ハグレモノ④
ハグレモノは、人間が強い負の感情から生きたまま堕ちた霊的存在。
最初に聞いた教えだ。
ちゃんと聞いていた。
だけど、理解していなかった。
勘違いしていた。
どこか自分たちとは違う怪物なのだと思っていた。
ハグレモノは、人間だったのに。
◇◇◇
坂西にとって、残夏はヒーローだった。
自分と同じ、一般からの入学で霊力の事も最初は全く知らなくて。
毎日学校に来ては眠っているような子。
最初は坂西も南宮の教えに従って、残夏を怖がっていた。
だけど残夏は少しずつ変わって、白石に意見を言って、実技で勝って。
友達も作って、いつしか皆んなから一目置かれるようになった。
だから坂西はずっと残夏に憧れていた。
白石の目があるから積極的には絡めなかったけれど、坂西が挨拶をすれば返してくれるのが嬉しかった。
外部演習で置いて行かれた坂西を責めないでくれた。
友達だって言ってくれた。
お昼を一緒に過ごすようになった。
夏休みの約束をした。
嬉しかった。
嬉しくて、幸せだった。
ーーなのに……。
こんな所で、坂西は死ぬ。
あの男に引き摺られ、抵抗したのに、放り投げられて。
腹に刺さったのは剥き出しの鉄骨だった。
痛くて痛くて、怖くて、寒い。
何度も叫んだ。
叫び声の代わりに血が溢れて、声にならなかったけれど。
どんどん感覚も無くなって、視界が狭くなって。
坂西は歯の根が合わないほど、震えながら恐怖に耐えていた。
どうして。
毎日があんなに幸せで、楽しくて。
やっと誰かの役に立てるようになったのに。
皆んなと、肩を並べられるようになったのに。
ーー小鳥遊くん……。
思い浮かぶのは坂西のヒーロー。
唯一優しくしてくれた男の子。
あの子は無事だろうか。
坂西のように痛い思いをしていないだろうか。
彼を助けられたのなら、坂西はそれで良かったと思える。
『本当に?』
坂西は、はっと息を呑んだ。
意識の底から声がする。
消えそうだった坂西の内側で、声はハッキリと響いた。
坂西は必死に声を振り払おうと顔を振る。
痛みが酷くて苦しくて。
だけど声から逃れたかった。
『本当に?』
再び声が尋ねてくる。
もちろん、本当だ。
残夏が助かるのなら。
坂西を助けてくれた残夏が助かるならそれで良い。
それでいいはず。
『このまま死んでいいのか?他人のために。』
なのに。
『きっと小鳥遊はすぐにお前を忘れる。お前の犠牲なんて忘れる。』
そんな訳ない。
残夏が忘れるわけがない。
きっと自分のせいだと後悔するだろう。
それが、
それは、
それは、
嬉しい?
『いいや、忘れるさ。ちっぽけなお前なんて。小鳥遊はすぐに皆んなから慕われるようになる。お前に同情していただけだ。沢山友達が出来れば死んだお前なんてどうでも良くなる。』
そんなの、それは、嫌だ。
覚えておいてほしい。
友達でいたい。
だって助けたのに。
命を賭けたのに。
どうして死んでまで、そんな思いをしなくちゃいけない。
ずっと惨めだった。
ずっと苦しかった。
坂西を理解してくれる人はいなかった。
残夏にまで置いていかれたくなんかーーない。
『だったらどうする?小鳥遊がお前を忘れないように。どうしたらいい?』
そんなの決まってる。
もっともっと、重たい傷になればいい。
坂西を一生忘れられないくらい。
引きずって、
泣いて、
喚いて、
もっと、残夏に絶望を。
『良い子だ。』
黒い靄が坂西を包んでいく。
恐怖はない。
ただ嬉しくて、
最低で、
最悪で、
幸せだった。
ごめんね、小鳥遊くん。
ごめんなさい、皆んな。
「……弱くて、ごめんね。」
◇◇◇
「なに、あれ……。」
呆然と自分の声が落ちる。
目の前の光景は夢のようで。
フィルターを通しているようだ。
どうして、
ハグレモノが坂西の顔をしているのだろう。
どうして、
坂西は残夏に微笑みかけているのだろう。
どうして、なんで、こんな事に。
ーーハグレモノに、取り込まれている?
