白百合の葬列①
雨が降っている。
泥で抜かるんだ山道と、視界の悪い暗闇。
手に伝わる、生温い感触。
足が重い。そして寒い。
降り止むことのない雨は、帰ろうとする身体をその場に引き留めようと、のしかかってくるようだ。
ーー帰ら、ねぇと……。
今日は早く帰ると約束したんだ。
なんたって夕飯はショートケーキと魚の煮付け。それから茄子の煮浸し。
あとはとっておきのブランデーも開けて。たまにはケーキの上の苺を分けてやろうか。
どんな顔をするのだろう。
見てみたい。
見てみたい、のに。
身体が地面に倒れる音がする。腹が燃えるように熱く、耳鳴りが止まない。
ーー帰らねぇと、なぁ……。
今日は世界で一番大切な日なのだから。
◇◇◇
「……というわけで、暫くは他部隊のサポートは停止。何かあればすぐに対応できるように準備しておいて。もちろん、学生は普通通りで大丈夫だよ。」
その日の朝、残夏と凪がいつも通り14番隊の執務室に顔を出すと、珍しく全員が揃っていた。
ミーティングと称し、玲からの連絡事項まで。
玲から語られる内容に、残夏は隣の凪と顔を見合わせた。
高専襲撃事件で残夏たちを襲った男、榊。彼が見つかったのだそうだ。
その討伐で、組織も暫く臨戦体制に入るらしい。通常業務は最小限に、不測の事態に備えるのだとか。
残夏たちには直接関係のないことだが、大侵攻の時のようないいしれぬ不安がある。
それでも、従うしかないのだけれど。
「あ、暫くは外出は禁止ね。放課後は寮か執務室。いい?」
「はーい!」
「はい。」
玲の声掛けに返事をし、残夏は凪と執務室を後にした。
ドアを閉める寸前、中から声が聞こえてくる。
「……雨が降りそうだね。」
玲の言葉に呼応するように、窓の外では小雨が降り始めていた。
◇◇◇
榊は元組織の人間だったらしい。
しかも14番隊は当初、彼のために設立されたのだとか。
歴代でも1、2を争うような実力者で、当時を知る人の中では、彼のことを知らない人は居なかったそうだ。
殺しても死ななそうな人間だったと。
しかし11年前、ハグレモノの大侵攻により命を落とした。
彼の死は組織の中でも相当な衝撃だったらしく、あの人が死ぬような相手なら自分は確実に死ぬと辞表を出す者も多かったそうだ。
そんな榊は、玲と東條の師であったらしい。
などと言う噂が、残夏たち学生にもまわってくるほど組織内では蔓延している。
「14番隊の隊長が、11年前に逃しちゃったらしいよ?」
「違う違う!必死に掴まえようとして、負傷させたんだよ。だから11年間出てこれなかったんだ。その時の功績で14番隊の隊長は最年少の隊長になれたんだよ。」
密やかに交わされる会話に、残夏は眉を寄せた。
よくまあ、根も葉もない噂をペラペラと。本人たちは何も口にしていないというのに。
「今回は2番隊と9番隊がメインで討伐するんだって。」
「え?14番隊は?その二部隊は大侵攻でもメインだったのに大変じゃない?」
「14番隊が行くべきだよね。」
ーーああもう、煩い。
流石に文句を言いたくなるが、残夏は黙って教室へと向かった。凪が不安そうに俯いているのに、残夏が焦って騒ぎを起こすのは避けたい。
そのままクラスの扉を開けると、雄星と司がすぐに近づいてきた。
「はよ。……大丈夫か?」
「おはよ、雄星。うん、オレは大丈夫。」
「凪は元気か?」
「司くん……。ちょっとだけ怖いね。」
凪の様子に司が眉を下げる。
ひそひそと囁き合う声や、ピリピリとした空気。そのどれもが凪を落ち込ませているのだろう。
そんな残夏たちに、あかりや桃子も駆け寄ってきた。いや、それだけではない。クラスメイトたちは皆んな、口々に心配してくれる。
特別講習で玲と関わったからか、残夏のクラスは玲に対して悪感情は持ち合わせていないらしい。
もちろん、白石の取り巻きだった奴らはバツの悪そうな顔をしているけれど。
「……皆んなありがとう。」
落ち着いたのか凪が笑う。
残夏はほっと息を吐き出した。今回、残夏はきっと何も出来ない。
だからせめて、友人たちが心置きなく日々を過ごせたらいいと思う。
ーー隊長……。
降り止まない雨に、残夏は胸の不安を吐き出すように息を吐いた。
◇◇◇
夢を見る。
淡い夢。
掴んでもすり抜ける、泡沫のーー。
「っとに、体力ねぇなぁ……。」
「すみ、ません……。」
目の前で倒れ込んだ子供に溜息を吐き出す。
反射神経は良いが、どれだけやっても体力が付かない。
多分、飯をちゃんと食べないせいだ。ものを食べるのが苦手らしく、無理やり詰め込んでも吐き出してしまう。
しかも。
「……熱か。」
「……ごめんなさい。」
掴んだ腕に伝わる嫌な熱さに、またしても溜息が溢れた。
拾ったときは素晴らしい才能だと思っていたが、こんなにも身体が弱いとは。
これでは隊員など夢のまた夢だろう。
ーー間違えちまったかな……。
組織に連れてくれば終わりかと思えば、世話を押し付けられ、一緒に住むことになるなんて。
こちとらガキの世話などした事がないというのに。
もう一度息を吐き出したくなるのを抑えながら、取り敢えずと小脇に抱えてベッドに放り込む。
久しく使っていなかった体温計は、少し前から大活躍だ。
しかしどうしたものか。
熱を出すとこの子は何も食べなくなるし、どうしたらいいか分からない。自分なら一日寝れば不調も回復するが、子供はそうではないらしい。
苛々と考え込んでいるとチャイムの音が響いた。面倒だから居留守を使おうとしてハッとする。
ーー確か今日は……!
