彼岸の呪い、貝殻の海①
「清治〜。俺、明日から一週間だけ、休んでもいい?」
残夏たち学生は夏休みに入った、太陽が一番眩しい頃。
今日も人が少ない14番隊の執務室には、衝撃が走っていた。滅多に自ら休みを取らない玲が、休みを要求したからだ。
「え、れ、玲、具合悪い!?大丈夫!?」
「え?うん……?」
問われた清治が、あまりの事に飛び上がって玲の元へと駆けていく。
しかし肝心の本人は、不思議そうに首を傾げるばかり。
取り敢えず緊急事態ではないらしい。
とはいえ、同期兼友人は心配が勝つのだろう。
額に手を当てたり、脈を測ったりと忙しない。
「微熱……かな。脈はちょっと早いね。きつい?」
「ううん。いつも通り。そんなに心配しなくても大丈夫だよ。」
「これがいつも通りって……。まあ、一旦置いとくけど……どうしたの?お休みなんて珍しいね。あ、ダメって言ってるんじゃないからね。」
「うん、ありがとう。……えっと、それがさ、最近ちょっと不安定で。多分休んだ方が迷惑かけないかなって。」
不安定。
それはあれだろうか。メンタル的な問題だろうか。
実際、最近の玲の心労はかなりのものだろう。
心配をかけた残夏が言うのも、なのだけれど。
榊の出現や、伝言を残したヒミズ。
南宮派との対立。
高専襲撃事件の後始末。
不調がなくとも休んでほしいくらいに。
残夏が見守る中、同期の絆というのだろうか。
清治には話が通じたらしい。
少し驚いた顔の後、清治はこくりと頷いた。
「分かった。玲、一人で過ごさないよね?」
「うん。東條さんとこか、彰良のとこに行くつもり。」
「うん、そうだね。何かあったらいつでも連絡して。今日も定時で上がりなね。」
「ふふ、仕事終わったらね。……ありがとう、清治。」
玲が嬉しそうに笑う。
顔色はそこまで悪くない。
しかし玲を見る清治の顔が、心配の色で染まっているのに、残夏は首を傾げた。
◇◇◇
「なあ〜、海行かね?海。」
凪の部屋。
ごろごろと各々の時間を過ごしていると、漫画を読んでいた雄星が顔を上げた。
昼間の暑い陽射しも、室内のクーラーがよく効いた部屋では、夏を感じさせる風物詩でしかない。
快適。
怠惰。
堕落。
そんな言葉が並びそうな幸せ空間。
残夏は眠気に耐えながら、ぼんやりと雄星の言葉を反芻した。
ーー海かぁ……。
あんまり行った事ないんだよな。
人も多いし、なんか海風はベタベタするし。
そして何より、
「暑い。」
司の声と残夏の声が重なるのに、雄星が首を竦めた。
凪はにこにこと楽しそうだねぇ、なんて笑っている。
「えー、せっかくの夏だぜ?夏らしいことしてーだろ。ずっと部屋でごろごろしてんじゃん。」
「んーまあ、そうなんだけど……。」
わざわざ外に行くのは、一年前までほぼ引きこもりだった残夏にはハードルが高い。
この幸せ空間を手放してまで、海に魅力があるだろうか。
「スイカ割りとかしたくね?」
「スイカ割り……。」
「あと花火。」
「花火。」
「極めつけに海の家の焼きそば!」
「焼きそば!」
残夏は眠気も吹き飛んで飛び起きた。
雄星はうまい。
そんなの行きたくなるじゃないか。
雄星が手のひらをこちらに出してくるのに、残夏も手を合わせてハイタッチをする。
海、いいじゃないか。
行こう。
「上手いくらいにノせられたものだな……。」
「きっと楽しいよ。司くんも行こうよ!」
「ん、まあ……そうだな。」
司も凪に掛かればお手のものだ。
素直な凪の言葉に、司はどうも弱いようだから。
「いつ行く?明日?」
「あかりや麻生さんも誘わねばな。」
「ぼく、水着持ってないから買いに行かなきゃ。」
「そうだ、遠出なら隊長に言っとかないと。」
わくわくと計画を立てている中、残夏はぽんと手を打った。
自由な外出は許されているが、流石に海ともなれば遠くなる。
帰りが遅くなるなら、許可がいるだろう。
それに残夏も水着を買わないと。
「あ、でも玲ちゃんいまお休み中だよ?」
凪の言葉に、残夏ははっとする。
そうだった。
玲は一昨日から一週間の休暇に入っていた。
許可を貰うのには玲に直接会うほかない。
とはいえ、流石に休暇中の玲を訪ねていくのは迷惑だ。
ただでさえ、ゆっくり休んでほしいのに。
「来週にしよう。隊長、戻ってくるから。」
「あー……それなら仕方ないな。まあ、一緒に水着見にいこーぜ。」
雄星の提案に、残夏は笑って頷いた。
◇◇◇
「よし、いいな。今日はここまでだ。」
「はい!」
彰良の言葉に、残夏は自分の剣を鞘に戻す。
だいぶ重さにもなれ、最近は自由に動かせるようになってきていた。
