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夢幻の檻④

 季節が巡る。年月が経つ。思い出が降り積もっていく。


 彰良(あきら)(れい)は高校を卒業して、玲は家から大学に通うようになって。

 少しずつ表情が柔らかくなっていくのが嬉しくて。


 気がつけば二十四歳になっていた。


 彰良は明仁(あきひと)の指導のもと、神主としてひと通りのことを学び終わっていた。

 玲も二年ほど前に無事大学を卒業して家にいる。


 二人だけの生活。他の誰も入り込めないような。

 

 それに満足していた、そんな普通の日だった。


「何がいるんだっけ?」


「えっと……魚と、ティッシュ。それから大根。」


「おー。俺、買ってくるわ。」


「あ、待って。俺も行く。」


 いつも通りの買い出し。

 普段は彰良が行くことが多いけれど、今日は玲も一緒に行きたいらしい。


 そこで彰良の悪戯心が顔を出した。

 パタパタと(せわ)しなく準備をしている玲を置いて行ったらどうなるだろう。


 いや、何も本気な訳ではない。

 聞こえなかったふりをして、少し階段を降りるだけだ。


 昨日勝手に彰良のプリンを食べた事への意趣(いしゅ)返し。

 そんな軽いただの悪戯。


「あれ?彰良?」


 彰良の背に玲の声がかかる。多分玄関扉からひょっこり顔を出しているのだろう。

 容易(ようい)に想像できるその光景に笑いを噛み殺しながら足を進める。

 そうすれば更に焦った声が響き渡った。


「あ、ちょっと、彰良。おーい。聞こえてないの?」


 急いで玄関を閉めているのだろう。

 普段よりも雑な音に何だか胸が熱くなってどうしようもない。


 これ以上はやめおこうか。いや、でももう少しだけ。


 そんなことを思いながら階段を一段降りた、その時。


「彰良、置いてかないで……!」


 ーーあれ……?


 どくん、と心臓が鳴る。

 それは嬉しいとか恥ずかしいとかじゃない。嫌な感じの鳴動(めいどう)だ。


 耳の奥が血液の流れる音で溢れていく。

 とっさに胸の辺りの服を掴んだ。息が苦しい。


 なんだこれ。なんだ。


 なんで、


『ずっと、ここで待ってる。』


 脳内で響き渡った声に彰良は息を止めた。


 ああ、ああ、そうかよ。

 そうだ。

 そうだった。

 くそ、ちくしょう。


 そうだったんだ。


「やっと追いついた。もう、意地悪やめてよ。……彰良?」


 覗き込んでくる顔に立っていられなくなってずるずるとその場に座り込んだ。

 片手で顔を(おお)い、深く息を吐き出す。


 それに玲は慌てたように具合が悪いのかと聞いてきた。


 いや、違う。玲じゃない。


 背中を(さす)ってくれる優しい手も、甘い匂いも、心配そうに眉を下げるその顔も。


 ーーくそったれ……。

 

 ここは、彰良の夢の中だ。



◇◇◇


 玲を追って、この世界に入って、がむしゃらに努力して。


 だけど、ずっと遠くて。


 どうしようもないと拳を握りしめた春のまだ肌寒い日を、覚えている。



◇◇◇


 最悪な気分だ。

 今まで積み上げてきた全てが消え去るような、そんな心地。


 なんでこんな事忘れていたんだろう。

 いや、きっとわざと思い出さないようにしていた。


 それくらい幸せだったから。


「彰良?大丈夫?」


「……ああ。」


 嘘だった。大丈夫なわけがない。

 だけどもう、一度気がついてしまえばこんな幻想の中にはいられない。


 早く、帰らないと。


 彰良は顔を覆っていた片手を落として、見つめてくる顔に視線を向ける。

 こんなに精巧(せいこう)で、手が届くところにいる何よりも大切な相手。


 まったくもって、己の妄想は常軌(じょうき)(いっ)している。


 彰良はその頬に手を伸ばすと、指先でそっと撫でた。不思議そうに、それでも受け入れてくれるのに苦笑を漏らして、それから口を開く。


「帰らないとな。」


「?でも今から買い物って……。やっぱり具合が悪いの?」


「いいや。具合は悪くない。ただ、帰らないと。……現実に。」


 大きく見開かれた目に彰良は笑った。

 そんな顔、絶対にあいつはしてくれない。


 目の前の夢は、何かを(こら)えるように眉を寄せる。泣きそうに歪んだ顔に罪悪感が胸を締め付けた。


「何言ってるの?まだ、八年前のこと引きずってる?それとも俺を揶揄(からか)ってるの?……冗談やめてよ。」


「冗談かどうかは、お前が一番よく分かってるだろ。」


「っ、なんで……!」


「……言わないから。」


「……え?」


「言わないから、あいつ。『置いていかないで』なんて。……絶対に。」


 呆然とした顔を見つめて、彰良はそっと目を閉じる。


 そう。言わない。

 