残夏の時のように。
だったら、助けられるんじゃないだろうか。
玲が残夏を助けてくれたみたいに。
それとも、ハグレモノが坂西の顔を真似しているのだろうか。
どちらだとしても、助けに行かないと。
玲に任せるのではなく、残夏自身で。
残夏はふらりと立ち上がった。
そのまま進もうと足を踏み出した所で、残夏の肩を誰かが掴む。玲だった。
「……残夏。どこに行く?」
残夏は振り向くと、眉を寄せた玲を見つめる。こんな表情の玲を見たのは、初めてだ。
「隊長。……坂西を助けに行くんです。だって、あんなハグレモノがいたらきっと、怖くて隠れてるだろうから。」
そうだ。
きっとそうに違いない。
坂西は隠れているんだ。
だから探さないと。
坂西が、探してくれたみたいに。
しかし玲は、残夏の肩を掴んだまま、首を横に振った。
「もう、坂西は手遅れだ。お前は避難場所に行け。」
「どうしてですか?手遅れって……坂西はまだ生きてるのに……。」
生きている。
生きているはずだ。
だから、探しに行かないと。
ざわりと、残夏の胸の辺りを何かが這い上がってくる。
そうだ、助けよう。
助けるために力が必要だ。
だから、力を。
『力が欲しいのか?』
瞬間、周りの音が遠くなった。
耳元で聞こえる声。
あの日、残夏が消えたいと願った日に聞いた声だ。
しかし、意識が闇に飲まれるよりも先に、玲の冷たい言葉が氷のように落ちる。
「それは許可しない。いいから下がりなさい。」
「嫌です。助けに行かなくちゃ。」
残夏の胸に黒い手が伸びてくる。
「お前じゃ助けられない。」
「どうしてですか!?だったら力が、力があれば!!」
手が残夏の炎に触れようとした。
その瞬間。
カチャ、と軽い音が響いた。
目の前で、玲が残夏に向けて銃を構えていた。
「……隊長?」
「それを望むのは許さない。お前の中にある力に逃げるのは決して。それをするなら、今ここで俺がお前を殺す。」
なんで。
どうしてそんな事を言うんだ。
どうして、玲はいつも助けてくれたのに。
今回はどうして助けてくれないの。
どうして力を、
だって、
力があればもしかしたら坂西をーー、
『力があればーー』
しかし。
残夏の炎が黒く染まるよりも前に、玲の手が残夏の手に触れた。
あの時とは違う。
冷たくて、それでも包み込むような手だった。
玲は一度息を吸う。
そして、小さく言葉を吐き出した。
「坂西は手遅れだ。一度ハグレモノに堕ちたものは救えない。……殺すしかないんだ。」
「どうして……だって、隊長はオレを助けてくれたのに……。」
「あの時とは違う。お前は取り込まれていただけ。……あの子は、自ら堕ちたんだ。」
「……そんな……。」
残夏の膝が崩れ落ちる。
そんな訳ない。
坂西は優しくて、穏やかで、少しだけ内向的で。
そんな坂西が自分から堕ちるわけがない。
ハグレモノになるなんて、有り得ない。
そんな事、絶対に、ない。
凪が、残夏の背を撫でるように手を当てる。
いつもなら暖かくて、落ち着く温度が感じられなかった。
どうして。
もし、あそこで坂西を優先していたら。
逃げる事を選ばなかったら。
そもそも行動を共にしなければ、
坂西は、今も、
「そ、そうだ!!俺は悪くない!!悪くない!!!」
突如、大声が響いた。
残夏は声の方へと、のろのろ顔を向ける。
悪くない、と叫び続けるのは白石だ。
頭を抱え込むように、震えながら。
こいつ。
そうだ、こいつだ。
こいつさえ居なければ、坂西は。
残夏の頭に抑えきれない怒りが湧き上がってくる。
どうしてこんな理不尽な思いをしなければならない。
どうしてこんな。
残夏が拳を握る。
しかし、次の瞬間。白石が吹き飛んだ。
「……お前。」
冷たい声が響く。
吹き飛ばされた白石は、左頬を腫れさせ、呆然と上を見上げていた。
白石の視線の先。
その先に立つのは玲だった。
いつの間にか大鎌を手に、白石を見下ろしている。
「……お、俺は……。」
「悪くないだと?ふざけるのも大概にしろ。お前の軽率な行動でどうなったのか周りが見えないのか?」
「ち、違う!悪くない!!俺は悪くない!!あの男が、あの男が言ったんだ!上層部が化物を一掃すると。俺はそれを手伝ってたんだ!!」
「上層部?」
「そ、そうだ!!俺は、上層部にーー、ひっ!」
玲がしゃがみ込んで白石の胸ぐらを掴む。
顔には何も、なんの感情も浮かんでいなかった。
「お前如きに上層部が声を掛けてくるわけがないだろう。不自然に思わなかったのか?なぜ上司に相談しなかった?