「ちゃんと汗拭けよ。風邪引くぞ。」
夏の夕暮れが影を伸ばす。
赤い夕日に染められながら、彰良が投げてくれたタオルで残夏は汗を拭った。
夕方でも暑いから全身汗だくだ。
今日は夕食前にシャワーを浴びた方がいいかも。
彰良も残夏と同じようにタオルで汗を拭う。
上半身だけシャツを脱いで。
その身体に自然と目が向いた。
しっかりと均整の取れた身体。
残夏もこのまま頑張れば、彰良のようになれるだろうか。
「……ん?どうした?」
「あ、い、いえ!」
少し見過ぎたらしい。
慌てて残夏が目を逸らすと、彰良は不思議そうに首を傾げた。
そのまま考える素振りの後、口を開く。
「……。お前、最近どうだ?」
「え?」
「調子戻ってきただろ。……夏休み、楽しんでるか?」
彰良からの急な問いかけに、残夏は目を瞬かせた。
いつもの彰良の無表情。
しかしそこに僅かな心配の色を見つける。
そうか。
この人は心配してくれているのか。
残夏がほんの少し前まで、食事すら億劫な状態だったから。
ーー大侵攻から無事に帰ってきてくれたのに……。
残夏は、彰良の無事を喜ぶことすら出来なかった。
むしろ心配や迷惑までかけて。
それでも、彰良は残夏のことを心配してくれるのだ。
ほわりと、何かが胸に灯る気がする。
残夏は笑って、首を縦に振った。
「はい。実は今度海に行こうって話してて。」
「……このクソ暑い中でか?」
「焼きそばとか楽しそうだなって。」
「は、食い気だな。」
彰良が微かに笑う。
最近の彰良は少しずつ、感情を見せてくれるようになった。
この人の弟子になって、もう一年なのだ。
「花火やるなら泊まるのか?」
「あ、いえ。帰ってくるつもりです。でも門限を越しそうだから、隊長にはちゃんと許可取ろうと思って。」
「あいつ今休みだろ?」
「はい。だから、出社されたら聞きに行こうと思ってます。」
残夏の答えに、彰良はふと会話を止めた。
視線を落として考え込んでいるのに、今度は残夏が首を傾げる。
何か変なことを言ってしまっただろうか。
暫く待っていると、彰良が視線を上げた。
残夏の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「それ、早い方がいいだろ。あいつ、うちにいるから、今から聞きに行くか?」
「へ?」
◇◇◇
「……お邪魔します。」
一時間後。
残夏は彰良の家の玄関を潜っていた。
相変わらず綺麗に整頓された家。
この家に、こんなに汗だくで入るのは畏れ多すぎるが仕方ない。
シャワーを浴びてからだと遅くなりすぎる、と彰良に言われてしまったのだ。
「適当にしてていいぞ。……あいつ……。」
彰良が溜息を吐き出して奥へと入っていく。
残夏はその背を慌てて追いかけた。
「あ、あの……。」
「……外か。残夏、お前は休んでていい。」
「え?」
それだけを言い置いて、彰良は庭に降りていく。
休んでいていいと言われても、こちらは汗まみれだ。残夏は一瞬だけ迷ったが、彰良の後を着いていった。
だいぶ日も落ち、しかしまだ完全に暗闇に包まれていない道を残夏は進む。
目を凝らしながら周りを見回していれば、くすくすと軽い笑い声が耳に響いた。
玲の声だ。
残夏は無意識に声の方向へと視線を向ける。
そして。
「すごい……。」
目の前の光景に残夏の口から、自然と言葉が落ちた。
玲は睡蓮の池の淵の石に座っていた。
足だけ水に浸し、楽しそうに笑っている。
そんな玲の周りを、美しい人型の何かが囲んでいた。
例えるなら天女だろうか。
鮮やかで柔らかそうな衣装に身を包み、髪には花の飾りをつけている。
しかし、あまりにも整った容姿と、宙に浮いている様子から、人ではないことは確かだ。
天女たちは残夏の声を聞きつけると、一斉にこちらを向いた。
そして、スッと霞のように消えてしまう。
後に残ったのは、髪や着物を睡蓮で飾り付けられた玲だけ。
いや、水の中にも何かがいる。
以前彰良の家に来た時、引き込まれそうになった水の精霊だ。
「あれ?残夏?」
玲がこてんと首を傾げた。
しかし彰良が近づくと、玲はふわりと笑みを浮かべる。
「彰良。おかえり。」
「ただいま。またえらく飾り付けられたな。……一人の時に池に近づくなって言ったろ。」
「でも水に浸かってた方が楽だから……。」
「バカ。溺れたらどうするんだ。」
「そうしたら助けてくれるよ。ね。」
玲が足元に話しかければ、水面が盛り上がり、水の精霊が現れた。
こくこくと何度も頷くのに、玲が笑う。
ああしてみると、ただの水の盛り上がりが可愛く見えるのはどうしてだろう。顔もないのに。
