夢幻の檻③
「……きら、彰良。……おい、起きろバカ。」
げし、という音と共に頭に衝撃が走る。それに驚いて起き上がれば、目の前に玲がいた。
「……は?」
「……まだ寝ぼけてる?……もう一発いっとく?」
「は?あ、ちょ、待て!!」
少し首を傾げて足を振り上げようとする玲に、彰良は慌てて声をあげる。
しかしそんな制止もなんのその。玲は振り上げた足を彰良の側頭部に叩き込んだ。
「〜〜〜っ!!!!」
「起きた?」
痛みに悶える彰良を玲が上から見下ろす。
文句を言おうと顔を上げたところで、彰良は玲の表情に言葉が出てこなかった。
いつもの薄ら笑いを浮かべている玲とは違う、無表情。
それは幼い頃、三島家で見ていた表情と同じだった。
「……玲?」
呆然と呟けば、繁々と彰良を見ていた玲が首を傾げる。そのまましゃがみ込むと、じっと彰良の顔を覗き込んできた。
「……打ちどころが悪かったかな。大丈夫?」
「あ、いや……。」
「病院行く?」
「……な、」
何が起きてるんだ、これ。
目の前にいるのは玲だ。確かにそう。だけど彰良の知っている玲じゃない。
こんな玲は知らない。
ーーというか、若い……?
今の二十四歳の玲よりも、どこか幼い。多分高校生くらいだろうか。
でもあの頃の玲はこんな風に無表情ではなかったし。
そんな風に考え込んで玲の問いに返事しなかったのが悪かったのだろう。
玲は特に感情を見せないまま、ポケットからスマホを取り出すと、どこかへ電話をかけ始めた。
「……あ、すみません。家族が頭を強く打ったみたいで。意識はあるんですが、反応が鈍くて。救急車一台お願いできますか?」
「要らん!!やめろ!!!」
「あ。」
こいつ、本気だ。
表情が変わらないから何を考えて次のアクションに移るのか分からないが、本気なことだけは分かる。
彰良は玲の手からスマホを奪い取ると、電話口の消防指令員に平謝りして電話を切った。
なんだこれ。どっと疲れる。
深々と溜息を吐き出せば、隣で彰良の行動の一部始終を黙って見ていた玲がこてんと首を傾げた。
「……取り敢えず、中入る?夕飯出来てる。」
「おー……。」
彰良は疲労感にコメカミを抑えながら、重い身体で立ち上がった。
◇◇◇
「つまり、どういう事?」
「だからーー、」
三島家の食卓で、まだ湯気が立っている夕飯を挟んで言葉を交わす。
玲は相変わらず無表情で声も平坦。何を考えているのか分からない。
ただ、彰良には何となくこの状況に見当がついていた。
ーーあのハグレモノの能力……。
意識を失う寸前、確か『幸せな夢に包まれて』とかなんとか言っていただろうか。
だったらこれは彰良の夢だ。夢なら、覚めないと。
その為にも先ずは協力者が欲しい。それで目の前の玲に洗いざらい全てを話した。
まさか敵が化けている訳でもあるまい。それなら彰良は十中八九気がつく。
目の前の玲は、彰良の願望が創り上げた本物の玲だ。
「……つまり、ハグレモノっていう化物がいて、お前はそれを倒すヒーローってこと?」
「ヒーローじゃねーよ。でも大体合ってる。」
「それでここがお前の夢の中?」
「そうだと思う。」
「ふーん。」
なんだその反応。彰良が眉を寄せると、玲は箸を置いて立ち上がった。そのまま奥へと進んで行く。
それに目を丸くしていれば、少ししてから何かを持った玲が帰ってきた。
「……前提として。」
「?」
「前提として、先ずお前の頭が正常という事にしようか。」
「は?」
つい低い声が出てしまうが玲は気にもしないらしい。
綺麗に食べ終えた茶碗を横にずらすと、持ってきた古いアルバムを机の上に置いた。
「お前の話が全部本当として。幾つかの仮説が立てられる。先ずはひとつ。お前が言った通り、ここはお前の夢の中。次にパラレルワールド。そして最後は前提も覆して、お前の頭になんらかの異常がある。」
「ねーよ。」
「まあ、それは明日病院に行けばいいから置いておいて。……もし、ここがお前の夢として。俺がずっと一緒に生きてきた彰良はどこに行ったの。」
彰良の言葉が耳に届いているのかいないのか。よく分からない仮説を持ち出した玲に彰良は首を傾げた。
パラレルワールドってなんだ。
ずっと一緒にって、夢の中なんだからそんなものはあり得ない。そうだろう。
しかし玲は首を振るとアルバムを捲り始める。
「……ずっとこの家で過ごしてきた。お前との写真もある。それなのに、夢だって言うの?」
「だけど……。」
「仮に夢だとして。ここまで精巧にアルバムが創り出せるの?」
パラパラと捲られた写真はどれも彰良と玲のものだった。
小学校入学、卒業。中学、高校。
どれも一緒に写っている。
己は楽しそうにピースサインを浮かべ、玲は殆どが無表情だったが、少しずつ表情の分かる写真も年々増えていた。
