愚者の夜明け①
この世で一番醜悪なのは、人間だ。
「……佳代……。」
冷たいコンクリートの床と、そこに広がる鉄の匂い。震える足で一歩踏み出せば、ぴちゃと湿った音がした。
血溜まりの中で蹲っている影をそっと抱き締める。
小さな可愛い妹。
たった一人、この世で一人だけの。
「大丈夫……大丈夫だよ。」
何が起きても大丈夫。
必ず、守ってあげるから。
◇◇◇
乾燥した冷たい空気が肺に痛い。
筋肉疲労により熱せられた身体から湯気が上がる。
それを全身に感じながら、残夏は日毎低くなっていく空を見上げていた。
「おい、身体冷えるぞ。さっさと汗拭け。」
「は、はい……!」
ぶっきらぼうな声掛けと共に、投げられたタオルを慌てて受け取る。
上がっていた息を整えて、残夏は立ち上がった。もうすっかり日も落ちて空には星が散っている。
今日の鍛錬はこれで終わりのようだ。彰良が少し先で待ってくれている。
最近はこうして鍛錬の後、ほんの少し待ってくれるようになった。
一緒に組織の建屋へと帰る短い時間に残夏の話を聞いてくれたりするのが嬉しい。
残夏は彰良のもとへと駆けていくと隣に並んだ。
「……それでですね、武器を霊力で作れたらどうかなって。」
基本的に聞き役の彰良に、残夏は身振り手振りを交えながら話をする。
今日は蛇のハグレモノと対峙した時の反省だ。あの時残夏は自分の武器を手放してしまい、結局最後動けなくなった。
動けなくなったことに関しては今後の鍛錬次第だと思うが、武器に関してはああいう時困る。
その対策として自身の霊力で武器が作れるようになれば便利だと思ったのだが、彰良の反応はあまり良くなかった。
「……そんな事出来れば、技術部要らないだろ。」
「え?でも、隊長は……。」
「あいつは別格だ。そもそも隊長格でも出来るやつは、あいつと9番隊の松陰隊長くらいだぞ。」
「え!?」
残夏の素っ頓狂な声に彰良が溜息を吐き出す。
そんなに難しい事だったのか。玲はいとも簡単に大鎌を出していたのに。
そんな残夏に彰良は目を向けると口を開いた。
「……いいか。霊力は物質を形作る。自分の属性のな。だから俺がどれだけ火を出したくても出来ない。ここまでは分かるか?」
「はい。」
「よし。……それでお前の考えだが……武器を作るには、自分の属性とその武器を紐付けられないと無理だ。」
「紐付け?」
「イメージよりも強い……そういうものだっていう思い込みだ。」
淡々とした彰良の言葉に首を傾げる。
よく分からない。
思い込みで武器が作れるとは一体どういう事なのか。
困惑が顔に出ていたのだろう。
彰良は立ち止まると、一緒に立ち止まった残夏の頭に手を置いた。
「つまり、炎=両刃剣と思い込まないといけないんだ。単純に想像するのとは違う。炎を見たらあれは両刃剣だと思い込む。無意識のうちに。……出来るか?」
「そ、れは……。」
出来ない、と思う。
剣は剣、炎とは違う。
炎で剣が作られるイメージは想像できても炎が剣だという意識は持てないだろう。
だったら、玲は。
「……あいつの場合、炎と死が一体化してるんだ。そこから更に死神と紐付いてる。そうじゃないと、あんな事普通は出来ない。」
「……。」
炎が死。
それは、余りにも。
なんだか胸が痛くなって残夏が俯くと、彰良は残夏の髪をくしゃりと掻き混ぜた。帰るぞ、という声かけに頷いて足を動かす。
しかし頭の中には玲の声が響いていた。
『……自分で、呪ったんだよ。全部炎に消えたら良いのにって。』
玲にとって炎が死というのなら、玲の願いはきっと。
ーーどうして……。
何が彼をそんなに追い詰めたのだろうか。
◇◇◇
「昼飯、うどんにしようぜ。うどん。」
「駅裏に美味しいところがあるんだって。この前楽くんに聞いたんだ〜!」
「ふむ……そこにするか。寒いしな。残夏もそれでいいか?」
「うん。」
週末、残夏はいつもの四人で街に出ていた。
ウインドウショッピングをして、本屋によって。なんとなくぶらついて、気付けばもう昼だ。
木枯らしも吹き、温かいものが恋しい。誰ともなく急ぎ足になりながら駅の方へと足を向ける、そんな時だった。
残夏を呼び止める声が響いたのは。
「……小鳥遊?」
「え……。」
雑踏の中で、静寂を縫って落ちた声。
聞き覚えのあるそれに、残夏は顔を向けた。そして少しだけ目を見張る。
そこに居た、ほんのり気まずそうな顔を見たことがあったからだ。
ーー施設の……。
残夏が組織に来る前に居た、未成年で身寄りのない子供たちを集めた施設。
そこに入ったのは十三の頃で、組織に来るまでの約三年間はずっと透明人間のように扱われていた。
職員も同世代の子も全員、残夏に近付くことはなかったのだ。
そして今、目の前にいる青年は残夏を毛嫌いしていたはずだった。