……当ててやろうか。お前は自己陶酔のために、自分の都合の良いように物事を解釈して、歪曲させたんだ。
周りがバカに見えたか?上司がバカに見えたか?自分の方が上だとでも?」
「あ……あ……。」
「くだらない。お前の身勝手な欲で人が堕ちたんだ。もう二度と輪廻にも還れない。塵になって消えるだけの化物がな。
……もう組織に居れると思うな。楽に死ねると思うなよ。」
白石が震える。
ぼたぼたと落ちる涙と絶望の表情。
しかし玲は白石に目をくれることもなく、白石の胸ぐらを離すとこちらに歩いてきた。
そして残夏たちを通り過ぎ、校舎に向かおうとする。
残夏は咄嗟に、その足にしがみついた。
「残夏。離しなさい。」
「た、隊長……。お願いです。やめてください。」
玲はこのまま坂西を殺しに行くのだろう。
だけど、止めないと。
だって坂西は友達だ。
やっと友達になれたんだ。
夏休みの約束だってした。
皆んなとなら、どこでも良いなんて言ってくれる子なんだ。
だから。
「殺さないで……殺さないでください。坂西は友達なんです。お願いします……お願いします……どうか、お願いします……。」
友達なんだ。
人間じゃなくなったとしても、友達なんだ。
涙が溢れて止まらない。
視界が霞んで苦しくて、それでも玲を止めるために必死にしがみついて。
しかし玲は残夏を振り解くと、静かに言葉を落とした。
「例え子供だろうが、友達だろうが……仲間でも恋人でも家族だったとしても。ハグレモノに堕ちた人間は全員討伐対象だ。」
そこで一度、言葉が途切れる。
見上げた先、玲はただ坂西だった化物を見ていた。
「例外はない。」
無情に、それだけを吐き捨てて玲は背を向けた。
残夏はその場でただ蹲るしか出来なかった。
何も、残夏には何も出来なかった。
◇◇◇
「待て、亜月。」
凪が崩れ落ちた残夏の側に駆け寄った時、背後から声が聞こえた。
凪はその声に顔を向ける。
色んなことが起きて、怖くて、もう何がなんだか分からなくて。
ただ残夏を一人になんて出来なかった。
顔を向けた先。
凪には、そこに立っていた杖をついた人の顔が、どうしようもなく疲れて見えた。
「南宮さん。」
玲が振り返る。
表情の無さに、凪は胸がぎゅっと掴まれているような気がした。
震える残夏の背に手を伸ばして、凪も自分の震えを抑えようと努める。
南宮は一度白石を見て、
それから雄星と司を見て、
最後に凪たちに顔を向けて息を吐き出した。
「……これは、どういう事だ。」
「こちらの方が聞きたいですよ。……貴方の部下に、じっくりとね。」
「そういう事ではない。……どうして、こうなったのかと問うている。」
南宮は、疲労の濃い息を吐き出す。
深緑の瞳だった。
その瞳の奥が、様々な感情で渦巻いていた。
「ご自身の教育の賜物では?」
「お前が化物を擁護したからだと考えないのか?」
「化物だと……?」
玲の敬語が崩れる。
誰も気が付かないだろう玲の、少しだけ歯を食いしばる横顔に凪の心臓がますます痛くなった。
「化物だろう。人に害をなす。」
「……この子達が何かしたのか?貴方に、周りに、何か不幸でももたらしたのか?そこにいる人間の方がよっぽどの事をしでかしているだろう。」
怒りで震える声。
滅多に感情を荒げない玲の怒り。
しかし南宮は、その怒りを真っ向から受けてなお、小さく首を横に振った。
「貴様には分かるものか。」
「何だと?」
「化物に怯える気持ちなど、分かるものか。ハグレモノと戦い、いつかその身も堕ちるかもしれない恐怖など分からんだろうよ。」
南宮の瞳が揺れる。
苦しげな表情だった。
「ハグレモノに堕ちることのない貴様にはな。」
玲は南宮の言葉に唇を歪めると、吐き捨てるように声を荒げた。
「そっくりそのまま返してやるよ。お前たちは分からない。」
玲もまた、南宮へと目を向ける。
アイスブルーが冷たく透き通っていく。
「絶望の先、堕ちることも出来ない苦しみなんて。」
玲と南宮が睨み合う。
それぞれの言葉の重みが、凪を、残夏を、押し潰してしまいそうだ。
そして。
先にその緊張を解いたのは、南宮の方だった。
「そうだな……悪かった。」
ぽつりと言葉を落として玲に近づく。
そのまま玲の肩を叩くと、南宮は前に進み出た。
「南宮さん?」
「待てと言っただろう。……今回は私の責任だ。私が始末をつける。貴様は司令官に連絡を入れろ。」
玲は南宮に頷くと一歩後ろへと下がる。
懐から取り出したスマホが、なんだかあまりにも現実的で不思議だった。
「亜月です、東條さん。」
「……すまない、坂西。恨みたくば私を恨め。」
玲の声に被せるように南宮は呟く。
手元の杖をコツリと地面に打ち付けるれば、格子状の光が展開され、坂西は一瞬で肉片に変わってしまった。
玲の電話の声だけが、やけに響いた。
「ええ。……全ての討伐、完了致しました。」
塵が降る。
坂西だったものが、降り注いで地面に落ち、消えていく。
見上げた先は、泣きたくなるくらい綺麗な青空だった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード14はこれでお終いです。
次回からはエピソード15になります。
次回更新は5/16土曜日です。
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