ハグレモノ③
残夏の膝が震える。
立っていることも出来ず、地面に座り込んでもなお、膝が震えた。
目の前の瓦礫は崩れ落ちて、隙間すら空いていない。
残夏は無意識に瓦礫に手を伸ばした。
坂西の絶叫が耳にこだまする。
どうして。
坂西が、あんな。
どうして、坂西を、助けないと。
ぐるぐる回る思考の渦。
そんな時、断ち切るような声が響いた。
「凪!残夏!!」
「玲ちゃん!!」
「隊長……。」
どうしようもなく安心する声だった。
のろのろと振り返る残夏の目には、大鎌を携えてこちらに駆けてくる玲が映る。
いつもの眼鏡を外して、余裕な表情もなく。
玲は残夏たちに近づいてくると、大鎌も放り投げて残夏たちを抱き締めてくれた。
良かった、という小さな声に涙が溢れそうになる。
良かった。
帰って来れた。
だけど、坂西が。
「二人とも無事?怪我は?……君たちも大丈夫?」
玲は残夏と凪を見て、雄星と司に顔を向ける。
全員ぼろぼろだが、目立った外傷はなかった。
「俺たちは平気です。……ただ……。」
雄星が言葉を詰まらせる。
残夏は続けるように、慌てて声を上げた。
「隊長!坂西が……!!」
「坂西?」
「オレの代わりに引き摺り込まれて……!!あの、眼鏡の男で……!!」
瞬間、
ざわりと玲の雰囲気が変わった。
驚いた顔。
次いで、どこか痛むような。
しかしすぐに掻き消すと、玲は残夏の頭を撫でた。
「落ち着いて、残夏。ゆっくり話してくれる?」
◇◇◇
残夏の話に、玲は考え込むように目を伏せた。
その間にも、玲の無線機には様々な情報が流れ、残夏の不安を煽り立てる。
殆どの生徒や教師の避難が済んだこと。
怪我人が大勢いること。
ハグレモノは大方、片付いたこと。
まるで全てが終わりかけているようで。
坂西がまだ中にいるのに。
周りを見回せば、高専は酷い有様だった。
ところどころ倒壊し、ぐしゃぐしゃで。校舎は原型をとどめていなかった。
玲は合間に指示を出しながら、残夏に顔を向ける。
「……。残夏。坂西くんだけど……確かに校舎から一人霊力を感じる。でも人が足りなくてね。もう少し待ってくれる?」
「そんな……!」
人が足りないなんて嘘だ。
もうすぐ終わりそうなのに、どうして。
坂西を放っておいて良いわけがない。
しかし残夏の叫びにも、玲は首を横に振るだけだった。
「物事には優先順位がある。指示を聞くんだ、残夏。」
「でも、中にいるのに……!!」
「残夏。落ち着いて、指示を聞きなさい。」
冷静な声に、残夏は顔を俯ける。
なんで。
いつもの玲なら助けてくれるのに。
玲は残夏の頭をもう一度撫でると、他の三人に声をかけた。
しかし。
「取り敢えずお前たちは、避難場所までーー、」
「おお、優しいねぇ。言ってやればいいのに。もう手遅れだって。」
突如響いた声に、玲の動きが止まる。
残夏も慌てて顔を上げた。
それは、坂西を引き摺り込んだ男だった。
相変わらずの軽薄そうな笑みに、飄々とした佇まい。
こいつだ。
こいつが坂西を。
そう、残夏が叫ぶよりも前に反応したのは、玲だった。
「……榊さん。」
「え?」
玲の呟きに、残夏の勢いが削がれる。
榊さん。
その声は、いつもの涼しげな響きの中に、少しだけ何かが混じっていた。
まるで何かを祈るような。
知り合いなのだろうか。
玲の目が、榊に釘付けになる。
対して榊の方は嬉しそうに笑うと、大袈裟に手を広げた。
「久しぶりだなぁ、弟子!会いたかったぜ。なあ、お前の名前なんていうんだっけなぁ?」
ーー弟子……?
