理想の終焉③
8番隊から14番隊の執務室は遠い。
特に足の悪い南宮には、少々骨の折れる道程だ。
流れる冷汗を忌々しく思いながら、南宮は多少上がった息を吐き出した。
そろそろ深夜に差し掛かる頃。
どの隊も人は居ないというのに、相変わらず14番隊の執務室だけ明かりが漏れている。
それだけ一人に負担が掛かっているという事だ。
普段なら鼻白むところだが、今日ばかりは都合が良い。
犬猿の仲と謳われる14番隊を訪ねるところなど、誰にも見られたくはないのだから。
南宮はようやく辿り着いた執務室の前で一度息を整えると、丁寧にノックをした。
柔らかい声が返ってくる。扉を開いた先には、椅子に座った玲が何かを読んでいた。
「おや、珍しい。貴方がこちらまでいらっしゃるなんて。」
「……この間の話をしに来た。」
「ふふ、こんな夜中に?相変わらずですね、南宮さん。」
くすくすと笑う様子は憎たらしいが、普段よりもずっと穏やかで棘がない。
さり気なく椅子をすすめてくるのに礼を言って、南宮は溜息をついた。
要らないと言っているのにお茶を、と立ち上がっていった玲に、多少毒気を抜かれながら南宮は周りを見回す。
綺麗に整えられた執務室は、狭いながらに居心地の良さが窺われる。
そのまま隊長机に視線を向ければ、先程まで玲が読んでいた本に目が止まった。
「……絵本?」
「ああ、それ今日の文化祭で買ったんです。南宮さんのとこにもいるでしょう?宮杜さんの息子さん。」
「ああ……雄星のところか。」
そういえば文化祭だとはしゃいでいた。
南宮は基本的にあまり新人には関わらないように意識しているから、具体的には知らなかったが絵本を売っていたのか。
いつの間にか戻ってきていた玲が、南宮にカップを差し出した。
甘酸っぱい香りが立ち込める。
「絵本喫茶ですよ。その紅茶も買ったんです。アップルティー。」
「……随分と毒されてるな。」
「ふふ、郷に入っては郷に従え、ですよ。」
紅茶ですら優雅に嗜む玲に南宮はまた息を吐き出すと、自分の分にも口をつけた。
香りと同じくらい甘い味がする。
「蜂蜜か。」
「夜も遅いので。この絵本に出てきたんです。よく眠れるおまじないだって。」
玲は笑うと、本を開いた。
パラパラと捲られた先には、黄金の蜂蜜を紅茶にたっぷりと垂らす二人の子供の絵。
多分、兄妹なのだろう。玲は絵本を楽しむように、少しだけ声を潜める。
「気弱な兄と、甘えたがりな妹のお伽話。……兄が悪い魔女に捕まって、幻想に囚われたのを妹が助けに行くんです。少しずつ大人になって、すれ違う兄妹。それでも最後は互いを想う愛情で満たされる。幸せなハッピーエンド。」
子守唄のような声だった。回転人形のついたオルゴールの音色に歌をつけたような。
しかし、どんなに精巧なオルゴールでもいずれ壊れる。
「……現実にはない、お伽話ですよ。」
「……。」
南宮がカップを置いた音が高く響いた。玲も倣うように絵本を閉じる。
幻想なんてくだらない。
どれだけ望んだところで、南宮たちの前に広がっているのは現実だけなのだから。
南宮は居住まいを正すと、口を開いた。
「この間の話、裏が取れた。」
「流石南宮さん。お早い。」
「皮肉か?……貴様は一人で全てを調べ終えていたのだろう。」
こちらは与えられた情報から辿ったに過ぎない。玲は何もないところから調べ上げた。
本当に優秀で、東條のような理想だけが高い男にはもったいない駒だ。
「俺は予言があったので。」
「久遠か……。あれは避けようのない未来を視るものだ。例え回避しようとも、形を変えて現れる。貴様の未来にあの子供がいたのか?」
「ふふ、どうですかね。」
この期に及んではぐらかすとは。
南宮は溜息を吐き出すと、笑う玲に向き合う。
自然と調べた内容が口をついて出た。
「……まさか『浄化の一族』が実在するとはな。」
「父方の血筋みたいですよ。」
「そうだな。」
『浄化の一族』。
そう呼ばれる者たちが昔いたそうだ。高い霊力を持ち、属性を炎とする。
ただし、炎の性質が普通のものとは異なる。
彼らの炎は浄化の炎。邪な力を退け、安寧を齎すという。
しかしその力のせいで、数多く人柱となり、いつしか消えたそうだ。
そんな古文書にしか載っていないような一族の生き残りが小鳥遊残夏らしい。
調査した限り、かなり血は薄くなっているが、残夏は確かに浄化の霊力を継いでいる。
