白百合の葬列④
「榊さん!!」
子供の必死な声で目が覚めた。
降り止まない雨と、抜かるんだ山道。倒れたまま意識を失っていたようだ。
「玲……。」
声を出すのも億劫で、小さな呟きにしかならない。
それでも玲には聞こえたのだろう。
泣きそうな顔をぐしゃぐしゃにして、それでも涙をこぼせずに玲は口を開いた。
「帰りましょう、榊さん。東條さんにも連絡してます。すぐ迎えにきてくれるって。だからしっかりしてください。」
矢継ぎ早に言葉を連ねてくるのに笑ってしまう。
こんな所まで来て、ちゃんと東條にも連絡を取って、偉いじゃないか。
ーーでもなぁ……。
榊は自身の腹に手を当てる。
どれだけ血を流したのだろう。もう感覚も痛みもない。この傷は致命傷だ。
しかもハグレモノたちが近づいて来ている気配もする。このままではこの子を巻き込んでしまう。
榊は深く息を吸い込むと、喉の奥から声を絞り出した。
「……玲。ひとりで帰れ。」
その言葉に玲が目を見開く。まるで何を言われたのか分からないという顔だ。
だけど大丈夫。この子は聡いから。すぐに榊の言葉の真意を理解し、逃げるだろう。
今まで一回も榊の言うことに逆らわなかった子だ。
しかしそう思っていた榊に、玲は全く予想していない反応を示した。
「……っ、嫌です!!」
「は?」
「嫌です!一緒に帰ります!!」
珍しい反抗に今度は榊の方が目を見張る。
なぜよりによって今。早く逃げてほしいのに。
そんな願いに反して、玲は小さな身体で榊を背負おうと躍起になっている。
「玲。玲、お前じゃ無理だ。」
「嫌です。」
「おいおい、どうした。いつもちゃんと言うこと聞くだろう?」
「嫌です!!」
諭しても宥めても変わらない。なんだ。どうしたというのだ。
榊が首を傾げると、玲がべしゃりとその場で転けた。榊が重くて上手く立ち上がれなかったのだ。
それなのにまた榊を背負おうとしてくる。
榊はその姿に困惑し、しかし近づいてくるハグレモノに焦燥感から怒声をあげた。
「おい!やめろ!!さっさと行けって言ってんだろうが!!」
大声に玲の肩があからさまに跳ねる。この子は人に大声で怒鳴られるのが苦手なのに。
罪悪感に苛まれながらも、立ち上がった玲にほっと息を吐き出していれば、玲は今度は榊の腕を掴んで引き摺ろうとしてきた。
その必死さに言葉が詰まる。
「……今日は、早く帰ってくるって言いました。」
「え?」
「今日の誕生日、一緒にお祝いするって約束しました!!一緒に帰りましょう、榊さん!!」
ーーそうだったな……。
今日は早く帰ると約束したんだ。
なんたって夕飯はショートケーキと魚の煮付け。それから茄子の煮浸し。あとはとっておきのブランデーも開けて。
たまにはケーキの上の苺を分けてやろうか。どんな顔をするんだろう。見てみたい。
だから、帰らないと。
「……ああ、そうだな。」
もう動かせそうにもない身体に力を入れる。
腹は熱が灯ったように熱くて苦しい。それでも力を込める。
帰らないと。今日は玲の誕生日。世界で一番大切な日なのだから。
ゆっくりと立ち上がる榊に、玲が慌てて抱きついて来た。いや、多分本人は支えようとしてくれているのだが、いかんせん身体が小さ過ぎる。
それに笑って榊が足を踏み出そうとした、その時。
「……玲!!」
玲の横から迫る、蛇のようなハグレモノにその身体を力一杯突き飛ばした。
代わりに、榊の身体が蛇の口の中に呑み込まれていく。
突き飛ばした玲が慌てて立ち上がった。
必死な顔で、呑み込まれそうになっている榊の左腕を引っ張る。
「榊さん!!」
「玲。玲、逃げろ!!」
「嫌です!!」
どれだけ引っ張っても、玲の力では引き摺り出せない。
そして榊の身体は呑み込まれるのに抵抗できるほど、もう力は残っていなかった。
ーー玲……。
泣きそうに顔を歪めて、それでもこの子は泣けない。涙はとうに枯れて、この世界に絶望して。
そんな玲に、榊はまた絶望を植え付けてしまう。
「やだ!!嫌だ、やだ、やだ!!榊さん!!」
悲痛な声に、榊は左腕を引っ張る玲の手を掴んだ。
せめてこの腕だけでも。あの子の元に帰れるのならそれだけでいい。
ーーああ、でも……。
本当は帰りたかったな。
◇◇◇
次に目を覚ました時、榊はなぜか死んでいなかった。
しかもハグレモノたちを束ねる、ヒミズと名乗る化物が目の前にいた。
彼は言った。どんな願いでも叶える、と。
その代わり亜月玲に絶望を。そんな取引き出来るわけがない。
殺せと言えば、また意識を失った。それから意識が戻るたび、そんなやり取りを繰り返した。
回数を重ねるごとに記憶は薄れ、朧げになっていく。
後に残ったのはただ『帰りたい』という願いだけ。でも、どこに。
ヒミズが笑う。榊の大切な記憶まで奪っていく。
亜月玲に絶望を。
絶望を。
あの子に、あの子?