あの男が、玲の師匠なのだろうか。
でも、もう亡くなったって。
残夏は目の前の玲に視線を向けた。
何か漠然とした不安が駆け巡って、落ち着かない。
玲の顔には、いつもの様に薄い笑みが張り付いていた。
「名乗る名前はありませんよ。ハグレモノ風情にね。」
「おー言うねぇ。いいぜ。どうせすぐに忘れちまうからなぁ。」
「痴呆でも進んでるんですか?その頭、整理しやすい様に軽くしてあげましょうか。」
「はは!おっかねぇな!そんな事言われると、怖くて何かしちまうかもなぁ。例えば、こいつに。」
榊は、ひょいと何かを掴むように宙を引く。
そうすれば、何もなかった空間からひょっこりと何かが現れた。
いや、何かじゃない。
人だ。
それも、残夏のよく知っているーー、
「白石……。」
怯えた表情で震える白石。
榊はその腕をしっかりと掴んで、楽しげに笑ってみせた。
「動くなよ?こいつがどうなっても知らないぞ?」
「……それに人質の価値があるとでも?貴方と手を組んでいるのは知っているんですよ。」
冷たい玲の言葉に、白石がびくりと身体を跳ねさせる。
そんなまさか。
本当に白石が。
全員の視線が白石に集まる。
耐えかねるように、白石は口を開いた。
「ち、違う!!俺じゃない!!!騙されてたんだ!!!違う!!こいつが全部悪いんだ!!!」
白石が榊を指差して喚く。
榊は口端を歪めると笑い声をあげた。
「だってよ!いいのか?見捨てて。火種になるぞ?」
「それが死んだくらいで?その程度、揉み消せますよ。……やってみたら?」
玲は笑った。本当に、どうでも良いと見下すような笑顔で。
対して白石は、半狂乱に叫び出す。
「な、お、お前!!!隊長だろう!!!これだから化物は!!化物のせいだ!!全部全部お前たちのせいだ!!」
白石は、自分が何を言っているのか理解していないようだった。
目は血走り、鬼のように歯を剥き出す。
榊はそんな白石に何かを手渡し、何事かを囁く。
白石の目はただ玲だけを見つめ、榊は笑い続けていた。
「なあ、ポーカーフェイス。お前の心境を当ててやろうか?……お前は今焦ってる。本当はさっさとその子達を避難所に連れていって、一人で処理したいんだろう?」
「……。」
「だけど俺を放っておく事も、この坊ちゃんを放っておく事も出来ない。なぜならお前は隊長で、組織の一員で、ルールに雁字搦めだからだ。」
「……。」
榊の言葉に、玲は無言のままだった。
反して残夏は、首を傾げる。
玲の焦り。
処理。
なんの話だろう。玲は、何に焦っているのか。
しかし榊の口上は止まらない。
そして、
「さあ、ここで問題。……もし今、こいつが力を持ったら?お前は上手く対処できるかな?」
榊はポンと白石の背を押した。
一瞬、白石がふらりと揺れる。
しかし、次の瞬間には白石はこちらへと走ってきていた。
手にはしっかりとナイフを握り締めて。
残夏は、ハッと息を呑んだ。
遅れて、頭の中に警鐘が鳴り響く。
視界の端で、玲は動かない。
大鎌は残夏たちを見つけた時、放ったままなのに。
「隊長!!」
咄嗟に足が動いた。
しかし、間に合わない。
残夏の絶叫と、白石が玲に切り掛かるのは同時だった。
「……え?」
ポタリ、ポタリと赤いものが落ちる。
白石は最初、恍惚の表情を浮かべていた。
しかしそれもすぐに、焦りと戸惑いに変わる。
喉から溢れ落ちた声は、困惑に満ちていて。
残夏が瞬く先で、玲が白石のナイフの刃を握っていた。
玲は刃を握りしめたまま、白石の手からナイフを取り上げると、白石に視線を向ける。
側から見ている残夏でも分かるほど、氷のように冷たい眼差しだった。
「……気が済んだか?だったら退いてろ、ガキ。」
常の玲からは考えられないほど、温度のない声が響く。
空気が重くなり、白石は耐えかねたように、その場へと膝をついた。
