白百合の葬列③
「花が好きなのか?」
部屋の隅で何かを見つめている子供に話しかける。その手には、白に近い薄青色の小ぶりな花が乗せられていた。
確かよく池なんかに浮いている、睡蓮というやつだろうか。
生意気にも霊力で結晶化されている。しかも見る限りこの子の霊力ではなさそうだ。
最近は感情表現も巧みになってきたというのに、その花を見るときだけ表情が消えて昔のように戻る。
それがなんだか落ち着かないような気がして声をかけたのだ。
子供は逡巡するように少しだけ視線を彷徨わせると、こくりと頷いた。
「はい。」
「どんな花も好きなのか?それともそれだけか?」
「花は全部好きです。でも……これは特別。」
「特別?」
「はい。……幼馴染がくれたんです。『家族だから』って。だから、特別。」
子供が笑う。
自分が教えたような取り繕うための笑顔ではなく、宝物を見つめるような柔らかい顔で。
ずっと見てみたかった笑顔。
普段の子供に張り付いていた顔で満足していた。それがこの子の笑顔なのだと思っていた。
だけど本当はこんな顔だったのだ。
ーーああ、そうか……。
愕然とする思考の中で、頭が回りだす。
ああ、そうか。そうだったのか。
この子の笑顔に必要だったのは、貼り付けるための仮面や心を隠すための言葉じゃない。
ハグレモノを倒す技術でも、戦略的な頭脳でもない。
この子に必要なものは、
ーー家族だったのか……。
深い心の傷を癒すために、支える周りが必要だったのだ。
「?どうしたんですか?」
子供が首を傾げる。心配そうに眉を下げて。
きっと自分は酷い顔をしているのだろう。ずるずると隣に腰を下ろすのに、子供はそっと腕に擦り寄ってきた。
優しい子だ。
傷ついているのに他人を思いやる心を忘れていない。
温もりを感じながら、片手で顔を隠した。酷い気分だった。
自分はこの生活を気に入ってしまった。
最初は面倒だった子供が、教えれば教えただけ吸収するのが面白くなって、一緒に飯を食うようになって、笑っている顔が見たくて。
いつしか陽だまりのような心地がしていた。
だけど、もしかしたら全てが間違っていたのかもしれない。
自分は、この子に何をしてしまったのだろう。
傷を癒すための家族から引き離し、生きる術として嘘を教え、明日も知れない危険な世界に引き摺り込んで。
自分は何をしてしまった。
後悔が胸に渦巻く。
連れて来るべきじゃなかった。出会うべきじゃなかった。
こんな世界、教えるんじゃなかった。
だけどもう。
ーー手放せない……。
初めて一緒に飯を食う温かさを知った。家に帰って灯りがついている安心感を感じた。未来の約束をする尊さを理解した。
この子のことを思うなら、今すぐにでもこの子の家族の元に帰してやるべきなのに。
「……泣いてるんですか?」
驚いたように覗き込んでくる子供を抱きしめて、行き場のない感情に涙を落とす。
とんとん、と背中を宥める手の温かさがどうしようもないほど苦しくて。
こんな自分でもなれるだろうか。この子の家族に。この子を守ってやれるだろうか。いつの日か、未来で絶望することのないように。
いや、守ってやろう。家族になろう。この子の、父親に。
「榊さん。榊さんは、好きな花はありますか?」
一頻り泣いた榊を気遣うように、話を変える子供に笑う。
気が利きすぎだ。もっと甘やかそう。
これから先は、もっと。
「そうだな……俺は、」
窓の外に視線を向ければ、白百合が咲いていた。花なんてよく知らない。
だけどこの子が喜ぶならこれから覚えていけばいい。
だから、今はこの答えで。
「俺が、好きなのはーー。」
◇◇◇
結界が破られる感覚で目が覚めた。
いつの間にか雨も止み、陽が落ちている。
