時計の針①
坂西の葬儀は、彼の家族が執り仕切った。
組織の人間は誰ひとり入れなかった。
残夏は葬儀の会場の外で、坂西の母親が泣き叫びながら東條に掴みかかっているのを見た。
小柄で坂西にそっくりな母親。
東條はただ、何も言わずに頭を下げ続けていた。
◇◇◇
大規模な高専襲撃事件から、一週間が経った。
見るも無惨に壊されていた校舎は、10番隊の技術を以って、たったの二日で元に戻っていた。
大量の怪我人も治療され、授業も校舎の復旧に合わせて再開された。
死者は一人だけだった。
「それじゃあ次のページをーー、」
残夏は、武田の声を聞きながら、ぼんやりと窓の外を見つめる。
空は高く雲は悠然と構えていて、鳥が飛んでいた。
クラスメイトたちも変わりない。
あかりも桃子も無事だった。
ただ白石が消えて、坂西の机の上には花が飾られた。
それだけだ。
ただ、友人がひとり居なくなっただけ。
世界は何も変わらなかった。
「残夏くん、お昼食べよう。」
昼を告げるチャイムの音に、凪が近づいてきた。
残夏は応えるように笑って立ち上がる。
雄星と司が教室の入口で待っていて、あかりと桃子も着いてきた。
いつも通りの昼休みの光景。
ーー坂西がいないだけで。
鳥が鳴く。
風がそよぐ。
光が辺りを照らす。
そんな当たり前の日常が続いていく。
人が、ひとり居なくなったのに。
誰もが前に進んでいく。
不幸な事故だったと、大事な友人だったと口を揃えて。
本当にそうなのだろうか。
あんな風に泣き崩れる人がいたのに。
前を向いて笑い合って。
そんな日常がどうして巡ってくるんだろう。
自分だけが取り残されたような。
まるで時間が止まってしまったような。
そんな違和感が拭えない。
「……残夏くん。ご飯、食べよう?」
そっと袖を引かれて、残夏は自身の隣に顔を向けた。
泣きそうなに眉を下げた凪が視界に写る。
凪だけではない。
皆んなの視線が残夏に注がれている。
ああ、そうか。
箸が止まっていたから。
「うん。美味しいね、凪。」
残夏は笑って弁当箱の中の玉子焼きを口にした。
それなのに凪の表情は変わらない。
なんでだろう。
折角食べたのに。
「……大丈夫か?残夏。」
雄星が心配そうに尋ねてくる。
それにも残夏は笑って頷いた。
大丈夫。
だってこれが日常なのだから。
残夏の様子に皆んな困った顔をしていた。
しかし少しずつ弁当の中身を減らすのに、また雑談が始まる。
残夏は適当に相槌をうちながら、口の中のものを飲み込んだ。
ーー味がしない……。
変だな。
美味しくないや。
◇◇◇
「今日はもういい。終わりにするぞ。」
彰良の言葉に、残夏は驚きでその場に立ち尽くした。
まだ稽古が始まって、三十分しか経っていないのに。
首を傾げながら彰良に近づけば、彰良が睨みつけるような鋭い視線を残夏に向けてきた。
「あの……?」
「残夏。お前……ちゃんと寝てるか?」
「え?」
「顔色が悪い。暫く休みだ。飯食って寝ろ。」
それだけを言い置いて、彰良は踵を返す。
彰良の背を見送りながら、残夏は首を傾げた。
そんなに悪いだろうか。
夜は、
ーー確かに夜は、そんなに眠れていないけど……。
しかし支障は無い。
どれだけ夜更かししても、眠れなくとも、まったく疲れない。
だから最近は、以前にも増して授業に集中しているし、稽古だって意欲的に取り組んでいる。
だというのに、彰良は心配性だ。
残夏は溜息を吐き出し、自身の寮へと足を向けた。
◇◇◇
暗闇の中を走る。
ただ、助けたい一心で。
いや、もしかしたら逃げ出したいのかもしれない。
どこに向かっているかも分からない暗闇の中。
残夏は走って、ひたすら走って、光を見つけた。
そこに佇む一人の少年。
彼がこちらを振り向いて笑う。
ああ、良かった。
無事だったんだ。
残夏は、ほっと胸を撫で下ろし、その子の腕を取ろうとする。
その時。
「……え?」
少年の腕が真っ黒に膨れ上がった。
身体もどんどん肥大し、膨れ、破裂し、形が変わっていく。
絶叫が耳を劈いた。
触手のような腕が地面を叩き壊す。
そして。
「……助けて、小鳥遊くん……。」
その言葉に、残夏の喉が引き攣った音を立てた。
「うわあああ!!」
深夜。
残夏は、自身の叫び声に飛び起きた。
全身が汗で湿っている。
だけど、それ以上に、
「うっ、……うえ……。」
残夏は、強烈な胃の不快感にトイレへと駆け込んだ。
食べたものをすべて吐き出し、ずるずると床に座り込む。
あの日から、毎日こうだ。
何を食べても美味しくなくて。
夜には悪夢を見た後、吐き出してしまう。
そして考えるのだ。
ーーどうして……。
あの時、坂西を先に行かせていれば。
あんな選択をしなければ。
残夏が、いなければ。
今も坂西は、教室で笑っていたのかもしれない。
あんな、あんな死なせ方をしてしまった。
人間ではなく、ハグレモノとして。
魂も身体も、何ひとつ残らない。
輪廻にすら還れない。ただ塵に化すだけの。
ーーハグレモノは人間……。
知っていたのに、忘れていた。
考えていなかった。
理解していなかった。
自分たちもまた、ハグレモノに堕ちる可能性がある事を。
残夏たちが倒すべき敵は、人間なのだ。
ーーあの時の、鳥のハグレモノも……。
外部演習で出会った、雛のようなハグレモノ。
何かを守るように佇んでいた。
攻撃すらしてこなかった。
