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理想の終焉②

 すっかり冬模様になった灰色の空を窓の外に映しながら、残夏(ざんか)は14番隊の執務室で温かいミルクティーに息を吹きかけていた。


 湯気が立つのに、ほんのりスパイスとたっぷりの蜂蜜の甘い香りがする。

 ここ最近の残夏のお気に入りだ。


 ひと口飲んで、ほっと息を吐き出すと淹れてくれた清治(きよはる)が柔らかく目を細めた。


「今日は寒いからね。高専、昼からでしょ?身体を温めて、風邪引かないようにね。」


「はい。」


「凪(なぎ)はもう飲み終わったの?」


「甘くて美味しかったから!おかわり飲んでもいい?」


「もう、仕方ないなぁ。」


 くすくすと柔らかい笑いが溢れる。


 穏やかな週末の昼前。

 残夏は心まで暖かくなる心地にまたひと口、ミルクティーを飲んだ。



 年末もあと少し、という時期だがこの頃残夏は忙しい。なぜならあと一週間ほどで文化祭が始まるからだ。


 週末も関係なく教室に集まって、クラスの皆んなで準備をしている。


 文化祭に参加するのも、クラスの出し物の準備に参加するのも、残夏にとっては初めての経験。

 毎日が新鮮であっという間に過ぎていく。


 今日も午前中を14番隊で過ごし、午後からは登校して準備を進める予定だ。


「ただいま〜。あ、凪と残夏がいる。ふふ、美味しそうなの飲んでるね。」


 残夏もおかわりを貰って、ほこほこと暖かくなってくるのに心地よい倦怠(けんたい)感を味わっていると、涼しげな声が響いた。


 玲(れい)だ。

 どうやら会議が終わって帰ってきたらしい。ひょっこりと休憩室を覗き込む顔が楽しげだ。


「あれ?おかえり、玲。もう隊長会議終わったの?」


「うん。今回もくだらなかった。ほんと無駄だから廃止した方がいいと思う。」


「そんな事言わないの。まあ、お疲れ様。玲もミルクティー飲む?」


「あー飲みたい。……けど、お茶してきたからちょっともうお腹ちゃぽちゃぽ。」


 溜息を吐き出して、玲がソファに腰掛ける。疲れた、と伸びをするのに清治が苦笑を漏らした。


「じゃあまた後でね。蜂蜜増しで甘くしてあげるよ。」


「清治優しい……。」


「玲ちゃん大丈夫?」


「凪も優しい……。」


 感極まったように呟くと、玲はわしゃわしゃと凪と残夏の頭を撫でる。

 それにわっと声を上げれば、ふふ、と柔らかい笑い声が落ちた。


「ところで二人とも、なんで制服?今日週末だよね?」


「今日は準備の日だからだよ!」


「準備?」


「文化祭です。あと一週間なので。」


「文化祭……あ、そっか!」


 玲がぽんと手を叩く。思い至った、と顔が明るくなって楽しそうだ。

 玲はそのまま歌うように言葉を続けた。


「ふふ、楽しみだね。何やるの?お化け屋敷?」


 なんでお化け屋敷限定なんだろう。

 その顔に期待が溢れているのは気のせいだろうか。 

 微妙な圧に残夏は苦笑しながらも首を横に振った。


「いいえ。……絵本の喫茶店なんです。」


「絵本?」


「うん!皆んなの家の余ってる絵本を持ち寄って、お茶と一緒に自由に楽しんでもらうの。絵本もね、気に入ったら買えるんだよ!」


 残夏の言葉を引き継いだ凪に、玲の雰囲気がぱあっと明るくなる。

 頬が少しだけ紅潮して、そわそわとする様子は子供のようだ。


「え、え、なにそれすごい。俺も行きたい。清治、高専の文化祭って行って良かったっけ?」


「いいと思うよ。僕も面白そうだなって思ってたんだ。当日一緒に行こうか、玲。」


「行きたい……!あ、でも……名雲(なぐも)さんとの研究……。」


 先程までの楽しげな雰囲気を収めて、玲がしゅんと項垂れる。


 最近はよく10番隊に出入りしてるようで、名雲と何かを画策(かくさく)しているらしい。


 残夏は武器選定の時に一度会っただけだが、名雲は恐ろしい人物だった。

 あれに渡り合って、尚且つ共同研究なんて。玲は底がしれない。


 しかし今、残夏の目の前にいるのは、庇護欲を駆り立てられるような落ち込んだ人だ。


「いや、文化祭行けばいいだろ。お前の顔なんかそう毎日見たくねーよ。」


