夢幻の檻①
「……結局、失敗しましたねぇ。」
暗闇の中、ぽつりと男の声が落ちる。柔らかく穏やかで、ほんの少しの寂寥を帯びて。
「やはり昔の知人よりも、今の仲間の方が効果は高いのでしょうか……。」
溜息を響かせ、男は立ち上がった。遥か下に広がる、人工灯を見下ろしながらうっそりと微笑む。
「ハエごときに貴方の感情が揺さぶられるのも、気に入りませんが……そろそろ目障りですしね。」
血を吸ったような赤い瞳が揺らめいて。
「亜月玲。……貴方を愛しています。」
夜の静寂に言葉は吸い込まれていった。
◇◇◇
最近、苛々する。
「三島。この資料、纏めとけ。」
「はい。」
上司である喜一郎に手渡された過去十年分のハグレモノの資料を手に、彰良は溜息を吐き出した。
書類仕事は苦手だ。それよりは身体を動かしていた方が良い。
しかし副隊長という立場上、現場仕事よりも書類仕事の方が多いわけで。
しかもここ最近は、やれ出動だなんだと言いながら、大侵攻も榊討伐も中級程度のハグレモノとしか遭遇出来ず、消化不良も良いところだ。
唯一ヒミズとの対決は、こちらが弱過ぎて話にもならなかったし。
ーーあー、今思い出しても腹立つ……。
彰良が龍を召喚したところで勝てやしなかった。
だから喜一郎に止められたのだ。どうせ負けるのに手の内を見せて、自身に負担を掛けるくらいなら退けと。
その理屈は分かる。分かるけれど苛立ちは収まらない。あんな奴、バラバラにして海に撒きたいくらいなのに。
ーーあいつもあいつだ……。
最近いつにも増して、こそこそと。
ガキのお守りだ、上司の尻拭いだ、自分のこと以外で奔走しやがって。恩師の討伐すら己の手でやってのけた。
それで少し落ち着いてるのはいいが、結局自分を削ったようにしか彰良には見えない。
ーー苛つく……。
もう一度溜息。
ああ、癒しが欲しい。例えば同期四人での温泉旅行。
欲を言えば、玲と二人きりだともっと嬉しい。
あいつの具合が悪くない時に、一週間くらい家に居てくれて、一緒にのんびりしたい。
何も気にしていない様子で、呑気に笑っている顔が見たい。
ーーあー……。
だめだ。こんな仕事やってられるか。
彰良は立ち上がると、隣で生真面目に資料を整理していた部下に声をかけた。
「田中。見回り行くぞ。」
「え?で、でも隊長からのご指示が……。」
「いいから行くぞ。そんなの後で出来んだろ。」
「は、はい!」
慌てて立ち上がる田中を置いて、さっさと執務室を出る。
一瞬14番隊の執務室の方向に視線が取られそうになるのを、意思の力で止めて外へと足を向けた。
◇◇◇
「また外部演習かぁ……。」
残夏は空を見上げて溜息を吐き出す。
対ハグレモノ特化戦闘員の育成機関とはいえ、まだ高専二年生というのに。なんかもっと、学生らしいことがしたい。
そんな残夏のぼやきに、隣を歩いていた雄星がそういえばと口を開いた。
「冬にあれあるぜ。文化祭。」
「え?嘘。去年なかったじゃん。」
「そりゃ一年生参加しないからな。」
「ええ?なんで?」
雄星曰く、一年生、五年生は文化祭に参加しないらしい。
一般高校は三年間だからという理由もあるらしいが基本的に二年生以降は演習が多くて学生らしいイベントが減少するからなのだとか。
ちなみに五年生は卒業前のパーティーがあるから文化祭には参加しないと。
全部参加させてくれればいいのにちょっとケチ。
「五年生のパーティーは凄く豪華らしいぞ。そこまで残れれば、の話だがな。」
「残るに決まってるじゃない。司って案外小心者ね。」
「な、ぼ、僕は一般論を話しているだけだ!当然残るさ!」
「ううう……私残れるかなぁ……。」
