↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
59/64

睡蓮の恋③

 玲(れい)が三島家に来て数ヶ月が経った頃。


 彰良(あきら)は自室で、初めて会った時に玲から押し付けられた花を前に頬を膨らませていた。


 というのも、玲が彰良より何でも出来るのがムカついていたからだ。


 家の隣に建てられた道場で、彰良は幼い頃から明仁(あきひと)に剣術を教わってきた。

 それなのに玲ときたら、まだ少ししか習っていないのに彰良より強いのだ。


 腹が立つところは他にもある。


 玲は勉強も出来るみたいで、彰良が読めない難しい本も読めるし、漢字ドリルも算数ドリルも彰良より先に終わらせていた。

 それで彰良が間違っているところを指摘してくるのだ。呆れた顔をして。


 それから料理も出来るし、身体が小さいのに彰良と同い年だったのもムカつく。

 そしてなんといっても、お風呂に明仁と入るのだ。

 彰良は少し前から一人で入っているのに、玲は明仁と一緒。


 源泉の水で傷を治すために、患部(かんぶ)を水に浸(ひた)すらしい。

 一人じゃ出来ないからと明仁は言っていたけれど、狡(ずる)い。

 そこが一番腹が立つ。


 ーーもうギプス外れたのに……。


 顔のガーゼだって外れてた。

 それなのにまだ他にも、玲の身体には傷があるのだろうか。


 彰良はむくれながら花をつつく。


 さっさと捨てればいいのに、なぜか捨てられない玲の瞳の色の花は、水の精霊の加護なのかいまだに枯れずにその美しさを保っていた。


 ーーこんなに綺麗なのに、要(い)らないなんて……。


 自分の泥棒発言を棚に上げて、彰良は考える。


 玲は何かを欲しいと言わない子供だった。

 彰良の隣の玲の部屋は、いつ見ても伽藍堂(がらんどう)で少し寒い。

 きっとこの睡蓮を飾れば、少しは華やかになるだろうに。


 そんな事を考えていると、隣部屋から何が音がした。襖(ふすま)を開けて、外廊下を確認する。


 どうやら明仁が玲の部屋を訪ねているらしい。


「玲。そろそろ何か必要なものはないか?」


「いいえ。大丈夫です。」


「そう言うな。もしかしたら何か必要なものがあるかもしれないから、倉庫を見に行かないか?」


「でも……。」


「いいからいいから。」


 そんな言葉で、明仁は玲の背中を押して外へと連れ出す。


 家の裏の倉庫は、色んなものが仕舞ってあって普段は入ることができない。

 でも中には色とりどりの着物や、古い書物、来客用の家具とそれから亡くなった母親の遺品が眠っていた。


 彰良はそっと玲たちの後をつける。

 久しぶりに倉庫に入って、母親の遺品が見たかった。



「この中のものなら好きに持ち出していいぞ。ほら、机とか本棚とか。玲は本が好きだからな。」


「……でも、」


「遠慮しなくていいんだ。ここはお前の家なんだから。」


 明仁が玲の目線にしゃがんで、そっと頭を撫でる。

 それを見ながら彰良はまた頬を膨らませた。


 明仁はいつも彰良を豪快(ごうかい)にわしゃわしゃと撫でるのに、なんで玲にはあんなに優しく触るんだろう。


 玲は明仁の言葉に視線をうろうろと彷徨(さまよ)わせると、積まれている家具をゆっくりと見ていった。

 無表情な顔が窓から漏れた日の光に照らされて、いつもより白く見える。


「この文机(ふづくえ)はどうだ?飾り模様が花みたいで綺麗だろう。」


「はい。」