 急に割って入った声に、全員の視線が扉へと向いた。それに扉を開けて入ってきた人物の眉が寄る。


 噂はなんとやら。名雲だ。

 あの時、残夏たちを実験台にしたいと言った時と変わらない気怠そうな様子で近づいてくる。


「名雲さん。さっきぶりですね。うちに来ないでくださいって言ったでしょう?」


「梓(あずさ)いねーんだろ、今。なら良いじゃねーか。ほら、この前のデータ。」


「梓いたら蹴り出してましたよ。ふふ、ありがとうございます。」


 玲が手渡された書類をさっと流し見て、にっこりと笑う。


 先程までの穏やかなものとは違う笑顔。

 なんだか空気が重い。


 残夏は凪と顔を見合わせると少しだけ身体を小さくした。


 しかし名雲は気にしていないのか、そもそも視界に入っていないのか。

 肩を竦(すく)めると、玲を睨(ね)めつける。


「それで文化祭だが、行ってこい。というか年明けまでうちに来るな。」


「えー、折角いいとこまで進んでるのに……。」


「お前の働き方こえーんだわ、見てると。だからマジで年明けまで来るな。なんか俺も生活態度改めようって思っちまったからよ……。」


「そんなです?」


「俺が没頭してる時より酷いぜ、お前。」


 その言葉に大人しく聞いていた清治の顔が引き攣った。


 また無理をしているのだろうか。というか研究って何をしているんだろう。

 玲は技術部ではないのに。


 そんな不安も全て躱(かわ)すように、玲は声を上げて笑うと名雲に向き合った。


「ふふ、ありがとうございます。それではお言葉に甘えて。」


「おー……。」


 名雲はそのまま怠そうに休憩室から出て行く。

 まるでもう、残夏たちには興味が無くなったかのように。


 その背を見送るともなく、残夏たちを見回して玲は鮮やかに笑ってみせた。


「じゃあ、文化祭遊びに行くね。楽しみにしてる。」



◇◇◇


 夕焼けの赤が暗闇に溶けていく。蛍光灯に照らされた教室の窓の外。


 残夏はその様子に一瞬目を取られた。

 ガヤガヤとした教室の音が少しだけ遠くなる。


 ーーもう、明日なんだ……。


 待ちに待った文化祭。前日までかかった準備も、残すは片付けのみ。

 教室内は明日への希望で熱気がこもっていた。


 そんな熱を逃すように窓を開ける。

 十二月の風は冷たくて、でもどこか心地良かった。


「……寒くないの?」


「あかり。」


 クラスメイトの合間を縫って、あかりがこちらへと近づいてくる。

 さらさらと流れる長い髪が柔らかく揺れた。


 頬が少しだけ紅潮しているから、あかりもまた、熱に当てられているのだろう。


 その証拠に、残夏の隣で窓の外に視線を向けるあかりは、気持ちよさそうに目を細めた。


「冷たいけど、なんだか頭が冴(さ)える気がするわ。」


「うん、分かる。ちょっと暑いもんね、教室。」


 残夏は笑うと、あかりに並ぶように窓の外に目を向ける。

 この時期は夜が近くて、少し見ていないだけでも夕焼けが黒に混ざりきってしまう。


 だからだろうか。


 先程までの溶け合う色は一色に染まり、今度は星が明るくなった。

 その光景を見ながら、ぼんやりと考える。


 明日の文化祭、あかりと桃子(ももこ)は別行動だ。六人でまわるものと思っていた残夏は当初かなり驚いた。


 しかしなんでも、女の子だけで見てまわりたい理由があるのだと。

 そう言われてしまえば止める事も出来ない。


 ほんの少し残念ではあったが、後夜祭は一緒に居られるみたいだし、今ここでこうして二人で風にあたるのは悪くなかった。


「……残夏のところは、14番隊の人たちがくるの?」


「うん、そう言ってたよ。皆んなはしゃいでて、ちょっと恥ずかしいかも。」


「仲が良いのね。……うちも、隊長もしかしたら来るかもって。あとは姉さんも。」


「お姉さん?」


「ええ。遊びに来てくれるって。」


 あかりに姉がいるのか。少しだけ嬉しそうに目を伏せる横顔にきっと仲が良いのだろうと分かる。


 そうか、家族か。


「そっか。優しいお姉さんなんだね。」


 残夏にはもう家族は居ないけれど、代わりに世話焼きの清治や柳瀬(やなせ)、兄貴分の梓と圭(けい)がいる。

 