折角の時間稼ぎだったのに、こうも容易く破ってくるとは。
榊は舌打ちをこぼして周りに目を向ける。あと何体残っているんだ。
「おい!」
「はい、榊様。」
「まだ生きているのは何体だ?」
「ここに居る五体と合わせて三十体です。いま、総攻撃を仕掛けています。」
「バカかお前ら!全員で行っても殺されるだろーが!何体か引かせてここを守らせろ。奴等が来る。」
「はい。」
遠ざかっていく気配に溜息を吐き出す。やはり中級、あまり賢くない。
しかし手元に残しているものは、大体が上級になりかけの中級たち。少しくらいは時間稼ぎが出来るはずだ。
寝ている間に右腕は再生しているし、逃げるくらいならなんとか。
そう自身を落ち着かせようとした瞬間。
高い位置にあるステンドグラスの割れる音と共に、大量の白い何かが礼拝堂へと押し寄せてきた。
衝撃に身を潜めていたハグレモノたちが次々と姿を現す。
が、
「うげ、なんだこれ!!?」
「うわ、口に入った!!」
口々に声を上げる様に榊ははっと息を呑んだ。そして大量の白い何かに目を向ける。
それは花だった。
どこに根を張るでもない白百合が、割れたステンドグラスからうっそりと溢れて礼拝堂を覆い尽くしていく。
花粉が大量に舞い、身体の表面や口の中に入り込んでくる。
それに気づいた榊は、咄嗟に口を覆う。しかし他のものは既に、手遅れだった。
「うぎゃっ!」
「ぐあ、!」
そんな声に次いで破裂音。
飛び散る血肉は床に落ちた白百合を赤黒く濡らし、塵になって消えていく。
身体の内側から破壊されたハグレモノたちに呆然と立ち尽くしていると、ゆっくりと榊の背後の扉が開かれた。
「こんばんは、榊さん。」
踏みつけられた白百合が花弁ごと落ちていく。
陽の落ちた礼拝堂の中、ステンドグラスを通した月明かりを背景に、その男は佇んでいた。
落ちた百合を拾い上げ、慈しむように顔を近づける姿は聖職者のようで。
悠然と微笑む、かつての弟子に榊は背筋が冷たくなるのを感じた。
「今夜は月が綺麗ですね。お葬式にはぴったりだ。そう思いませんか?」
「……誰の葬式だって?」
「ふふ、それは勿論。……貴方が好きだと仰っていた花も用意したんです。白百合。葬送の花。相応しいでしょう?」
くすくすと衣擦れのような笑い声が響く。
ああ、くそ。聞いてない。あの量の中級を一発なんて。
というかなんで花粉が破裂するんだ。どういうトリックだ。
「花粉を通して俺の霊力を流し込んだだけですよ。最近、新しい戦い方を模索していて……遠隔で殺せるなら良いと思いませんか?貴方たちは元人間。堕ちたくせに浅ましくも呼吸をし、肺に空気を入れる。必要ないのに。ふふ、だからそこで火をつけたんです。狭い肺の中で大量の花粉は起爆剤になる。後はこの通り……。出来て良かった。」
出来るできないではなく、そんな事を思いつくのが常軌を逸しているだろう。頭がおかしい。
榊は奥歯を噛み締めながら少しだけ足を後退させた。
逃げきれるだろうか。時間稼ぎのためのハグレモノはもう居ないが、今しがた呼び寄せていたものたちもいる。それの到着を待てば。
しかしその考えも、こつりと聞こえたもう一人の足音に掻き消えた。
ーー東條葵……。
司令官である彼がここにいるという事は、呼び寄せたハグレモノたちも帰ってこないだろう。計略でこいつに勝る者はいない。
榊のもう一人の弟子だった男。常に気難しそうで、それを揶揄って遊んでいた。
ーーこいつの名前は覚えているのに……。
どうして目の前の綺麗な顔をした弟子だけ名前が分からないのだろう。
この子の名前を思い出したい。教えて欲しい。痛めつければ教えてくれるのだろうか。
榊は息を吐き出すと、小さく笑みを浮かべた。
この二人と遊ぶのはきっと楽しいはずだ。だから全力で殺してやろう。