「大丈夫だよ、桃子ちゃん。まずは文化祭を楽しもうね!」
六人もいれば賑やかなものだ。
あっという間に話はまだ見ぬ文化祭へと変わっていく。
出店があるとか、女装コンテストがあるとか。前夜祭や後夜祭の話までされたら、楽しみに思わないなんて無理だろう。
高専事情に詳しい雄星と司の話を聞きながら笑っていると、ふと道の先に見慣れた銀髪が目に入った。
「あれ?」
「あ。」
残夏が声を出すのと、彰良の少し後ろを歩いていた田中がこちらに気がつくのは同時だったようだ。
途端に目を輝かせてぶんぶんと手を振ってくる田中に頭を下げる。
しかし往来でそんな事をしていればそれなりに目立つもので。
なんだなんだと集ってくる友人や、田中の前を歩いていた彰良もこちらに視線を向け、気がつけば近くの公園で顔を突き合わせていた。
「お前ら何やってんだ。」
「外部演習です。この近くの廃ビルで。彰良さんたちは見回りですか?」
「あ、私たちは事務仕事に副隊長が飽きて……うぐ!」
「……お前ちょっと黙ってろ。」
彰良が田中の両頬を片手で掴んで黙らせる。
今ちょっと副隊長という立場の人間から聞いてはいけない事を聞いた気がするが、田中を見るに忘れた方が良さそうだ。
残夏たちが無言で見つめていると、彰良は田中から手を離しコホンと咳をひとつ。
「じゃあ、外部演習ついてってやる。どうせ担当教員がずっと見てる訳じゃねーんだろ?」
「え?あ、はい。そうですけど、お忙しいんじゃないですか?」
「いや。暇してたとこ。」
「え?う、嘘でーー、」
「……暇してたよな、田中?」
「は、はい!」
本当にそれで良いんだろうか。
今度はネクタイを引かれている田中は、完全に首輪を嵌められた犬のようだ。気の毒で仕方がないが、彰良にも何か考えがあるのだろう。
残夏は仲間たちと顔を見合わせると、彰良に向かって頷いてみせた。
「分かりました。よろしくお願いします。」
「……ああ。」
彰良は立ち上がると、少しだけ口角を上げた。
◇◇◇
「なんで高専の外部演習なんて……。」
「なんか嫌な予感するから。」
「ええ……!」
田中の大声に彰良は溜息を吐き出すと、もう一度両頬を片手で掴んだ。黙れの合図だ。
悪いやつではないけれど、声量の調整機能が壊れている所と話したがりが玉に瑕。
十分に静かになったところで手を離した。
「なんかあったら暴れるぞ。戦闘準備しとけ。」
「は、はい!」
何を聞いていたやら、田中は腹の底から声を出して敬礼する。
それに彰良は軽く田中の頭を叩いた。
なんでこいつは今言ったことを秒で忘れるのだろう。
よくこれで最初は7番隊に配属されていたものだ。
かなり手を焼いたに違いない。
「あの、田中さんお久しぶりです。」
「おお、小鳥遊くん!!元気そうで何よりです!!」
涙目で落ち込んでいる田中に残夏が話しかけているのを横目で見ながら、彰良はもう一度溜息を吐き出した。
自分の予感は案外当たる。出来れば気を引き締めて欲しいのだが、部下と弟子が楽しそうにしているのに水を差すのも微妙だ。
ーーまあ、なんとかするか。それに。
久しぶりに楽しめるかもしれない。
◇◇◇
「やっほやっほ〜!楽くんが来たよ〜!」
久しぶりに14番隊のドアをくぐれば、そこには見知った友人二人がいた。
今日は玲と清治がお留守番らしい。それに楽はなんとなく当たりを引いた気分で手を振った。
「楽、久しぶりだね。」
「清治この前いなかったからね〜。」
「玲、楽が来たから休憩しようか。」
「うん。楽。今日はね、松陰さんに貰ったいいお茶があるんだよ。楽は鼻がいいね。」
玲が嬉しそうに笑う。それに楽も目尻を下げた。