名前は、確か。
「……七瀬くん……。」
残夏の呟きに、七瀬は少しだけ表情を明るくする。
しかし残夏としては嫌な思い出の中の一人。関わりたいわけがない。
勝手に手が震えるのに、視界の隅で凪たちが慌てて駆け寄ってきた。
「大丈夫?残夏くん。」
「誰だよこいつ。」
凪が残夏の隣に立ち、背の高い雄星が庇うように前に出てくれる。
司も何も言わないながらも凪とは逆の方に並んでくれた。
残夏はほっと息を吐き出すと、怯んだように身を竦める七瀬に視線を向ける。
大丈夫。
もう今は、仲間がいる。
「……高専に入る前に居た施設の人だよ。だから大丈夫。ありがとう、皆んな。」
「だけど……。」
「大丈夫、雄星。……七瀬くん、久しぶり。どうしたの?声を……かけてくるなんて。」
相変わらず庇おうとしてくれる雄星に笑って、残夏は声を出した。
凪も司も残夏の意思を尊重してくれているのか何も言わないが、警戒も解かない。
それに勇気を貰いながら残夏は七瀬の様子を伺った。
七瀬は残夏たちに苦い顔をしながらも、覚悟を決めたように目を瞑る。
そして残夏たちの目の前で急に頭を下げると、大声を出した。
「ご、ごめん小鳥遊!!ずっと、本当に……。謝るから、だから……助けてくれ!!」
「え……?」
衆目の中、そのまま微動だにしない七瀬に、残夏たちは顔を見合わせて首を傾げた。
◇◇◇
「それで?残夏に何の用なんだよ。」
楽のおすすめのうどん屋で、五人席に通された残夏たちは、取り調べのような不穏さで七瀬に向き合っていた。
特に雄星と司の不機嫌は分かりやすく、残夏の方が落ち着いているくらいだ。
凪は変わらずだが、残夏の隣から離れないでくれている。
ちなみにうどんは美味しかったから、また今度ゆっくり来たい。
ちょっと空気が重くて存分に楽しめなかったから。
「……。」
七瀬もすっかり萎縮した様子で黙ったままだ。
いや、うどんを食べていたからもしかしたら図太いのかもしれないが。
しかし流石に気の毒になり、残夏は雄星に目配せするとそっと息を吸った。
雄星の眉を顰めた顔に笑って七瀬に向き合う。
本当にいい友人を得たものだ。
「七瀬くん。オレに助けてほしいことって、何?……オレはあんまり出来ることないんだけど、話くらいは聞きたいんだ。」
「……小鳥遊……。」
少しの逡巡の後、七瀬はゆっくりと口を開いた。
まさかこんな形で組織に来る前の知人に関わるようになるとは。
来たばかりの頃は環境の変化に逃げ出したくて泣いていたけれど、それは戻りたいというよりも決められた運命に抗いたいという抵抗だった。
残夏の中で、施設は帰りたいと思えるような場所ではない。
「……お前、昔から変なものが見えてるだろ?」
「あ……、」
「あ、違う!悪いってわけじゃない……!……いや、それでお前のこと気味悪がってたから……そういう反応になるよな。ごめん。……でも、そうじゃなくて。俺、聞いたんだ。小鳥遊がいま、そういう変なものの専門機関にいるって。……ハグレモノって言うんだろ?」
その言葉に残夏たちの間で微かにどよめきが上がる。ハグレモノは一般的な呼称ではない。
別に隠しているというわけでもないらしいが、基本的に一般人とは距離を取って組織も任務に当たっている。
公表すると社会的な反響が大きいからなのだそうだ。
確かにあんな化物がいると分かれば、外を出歩くのも躊躇する人がいてもおかしくない。
とまあ、それは置いておいて。
ーーなんで七瀬がそんな事……。
普通に生きていれば知らなくて済むような情報なのに。
残夏は困惑しながら、凪たちと顔を見合わせ、そして。
「……俺の妹、ハグレモノになったんだ。……治し方、教えてくれ……!」
頭を下げる七瀬に、その場にいた四人全員が固まることになった。
◇◇◇
それは、兎の姿をしていた。
真っ黒で、目と口は縫い付けられたぬいぐるみの様な顔。
大人しく七瀬の腕に抱かれて、ただ震えていた。
「……一週間前に、ここで見つけたんだ。そのちょっと前から居なくて、探しててさ。……見てすぐに分かった。佳代だって。」
腕の中の歪な兎を撫でながら、七瀬が言葉を落とす。
愛情が滲むその仕草に、言葉にならない異様さが際立っていた。
誰も来ないような空き地の物置小屋。
うどん屋を出た残夏たちを七瀬が連れて行ったのは、そんな寂れた薄暗い場所だった。
辺りに漂う、じっとりとした瘴気。まだ昼間なのに陽光すら届かない。
そんな中で、唯一温度を持って紡がれる言葉が不気味さを募らせていた。
「俺は、確かに嫌なやつだよ。佳代を守るためだ、って他人に横柄な態度を取ってた。……でも、妹は優しい子なんだ。誰かに寄り添えるような。だから、だから……治してやりたいんだよ。これじゃ表も歩けないだろ?女の子らしくお洒落も出来ない……まだ十四なのにそんなの可哀想だ。」