玲は崩れ落ちた白石に目を向けることもなく、自身の血がついたナイフを榊に投げ返す。
榊はただ、面白そうに見つめていた。
「まさかそこまでするとはねぇ。驚いちまったぜ。」
「……貴方の発言は当たってますよ。だから早く終わる方法にしたんです。無駄話もごめんだ。……どうせやる気はないんでしょう?用件を言ってください。」
「そうかいそうかい。まあ、そうだな。俺もそろそろお暇しねーとな。あのガキにも抵抗されちまったし、なんも上手くいかねーもんだ。」
くすくすと榊が笑う。
玲が投げたナイフを回収し、興味深そうに血が付着した刃を繁々と見つめた。
「そうそう。ヒミズからの伝言だ。……『貴方に、とっておきの絶望を。どうか楽しんでください。私が迎えに行く、その日まで。』だ、そうだ。きめーよなぁ。」
「……そうですね。本当に。」
玲が肩を竦める様子に榊は笑う。
そして、くるりと踵を返した。
反して残夏は、強烈な感覚に脳みそが揺さぶられていた。
ヒミズからの伝言。
何か、何か大事なことをーー、
しかし、残夏がその輪郭に届く前に、玲のくすりと軽い笑い声が響いた。
「……そういえば、忘れているみたいですけど。」
「あん?」
榊が振り返る。
玲は笑って小首を傾げた。
「俺の血、呪われてるんですよね。」
瞬間、
ナイフが燃え上がった。
玲の血から発火した炎は、榊へと燃え移っていく。
榊の驚愕した表情。
消そうと身悶えるが、炎は意思を持つように榊の腕を呑み込んでいく。
「て、めえ……!!何しやがった!!」
「なにも。ああ、その火は消えませんよ。……そのまま骨まで溶けろ。」
淡々とした声。
榊の顔に一瞬、恐怖が過ぎった。
消えない炎と血の呪い。
残夏にも何がなんだか分からない。
ただ怖くて。
隣で凪が袖を握るのに、残夏も凪の服を掴んでいた。
榊は何度も消火を試みていたが、消えないと悟ったのだろう。
意を決したように、何事かを呟く。そして、呟きが終わると同時に、燃えていた右腕が切り落とされた。
落ちた腕はあっという間に灰になり、塵になって消えていく。
玲はその光景に、うっそりと笑った。
「おやおや……また腕がなくなっちゃいましたね?」
「は、よく言うぜ弟子。……こんなもんすぐに生える。生えたら速攻でお前も殺してやりたいが……今日は終いだ。準備も整ったようだしな。」
榊は脂汗を浮かべたまま笑うと、まるで煙のように端から消えていく。
最後に残った口で、言葉を吐き出した。
「またな、弟子。…… 最後に花火を楽しめよ。」
榊が完全に、残夏の目の前から消えた。
玲は一度だけ息を吐き出すと、こちらを振り返る。
まだ少し表情が固い。
「さあ、お前たちは早く避難場所に行きな。」
「あ、で、でも……!」
「坂西くんなら俺がどうにかするから。だから、その子も連れて行ってね。」
玲が指すのは白石だ。
残夏は凪たちと顔を見合わせて、それから頷いた。
嫌だが、仕方がない。
白石にはちゃんと罪を償わせないと。
ーーきっと、坂西も大丈夫。
玲がハグレモノを追い払ってくれたから。
だから残夏は信じて、待っていれば良い。
残夏が決意して立ち上がった。
その時。
耳が弾けるような爆発音が響く。
直後、校舎の方から冷たく、重い空気が漂ってきた。
玲の舌打ちが、耳に届く。
その音に残夏は振り返り、
そして。
校舎を覆い尽くすように、黒い触手が蠢く。
蛸のような巨大なハグレモノ。
「……坂西?」
それは、坂西の顔をしていた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回更新は5/13水曜日です。
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