だからこそ、あんな化物を取り込んでも自我を保ち普通に生活できている。
「父親は蒸発して既に他界していた。何かしらの事件に巻き込まれたようだが、おおかたハグレモノに喰い殺されたのだろう。悪くない獲物だ。」
「ふふ、浄化持ちを食べてお腹壊さないんですかね?」
「……笑えない冗談はやめろ。」
南宮が睨みつけても玲は笑うばかりだ。
苛立ちを隠せないままに舌打ちすると玲は笑うのをやめて、小さく囁いた。
「それで?南宮さんはどうしますか?」
「……。」
玲が話を止めれば、途端に静寂が辺りを包む。
南宮は痛む頭を抱えながら、先日の茶会を思い浮かべてそっと目を閉じた。
◇◇◇
「『核』だと?なんだそれは。ハグレモノの始祖?あれを殺せば全てのハグレモノが消滅すると本当に思っているのか?」
南宮は苛立ちのままに言葉を吐き出した。
こんなくだらない茶会に付き合って、与太話を聞かされるなんて。
湯呑みを置いて立ち上がろうとする。なんとも無駄な時間を過ごしたものだ。
しかし、南宮の身体は意に反して椅子へと固定されていた。
玲ではなく、松陰だ。影が南宮の身体を椅子に縛っている。
「……松陰殿。これは一体どういう事だ。」
「なに、そう急くでない。ここからが面白いんじゃろう?それに話は最後まで聞くものだと思わんか。」
松陰の視線に南宮は唇を噛み締める。これだから東條派は嫌いなのだ。
理想ばかりで現実を見ないのに、実力者ばかりで苛々する。
ーー名雲も裏切りおって……。
折角目を掛けて、違法スレスレの研究にも目を瞑ってやっていたのに。
南宮が睨みつけても素知らぬ顔の名雲に怒りで脳が沸騰しそうだ。
しかしここで怒りに任せたところで、恥を晒すだけ。
南宮は深く息を吐き出すと、目の前の玲に向き直った。相変わらず楽しげな顔に吐き気がする。
「ふふ。流石南宮さん。状況判断が早い。」
「……証拠があるのだろう。貴様がそこまで言うのであれば。」
殺気を混ぜた視線を浴びせても玲は変わらない。羽根のような軽さで笑って、大仰に頷いてみせた。
「もちろん。……名雲さん。」
「おー。……ハグレモノの発生地点と、小鳥遊残夏の中の化物の瘴気がデータ上一致している。俺が調べたから万一にも間違いはない。」
「……どこでそんなデータを取った?」
「それはこの間の学生が起こした問題の時ですね。俺の式にデータ取らせてたので。」
「『切り裂きくん』とかいうやつか……。」
保護と首輪以外に、その場のデータ収集まで機能を持たせているとは。
実の部下が一線を越えれば処分しろ、という指令に精神を揺らしているかと思っていたのに。
やはり玲は、情よりも利益を優先する。
ーーしかし……。
データを取って、裏付けしたとして最初の疑念、どこから生まれたのかは説明されていない。
あの化物は、もう何百年も強力に封印されてきた。
その理由すらも消えて分からなくなるほどに。
「ああ。それは古文書を解読しました。結構な数。……おかげで時間がかかったんですけどね。」
「俺のとこにも持ってきてよー。その辺の研究してたんだわ。」
ああ、なるほど。
それならば名雲がついた理由も分かる。未知の文献など、名雲の興味のど真ん中だ。
ーーつまりは全て、亜月の計略の中ということか。
自身である程度まで調べ、知見者を巻き込み、こうして布陣を固めて南宮を縛る。
気に入らないながらに見事と言わざるを得ないだろう。
名雲の裏付けがあるなら、一概に世迷言とも言えない。だが、それと小鳥遊残夏を生かす理由が繋がらない。
小鳥遊残夏を処分するのが一番合理的ではないだろうか。
「いいえ。残夏を殺しても、抑止を失った中の化物が暴れるだけです。」
「抑止だと?」
「ええ。残夏の存在はあの化物の抑止になる。」
玲はそこで一度息継ぎをすると、小さく口を開いた。
「……残夏は多分、『浄化の一族』の血を引くと思うので。」
静かな言葉に、南宮は咄嗟に息を呑む。
浄化の一族。
それこそ、古文書に残るだけの、既に絶えた者達。
もし、そんな者が生きているのなら。
ーーハグレモノのいない世界。
そんな理想が。
南宮ですら若い頃夢見た、それがーー。
「残夏は未来の鍵です。……だから南宮さんにもお願い出来ませんか?」
「……どういうことだ?」
「こちらの手の内を出したので、貴方にも少し協力していただきたい。」
玲の真剣な表情に、南宮は迷いながらも頷いてしまった。
◇◇◇
