睡蓮の恋②
早退した午後。
彰良は玲と二人で並び、近所のスーパーで食材を眺めていた。
隣で玲が手に持った牛肉を眺めながら小さく首を傾げる。
「明仁さん、お肉料理の方が好きだよね?何がいいかな……。お前は何食べたい?」
「肉じゃが。……あとそんな肉料理ばっかだとお前食えないだろ。魚も買おう。」
「ふふ、そんなに食べれるかな。」
ふわふわといつもより柔らかい笑顔に心臓が鳴る。
玲は今日、随分と機嫌が良い。
その機嫌の良さが彰良にも伝播して胸が暖かくなる。
ただし、玲の横顔をすれ違う人たちが振り返って見ていくのは不快ではあるのだけど。
買い物を終わらせ、歩いて帰路に着く。
調子に乗ってケーキまで買ってしまったが、まあ良いだろう。
彰良は出来れば明仁の好きなものより、玲が好きなものを食卓に並べたい。
少しでも沢山食べてくれたら、それだけで彰良も満足できる。
流れる小川を眺めたり、途中に咲いていた躑躅を見たりと寄り道しながら歩けば、最後の関門である長い石造りの階段まで来た。
この階段を登った山の中腹が三島神社だ。
ただし、それはハリボテのようなもので本物の本殿と御神体である水の源泉は山頂付近にある。
そこは神域であり、普通の人は立ち入ることは許されない。許された者だけが踏み入れることができる地。
彰良たちの家もそこだ。
術式が組まれた階段を上がれば、五分ほどで山頂に辿り着く。
途中の道を省略し、許可された者だけを通す術式だ。
ちなみに彰良たちの他には楽や清治、組織のメンバーとそれから運送屋さんも許可している。このご時世、通販がなければ不便だからだ。
階段から少し歩けば純和風の三島家が見えた。
その後ろに聳え立つ山は緑が濃い。
あの山には山神が住まい、家の庭に流れる池の水の源流には龍神が祀られている。
二柱の神は夫婦であり、どちらも癖が強い。
特に山神は女神で男嫌いだが、昔からなぜか玲を気に入り神隠しにあわせようとするから彰良は山神が嫌いだ。
「ただいまー。」
「おう、おかえり。」
「ふふ、彰良もおかえり。」
にこにこと楽しそうな玲の笑い声に、手に持ったケーキの箱が揺れる。
まだ明仁は帰っていないようだが、彰良にはそんな事は些事だった。
それよりも「ただいま」や「おかえり」が胸に響いて少し苦しい。
彰良は顔に出さないようにしながらも、とめどなく湧いてくる暖かいものでいっぱいになりそうだ。
今日は家に、玲がいる。
「彰良、先に着替えてくる?」
「いや食材しまう。お前が先に着替えてきていい。」
「そう?じゃあお願いね。」
ケーキの箱を彰良に手渡し、玲がぱたぱたと駆けていく軽い音に耳を澄ませながら彰良は台所へと足を進めた。
大量に買った食材を冷蔵庫に詰めながら、そっと息を吐き出す。
すでに満杯に近い胸が供給過多でこれ以上いっぱいになったらどうしよう。
ーー昔はこれが普通だったのにな……。
思い返せば、簡単に辿ることのできる記憶の糸。
甘くて幸せで、でも苦い。
玲と過ごした、大切な宝物のように輝いていたあの日々を。
◇◇◇
その日、彰良は桶を手に池の源流へと向かっていた。
龍神が祀られている山の源流は、様々な怪我や不調に効く。
それを取ってこい、と五歳の彰良は父親の明仁に電話で言われたのだ。
明仁は大抵いつも朝から家を留守にしているが、彰良はそこまで寂しくなかった。
この山には霊的なものが沢山いて木霊や精霊がいつも遊び相手になってくれていたからだ。
しかも今日はサプライズプレゼントがあると明仁は言っていた。
それを思えば、ちょっとした寂しさなんてどこかに吹き飛んだ。
まだ小さな身体に桶は大きかったけれど、両手で抱えれば持ち上げられた。
その事に幼い彰良は胸を張っていた。胸には使命感が燃えていたのだ。