確かにこれを全て彰良が創り出したのなら相当な夢想家だ。自分の頭でここまで細かいものを創り出せるとは思えない。
だったら、ここは。
「……俺は、パラレルワールドが一番しっくりくると思う。」
「そのパラレル何ちゃらってなんだよ。」
「パラレルワールド。並行世界。……多くの選択肢の中から、枝分かれした世界のこと。」
「選択肢?」
「そう。……例えば何か重要な……人生を変えるような選択。それを選ぶか選ばないかで未来が変わるとしたら、その時生まれるのが並行世界。選んだ未来と選ばなかった未来。その違いがお前の言っている世界とのズレなのかも。」
分かるような分からないような。
そんな彰良に玲は溜息を吐き出すと、茶碗を持って立ち上がった。
まだ話は終わっていないのに。
彰良が慌てて声をかければ、玲は振り返ることなく立ち止まる。
そしてそっと息を吐き出した。
「……お前がどう思おうと、俺は十一年間もずっとここで彰良と過ごしてきたよ。」
「それは……、」
「夢だって言われて、傷付かないとでも?」
その言葉に彰良は息を呑む。
夢だ、と言おうとしていた言葉が喉の奥に消えていった。
玲は相変わらず振り返らない。ただ茶碗を持った手がかすかに震えている。
「……もう少し考えて発言しろバカ。今日はもう寝るから。食器、洗わなくていいから水に漬けといて。……おやすみ。」
そう言って去っていく背に、彰良は腕を伸ばしかけて下ろした。拳を握りしめる。
何をやっているのだろう。ここが夢だろうがパラレルワールドだろうが玲を傷つけていい理由にはならないのに。
あれは敵じゃない。
彰良が創り出したにしろ、別世界にしろ、玲だったのに。
「……っ、くそっ……!」
乱暴に自身の髪を掻き混ぜる。酷い気分だった。
◇◇◇
ちゃぽん、と音がする。
それに空を眺めていた彰良は視線を落とした。
深い青色を湛えた池の水面には、薄青の睡蓮が咲き誇りいつにも増して澄んでいる。
合間から盛り上がった水がこちらを見つめているのに笑って手招いた。
擦り寄るように彰良の手に近づいてくるのは水の精霊だ。昔からここに住んでいる。
「……お前もいるのにな。」
その言葉に水の精霊は不思議そうに身体を揺らした。
彰良がここに来て、一週間が経った。
あの日、玲を傷付けた次の日。
彰良は病院へと連れて行かれ脳の検査までさせられた。そして診断は一時的な記憶喪失。
軽度の混乱だそうだ。夢と現実がごちゃ混ぜになっているのだとか。
そんな彰良に玲は相変わらずの無表情で、しかし自分が蹴ったせいだと少しだけ落ち込んでいた。
とはいえ、
ーー記憶喪失な訳がない……。
ちゃんと二十四歳までの記憶がある。ハグレモノも、現実の玲のことも。
直前に戦っていた、いけ好かないあの黒真珠のことだって。
それなのに、玲からこの世界の話を聞くと不思議と自分がここにずっと居たような気になるのだ。
彰良と玲は共に十六歳。
近くの高校に通っていて、幼馴染と言いながら家族のようなもの。
それはずっと彰良が望んでいた世界だった。
ーーここは、玲が両親を殺さなかった世界。
玲の十歳の誕生日、彰良の記憶では玲は三島家を去った。自身の両親をその手にかけて。
病院で壊れたように謝り続ける玲を見ながら彰良は後悔した。
どうしてあの時、縋りついてでも玲が両親に会いに行くのを止めなかったのかと。
その後悔をこの世界の彰良はしていないのだ。
なんでも本当に縋り付いて行かないで欲しいと言ったのだとか。
それで難しいと判断した玲と、彰良の父親である明仁が玲と玲の両親の面会を延期したらしい。
しかしそれも玲の家族が火事で亡くなって実現はしなかったそうだ。
だから、玲はずっとこの家で暮らすことになった。
組織に引き取られることも、自身の感情を軽薄な笑みで隠すこともない。
彰良が大事にしていたあの頃の玲のまま、玲はここで彰良と共に育ってきたのだ。
ーーもしこれが現実なら……。
どれだけ幸せなのだろう。
玲が傷つくことも壊れることもない世界。
彰良が追いかけなくたって、玲はここにいる。
彰良の手が届く、すぐ側に。
ーー違う。そんな訳がない……。そんな、都合の良い事なんて……。
そう思うのに、頭がぐちゃぐちゃになってまともな思考にならない。
だってここは彰良が夢にまで見た世界だ。
そして何より、脳の検査や水の精霊。学校。細かい玲の仕草。
そのどれもが夢だと思えないほどにリアルで。
だったらここは本当にパラレルワールドなのだろうか。並行世界。
こんな世界が彰良のすぐ近くにあったのだろうか。
「彰良。」
頭を抱えて唸っていれば、涼やかな声が耳を擽った。
聞き間違えることはない、玲の声。