「……七瀬くん……。」
人ですら無くなったものに、普通の感性で接するなんて狂っている。
本来なら逃げ出してもおかしくない異形なのに。
それでも、愛しげに腕の中のハグレモノを抱き締めている七瀬に残夏は何も言えなかった。
ーーハグレモノは全てが討伐対象……。
友達でも恋人でも家族でも。
治す方法なんてない。
少なくとも残夏は知らない。
だけどそれを七瀬にどうやって伝えればいいんだろう。危険だと言って、分かってくれるだろうか。
残夏が迷っている中、口を開いたのは司だった。
「……ハグレモノは総じて討伐対象だ。例外はない。」
「な、何言ってんだ!!佳代を殺す!?なんで!!?お前らに何かしたかよ!!?」
重い言葉に、それまで冷静だった七瀬が取り乱して声を荒げた。
あまりの形相に司が息を呑む。
その横で、凪が微かに震えながら声を絞り出した。
「……ハグレモノは、人を殺すから……、」
「殺してない!!佳代は、一人も殺してない!!!」
「でも……、」
「嘘じゃないんだ!!佳代は……佳代は、ここに閉じ込められて……酷いことされそうになって!!だけどそいつらを殺してなかった!!俺が来た時にはそいつらは逃げて、佳代だけがこんな……!……っ、なんで……!」
とうとう蹲ってしまった七瀬に、残夏たちは顔を見合わせる。
全員が困惑し、やるせ無い顔をしていた。
残夏たちが受けてきた教えは絶対。
そうでなければ坂西が死んだ正当性が無くなってしまう。
だからと言って、今すぐ七瀬から妹を取り上げて討伐することも出来なかった。
「……分かった。調べて……みるよ……。」
「本当か!!?」
「……うん。」
それだけしか言えない残夏に、他の三人も反対の声は挙げなかった。
◇◇◇
「どうしよう……。」
「どうもこうも……そもそも『治す』方法なんてねーだろ……。」
「そうだよね……。」
帰宅後、残夏たちは部屋に集まって緊急会議を開いていた。
いつもの週末がこんな事になるなんて。
カーテンから夕方の赤い光が差し込んでいる。それなのに重たい沈黙が室内には漂っていた。
言葉に出来ない感覚に誰もが閉口していた。
「……玲ちゃんに、相談……、」
「それをやると、彼の妹はすぐに討伐されるだろう。……このまま黙っておくわけにもいかないがな。」
「司くん……。」
凪が泣きそうに眉を下げる。凪は一番感受性が強いから、先程の七瀬に共感してしまったのだろう。
とはいえ残夏も気落ちしていた。
七瀬の妹なら残夏も施設で見たことがある。穏やかな雰囲気の子だった筈だ。
まあ、残夏には近づいてこなかったけれど。
でも、知っている人間がハグレモノになるのは良い気分ではない。
特に、坂西を思い出して胸が重くなるから。
「……取り敢えず、調べてみるか。俺らに答え出せねーし。監視しつつ被害出ないようにしとけばちょっと時間あるだろ。……大人に相談するのはそれからでもいいんじゃねーの。」
雄星の結論に誰ともなしに頷いた。
それが取り敢えずの妥協点だろう。
流石にこれ以上四人で過ごす空気でもなく、雄星たちが立ち上がるのに残夏も顔を上げた。
また夕飯で、というのに少しだけ笑みが浮かぶ。
そんな中、最後に部屋から出て行こうとしていた司が振り返った。
「残夏。……少し覚悟をしておけよ。」
「司……。……うん、期待はしないでおくよ。」
「……それだけじゃない。」
真剣な顔に首を傾げる。
ハグレモノは元には戻せない、という事ではないのだろうか。
司は少しだけ眉を寄せると、一度息を吐き出した。
そして真っ直ぐにこちらを見つめる。
「逆だ。……もし、ハグレモノから人間に戻せる可能性があった場合。……坂西の事、あまり気負うなよ。」
はっと息を呑む。
坂西。
誰一人殺さずに、南宮に討伐された彼。
あの時、玲は確かに、一度堕ちたものは救えないと言った。
それがもし、覆された場合。
残夏は、どう思うのだろう。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今回から、三週に渡って「愚者の夜明け」を更新していきます。
残夏が過去の知人と関わりながら、どうハグレモノと向き合っていくのか。
少し悲しい話になりますが、楽しんで読んでいただけると嬉しいです。
シルバーウィーク初日ですね!
お休みの方はリフレッシュして楽しんでください!
次回更新は9/26土曜日です。
(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)
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よろしくお願いします。




