるのも当然なのかもしれない。
当のジロウは俺の姿を上から下まで眺めると、どこか満足そうに目を細めている。その顔は自分の毛を使われたことを誇っているというより、綺麗に着飾った子供の七五三でも見守っているようだった。
……お前、完全に保護者側の顔してないか?
執事風の男性はそんな俺たちを満足そうに見つめたあと、ゆっくりと口を開く。
「ヤト様。この素材は、我々の想像を遥かに超えておりました」
そう言って鎖帷子を静かに持ち上げた。
「一本一本の毛へ宿る魔力が互いに干渉し合い、常に内部で循環しております。そのため外気の温度へ自動的に適応し、暑ければ熱を逃がし、寒ければ熱を保持する性質を持っております」
俺は思わず外套へ触れる。暖かいわけでも冷たいわけでもない。ただ、今の気温に身体が自然と馴染んでいるような、不思議な感覚だった。
「さらに撥水性も極めて高く、泥や血液もほとんど残りません。狩猟や長距離移動を想定し、手入れのしやすさも重視しております」
そこまで説明すると、壮年の男性は職人へ視線を送り、完成品の実用試験を見せてくれた。
剣を叩き付ければ刃の方が欠け、槍を突き込んでも表面が僅かに沈むだけで弾き返す。至近距離から放たれた矢に至っては、刺さるどころか鏃が潰れて床へ転がった。
「……嘘だろ」
それだけでも十分異常なのに、試験はそこで終わらなかった。
火球を浴びても焦げ跡一つ残らず、氷で覆われても数秒で霜が消える。雷を受ければ白銀の毛並みが一瞬だけ逆立つものの、それだけだった。剣も槍も矢も魔法も、まるで相手にすらされていない。
「我々も何度か条件を変えて試しましたが、結果はほぼ同じでございました。正直なところ、どこまで耐えられるのかを測るための道具が、こちらにはございません」
その言葉に、さすがに返す言葉がなくなる。性能が高いという程度ではない。そもそも耐久力の上限を確認できていないのだ。
数日前まで部屋中へ散らばっていた、ただの抜け毛。それが今では、剣も魔法も受け付けず、試験する側が先に限界を迎える防具になっている。
俺は改めて外套へ視線を落とした。
……これ、本当に着て歩いて大丈夫なやつなのか。
「そして、こちらでございます」
男性が合図を送ると、工房の奥から大きな布を掛けられた品が運ばれてきた。
布が静かに取り払われる。
「おぉ……」
自然と感嘆の声が漏れた。
そこにあったのは、ジロウ専用に誂えられた駄鞍だった。
厚手の革を幾重にも重ねながらも無駄のない造形でまとめられ、肩や胸の可動域を妨げないよう細部まで計算されている。荷重は一点へ集中せず、背中全体へ均等に分散する構造となっており、腹帯も二重に設けられていた。
左右には大容量の鞍袋。背面には長短さまざまな革ベルトが幾重にも取り付けられ、箱や樽、袋など形の異なる荷物でも確実に固定できるよう工夫されている。
「ご依頼内容から、荷物を積んで長距離を移動されることが多いと判断いたしました」
執事風の男性は駄鞍へ手を添えながら続ける。
「急停止や急旋回でも荷崩れしにくく、重心が偏らない設計となっております。鞍袋は防水加工を施し、底部には衝撃を吸収する芯材を入れておりますので、割れ物なども安心してお運びいただけるかと」
横にいた職人も誇らしげに口を開く。
「鞍袋は取り外し可能です。必要に応じて容量を変えられますし、傷んだ場合もそこだけ交換できます」
なるほど。派手さはないが、使う側のことを徹底的に考え抜いた造りだ。荷物を運ぶための装備として必要な機能が詰め込まれ、それでいてジロウ自身の動きを妨げない。これこそ職人仕事なのだろう。
「ジロウ」
「ワフ」
名前を呼ぶと、ジロウは何を求められているのか理解したらしく、自分から駄鞍の前まで歩いて静かに伏せた。
俺が首元を撫でながら「少し付き合ってくれ」と声を掛けると、職人たちは緊張した面持ちで駄鞍を背へ載せ、一つひとつ革帯を締めていく。毛並みを巻き込まないよう慎重に位置を調整し、最後の腹帯を固定したところで全員が一歩下がった。
「どうだ?」
俺の問い掛けに、ジロウはゆっくり立ち上がって身体を軽く揺すり、数歩歩いて感触を確かめる。そのまま何度か首を動かしていたかと思えば、突然地面を蹴り、白銀の巨体が風を巻き上げながら工房の外へ飛び出した。
「おい、待てって」
慌てて後を追って広場へ出ると、既にジロウは大きく旋回しながら速度を上げていた。
急停止から反転し、その勢いのまま高く跳び上がって着地すると、今度は逆方向へ一気に加速する。かなり激しく動いているにもかかわらず、駄鞍は背中へ吸い付いたように位置を保ち、左右の鞍袋も必要以上に暴れることはない。
しばらく走り回ったあと、満足したらしいジロウがこちらへ戻ってきた。
「……問題なさそうですね」
「そのようでございます」
壮年の男性の表情にも、ようやく安堵が浮かぶ。俺は改めて駄鞍の固定具や鞍袋を確認してから、工房にいる職人たちへ頭を下げた。
「ここを選んで、本当に良かったです。ありがとうございました」
その一言で、張り詰めていた職人たちの表情が一斉に和らいだ。外套も鎖帷子も、そして駄鞍も、こちらが求めた以上の仕上がりだ。これなら今までより安全に、そして遥かに多くの荷物を運べる。
俺にとっては、それだけで十分すぎるほどだった。
こうして新しい装備を手に入れた俺たちは、再びエストラの街へ戻ることになる。
ただ、この日を境に、白銀の外套を纏う男と、その隣を歩く白銀の巨獣――二つの白銀が揃って街を歩く姿が、これまで以上に人々の目を引くようになるのだが。
この時の俺は、まだそんなことなど知る由もなかった。