恩師を自分で討伐したと聞いて心配していたが、思ったより元気そうで何よりだ。
本当は楽も討伐任務に参加したかったのだけど、4番隊隊長の岩重は中立派。
東條にも南宮にも与していないから、東條は扱いづらいのだろう。
基本的に個別の討伐任務にはお呼びがかからない。
だから、本当にすごく心配していたのだ。
「いーね!ボクの持ってきたお菓子と合いそう〜!」
「お菓子?」
「そう。なんと、かぼちゃプリン!お前たちの分しかないから、後からこっそり渡そうかなって思ってたけど、今食べちゃいな。」
「いいの?ふふ、ありがとう。」
うん、食欲もあるみたいだから大丈夫。
楽はずっと胸に渦巻いていた不安を息と共に吐き出して、手招いている玲たちのもとに足を向けた。
「最近どうかな?組織内で何か変なことは起こってない?」
カチャ、と陶器が触れ合う音がする。
清治が淹れてくれたお茶は、松陰が選んだには珍しく紅茶だった。和紅茶と言うらしい。
案外すっきりとして飲みやすかった。
「特に何も〜。あ、でも7番隊の今月の殉職者は五人だってさ。中々だよねぇ。」
清治の問いかけに、軽く返す。こんな事くらいで何かを思うほど人間出来ていない。
殉職者の中に、7番隊に行くたびにお茶をしてくれてた人が居たとしてもだ。
それで心を動かされる事もないくらい、組織にとってはありふれた話題なのだから。
「7番隊は相変わらずだね。……一番危険だもんね。」
「まあお仕事だしね〜。それに組織全体の離職者はもっと多いよ。二十三人だってさ。」
「賢明だね。」
眉を下げる清治に肩を竦めれば、玲がくすりと笑ってお茶に口をつけた。
清治は優しくて、玲は賢い。楽はきっと、少しだけ冷たい人間だ。友人たちや家族以外に割く心の余裕はないから。
少しだけ重くなった雰囲気に、そっと息を吐き出す。折角三人揃ったのだからこんな話は終わりだ。
ーーてか三人か……。
ここまで揃ったんなら、この場に居ない一人が恋しくなる。仲間はずれ可哀想だし。
「彰良も居たら良かったのにね〜。あれじゃない?旅行以来揃ってないよね、四人。」
「確かに……。彰良、僕が呼んで来ようか?あ、でも来てくれるかな……。」
「無理無理。ここに来る前に2番隊寄ったけど、おじいちゃんが、事務仕事任せたのに見回り行ったって呆れてたから。」
「ふふ、手を焼くね。」
手を焼くどころではないと思うが、まあ仕方ない。
楽も基本的に身体を動かしていた方が好きだし、彰良も昔から身体を動かす方が好きだった。
書類仕事に縛り付けるのは、宝の持ち腐れというものだ。
だから本当は副隊長なんて、彰良の適任ではないのだけれど。
ーー玲が隊長になっちゃったからね〜。
玲の隊長就任は、高専時代の最後の方。自分たちの進路が決まる少し前だった。
楽たちも聞いてなかったから本当に驚いたものだ。しかも14番隊なんて凍結されていた部隊。絶対に波瀾万丈になる。
誰か14番隊に希望を出すべきではないか、と三人で話し合ったのは懐かしい思い出だ。
でもその中で一番に立候補するかと思った彰良は、自身の進路を頑として2番隊から変更しなかった。
その理由を楽は知っている。
『あいつの下になったら、ずっと守られるだけだろ。……それだけはごめんだ。』
そんな風に言って、玲と対等になる為に頑張っていた彰良は三年で副隊長に選ばれるくらい手柄を立てた。
だけど彰良には副隊長も隊長も向いていない。彰良にとって世界は玲が中心だから。
上に立つ人間で、それだと務まらない部分がある。
対する玲は隊長が天職。
そこがこの二人のズレを生んでいるのだろう。
それでも頑張っている彰良が、楽は結構好きだったりするのだけれど。