「こっちの本棚はほら、一部が格子細工(こうしざいく)になっている。大きいし、色んな本がいっぱい入るぞ。」


「はい。」


 明仁の言葉に、玲は表情も変えず人形のように頷いた。


 どれが欲しいとも、気に入ったとも言わない。ただ勧(すす)められるままに肯定する。

 そんな様子に明仁は眉を下げて苦笑していたが、特に何も言わなかった。


 そして玲の家具が粗方(あらかた)決まってきた頃、玲の視線を何かが捉(とら)えた。


 玲がじっと見つめているものに、彰良は明仁よりも先に気がついた。

 それは母親の遺品である、小さな階段箪笥だった。


 小物を入れておける、机に置いておくタイプの階段箪笥。

 寄木細工(よせぎざいく)で作られたそれは、花模様が幾重(いくえ)にも連(つら)なって美しいものだった。


 彰良はそれを覚えていた。

 彰良がまだずっと小さかった頃、綺麗で優しい母さんが大事にしていた小物入れ。

 そこに大事なものをしまっておくのだと言っていた。


 そんな彰良の思い出を遮(さえぎ)るように、明仁が玲に声をかける。

 どうやら明仁も玲の視線の先に気がついたようだった。


「玲。それが気に入ったのか?」


「……。」


「いいんだ。素直に言っても。」


 また明仁はしゃがむと玲の頭を優しく撫でる。

 玲は少しだけ迷う素振(そぶ)りを見せると、小さく頷いた。


「……はい。」


「そうか!じゃあ、これも玲の部屋にーー、」


「ダメ!!!」


 彰良は大きな声を出して、隠れていた場所から飛び出した。明仁が驚いたように目を瞬かせる。


 玲は何も言わずに、彰良の方を振り返った。


「それはダメ!!母さんのなんだぞ!!!」


 彰良の叫びに、明仁はハッと我に帰った顔をすると玲に飛びつこうとしていた彰良を止める。

 その腕に彰良の怒りは更に膨れ上がった。


「彰良、落ち着きなさい。」


「父さんなんであげるんだよ!!それは死んだ母さんのだ!!!お前になんかやるか!!」


「こら、彰良。少し落ち着いて……、」


「要らない。」


 静かな声だった。

 なんとか宥(なだ)めようとする明仁と、激昂(げきこう)している彰良の声を縫(ぬ)ってその声はよく響いた。


「要りません。ごめんなさい。」


 玲はそれだけを言うと、倉庫から足早に立ち去って行った。

 後に残された彰良の頭には疑問符だけが浮かぶ。


 なんで。

 欲しいって言ってたのに。

 取られると思ったから怒ったのに、どうして。


 彰良の心情を理解しているのか、明仁は大きなため息を吐き出す。

 それに彰良の肩は跳ねたが、落ち着けるように大きな手が彰良の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「彰良。玲が気に入らないのか?」


「だって……。」


「気に入らないなら、無理して仲良くしなくていい。だけど、傷つけちゃダメだ。」


 明仁の言葉に、彰良の目にはじわりと涙が浮かぶ。


 なんで彰良だけ。

 こんなの理不尽だ。


 胸がムカムカする嫌な感じに任せて、彰良は明仁に精一杯の反論をした。


「でもあいつだって、いつも俺のこと馬鹿にする……!」


 泣き声混じりの彰良に明仁はゆっくりと頷くが、しかし不思議な事を口にした。


「彰良。玲は本当に、お前を傷つけているのか?」


「え?」


「玲は確かに鋭(するど)い言い方をする時がある。だけどそれは、本当にお前を傷つける言葉だったのか?……少し考えてみなさい。」


 その言葉に彰良は首を傾げる。

 