導かれるように顔を上げれば、玲が無表情のままこちらを覗き込んでいた。
「……頭、痛い?」
「いや……ちょっと考え過ぎただけだ。」
「またパラレルワールド?」
「そんなとこ。」
玲が息を吐いて彰良の隣に腰掛ける。
表情は変わらないものの、一週間共にしただけで彰良には玲の感情の機微が理解出来るようになっていた。
今は呆れ半分、心配半分だろう。
「……俺も、ちょっと考えた。」
「玲……。」
「彰良はさ、別の世界の彰良の夢を見たんじゃない?」
「別世界の俺?」
「うん。……戦ってたんでしょ?それでピンチになって並行世界のお前に干渉したとか。だから一時的に相手の記憶が上書きされてんだよ。」
「一時的……。」
「お前はお前だよ。……ずっとここに居た三島彰良。俺と一緒に。」
そうなんだろうか。
今ある彰良の記憶こそが夢で、本当はこの世界が彰良の現実なんだろうか。
それはとても。
「ご飯、食べようよ彰良。頭悩ませてないで。温かいご飯食べてお風呂に入ってゆっくり寝て。きっとすぐに記憶も戻るよ。」
「……そう、だな。」
甘美な誘惑に、彰良は差し出された手を取った。
◇◇◇
日々は穏やかに過ぎていく。
朝起きて、学校に行って、帰って他愛のない話をして。たまに帰ってくる明仁を迎え入れて。
玲は変わらず無表情ではあったけれど、たまに笑顔を見せてくれて。
危険も絶望もないこの毎日に彰良は満足していた。
記憶は戻らないけれど、それでいい。新しく作っていけば良いのだから。
そんなある日、彰良は学生らしく進路希望調査の紙を受け取った。
まだ一年生なのにご苦労なことだ。
どうせ彰良は神主の息子。将来的にこの神社を継ぐのだから。
ーーそうだ。俺はずっと神主の跡取りだ。
なんでハグレモノなんて化物と戦う夢を見たのだろう。将来は安泰。玲だって側にいる。それで十分なのに。
そこまで考えてふと彰良はひとつの疑問に辿り着いた。
玲は。
玲は、どうするのだろう。
高校を卒業したらあいつは大学に行くのだろうか。
頭が良いから、少し遠い場所に行ってしまうのかもしれない。
その後は。
ーーあいつは、この家を出ていくのかな……。
「え?出て行かないよ。お前の手伝いするから。」
「手伝い?」
「一人で神事出来ないでしょ?」
「た、確かに……。」
彰良の反応に玲は息を吐き出した。
手に持たれたご飯茶碗は米粒ひとつ残っていない。この世界の玲も常人よりは食が細いが、あちらのように食事を抜いたり、食べれないという事はないらしい。
いや、なんだこの世界の玲って。玲は玲だろう。
「……まあでも、大学は行くよ。学芸員の資格が欲しいから。」
「学芸員?なんだそれ。」
「図書館とか博物館とかの職員さん。……彰良がお嫁さん貰ったら流石にここには居られないから。」
「は?」
なんだそれ。
ここには居られないって。そんな訳ないだろう。
ここは玲の家だ。玲は家族。
それにそもそも嫁なんて。
ーー要らねーだろ、そんな奴。
彰良はただ、玲が居てくれればそれでいい。
「でも、後継ぎがいるでしょ?」
「そんなのどうとでもなるだろ。養子もらうとか、親戚に頼むとか。」
「……好きな人が出来たらどうするの?」
「そんなの出来ねーよ。絶対。」
玲以上に彰良の心を動かす存在なんているものか。
断言すれば、少しだけ不安そうにしていた玲が安堵の息を吐き出した。
そしておずおずと上目遣いに彰良を見上げてくる。
「……じゃあ、ずっと一緒?」
「ずっと一緒だ。」
「そっか。」
ふわりと玲の顔に笑顔が浮かぶ。
彰良が可愛いと思う玲の笑顔。取り繕ったり、歪んでない、心の底からの。
ーーこれでいい。
玲が彰良に笑いかけてくれて、傷付かなくて。それだけで良い。
あんな辛い事ばかりの世界なんてきっとただの悪夢だ。
彰良はその日、満ち足りた気持ちで布団に潜り込んだ。
将来の約束も出来たし、玲の笑顔も見れた。
こんなに幸せなことはない。
きっと今日はいい夢が見れるはずだ。
ーーあれ、でも……。
そういえば最近、夢を見ていないな。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
彰良の夢なのか、はたまたパラレルワールドなのか。
だいぶ呑まれてますが、これからどうなっていくのか楽しみにしていただけると嬉しいです。
8月ですね!
まだまだ暑いので、皆様お身体ご自愛ください。
次回更新は8/8土曜日です。
(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)
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