池のほとりに辿り着く頃。
流石に桶が重くて少し休もうと考えながら、彰良が桶から目線を上げて池を見た時だった。
池の近くに誰かが座り込んでいた。
その子は彰良よりも小さくて、髪も長くて、そして、驚くほど美しかった。
細くて長い黒髪が風に靡いて揺れる。まるで闇夜が踊っているみたいに。
顔は庭の木蓮みたいに真っ白で、身体は雪が積もった連翹の枝みたいに頼りなかった。
そして何よりもその瞳が。
池に咲く睡蓮のような薄青の瞳が、彰良を惹きつけた。
ーー睡蓮のお花だ……。お花の精霊だ。
木霊たちは良く見るけれど、花の精霊は恥ずかしがり屋であまり彰良の前に現れた事はない。
だから彰良は、その子が睡蓮の精霊だと信じて疑わなかった。
彰良は少しの間その子に目を奪われ、しかし、よくよく見てから首を傾げた。
その子の頬にあった大きなガーゼと、腕のギプス。
精霊は本来怪我をしない。
普段は踊るように美しく、傷つけば消えるだけ。
じゃあ、あの子は。
消えそうなくらいに儚いけれど、しっかりそこにいるあの子は。
ーー人間……?
あんなに綺麗な子がいるのだろうか。
彰良はドキドキと鳴る心臓を手で押さえながら、その子をずっと見ていた。
桶はいつの間にかどこかに置いてきたようだ。
しかしそんなこと忘れるくらい見入っていた。
暫く見ていると、その子は座っていた岩を降りて、池の淵に近づいた。ゆらりと水面が揺れて、盛り上がる。
池に住んでいる水の精霊がその子に近づいているようだ。
水の精霊は気のいい奴だ。
だけどたまにふざけて、人を水の底に引っ張っていく。
気付いた彰良は無意識に走り出した。
あの子を助けないと。
あんな綺麗な子、引き摺り込まれてしまう。
そうして走って、
「あぶない……!」
「……え?」
振り向いたその子にもう一度見惚れていたら、彰良の身体はその子を素通りして池の中に落ちた。
バシャンと派手な音がして、秋の終わりの冷たい水の感覚に全身が竦む。
彰良の行動で水の精霊は少しばかり驚いたようだが、すぐに水の温度を変えてくれた。そのおかげで寒さは消える。
何が起きたのだろうと、全身ずぶ濡れになりながら彰良は考えた。
あの子を助けようと駆け出して、でもあの子の手は掴めなかった。
そうだ、あの子は咄嗟に彰良を避けたのだ。
ーー助けようとしたのに……。
なんだか理不尽な気がして、彰良は顔を上げた。
彰良の視線の先には、遠くからでも綺麗だったその子が驚いた顔で彰良を見下ろしていた。
少しだけ見開かれた瞳にぼんやりと、驚くんだな、本当に人間なんだな、と思う。
しかしその子は彰良が見ていることに気がついたのか、すぐに驚いた表情を引っ込めると、代わりに呆れたような面倒なような冷たい視線を彰良に向けてきた。
「……急に飛びついてこようとするなんて……君、なんなの?」
「は、はあ……!?俺はただ、助けようと思って……!」
「助ける?何から?」
「みーー、」
水の精霊、と言おうとしてハッとする。
本来なら、霊的な存在は見えない人が多い。変なやつと思われたくない。
そのまま黙り込んだ彰良に溜息を吐いて、その子はギプスがハマっていない手を差し出してきた。
その手に自然と自分の手を重ねる。
手は暖かくて、なんだかホッとする。引っ張られる感覚に彰良は立ち上がった。
「ヒーロー気取りでごっこ遊びに付き合わせるなよ。」
「なっ……!!別に俺は!!……っ、お前こそ何してたんだよ!!」
随分と大人びた口調に彰良は怯んだ。
彰良より小さいのに、その子の横顔は随分と歳上に見える。
その子は呆れた表情も消して、無表情になるともう一度池の淵に近づく。
そうすれば水の精霊がやって来て、その子に綺麗な睡蓮を差し出した。
その子の瞳と同じ色の睡蓮を。