 玲の言葉は鋭くて、氷みたいでいつも彰良を苛(いら)つかせる。


 だけど、それは。


 彰良は難題を前にしたように眉を寄せながらも、明仁に頷いてみせた。



◇◇◇


 彰良が台所に戻る頃には、中は淹れたてのお茶の香りで満たされていた。

 用意された二人分の湯呑みに、彰良の姿を認めた玲がゆっくりとお茶を注いでいく。


 とぽとぽと漏れる音がどうしようもなく暖かい。


「待ってなくても良かったんだぞ。」


「一緒に飲みたかったんだよ。ほら、熱いから気をつけて。」


 玲の白い指先が彰良に湯呑みを差し出す。

 その色が眩しくて、目を細めながら彰良は湯呑みを受け取った。


 少しだけ触れた指が熱を持ったみたいに熱い。


「……美味いな。」


「ふふ。松陰(まつかげ)さんにお茶の淹れ方指導されたんだよね、この前。」


「隊長連中は何やってんだよ……。」


「いいんだよ。平和な証拠だろ。」


 取り止めもない話が紡(つむ)がれては消えていく。


 ただ緩(ゆる)やかに流れる時間が心地よくて、このまま止まればいいのに、なんて馬鹿なことを考えた。


「魚、俺がやるよ。煮付けでいいか?」


「うん。彰良の味付け好きだから嬉しい。」


 包丁が野菜を刻む音と、鍋が沸騰する音。

 そこに玲のくすくすと柔らかい笑い声が混ざって響く。


 彰良の心臓を柔らかく擽(くすぐ)るような、そんな声。


「お前、酒は?」


「この料理なら日本酒でしょ。大吟醸(だいぎんじょう)。」


「冷やしといて後から燗(かん)つけるか……。そういや明日休み取ったのか?」


「もちろん。彰良は?」


「俺も。」


「じゃあゆっくり朝寝坊できるね。」


 玲の笑顔にきらきらと光の残滓(ざんし)が舞ったように見えた。

 その髪に、頬に、全てに触れたいと言ったらこいつはどうするのだろう。


 その笑顔が可愛くて、ずっと側(そば)で見ていたいと言ったら。


「玲。」


「ん?」


「……なんでもない。」


「?そう?」


 不思議そうな玲に彰良は苦笑を漏らす。


 きっとこの気持ちを知らない玲は、どう思うのだろう。

 もっと強くなって、守れるようになったらいつかはこの想いを伝えられるだろうか。


 あの時からずっと、彰良にとって玲の笑顔は特別なのだと。



◇◇◇


 あの倉庫事件から彰良はずっと、明仁の言葉を考えていた。


 机には睡蓮のほかに、新しく寄木細工の階段箪笥が増えている。

 明仁が、もし玲に渡したくなったら彰良から渡してやって欲しいと置いていったのだ。


 それを見ながら彰良は眉間に皺を寄せていた。


 ーー玲の言葉かぁ……。


 氷みたいに鋭い玲の言葉。

 だけど、氷みたいに玲の言葉はすぐ溶けて残らない。


 玲は彰良の事を馬鹿にしても彰良を見捨てたりしないし、算数ドリルも漢字ドリルも手伝ってくれた。


 剣術で悔しくて泣いた時は呆れていたけど泣き止むまで側に居てくれたし、彰良がどうすればもっと強くなれるかも教えてくれた。


 本の読み聞かせだってしてくれたし、料理だって美味しい。お風呂も少しずつ一人で入りだした。


 玲は、彰良を馬鹿にするけど否定しない。


 お前はダメだとか、気味が悪いとか、この変な色の髪だって何も言わずに受け入れてくれてる。


 ーーでもムカつく……。


 なんでムカつくんだろ。

 いつも澄ました顔をしてるから?嫌味を言うから?


 でもどれもしっくりこない。


 玲のムカつくとこ。苛々するとこ。それはーー、


「あ、分かった。あいつ、笑わないんだ。」


 嬉しい時は笑えばいいのに、笑わない。


 だから喜んでないのかな、とか、この家が嫌いなのかな、とか思ってしまって、それでムカつくんだ。


 彰良は玲と仲良くなりたいから。


 この花だって欲しいと言ってほしかった。

 階段箪笥も、あんな反応じゃなくて、好きだから可愛いから欲しいんだと言ってくれたら彰良だって。


「……。」


 もっと色々言ってくれたらいいのに。

 明仁は言っていた。家族になったんだと。


 彰良と玲は家族なのに、玲は全然家族になってくれない。


 笑ったらきっと可愛いはずなのに。


 彰良は溜息を吐くと立ち上がった。

 もし玲が彰良の事を嫌いだったら、それは仕方がないのかもしれない。


 この家が嫌なのかもしれないし、そもそも玲のお父さんやお母さんはどこにいるんだろう。

 なんで玲は一人でこの家に来たんだろう。


 ぐるぐると考えながら、彰良は部屋の外に出た。


 今日のお昼は玲が当番だ。

 彰良はまだ一人で作れないから、彰良の当番の時は玲が一緒に作ってくれていた。


 だけど、最近の玲は彰良にあまり近付いてこない。

 あの倉庫の日からだ。


 彰良はとぼとぼと廊下を歩く。

 そうすれば、廊下の端に玲が蹲(うずくま)っているのが見えた。

 