 あいつは、彰良の知っている玲は彰良に『置いていかないで』なんて絶対に言わないのだ。


 ーーそれを言うのはむしろ……。


 置いていかないで欲しかった。

 ずっとここにいて欲しかった。


 あいつの、生きる理由になりたかった。


 だけど、それは全部彰良の願望だ。


 玲は彰良に望まない。

 彰良が離れて行こうと、忘れようと、あいつは引き止めはしないだろう。


 だけど。


『ずっと、ここで待ってる。』


 今でも覚えている。

 届かなくて、遠くて、俯いたまま拳を握りしめたあの日。


 たったひとつ約束を交わした。

 それを守るためならどんな事だってすると誓ったのだ。


 だから、自分の夢に(ひた)って、ただの妄想に溺れて、それを(たが)えるわけにはいかない。


 震える手で彰良に(すが)っている腕をそっと退()かす。


 ここは彰良の生きる世界じゃなかった。

 だったらもう、期待を持たせるような事をしてはいけない。


 そんな彰良に、夢は彰良の服を掴むと顔を上げた。

 その目には涙が浮かんでいる。


「……ここにいて、彰良。」


「……。」


「ここにいてよ。……なんでダメなの?ここはお前の理想でしょう?傷つくことも、怖いこともない。俺はお前だけのもので、お前は俺だけの。どうしてそれじゃいけないの?」


「そうだな……。」


 ずっとそれが望みだった。

 玲が傷つかない世界。彰良の隣にいてくれる世界。


 いいや、もっと単純に、二人だけの世界が欲しかった。


 彰良はずっと玲を閉じ込めて、ただ自分に繋ぎ止めておきたかった。


 ーー諦められたと思っていたのに……。


 そんな自分勝手な夢。捨てたつもりだった。

 だけどやっぱり、心の奥底に巣食っているものは変えられないらしい。


 それでも。


「……悪い。選べない。俺は、お前を選べない。」


 絶望に歪む顔。

 ああ、そんな顔させたくなかったのに。


 溢れてくる涙を指で拭って、それでも彰良はこの夢を選ぶことは出来ない。


「……なんで。」


 小さな声が響いた。

 嗚咽(おえつ)の合間の、しゃくり声。


 涙は止めどなく、指では追いつかないから抱きしめた。


「約束したんだ。昔。」


「約束?」


「そう。……『いつか、追いつくから、』」


「……追いつくから?」


「『その時は、一緒に地獄まで連れてってくれ』。」


 腕の中で、驚いたように身体が跳ねる。

 その背を優しく撫でながら、彰良は思い出していた。


 あれは組織に入って少しして。

 春のまだ肌寒い日。


 どれだけ努力しても足りなくて、届かなくて、不満そうだと笑われた時に、一気に決壊した。


 あの日、玲は彰良に追い付かせる気はないと言った。自分は東條の剣で盾で駒だと。

 副隊長や隊員程度に追い付かせたりはしない、と。


 だけど約束した。


 玲の言葉に絶望する彰良の手を取って、あいつは最後に言ったのだ。


『お前が追いかけてくるって言うなら、俺は待ってる。ずっと、ここで待ってる。』


 滅多に見せない、花が(ほころ)ぶような笑顔で。

 彰良が一等見たかった、昔と変わらない笑顔で。


 だから彰良は。


「あいつ、性格最悪だし……頭いいけど斜め上だし、嫌なやつで、本当にムカつくけど。でも、あいつが俺にとっての玲だから。」


 そばにいたいと望んだのも、追いかけ続けると決めたのも、あいつだったから。


 彰良は腕の中の夢をそっと自分から引き離した。

 