ーー玲の方は分かんないからなぁ……。
彰良の気持ちなんて見ていれば分かる。
残夏ですら分かったのだ。長い付き合いの楽には手に取るように理解出来ている。
でも玲は基本的に彰良を心配したり気遣ったりしない。
特別ではあるのだろうけど、その感情がどこを向いているのか楽にすら分からないのだ。
「……玲って、彰良のこと心配しないよね?」
「そう?」
「うん。今だって普通なら彰良が怒られないか心配したりしない?」
「上司の言いつけ破ってる時点で怒られるんじゃない?自業自得とは思うけど……。」
やっぱりちょっと冷たい。多分、楽や清治に対するよりも。
こてんと首を傾げる玲に、清治と顔を見合わせる。
これは信頼なのか、それとも幼馴染特有の気安さなのか。
「……じゃあ、例えば彰良が危険なハグレモノ討伐に向かうってなったら心配する?」
「心配するような事ある?実力はあるし、引き際も弁えているでしょ。」
それはそうなんだけど。
なんだろう、ちょっとずれている気がするのは楽だけだろうか。
もう一度清治に視線を向ければ、清治も少し眉を寄せていた。
うん、やっぱり楽が変なわけじゃないらしい。
「じゃ、じゃあ……例えば僕とか楽だったら?それか凪とか残夏。」
「それは心配するかなぁ……。お前たちの事は信頼してるから直接救助には行かないけど、帰ってくるまで安心できないかも。凪と残夏なら救出に行っちゃうね。」
「それが彰良だと?」
「?心配する必要ないでしょ?」
「なんでそうなるのかなぁ……。」
楽が溜息を吐き出せば、玲が不思議そうに首を傾げながらかぼちゃプリンに手を伸ばした。
スプーンでひと口掬って、素朴な甘さに相貌を崩す。
美味しい、と笑ってから玲は少し意地悪な笑みを浮かべた。
「……あいつは約束、破らないタイプだから。」
「約束?」
「そう。だから、心配は要らないよ。」
◇◇◇
「……なんで……。」
痛む肺に酸素を取り込みながら、それでも残夏の喉が言葉を絞り出す。
足は千切れそうで、腕も肩も痛い。
それでも、今ここで、言いたいことがある。
「なんで!いっつも!!こんな目に遭うんだよ〜〜〜!!!!」
どこまでも広がる迷宮に、残夏の涙声が響き渡った。それに左隣を走っていた彰良が感心したように声を出す。
「お前、持ってるな。今回のは組織がマークしてた上位種だ。あれ、隊員三十人くらい殺してるやつ。」
「なんでそんな怖いこと今言うんですか!!!?」
「ちょっと!いい加減黙って走りなさい!!」
今度は右隣からあかりの怒声があがった。
そんなこと言ったって、こんなの叫んでなきゃやってられないだろう。
なぜなら残夏たちは今、絶賛迫り来る荊棘から逃げ惑っているのだから。
しかもそれだけではない。
周りは庭園のように高い、緑の生垣に阻まれ、迷路のような小径をずっとぐるぐる回り続けている。
もう今、自分がどこに居るのかも分からない。どうして外部演習の度に、こんな思いをしなくてはならないのか。
残夏は泣きそうになりながら、心の中で思いっきり叫んだ。
ーーなんで……なんでこんな事に!!!?
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード19開始です。
今回は残夏にお話を戻しつつ、彰良メインのお話になります。
少々長めですが、気長にお付き合いいただけると嬉しいです!
次回更新は7/25土曜日です。
(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)
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