分からない。
分からないけれど、絶望を。
「やっと抵抗しなくなりましたね。ハグレモノに堕ちてくれてありがとうございます。榊。」
「……あんたは?」
「私はヒミズ。貴方には重要な任務をお願いしたいのです。……大丈夫。願いは叶いますよ。」
願いすら忘れて、何が叶うのかも分からない。
頭が霞がかって何もかもよく分からない。
だけどきっと、この男の言うことを聞けばいいのだろう。
「彼に絶望を。……ああ、貴方は名前を知らない方がいい。もし思い出したら、貴方の瘴気を暴走させます。そうすれば二度と貴方の願いは叶わなくなる。まあ、私はそれでもいいのですが。彼に自身の師を殺させる。悲劇的で絶望的だ。……彼は絶望の表情がとてもよく似合うので。」
うっそりと笑う美しい男に、どうでもよくて頷いた。
どうせこの言葉も忘れる。
何もない。何もない。だから人を殺す。その間だけ楽しいから。
そうして沢山の命を奪い、ヒミズの命令を聞いて、朧げな記憶から組織の情報をやつに与えて。
本当に忘れてバカみたいだ。こんな大事なことを。
こんなに、大事なことを。
◇◇◇
自身から迸る瘴気を抑えながら、榊は必死に思考を巡らせる。
折角会えたのに、折角自分を取り戻せたのに、暴走して自我を失えば全て終わりだ。
大切な弟子たちも、この場所も、全て。
「おい!さっさと逃げろ!!」
目の前で立ち竦んでいる二人に榊は大声で叫んだ。
何をやっている。こんな状況で逃げられないような鍛え方はしていないはずだ。
そんな榊に対し、声をかけて来たのは東條の方だった。
「師匠?師匠なんですか!?」
「そうだ!!そんでもってヒミズに改造された!!抑えられねぇ!!」
榊の答えに東條が顔を歪める。抑えられないのは理解しているのだろう。
これだけはどうにも出来ない。というか考えている時間もないはずだ。
相変わらず頭でっかちで情に流されやすい奴め。榊を救えないのか考えるのをやめろ。
そんな時、ふと涼しげな声が響いた。
記憶よりも少しだけ低い、だけど聞き覚えのあるような大人の男の声。
「榊さん。ハグレモノなんですよね?」
「ああ、そうだ。」
「そして瘴気も抑えられない……。」
「そうだ、だからーー、」
「榊さん。核、どこですか?」
淡々とした言葉に、少しだけ拍子抜けした。東條もまた、玲の隣で呆気に取られた顔をしている。
ただ玲だけがジャケットの後ろから取り出した銃を榊に構えていた。
ーーそうか。その手があったか。
暴走するなら、その前に止めればいい。手段がないのなら殺してでも。
あまりにも合理的な判断に笑みが漏れる。いいな。榊好みだ。
榊は玲に見えるようにしっかりと、自身の左腕を自分の胸に当てた。心臓。そこに榊の核がある。
人間でありたいと抵抗し続けた榊の意地のようなものだ。
それに東條が顔を引き攣らせる。
「何をやってる亜月!!あれは師匠だぞ!?」
「でもハグレモノです。ハグレモノは例外なく、討伐対象だ。」
「しかしーー、」
「そうだ。その通りだ。……玲、やってくれ。」
そっと祈るように呟けば、玲の瞳が柔らかく細められた。
そして。
高い一発の銃声が響く音を聞きながら、榊の意識は深い闇の底に沈んでいった。
◇◇◇
「病人の枕元で、酒飲まないでください。」
カラン、と氷が鳴る音に歓迎されながら不機嫌そうな顔をした東條が部屋に入って来た。
それに笑って榊は東條を迎え入れる。もう慣れたお小言だった。
「……亜月は?」
「ぐっすり寝てるよ。最近忙しかったからなぁ。」
榊の視線の先で、穏やかな寝顔を覗かせる玲に榊は目を細めた。眼鏡のお陰でだいぶ改善されたとはいえ、疲労が溜まれば熱を出す。
しかしその表情は昔よりもずっと穏やかだ。きっと榊が上手いこと看病出来るようになったから。
カラン、と氷の溶ける音がする。
榊が看病の合間に注いだ、一杯のブランデー。甘い匂いが好きだと玲も言っていた。