 見上げてくる顔は相変わらずそっくりで、手離し難いのに苦笑して。


「……夢からの、帰り方は分かってる?」


「ああ。」


 最後にそんな事を言うのにまた笑って、彰良はいつの間にか持っていた自身の刀を抜いた。

 それに合わせて周りの景色も歪んでいく。


 夢の終わりだ。


「……じゃあな。」


 それだけを呟いて、彰良は刀を自身の胸に突き刺した。



◇◇◇


 倒れ伏した獲物を前に、黒真珠は上機嫌だった。


 こんなに早くケリがつくなんて。

 甘い薔薇の香りは(かんば)しく、天気も良い。


 きっとヒミズも喜んでくれるはずだ。


「ああ……ヒミズ様。今度こそわたくしの薔薇を受け取ってくれるかしら。」


 自身の名と同じ一輪の薔薇を。

 色が不気味だと(さげす)まれ、愛されなかった薔薇。


 まるでわたくしのように。


 ーーでも、ヒミズ様は違う。


 ゴミの中から黒真珠を見初(みそ)め、わたくしの顔を美しいと言ってくれた唯一の人。

 お役目さえ果たせば、あの瞳にもう一度映ることができる。


 紅潮する頬を押さえて、黒真珠は愚かにも夢に浸っている獲物を見下ろした。


 仏頂面が近寄り難い印象を与えていた男だが、こうして見ると綺麗な顔つきだ。

 コレクションに加えるのも悪くはないかもしれない。


「うふふ。貴方は幸せな夢の中。わたくしは貴方の魂を少しずつ味わう。なんて素晴らしいのかしら。」


 持ち帰って、なるべく長持ちさせながら味わおう。

 その為にも、後は子供たちを殺さなければ。


 まあ、あの子たちはこの男よりもずっと弱そうだったからすぐに終わるはず。

 あちらは見せしめに死体を食い散らかしてやろうか。


「あ、でも……あの男の子は生きたままだったかしら……。」


 なんでもあの子の身体には、(たぐ)(まれ)なるハグレモノが封じ込められているのだとか。


 それを使って人間を(もてあそ)ぶ。

 それこそがヒミズの退屈を紛らわせる唯一の方法。


 ただ気になるのは、それ以上にヒミズの心を掴んでいる人物がいる事。


 確か名前は。


亜月(あづき)(れい)……。」


 ヒミズの心を掻き回す、唯一の存在。

 そう考えれば、この男もまた亜月玲に全てを持っていかれているのだとか。


 途端に気に入らなくなって、黒真珠は彰良の身体を踏みつけた。


 ああ、悔しい。

 なぜ誰も彼もあんな青年に魅せられているのやら。


 黒真珠の方がよっぽどヒミズを愛し、忠誠を誓っているのに。


「そうだわ……。」


 良い事を思いついた。

 その亜月玲も黒真珠が殺してしまおう。そうしてその魂を取り込む。


 そうすればヒミズは黒真珠に振り向いてくれるかもしれない。

 この獲物を活用するのはどうだろうか。

 亜月玲の目の前で引き裂いてやったらどうだろう。


 絶望感に打ちひしがれる顔を見れば、幸せな気持ちになれるかもしれない。


「うふふふふ。亜月玲。憎い男。殺すわ。そうしましょう。ふふふ、どんな顔をするかしら。苦しんで死んでくれたらいいわ。」


「そりゃ無理だろうなぁ。あいつのが俺よりしぶといから。」


 急に響いた声に、黒真珠は息を呑んだ。

 まさか、そんな。


 慌てて背後を振り返れば、先ほどまで倒れ伏していた彰良が起き上がっている。


 どうして。

 この男には、夢を見せているはずなのに。


「クソくだらない夢だったから、つまんなくて起きちまった。」


 あっけらかんと言い放ちながら、右腕の動きを確認している彰良に黒真珠は内心舌打ちをした。


 くだらないなんて、そんな筈はない。

 黒真珠の毒は、対象に幸せな夢を見せるものだ。


 本当に望む、心の中の醜悪。

 その欲望に(あらが)える人間など存在しない。


 一体どうなっている。


 あり得ない事象に爪を噛んでいれば、動かせないと分かったのか彰良が左手に刀を構えた。

 そんな彰良に黒真珠は内心の苛立ちを見せないように柔らかく微笑む。


「……お気に召さなかったかしら?」


「そうだな。あんな夢見るくらいなら、死んだ方がマシだ。」


「ほほ、バカな事を……。」


 言葉通り、死んだのだろうこの男は。そうでもしなければ夢から抜け出せない。

 もしくは、心の底からの欲望に刃を突き立てたのか。


 どちらにしろ気が狂っている。


 ーーまあ、良いわ。


 毒を入れる際、利き腕の方を貫いていて良かった。


 黒真珠はあまり物理戦闘むきではないが、夢なんて見せなくともこの程度なら殺せる。

 少し勿体(もったい)無いけれど、死体は八つ裂きにして亜月玲に降らせてやろう。