 お昼はもうすぐなのに、こんな所で何をしているんだろう。

 彰良はそっと近づくと、玲の肩を後ろから揺すった。


「玲。もうお昼なのにこんな所で何してーー、」


「ごめんなさい!」


「え?」


 玲の大きな声に、驚いて肩に乗せていた手を放す。


 玲はガタガタと震えながら、顔を上げずに彰良の足元にひざまづいた。


「玲……?」


「ごめんなさい。ごめんなさい。すぐ作ります。ごめんなさい。すぐ作るから、許してください。」


 途絶える事なく溢れる「ごめんなさい」に彰良は、呆然と立ちすくむ。


 一体どうしたんだろう。

 誰も怒ってないのに、どうして。


「ごめんなさい。ごめんなさい……。ごめんなさい……。」


 そう言いながら玲は立ちあがろうとするが、力が入らないのか立ち上がれない。


 その時彰良はようやく、玲の頬が真っ赤に染まっている事に気がついた。熱があるのだ。


「玲!熱が……!!」


「ごめんなさい……。ごめんなさい……。」


 彰良の声にも、玲はますます小さくなるだけで答えない。


 どうしよう。

 どうしよう。

 どうしたら。


 なんとかしようと焦っていると、彰良の背後から騒ぎが聞こえたのか明仁が走ってきた。

 その顔が何か苦しいものを飲み込んだみたいに歪んでいる。


「玲……。大丈夫。大丈夫だ。誰も怒っていない。大丈夫だよ。」


「ごめ、なさ……。」


「いいんだ。謝らなくていい。……熱があって身体が辛いんだな。いいんだよ、無理しなくて。ほら、大丈夫。大丈夫だ。」


 明仁は玲の近くでしゃがみ込むと、身体に触れないように何度も優しく言い聞かせた。

 玲はその声に少しずつ落ち着いて、最後には気絶するように眠ってしまった。


 その身体を抱き上げて、明仁が立ち上がる。

 彰良に目配(めくば)せするのに、彰良は頷いて後ろをついていった。


 玲の部屋は相変わらず物が少なくて、折角の文机も本棚も空っぽだった。


 その部屋の真ん中に布団を敷いて、玲を寝かせる。

 意識のない玲は荒い息を吐いて、頬は林檎のように真っ赤に染まっていた。


 明仁は手慣れたように押し入れの中から救急箱を取り出すと、玲の額に冷却シートを貼り付ける。


 彰良はそこに救急箱があるのを初めて知った。


「彰良。」


 玲の様子が少し落ち着いてきた頃、明仁は彰良に声をかけてきた。

 彰良は明仁の隣に座ったままその顔を見上げる。


 明仁の表情は悲しいような悔しいような、そんな顔だった。


「……びっくりしたか?」


「うん。……玲は、なんでごめんなさいって言ってたの?」


「そうだな。……玲はな、ここに来る前いっぱい悲しい事があったんだよ。」


「悲しい事?」


「そうだ。悲しい事や、辛い事。痛い事。それを避けるために、玲はいっぱいごめんなさいを言わなきゃいけなかったんだ。」


 あんなにいっぱい謝らなきゃいけないなんて、どれだけ辛くて悲しい事だったんだろう。


「玲のせいじゃない事で、いっぱいごめんなさいをしてきたから、たまに驚いたり体調が悪かったりするとその時のことを思い出してしまうんだよ。今日はきっとその両方だったんだな。」


「俺のせい……?」


「違う。お前も玲も悪くない。悪いのは玲を理不尽に傷つけてきた人たちだ。」


 明仁が彰良の方に向き直る。

 彰良もちゃんとその顔を見つめた。


「玲はな、たまに鋭い事を言うだろう。あれは、玲が自分を守るために言っているんだ。いっぱい怖い思いをしたから、これ以上怖い思いをしたくなくて、先に距離を取るんだよ。でもこの子は優しいから、本当に嫌なことは出来ない。分かるか?」


「うん。……玲は、嫌なやつだけど……でも、酷いことはしないよ。」


「そうだな。……彰良。お前は玲のことどう思う?」


 彰良の言葉に明仁は柔らかく微笑んだ。


 その笑顔に勇気をもらうように、彰良は胸の奥に引っかかっていた言葉を口に出す。


「俺は……俺は、仲良く……なりたい。」


 仲良くなりたい。

 家族になりたい。


 玲が、笑うところを見てみたい。


「そうか。……じゃあ、側に居てあげなさい。玲は一人で居ようとするから。」


 彰良はその言葉に強く頷いた。


ここまで読んでいただきありがとうございました。


彰良と玲の過去編です。

小さい二人が沢山書けて楽しかったです。明仁はこの頃とても幸せだったと思います。

よかったら楽しんで読んでいただけると嬉しいです。


次回更新は9/12土曜日です。

(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)


よろしければ感想や評価、リアクションなど頂けると励みになります。

よろしくお願いします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。