「……いつか、お前らと酒が呑みてぇなぁ……。」
「ひとり未成年ですが。」
「いつかだよ。玲が成人したら、三人で呑もう。」
「……。……仕方ないですね。」
東條が息を吐き出す。
頭が固くて、でも優しい榊の最初の教え子。
生涯、榊が教えるのはこの子たち二人だけだ。
「楽しみだなぁ……。」
いつか。そんな未来を思い浮かべて笑った。
結局、その日は来なかったけれど。
◇◇◇
「榊さん。」
誰かの呼び声で目を覚ました。
ぼんやりと映る視界に何度か瞬きをする。
やっと見えてきた榊の目には、記憶よりも成長した東條と玲、それから他にも何人かの姿が映った。
知ってる顔もチラホラいる。
「……俺は、死んでねぇのか……。」
「いいえ。……ただ、少しだけ時間があるみたいです。」
その言葉に自分の身体を見下ろせば、確かに撃ち抜かれた心臓からサラサラと塵になって消えかけていた。
そうか。時間が。
そんな事もあるのか。
榊は軽く笑って東條と玲に視線を向ける。
いったいどれくらい経ったのやら。すっかり大人になった二人に自然と笑みが溢れた。
ーー葵は相変わらずだな。
表情や感情を隠そうとして眉間に皺がよる癖はまだ治っていないらしい。
ーー玲は……相変わらずひょろっけぇな……。
身長は少しだけ伸びているが、線の細さは健在だ。またちゃんと飯を食ってないんだろう。
でも強かった。榊が教えたよりもずっと。それだけ研鑽してきたのだ。
それがどれだけ嬉しいか。
ーーこんな最期が迎えられるなんてなぁ……。
思いもしなかった幸福だ。もう満ち足りるくらい。
榊は笑って、笑って、そしてふと真顔になる。
いや、まだ心残りがあった。ずっと求めていたもの。
そう、それはまさにーー、
「……煙草が吸いてぇ……。」
ずっと探していた煙草。最期くらい楽しみたい。
そんな呟きに玲は少しだけ驚いた顔をすると、笑って榊の目の前に膝をついた。
胸ポケットから見慣れた煙草を取り出し、榊に咥えさせるとライターで火をつけてくれる。
およそ何年ぶりかのその味に、榊は深く煙を吸い込んで吐き出した。
「美味い……。」
「ふふ。榊さんの煙草、少なくなってきてるので運が良かったですね。」
「そうかい。」
くすくすと笑う玲に榊は目を細めて、それからそっと口を開く。
「……玲。絶望しなくていい。俺は、お前に出会えて幸せだった。」
まあるく見開かれた瞳。月光に煌めくアイスブルー。
それを彩るように、月明かりを反射して白百合が揺れた。
やっと言えた言葉。これをずっと伝えたかった。
「……俺も。貴方に出会えて幸せでした。ありがとうございました、榊さん。」
噛み締めるように一度俯いて、それから顔を上げた玲は笑っていた。
榊が教えた作り笑いじゃない。
ふわりと柔らかい、花が綻ぶような笑顔。
その頬を一雫だけ水滴が滑り落ちていく。
ーーそうか。泣けるようになったのか。
きっといい仲間に囲まれて、東條に世話を焼かれながら成長したのだろう。
それでいい。それだけで十分だ。
サラサラと塵が落ちていく。
榊は最後に東條へと目を向けた。玲よりも長く過ごした一番弟子。目だけ合えばそれでいい。
東條が必死に眉を寄せて頷く姿に笑って榊は目を閉じた。
なんだか酒に酔った時のようないい気分だった。
◇◇◇
降り続いていた雨が夜のうちに止んで、輝くような太陽が顔を覗かせたその日。
残夏は勢いよく14番隊の執務室のドアを開けた。
時間帯はお昼前。
もちろん、授業はサボってきている。
急な来訪者に執務室にいた清治が目を丸くした。
「残夏?なんでここに?というか、あれ?授業は?」
「そ、それより!!討伐任務どうなったんですか!?」
清治の言葉を遮るように、残夏は叫び声をあげる。
今朝14番隊を訪れた時は誰もいなくて首を傾げていたけれど、先程雄星たちに聞いたら討伐任務に14番隊も参加していたというではないか。