 そして誰よりも尊敬している玲も。


 きっとあかりの姉も、残夏にとっての彼らのような存在なのだろう。


 そんなことを考えていれば、隣で小さく音がした。

 風に髪が流れる音。


「うん。」


 普段より幼い口調に、そっと横を見ればあかりが柔らかく微笑んでいた。


 少しだけ息が止まる。


 初めて見た表情。淡い菫(すみれ)色の瞳が滲(にじ)んでいるみたいだ。


 その瞳の中で溶けてしまいそうだと思った瞬間、残夏の背中にはどん、と小さな衝撃が走った。


「残夏くん!あかりちゃんと何してるの?」


「わ、凪!」


「お前らサボりかぁ?俺ら掃除してんのにさー。」


「少しだけよ。だって教室暑いんだもの。」


「ふん、もう十分換気出来ただろう。さっさと終わらせるぞ。」


「あかりちゃーん!掃除終わったらファミレスで前夜祭だって!」


 突進してきた凪と、次々に顔を出す、馴染み深い三人の顔。

 サボっていたのはすっかり皆んなにバレていたらしい。


 残夏はあかりと顔を見合わせると笑い合って、賑やかな空間に足を向けた。


 前夜祭なんて楽しいイベントがあるなら、早く掃除を終わらせないと。


「行こう。みんな待ってる。」


「ええ、そうね。」


 明るい笑い声が教室にこだまする。

 窓の後ろでは星がチカチカと瞬いていた。



◇◇◇


 文化祭の夜は校舎が明るい。

 野外ステージの光を浴びて、熱気が冷めずに辺りを包み込んでいる。


 残夏はそんなお祭り騒ぎから少し離れて、中庭のベンチに腰掛けていた。

 遠くからマイクを通した人の声が聞こえてくる。


 ーー楽しいけど疲れた……。


 初めてまともに関わった文化祭。はしゃぎ過ぎたかもしれない。


 残夏は少し熱気に酔ってしまったのだ。


 付き添いを断って、ふらふらと落ち着いた人気のないベンチ。


 星明かりは、立ち昇る暖かい空気にほんの少し滲んでいた。

 そんな夜空をぼんやりと眺めながら、残夏は今日一日をそっと思い返す。


 凪、雄星(ゆうせい)、司(つかさ)の四人でまわった沢山の模擬店。

 意外とのめり込んで見てしまった演劇。

 ステージの光が眩しい後夜祭。


 そしてなんといっても、大繁盛した残夏たちの絵本喫茶。


 ーー皆んな来てくれた。


 梓や圭、彰良(あきら)に清治と楽(らく)。玲も。

 残念ながら残夏が店番の時には来れなかった柳瀬も、美味しかったと伝言を残してくれた。


 途中で、梓たちと彰良が対立したり、残夏たちのシフト時間ギリギリに玲が遅れてしまったりなど色々ハプニングはあったけれど。


 自分たちで作り上げたものを、大切な人たちに見てもらう。


 こんなに幸せな事はない。


 目を閉じれば、沢山の顔が思い浮かぶ。

 彰良に負けて不貞腐れていたのに、玲に頭を撫でられた途端、機嫌が戻った梓と圭の顔。


 玲が迷っていた絵本の片方を、帰り際にこっそり買って内緒だと人差し指を口に当てていた彰良。


 面白い本が見つかったと笑っていた清治と楽。


 それから、今日もずっと一緒に居てくれた凪たちの笑顔。


 そのどれもが、残夏の心を暖かくする。


 そして。


 ーー隊長……。


 忙しいのに来てくれて、大事そうに一冊絵本を買って行った人。

 あの人の笑顔の裏に、どれだけ痛い過去を隠しているのか、残夏は知ってしまった。


 だからこそ、笑いかけてくれることに意味を見出そうとしてしまう。


 でも、そのどれもがあの笑顔の前では霞んでしまうのだ。


 ーー不思議な人だな……。


 未だに何を考えているのか分からない。こんなに近くにいるのに。


 だけど残夏は玲の笑顔が好きだ。安心する。

 だからこれから先も信じて進んでいくだろう。


 玲が残夏の記憶を消しても、どんな過去を背負っていたとしても。


 息を吐き出せば、白く霞んだ空に昇っていく。

 