静かな部屋に時計の秒針が刻む音が響いた。
南宮は手繰っていた記憶を離し、ゆっくりと目を開ける。
玲は微動だにせず、こちらを見つめていた。
「……ひとつ、確認がある。」
「ええ、どうぞ。」
「小鳥遊残夏をどう使うつもりだ。」
残夏が浄化の力を持っていたとしても、あの化物を消滅させることは不可能だろう。
現に今も、体の内に鎮めておくので精一杯なのだから。
もし玲が残夏が育つまで待つというなら南宮は協力はしない。
それこそ夢物語だ。
南宮は玲の視線を真っ直ぐに受け止めると見つめ返した。
眼鏡に隠れて瞳は見えない。
ただ、浮かべた笑みだけが表情を形作る。
「残夏を使って、浄化を試みます。」
「あの程度の霊力でどうなる相手でもないだろう。」
「ふふ、もちろんその通りですよ。ただーー。」
かちゃ、と音を立てて眼鏡が外された。
薄氷を固めたようなアイスブルーが輝いて、細められる。
玲は内緒話のように南宮の耳もとに口を寄せると、そっと囁いた。
「!……それは……。」
「どうですか?」
「理屈は分かる。ただ確率が低い。それならいっそ、小鳥遊残夏を人柱に封じる方がーー、」
「南宮さん。」
耳に心地よい声が響く。
瞳に絡め取られるように動けない。
「きっと、最後のチャンスです。ハグレモノを未来に残すか、それともここで終わらせるか。……確率ではなく、俺に賭けてくれませんか?」
ーーああ、破綻している……。
玲に賭けたところで意味などない。成功する保証もない。もし失敗したら残夏ごと多くの人間が巻き込まれる。
ハグレモノを消すために、玲は未来を賭けろというのだ。
馬鹿なことだ。
馬鹿なことと、思うのに。
「……もし、失敗したら?」
こんな事を口にする南宮の方が余程馬鹿だろう。
案の定玲は嬉しそうに笑うと、跳ねるように言葉を紡いだ。
「失敗したら、私が責任を持って止めます。そして残夏はそのまま人柱に。決して、大勢を巻き込まないと約束します。」
「上層部は知っているのか?」
「まさか。あの腐敗した老人どもには、こんな話は劇薬ですよ。」
笑いながらも決して逸らされる事のない視線に南宮は迷って、そして最後には頷いた。
そこまでの覚悟があるのなら一度くらいはチャンスを与えても良いだろう。
玲が約束を破らない事は有名だ。
「……分かった。何をすればいい?」
「ありがとうございます。……ふふ、南宮さんには上層部絡みでお願いしたいことがーー、」
ひと通りの話を聞き終わると南宮は大きく息を吐き出し、嬉しそうに笑う玲をよそに立ち上がった。
これで共闘成立だ。
玲の提案は具体的で、特に問題もない。
少しばかり気に入らない部分はあったけれど。
行儀悪く、まだ少し熱い紅茶を立ったまま飲み干すと、南宮は踵を返した。
扉に手をかける背後から、玲の冗談めかした声が響く。
「頼んでいた件もお願いしますよ。……ああ、そうだ。それと南宮さんも約束してください。この共闘が続く間、残夏にちょっかいを出さない事。あれは俺の子犬です。」
「勝手にしろ。」
「ふふ、約束ですよ。」
楽しげな声は場違いで。なんだか妙な温度を残した。
静かに閉じた扉の前で息を吐く。
ーー夢を、思い出してしまった……。
愚かな理想を。
馬鹿みたいな、若者の戯言を。
だけど。
感傷を頭を振る事で飛ばすと、南宮は歩き始めた。
この作戦が失敗しても、南宮に影響はない。上層部すら無くなるのだから。
どころか東條は実権を失い、今度こそ南宮が頂点に立つ。
だからこれはただの計略。理想も夢も全てを捨てた南宮はただ見守るのみ。
この先に、どんな運命が待ち受けていたとしても。
「……まずは、身辺整理か……。」
組織の廊下に、杖の音だけが高く響いた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
「理想の終焉」はいかがだったでしょうか。
南宮と玲は、東條と玲より気質が合うような気がしています。二人とも堅実に地盤を固めるタイプですね。
次回は清治のお話になるかと思います!
楽しんでいただけたら嬉しいです。
次回更新は10/31土曜日です。
(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)
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