彰良はにこにこと楽しげな玲に溜息を吐き出すと、その辺りに放り出されていた玲の下駄を拾う。
「……もういい。早く入れ。残夏も来てる。」
彰良の言葉に、玲は残夏の方に顔を向け、嬉しそうに笑った。
◇◇◇
「海?いいね。行っておいで。」
玲は残夏の話を聞くと、すぐにそう言った。
門限を越えることも許してくれるらしい。
残夏は風呂に入り、すっきりとした状態で目を輝かせた。
玲を連れて家に戻ると、彰良はすぐに風呂を沸かしてくれた。
大きめの浴槽に押し込まれ、残夏は息を吐き出す。
汗をかいたままでは、座るのにすら緊張してしまうから有り難かった。
しっかり暖まった後、残夏を待っていたのは浴衣だった。
白くて無地の、寝るための浴衣。
もう今日は泊まっていけ、ということのようだ。
「ごめんね。この家、ほぼ和装しかないんだ。」
「い、いいえ。でもなんか不思議な感じです。」
「ふふ、すぐに慣れるよ。」
着方の分からない残夏に、玲は手慣れた様子で着付けていく。
そっと伺い見た表情はリラックスしたもので、思ったよりも元気な姿に、残夏は安堵の息を吐き出した。
そして。
残夏と入れ替わりで風呂に入っていた彰良が戻ってきたところで、残夏は海のことを尋ねたのだ。
「海、昔行ったよね。四人で。」
「ああ、あれな。……雨は降るし、お前は日焼けするし、大変だった思い出しかない。」
「彰良、めちゃくちゃ楽しんでたのに?」
茄子の煮浸しを食べながら、彰良が微妙な顔をする。
対して玲は楽しそうだ。
スイカ割りで彰良が本気を出しすぎ、スイカがボロボロになって楽に怒られたこと。
かき氷の早食いで頭の痛みに悶え、清治に心配されたこと。
玲は指折り数えながら笑っている。
彰良は玲の笑いに眉を寄せると、話を変えるように口を開いた。
「……テーマパークも行ったな。」
「ああ、あったあった。お化け屋敷が楽しくて、何回も入ったよね。」
「楽しんでたのはお前だけで、俺たちは連れ回されてただけだろ。」
「そうだっけ?」
こてん、と玲が首を傾げる。
どうやら玲はホラーが好きらしい。
彰良のげんなりとした顔に、だいぶ連れ回されたのだろうと残夏は苦笑を漏らした。
ふと、話の途中で玲に目が向く。
食事量は相変わらず少ないようで、箸はあまり進んでいなかった。
しかし、所作がとても綺麗でつい見惚れてしまう。
玲も、彰良も、箸の使い方が美しい。
「残夏は夏休み、何してるの?どこか行った?」
「えっと……ファミレスとか行ったりしてます。あとは、視聴覚室で皆んなで映画見たりとか。」
「……満喫してるな。俺らもよく視聴覚室借りてゲームしてたよ。大画面だと迫力あるからな。」
「いいですね。帰ったら皆んなに言ってみます。」
食事は和やかに進んでいく。
夕飯は決して豪華なものではなかったが、優しい味付けでどれも美味しかった。
食後のお茶も出してもらい、のんびりしていれば、疲れも相まって眠気が強くなってくる。
残夏がうとうとしていると、彰良が声を掛けてきた。
「そろそろ寝るか?」
彰良の問いに、残夏は半ば夢心地で返事をする。
霞む視界の先で、彰良の微かな苦笑が落ちた。
今日の彰良は、表情が変わりやすい。
「ふふ、お疲れだね。俺、客間に布団敷いてこようか。」
「いいよ、俺がやる。お前は風呂入ってこい。疲れたろ。」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。」
残夏にタオルケットを掛けてくれる大人たちは、残夏が既に寝落ちたと思っているようだった。
残夏はそれに少しだけ甘えることにする。
申し訳ないけれど、なんだか心地良かったから。
玲は寝ている残夏の頭を撫で、おやすみ、と小さく呟いた。
そのまま遠ざかっていく足音に、残夏は薄く目を開ける。
ーーあれ……?
一瞬、玲の頬に赤い花が浮かんで見えた。
残夏は内心、首を傾げる。
すぐに確かめたくて、しかし残夏を呼ぶ眠気には抗えなかった。
残夏はひとつの疑問を抱えたまま、意識を手放した。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード16-1になります。
残夏の夏休みと、玲の呪いについてのお話です。
少しずつ回復する残夏と、玲を見守っていただければ嬉しいです。
次回更新は5/30土曜日です。
(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)
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