それなのに、あんなに酷い殺し方をした。
あの子はいったい誰で、何を守っていたのだろう。
最期に、倒れた家屋に戻っていったハグレモノ。
古い布切れが残っていた。
あれは、誰のーー。
「うえ、……っ、う……。」
残夏が殺した。
坂西も、名前も知らないあの子も。
残夏が殺したのだ。
ーー気持ち悪い。
何も変わらず進む世界が。
吐くたびに何かが消えていくような心が。
ヘラヘラと、笑っている自分が。
胃液すら出なくなって、ようやく残夏はベッドに寝転がった。
眠気も、空腹も、疲れも何も感じない。
涙すら出ない。
それでも、明日は来るのだ。
ーー変なの。
変な、世界だ。
◇◇◇
「残夏。今日空いてる?ちょっと付き合ってほしいところがあるんだ。」
数日後、玲が残夏を呼び止めた。
ここ何日か、学校も休まされ、稽古もなくずっと暇で仕方がなかった。
残夏はこくりと頷く。
玲は残夏の頭をくしゃりと撫でた。
珍しく玲は17時で仕事を終えると、残夏を連れて組織の外に出た。
そのままタクシーで走ること、十五分。
着いた先は、落ち着いた色合いの綺麗なマンションだった。
残夏は目を瞬かせる。
なんでこんなところに。そんな疑問を遮るように、玲が残夏を手招いた。
「ここ……。」
「俺の家。」
「え?」
「オートロックだから、ちゃんと着いておいでね。」
玲の言葉に従い、踏み入れた先はホテルのロビーのように豪華で広かった。
足を取られそうなくらい、柔らかいラグ。
上を歩いていいのか怖いくらいだ。
少し進めば受付のような場所があり、中から品のいい婦人が頭を下げてくる。
なんだここ。
残夏は物珍しくきょろきょろと周りを見回すが、玲はすたすたと奥へと進んでいった。
慌てて玲の背を追い、エレベーターに乗り込む。
行き先は最上階だ。
残夏が緊張していると、目的階に着いたとエレベーターの自動音声が告げた。
ドアが開く。
その先に広がっていた光景に、残夏は足を止めた。
相変わらず柔らかく、豪奢な床。
それは、たったひとつの扉に続いている。
重厚な扉は、玲が指を翳すだけで鍵の開く音を響かせた。
ーーこ、これ……入っていいの?
扉を開けて待っている玲に、残夏は恐る恐る近づく。
こんな所、足を踏み入れて怒られないのだろうか。
そっと扉を抜けると、玄関だった。残夏の部屋と同じくらいの広さの。
ーー汚したら……。
残夏の顔から血の気が引くのと、残夏の肩を玲が叩いたのは同時だった。
「はい、スリッパ。嫌なら履かなくても大丈夫だから。」
「え?あ、い、いいえ!履きます!」
残夏の靴下で踏み荒らしていい場所ではない。
残夏は靴を脱いで揃えると、柔らかいスリッパに足を入れる。
もうこれ以上は驚くこともないだろう。
そう思っていた残夏は、迎え入れられた先で更に唖然とする事となった。
ーーなにこれ……?
リビングダイニングキッチン、だと思う。
断定できないのは、あまりにも物がなかったからだ。
もちろん、何もないわけではない。
綺麗に磨き上げられたキッチンツールと、大きな冷蔵庫。棚には、残夏の知らない名前のスパイスまで、ひと通り揃っている。
四人掛けのダイニングテーブルも、大きな窓を隠す白いカーテンも。
だけど、それだけ。
テレビも、趣味の物も、本すらない、
まるでモデルルームのような。
いや、モデルルームの方が、この部屋より住みやすいだろう。
生活感というものが、欠如した部屋だった。
つい記憶を探り、彰良の家と比較してしまう。
あの家は物に囲まれて暖かみがあったのに、玲の部屋には感じられない。
残夏が驚いたまま固まっていると、玲が振り返った。
眼鏡を外し、ジャケットを脱いで。なんだかラフで新鮮だった。
「そこ適当に座ってていいよ。あ、でも暇かな?なんか本でも読む?」
「え?あ、えっと、はい。」
「ちょっと待っててね。」
玲が部屋を後にする。
どうやら本はあるらしい。
残夏はそんな普通の事に、心底ほっとしてしまった。
しかし。
「えーと、簡単そうなの持ってきたんだけど……だめそう?」
戻ってきた玲の手にある本の分厚さに、残夏は真顔になるしかなかった。
背表紙に書かれた、何かの理論やら進化がどうやらの本を机に置いて、玲は首を傾げる。
ーーだめっていうか……。
暇つぶしとして読む本ではないだろう。
そもそもなぜ、玲の家に連れて来られたのか。勉強のためだったらどうしよう。
残夏は冷汗を流しながら、並べられた本を見つめた。
その中に一冊だけ、目を惹かれるものがある。紺色の地に、金糸で刺繍を施された綺麗な本だ。
「あ、それ面白いよ。昔、楽たちに貰ったんだ。」
玲が柔らかく目を細める。
その本は何度も読まれたのだろう。少しくたびれていたけれど、大事にされていることがひと目で分かった。
残夏はパラパラと本のページを捲る。
綺麗な図解と、星のお話。
星座の本だ。
気付けば、残夏は本の世界にどっぷりと飲み込まれていった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード15になります。
次回更新は5/20水曜日です。
(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)
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