受け取って、その子がそっと目を閉じる。
「これ、くれるって言うから。」
まるで大事なもののように睡蓮をその子が胸に寄せた。
その仕草があまりにも綺麗で、また彰良の心臓がドキドキと鳴る。しかし今度は心音に呑まれる前に彰良は気が付いた。
その子が水の精霊から、花を受け取ったことを。
「え、み、見えるの……!!?」
明仁と死んだ母親以外で、精霊が見えた人なんて初めてだった。
彰良の心臓の高鳴りは別の理由で鳴り始める。
もしかして、もしかすると、彰良と同じ世界が見える人なのかもしれない。
だったら彰良を怖がらないかも。
そうしたら、友達にーー、
「君、馬鹿なの?今更そんなこと聞く?」
絶対友達になんかならない。
彰良はその子の答えを聞いて胸に誓った。
なんだこいつは。
なんなんだ、さっきから。
人を馬鹿にしないと話せないのか。
彰良は強烈な苛立ちに、その子を指さして叫んだ。
「ば、バカはお前だ!!それ、うちの池の花なんだぞ!勝手に取るなんてドロボーなんだからな!!」
「勝手に取ってないけど。」
「それでも!!ドロボー!!!」
こんな事しか言えなかった。
何を言っていいか分からなかったし、彰良はただ思いついた言葉を咄嗟に吐き出したのだ。
しかしその子は無表情を崩さず、いやむしろそれよりも冷たい表情でふーん、とひと言呟いた。
「……じゃあ、返す。」
「え、」
「間抜け面。……めんどくさい。」
その子はそう言うと、彰良に花を押し付けて母屋の方へと歩いて行ってしまった。
後に残された彰良は、ただ呆然とするしかなかった。
◇◇◇
ーーあの後、親父から聞いてサプライズプレゼントが玲の事だって知ったんだよな……。
散々な出会いだったが、その後も最悪だった。
玲は明仁の前でも平気で彰良を罵倒したし、明仁は咎めることもなく、さっそく仲良くなったのかと喜んでいた。
サプライズプレゼントが玲だったなんて、あの時は心底ガッカリしたものだ。
さらさらと衣擦れの音が耳に響く。
それと同時に軽い足音。
振り返れば、着物姿になった玲が台所の入口から丁度入ってくるところだった。
三島家では和装が主な服装だ。
玲も昔から着慣れているから特に問題なさそうに着こなしている。
良かった。
丁度この間、陰干しをしたのだ。
「お待たせ。お前も着替えてきなよ。俺、下拵えしとくから。」
「分かった。でもすぐ戻るから茶でも飲んでろ。」
「えー気にしなくていいのに。じゃあお前もお茶飲んでひと休みしよう。俺、淹れとくから。」
「ああ。」
さらりと流れる髪に触れたくなって、少しだけ腕が震える。
それを抑えて、玲の横を通り抜ける。
もし今、明仁がサプライズプレゼントだと玲を連れて来るところまで戻れたら。
きっと彰良は子供の時のような気持ちを味わう事もないだろう。
だってずっと、喉から手が出そうになるほど、今の彰良は玲を求めているのだから。
台所を出て、とめどなく溢れる想いに息を吐く。
今日はちょっと、刺激が強い。
あいつが体調を崩していればこんなに呑まれることもないのに。
もちろん、体調なんて崩さないでいて欲しいのだけど。
「……落ち着け、俺。」
言い聞かせるように呟いて、彰良は自分の部屋に向かった。
気を逸らすため、意識を遠く記憶の中に向ける。
絵本を開くように、鮮やかな思い出が世界を彩っていくーー。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
彰良と玲の出会い編ですね。
小さい玲のつんつんが可愛くて好きです。よかったら楽しんで読んでいただけると嬉しいです。
次回更新は9/5土曜日です。
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