「あ、師匠。今日はーー、」
「丁度良かった!!早く上がれ!!」
玄関先に佇む青年の腕を取って、子供の部屋に連れて行く。
青年は驚いた顔をしていたけれど、部屋の中を見せると唖然とした表情に変わった。
「あ、」
「あ?」
「あんた何やってんだ!!なんでこんな碌に絞ってないタオルを額に乗せてるんだよ!?てかなんだこのネギ!!?」
物凄い剣幕にこちらの方が驚いてしまう。
なんだなんだ。
熱があるなら、額を冷やすんじゃないのか。ネギもいいと聞いたから巻いているのだが。
「馬鹿じゃないんですか!?これじゃ治るものも治らない……!おい、お前大丈夫か?いま助けてやるからな!」
そこまで言わなくとも。
首を竦めながら端に座っていれば、青年はテキパキと額のタオルを替え、ネギを外し、服を着替えさせて、ベッドを整えてやっていた。
なるほど。ああすればいいのか。
子供の寝息も心なしか穏やかになった気がする。
「おお……お前すごいな。」
「まあ、同じくらいの妹がいますから。……でも、この子、相当身体が弱いですよ。もう少ししっかりしてください。」
「とはいえなぁ……俺にガキの世話なんざ無理だろ。」
「私は反対したのにあんたが拾ったんですよ。……犬猫じゃないんだ。責任を持ってくださいね。」
「責任……。」
なんだそれ。責任ってなんなんだ。
用事を済ませて帰っていった青年の言葉が頭を回る。
責任なんて考えていなかった。
そんな面倒くさいこと。
溜息を吐きながら、ベッドの端に座り込む。
青年が買ってきた冷却シートは既に温くなっていた。
新しいのに替えてやれば、子供はほっと息を吐き出す。細い首に眉が寄った。
ーーもしかしてこれは……。
大変な拾い物をしてしまったのかもしれない。
◇◇◇
「2番隊、9番隊と連絡が取れなくなった?」
榊の討伐任務が開始した次の日。
上から降りてきた情報に清治は眉を顰めていた。
出動した2番隊の精鋭の中には、友人である彰良も含まれている。
しかし清治に反し、玲は特に気にした風もなく話を進めた。
「いや、本部との連絡が取れてないだけで俺は連絡は取れるよ。ただ閉じ込められてるみたい。どこに歩いても礼拝堂に辿り着けないんだって。」
「連絡取れないのに取れるってどういうこと?」
「ふふ、松陰さんと北郷さんと俺だけの秘密回線あるんだよねぇ。東條さんも知らないやつ。」
あっけらかんと笑う玲に清治の顔が引き攣る。
そんなものいつ準備していたのか。
上司にも悟られず、となると、清治たちは玲が味方で良かったと安堵するべきなのかもしれない。
だがまあ、まだ憂慮する段階ではないらしい。清治は、ほっと胸を撫で下ろす。
「大丈夫そうなの?」
「まあ……北郷さんも松陰さんも老獪な人たちだし。ふふ、彰良がブチ切れてるって北郷さん溜息吐いてたよ。でも本部は大慌てだからそろそろ報告しないとなぁって。」
「早く報告してあげなよ……。」
清治の溜息に笑って、玲がふと窓の外に視線を向けた。
昨日から降り続いている雨は、土砂降りではないけれど細く、霧雨のように視界を悪くしている。
玲は目を細め、そっと声を落とした。
「東條さん、ちょっと過保護だよね。」
「え?」
「いま報告しても有利にならないんだよなぁ……。」
呟きのような玲の言葉に清治は息を呑んだ。
なるほど。
そもそも今回の配慮自体が気に入らないのだ、玲は。
しかし負担を考えるなら、東條の判断を清治は理解できるのだが。
清治がそう言えば、玲はくすりと笑った。
「負担って言うけど、俺そんなに弱そうに見える?」
「見えないから心配してるんだよ。限界まで玲は言わないでしょ?」
「それはそうだけど……俺と東條さんって共犯だと思ってたのにな。」
「共犯?」
それは、いったい何の。
清治が首を傾げていると、玲が立ち上がった。うんと背伸びをして息を吐き出す。
「清治、ちょっと付き合ってよ。」
「え?いいけど……どこにいくの?」
清治の疑問に玲が振り返って笑った。
悪戯っ子のような悪い顔で。
「もちろん……視野が狭くなっている兄弟子に喝を飛ばしに、ね。」
◇◇◇
ーーまた、この夢……。
夢を見るのだ。
淡い夢。
掴んでもすり抜ける、泡沫のーー。
今日は疲れた。
討伐任務で中々にしぶとい相手だったのも理由のひとつだが、それ以上に組織の上層部から隊長になれと脅迫めいた誘いを断るのに神経を使った。
誰が好き好んで他人の面倒なんかみたがるだろうか。
いい加減にしてほしい。人には向き不向きというものがあるのに。