「もう一度眠らせてあげます。」


 黒真珠は自身の荊棘(いばら)を一斉に彰良へと向けた。

 その棘を彰良の刀が受け止めるが、勢いに呑まれていく。


 所詮はその程度だ。

 全ての荊棘が彰良を覆い尽くし、締めつける。


 血が滴る感覚に恍惚(こうこつ)の表情を浮かべ、そして。


「……え?」


 溢れ出た無色透明の水に、黒真珠は呆然と言葉を吐き出した。


 なぜ。

 確かに今、奴の身体をズタズタに裂いたはずなのに。


 そんな黒真珠に地面に溜まった水から鋭利な棘が伸びる。

 それを間一髪で(かわ)し、辺りを見回す。


 どこだ。どこに行った。


「こっちだ、化物。」


 背後から声。

 振り返るよりも先に荊棘で叩き潰すが、また水。


 なんなのこれ。

 なんなんだ、こいつ。


 水が飛び散れば飛び散るほど、棘のような攻撃が躱しづらい。

 折角おめかししたのに。綺麗なドレスに穴が空いていく。


 そしてついに、


「ぎゃっ!!!」


 黒真珠の頬から血が(したた)り落ちた。

 それは地面に落ちる前に塵になって消えていく。


 しかし黒真珠は己の頬に手を伸ばして傷を確かめると、荒い息を吐き出した。


 わたくしの顔。

 ヒミズ様が褒めてくれた、わたしの、あたしの顔に。


「!!っ傷つけてんじゃねえええ!!!!!」


 辺りかまわず荊棘を叩きつける。


 くそ。

 くそくそくそ!

 殺してやる殺してやる殺してやる!!!!


 何度も執拗(しつよう)に地面が(えぐ)れるまで叩きつければ、水は次第に力を弱めていった。


 そして道の真ん中で(うずくま)るように倒れた、全身に穴が空いた彰良を見つける。


 黒真珠はそれに口の端を歪めた。


「あは、あはははは!!!ザマアミロ人間!!!てめえの顔もぐちゃぐちゃにしてやる!!」


 赤い血が噴き出たそれは正しく彰良だ。

 黒真珠は意気揚々と近づき、その身体を踏みつけ、


「……幻覚使いが騙されてんじゃねーよ。」


 ぱしゃりと、黒真珠が踏みつけていた身体が崩れて溶けた。

 血だと思っていたのはよく見れば薔薇の花。


 だけどどうして。

 どうして、あたしの顔が水溜りに落ちていくのだろう。


 ばしゃ、という音と共に黒真珠の視界には空が映る。


 空と、自分のドレス。

 それから。


「悪いな。夢じゃなくて、水に溺れさせて。」


 陽光に輝く銀髪を最後に、黒真珠の頭は水の中に消えていった。



◇◇◇


「あー、疲れた……。」


 彰良は穴だらけになった床に座り込み、息を吐き出す。


 黒真珠が塵になった事により、結界は消えて元の廃ビルに姿を戻していた。

 これなら田中(たなか)たちとの合流も容易(たやす)いはずだ。


 ーーやべー女……。


 刀を振れないことは分かりきっていたので、すぐにデコイを作って遠くから見ていたが、なんだあれ。


 特にキレた後。

 あんな荊棘で叩き潰されれば人間なんてたまったものじゃない。


 興奮していたからか、最後の仕掛けに気が付かないでいてくれたのは良かった。

 彰良も流石に利き腕じゃない方で戦うのは難しかったから。


 ーー首切り落とすのもしんどかったわ……。


 痛む右腕に息を吐き出す。

 血が溢れていて指がうまく動かない。(しばら)くは使い物にならなそうだ。


 ネクタイを解き、適当に止血して彰良は目を瞑った。


 そもそもこちとら寝起きだし。

 もうこのまま寝ながら救助を待ってやろうか。


「……あー、でも残夏(ざんか)……。」


 流石に探しに行かないと可哀想か。

 もしくは戻ってきて彰良が寝ているのを見たら、勝手に勘違いして泣くかもしれない。


 彰良は散々迷った挙句、渋々、本当に渋々立ち上がった。


 仕方ない。

 弟子の面倒くらい見てやろう。


 それに多分。

 脳裏に浮かぶ、薄青色。


 ーーまあ、行ってみりゃ分かるか。


 彰良は一度伸びをしてから、ゆっくりと階段の方に足を向けた。


ここまで読んでいただきありがとうございました。


彰良復活編です。

ちょっとデレデレし過ぎだと思います。

次は残夏と合流ですね。

長いですが、次でラストなのでもう少しお付き合いいただけたら嬉しいです。


次回更新は8/15土曜日です。

(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)


よろしければ感想や評価、リアクションなど頂けると励みになります。

よろしくお願いします。


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