 熱のこもっていた身体もだいぶ冷えた。そろそろ、戻らないと。


 残夏が立ち上がろうとしたその時、控(ひか)えめな足音が響いた。


「……残夏。」


「あかり?どうしたの?」


 ひょこっと顔を覗かせたあかりに残夏は首を傾げる。


 後夜祭で合流した後、残夏だけが休憩していたのだがあかりも具合が悪くなったのだろうか。


「私も少し疲れたの。……隣、いい?」


「うん、もちろん。」


 残夏が少し左にずれれば、空いたスペースにあかりが腰掛けた。


 少し頬が赤い。残夏みたいに熱気と人波にやられたのだろう。


「大丈夫?」


「ええ。でも少し疲れた。……ここは涼しいわね。」


「休憩に丁度いいよね。」


 あかりの吐いた息も、白く霞んで昇っていく。その色を見つめながら、残夏は口を開いた。


「今日、楽しかったね。オレ文化祭がこんなに楽しいなんて知らなかった。」


「私もよ。……本当に、楽しかった。いっぱい思い出が出来たわ。」


「お姉さんとまわれた?」


「うん。姉さんと桃子と三人で。……あの二人、ちょっと似てるの。可愛い雑貨に同じ反応をしたり。それがすごく面白かった。」


「そうなんだ。なんだか目に浮かぶなぁ。」


 あかりの姉は穏やかで少しぼんやりしてて、桃子はせっかちで慌てる事も多い。

 対照的だけど、確かにどこか似ている。


 思い出しながら笑うあかりに、残夏も目を細めた。


 穏やかな時間に、軽い笑い声。

 なんだか心地良い。


 暫く互いに別行動していた時の話を交わしていれば、途中であかりの言葉が止まった。少しだけ緊張したように息を吸うと、ポケットから綺麗にラッピングされた何かを取り出す。


 それをあかりは徐(おもむ)ろに残夏に差し出した。水色のラッピングが街灯の灯りを反射する。


「それでね、お店を見てたら残夏に似合いそうなものがあったの。……だから、はい。」


「え?」


「……この間の、お礼。守ってくれてありがとう。」


 この間の、お礼って。


 もしかして、黒薔薇の時だろうか。

 でもあの時、残夏は結局あかりを逃してやる事も一人でハグレモノを倒すことも出来なかったのに。


 むしろ、支えてもらったのは残夏の方だ。


「ううん。……私、一人だったら怖くて何も出来なかったもの。残夏がぼろぼろになっても、戦って守ってくれたから。」


「そんなのオレだって……。」


「うん。でも、残夏は逃げなかったし二人とも無事だった。だから、お礼。」


 プレゼントを差し出したままのあかりの手から、残夏はそっと包みを受け取る。


 あかりの視線に封を開ければ、中には銀色のシンプルなバングルが入っていた。


 細く入った水色の線が洒落ている。


「バングル?」


「そう。……残夏の瞳の色を思い出したから。似合いそうだなって。」


 暖かい声だった。寒さなんて吹き飛んでいくくらい。


 残夏は街灯に反射する銀色を見つめて、そしてそれを自分の手に嵌(は)めた。

 思ったよりもしっくりくる。


「ありがとう、あかり。」


 顔が熱い。

 いま、残夏はどんな顔をしているんだろう。


 でも、視界の先であかりの瞳が滲むから。


「こちらこそ、ありがとう。残夏。」


 なんだか特別な夜のような気がして、残夏は忘れないように、しっかりと焼き付けた。


 遠くで雄星たちの呼ぶ声が聞こえる。花火が上がるのだそうだ。

 その声を聞いてから、残夏はあかりと共に立ち上がった。祭りの喧騒が今は少しだけ恋しい。


 もう少し、この夜が続けばいい。


ここまで読んでいただきありがとうございました。


隊長格のお茶会の裏での、残夏の青春回です。

学生組が楽しそうで可愛いなって思いながら書きました。

楽しんでいただけたら嬉しいです!


次回更新は10/24土曜日です。

(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)


よろしければ感想や評価、リアクションなど頂けると励みになります。

よろしくお願いします。

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