ーーああ、でも帰ったらあのガキの面倒も見なきゃなのか……。
性懲りも無くまた熱を出して。
流石に魂の質だけの問題じゃない、と詳しく調べれば自分を呪ってやがった。
10歳の子供が。
どう考えても自分のせいではないだろうに。あれをどうにかしないと、一人前にする前に死んでしまう。
「はあ……。」
ーーなんで俺がこんな事で悩まなきゃいけないんだ。
あんなガキ、放っといたっていいのに。
いや、分かってはいる。
あの子は多分、一般的な同年代の子供たちより手がかからないのだろう。
言って聞かせれば理解するし、基本的に話さないから静かだし。
飯も自分で作れるし、熱が出ても動けなくなるまでは自分で対処している。
だけどあの苦しそうな顔を見ていると、なんだか嫌な気分になるのだ。
重たい足取りで扉のノブに手をかける。
今日の夕飯はどうしようか。作るのも頼むのも面倒だからもう強い酒を飲んでさっさと寝てしまいたい。
そんなことを考えながらドアを開けば、ふわりと味噌の香りが鼻をくすぐった。
「?」
匂いにつられて中に入っていく。
台所からは、オレンジ色の灯りが漏れていた。
引き戸に手を掛け、中を覗く。
そこには、まだ湯気を立てている料理と子供がいた。
帰ってきたのに気がついたのか、ぱっと顔を上げる。顔は赤く、まだ熱が高いようだ。
「……おい、なんで寝てないんだ?」
「遅かったので……すみません。」
これだ。
このすぐ謝るところも腹が立つ。
苛々しながら椅子に座れば、びくりと子供の肩が跳ねた。
「これ、お前が作ったのか。」
「はい。」
「そうか。……あー、さっさと食って寝るぞ。」
「はい。」
怯えていようが表情は変わらないし、いつでも従順。子供というより人形のようだ。
その姿に苛立ちもどこかに吹き飛んで、なんとなく食卓の上に目を向ける。
米と味噌汁、それから茄子の煮物。
なんで茄子。野菜は嫌いなのに。
「この茄子、どうした?」
「東條さんが昼に来て置いて行きました。」
「はあ……。」
嫌がらせかあの野郎。
まあいい。取り敢えずさっさと食べよう。
野菜は嫌いだが、流石に作ってくれたものを残すのも気が滅入る。
そもそもこの色が嫌いなんだ。
なんでこんな色。自然界にあったらダメな色だろう。
散々なことを思いながら、恐る恐るひと口箸で摘む。
そして。
「…………美味い。」
咄嗟に己の口から漏れた言葉に、嘘だろうともうひと口。
やっぱり美味しい。
出汁がよく効いていて、塩気も風味も丁度いい。白米も良いが酒が欲しくなる。
夢中で食べていれば、目の前の子供もそっと自分の分に手を伸ばした。
比較すれば少ない量だ。あれで足りるのだろうか。
「お前、それだけでいいのか?」
「はい。」
「そうか。」
本人がいいならいいのだろう。
気にせず完食してほっと息を吐き出す。
久しぶりにゆっくり飯を食べたかもしれない。
子供も食べ終わったのか、流しに自分の分を片付けに行く。
その背に、なんとなく声をかけてしまった。
「おい。」
「……。」
「その……なんで作って待ってた。」
無言で振り返ってくる子供に、少しだけ視線を逸らしながら口を開く。
本来なら寝ているはずなのに、自分を待って一緒に食卓についた理由はなんだろう。
こんなに遅い時間なのに。
子供は問いかけに暫く考え込むと、そっと呟くように言葉を落とした。
「……ご飯、皆んなで食べた方が美味しいから。」
「は?」
「そう教えてもらいました。」
いったい誰に。
もしかしてここに来るまでに身を置いていた、あの神社の人間たちだろうか。
子供はそれだけを言うと、さっさと片付けて台所を後にした。
残されて呆然としている自分は、なんとも間抜けなことだろう。
コホンと誰に向けてか咳払いをして煙草を手にする。煙を吐き出せば、少しだけ考えも纏まりそうだ。
「……一緒に飯、か……。」
そんなこと、初めて言われた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード18開始です。
榊決戦編ですね。
東條と玲の攻防や、榊について楽しんでいただけると嬉しいです。
ちなみに私は茄子は好きです。
美味しいですよね。
次回更新は6/27土曜日です。
(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)
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