「かかってこいよ、弟子。遊んでやる。」
その言葉に、名前の分からない弟子は東條と顔を見合わせると楽しげな笑みを浮かべた。
◇◇◇
暗い森の中を、目の前の男は影のように自由に飛び回る。速いことは分かっていたがこれ程とは。
木の幹、枝、足を取られそうな根の張り巡らされた地面。そのどれもが足を止める障害にはなり得ないようだ。
榊は舌打ちをこぼしながら、右手でナイフを振るった。月光に照らされて鋭く光る銀色が、首を捉える。
と思いきや、奴の身体は木の上にある。どんな身体能力なんだか。
ーーしかしまあ……。
榊は礼拝堂の少し先にある、開けた場所に意識を向けた。
何人かの人の気配と、巧妙に隠されながらも確かに存在する霊力。恐らくは術の類だ。何かしらの術をあそこに仕掛けている。
榊の足を止めるための緊縛術。
それで捕らえてヒミズの居場所を聞きたいのか、それとも昔の感傷か。
どちらにしろ榊に失うものはない。ヒミズの場所など知らないし、榊の記憶には欠陥がある。
とはいえ捕まって殺されるのはごめんだ。なんたってこんなに楽しいんだから。
ーーいい動きだ。
まるで予想がつかない変則的な動き。
捉えたと思っても捉えきれないし、こちらの動きも読んで合わせてくる。
あちらの方が常に数歩先を歩いている状態。まるで出来の良い手品を見ているようだ。
ーーぞくぞくするねぇ……
勝手ににやける口元を隠しもせず、榊はまた相手の間合いに飛び込む。
しかし次の瞬間、暗闇の中に走る閃光に、榊は意志の力だけで身体を真後ろに引いた。
一瞬後、榊がいた場所に爆発に似た火柱が立つ。
百合の花粉。いやもう花粉というより起爆剤だ。弟子の意思ひとつで引火して爆発する。
「あれ?避けました?流石ですね、榊さん。」
「てめぇの方こそ、よくそこまで操れるもんだ。」
パチパチと手を叩いてくるのに、怒りを通り越して笑ってしまった。
こいつとは格が違う。そもそも他人の肺を爆発させるような思想のやつに勝てるわけがない。
だけどまだ。まだまだ遊び足りない。
「なぁ、弟子。」
「どうしました?」
「もし俺が勝ったら、お前の名前教えてくれよ。」
「ふふ、いいですよ。」
その答えで俄然やる気が湧いてきた。
榊は笑うと、一瞬後にはまた相手の懐へと飛び込んだ。
どのくらい経っただろうか。
榊は少し冷めてきた熱に、息を吐き出した。
当初面白かった弟子との攻防は、時間が経つにつれて退屈なものに変わってきている。
ハグレモノである榊と違って、人間であるからか、少しずつ動きは鈍くなってきているし、あの爆発。
あれの躱し方も分かってきた。
元々の原理が百合の花であるせいか、燃える直前一瞬だけ甘い独特な香りが強くなる。
それさえ分かってしまえば避けるのは簡単だ。
ーーつまんねぇなぁ……。
弟子の顔からも少しずつ焦りが見え始めている。
格が違うかと思いきやこんなものか。
榊は足を踏み込むと、弟子の痩身を蹴り飛ばした。軽い男だ。思ったより吹き飛んでしまった。
そのまま近づき、倒れ込んだ身体を踏みつける。
もう動けないのか、苦しそうに顔を歪めるのが面白い。
榊は足に力を入れながら、歪んだ顔を見下ろした。
「おい。俺の勝ちだ。そろそろ名前を……。……?」
なんだ。何かがおかしい。踏みつけた身体に弾力があり過ぎる。
いや、違う。
これは、押し返されてーー、
「なん、……だ、これ……!」
身体が上手く動かない。目に見えない鎖が身体中に巻き付いているようだ。
困惑している榊の下で、弟子が榊の足を適当に退かして身体を起こす。
立ち上がってパタパタと土汚れを落とすその顔に、先程までの焦りや疲労はない。
榊が顔を引き攣らせれば、気がついた弟子がにっこりと微笑んだ。