居ても立ってもいられず、結果を聞く前にこうして駆けてきてしまったのだ。
そんな残夏に清治は目を瞬かせると、困ったように笑顔を浮かべた。
「無事終わったよ。昨日ね。」
「え!?さ、榊は!?」
「ちゃんと討伐されました。それより授業は?」
「隊長は!?」
「今日は休み。残夏、授業サボってるよね?」
「休み!?」
玲が休むなんてよっぽどだ。
もしかして何か怪我をしたとか、苦しいことがあったとかーー、
「ううん。本人元気でちょっと用事なだけ。さ、残夏。授業戻ろうね。」
「あ、わ、わ、清治さん!!」
ずるずると清治に引き摺られながら、残夏は授業へと戻されていった。
◇◇◇
太陽が降り止んだ雨粒が照らす霊園で、東條は玲と連れ立って歩いていた。
手には掃除用の水桶と花。それから線香と酒瓶を一本。三人分のグラス。玲と手分けして持っている。
「……昨日の今日で来ることになるとはな。」
「思い立ったが吉日ですよ。ふふ、いいお天気で良かったですね。」
機嫌良さげに空を見上げる玲に、東條は溜息を吐き出した。
なんでこんなに機嫌が良いのやら。こいつの情緒はいったいどうなっているのだろう。
こんな所まで仕事を休んで連れて来られるなんて。
ーー酒を呑みたいと言っていた、と伝えただけなんだがな……。
いつだったか榊が口にしていた言葉。
思い出して玲に伝えれば、じゃあ行きましょうと腕を引っ張られた。そのままあれよという間に榊の墓まで来ることになっていた。
「昼から呑む酒が一番美味いですよ。」
「なんだそれは……。私は終わったら戻るぞ。」
「何言ってるんですか。帰しませんよ?」
なんだそれ。
苛々しながら進めば見晴らしのいい高台に榊の墓が見えてくる。
つい先日、玲の誕生日に墓参りに来たばかりだから汚れもそんなに目立たない。少し水で流して花を添えれば終わりだろう。
慣れたものと二人がかりで取り組めば、ものの十分程度で終わった。
花を生け、水を注ぎ、線香を供える。
手を合わせてから顔を上げれば、横で同じようにしていた弟弟子の方が少し遅れて顔を上げた。
「よし。もういいか?」
「まだですよ。はい、コップ。」
そう言いながら玲はグラスをひとつ押し付けてくる。
反射的に受け取れば、とぷとぷと音を立ててブランデーを注がれてしまった。
「はい、東條さんの分。それでこれは榊さん。」
今度は墓石にグラスを置いて玲は酒を注いだ。最後に自分の分も。
乾杯、とのんびりした声をあげる。東條は息を吐きながら、グラスに口をつけた。
「あ、美味しい。このお酒。」
「良い酒だからな。」
準備したのは東條なのだ。
結構良い値段がしたのだが、あっという間に飲み干して玲は立ち上がった。
「さーて、じゃあ残りは帰って呑みましょうか。」
「……三人で呑むんじゃなかったのか。」
「何言ってるんですか東條さん。酒は生者だけの特権ですよ。」
榊さんには一杯で十分です、と玲が軽やかに笑う。それに息を吐き出して、東條も残りの酒を呑み干した。
まあ、どうせ仕事も最小限にしていたし今日くらいはいいだろう。
玲の呼ぶ声に立ち上がって足を踏み出す。
生けた白百合が太陽の光を浴びて静かに揺れていた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード18完結です。
最後の方の清治と残夏の掛け合いが、平和が戻ってきた感じで個人的には好きです。
楽しんでいただけたら嬉しいなと思います。
長いお話でしたが、次も長いエピソードになります笑
またお付き合いいただけると嬉しいです。
次回更新は7/18土曜日です。
(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)
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