「ふふ、動けませんね。」
「なに、を……。」
「もちろん、貴方を術式の罠に嵌めたんですよ。」
何を言っているんだこいつ。それは最初に確認している。もっと開けた場所だった。
こんな木が鬱蒼と茂っている場所じゃなかったはずだ。
そんな榊に、弟子は可愛らしく小首を傾げると、背後の木を振り返った。
そこから出てきた影に、呆然と言葉が落ちる。
「東條……葵……。」
戦闘が始まった瞬間、消えたから忘れていた。
そうだ、こいつ。こいつは今まで何を。
「東條さんの力も忘れましたか?……東條さんの霊力盤を?」
「霊力盤……。」
ああ、思い出した。
東條家由来の霊力。フィールドを盤面に見立て、そこにあるものを自由に動かせる大規模な操術。
確か自身の霊力よりも強い相手は、動かせないはずだ。
「でもフィールドにあるものなら人間だけじゃなく、建物も木も自由自在なんですよ。まあ、この罠は流石に動かせないのでね。少しずつ木を動かしてもらったんです。俺に集中してて気が付かなかったでしょ?」
種明かしをするように、目の前の男は楽しげに言葉を続ける。
東條は呆れているのか、静かに見守るだけだ。
ああ、こんな光景どこかで。
「……お前の、体力切れは?」
「ブラフです。顔、よく見てたんで。しんどそうにして動きを鈍くしたら、勝負を決めにくるかなって。ふふ、弱った獲物はさっさと捕まえたいですもんね。あ、あと花の香りを強めたのも分かりました?木が動いてることに気がつかれたくなくて、爆発で吹き飛ばされて周りの様子を確認されると困るかなって。」
あっけらかんと楽しそうに、まるで出来たことを嬉々として報告してくるように。
弟子の楽しげに笑う顔に、なんだか笑えてしまった。
そうか。やはり格が違ったか。まさかそこまでやるとは。
ーーいや、俺が教えたのか……。
名前は思い出せないけれど、表情の作り方も、ペラペラと話す術も、全部教えた。
それを完璧に実践されてしまっただけだ。
ーー終いだな。
榊は笑うと、目の前の弟子たちに視線を向けた。
東條葵と、未だに名前すら分からない弟子。仲が良さそうで何よりだ。
せめて、最後に。
「……名前、教えてくれ。」
「?負けてませんよ?」
「餞別くらいくれてもいいだろ。減るもんじゃねぇし。」
そう言えば、目の前の弟子は少し悩んだ後にこくりと頷いた。
なんだろうな。この顔にも既視感がある。
弟子は榊を真っ直ぐに見つめると、透き通るような声で答えた。
「亜月玲です。」
「亜月……玲……。」
瞬間、記憶の波が榊の脳を暴力的に覆った。
白い光に灼かれ、様々な記憶が溢れ出してくる。夢で見たもの、それよりも、もっと沢山散りばめられた思い出の欠片たち。
ああ、ああ、そうだ。
そうだそうだそうだそうだ。
思い出した。
思い出した、から。
「玲!葵!!」
榊の大声に二人の弟子が目を丸くする。
だけどそれどころではない。
ああ、くそ!なんで忘れてたんだ!
「逃げろ!!」
その言葉が響き渡るのと、自身の中で莫大な瘴気が膨れ上がるのを感じたのは同時だった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード18は次回で完結です。
玲と東條の共闘は書いていて楽しかったです。
玲が少し興奮して話しているのが個人的には気に入っています。
四パートの長いお話でしたが、あと少しお付き合いいただけると嬉しいです。
次回更新は7/11土曜日です。
(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)
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