宵霞②
授業で習う、基礎中の基礎の術式を『緊縛術式』というらしい。相手の身体を霊力で縛り付けて、動きを止める術式だ。
術式は呪文や手印で式を組んで、霊力を流し込めば発動する。
昔、清治に教えられた通り、全員が同じ技を同じように使える、隊員たちのいわば専売特許といった所だろうか。
そして本日。
残夏もその術式を学び、放課後、執務室で凪と共に練習という名の遊びをやっていたのだが。
「と、解けない……。」
「ふふ、そう?」
くすくすと楽しげな声が上から降ってくる。
しかし残夏の身体は指一本動かせず、14番隊の休憩室に転がっていた。
というのも、たまたま今日はいた玲に、術式のお手本を見せて欲しいとせがんだからだ。
玲は少し困ったように眉を下げていたけれど、凪からのお願いで屈したのか、残夏と凪に基礎中の基礎である緊縛術式をかけてくれた。
そして分かったことだが、玲の術式はなんか違う。
残夏と凪も遊んでお互いにかけ合ったけれど、こんな風に指一本動かせないなんてことなかった。
「うーん、解けないね。うーん?でもなんで指も動かないの?」
「なんでだと思う?」
転がされたまま楽しそうに凪が聞く。それに玲は質問で返した。
なんで。なんでだろう。
霊力の強さが違うとはいえ、身体全体を動かせなくするなんてそんな緻密な感じの術じゃないのに。
イメージするなら縄のようなものだ。霊力で編んだ縄で、縛るようなイメージ。
でもその場合、指くらいは動かせる気がするのだけど。
「ふふ、正解はーー、」
「あ!!何してるの!!?」
玲が答えを言おうとしたその時。休憩室に大声が響き渡った。清治だ。
彼は慌てて駆けてくると、残夏たちの芋虫状態にサッと顔を青ざめさせて、すぐに術を解いてくれた。
そして玲に向き直ると、腰に手を当てる。
「ちょっと玲!なんで部下を縛ってるんだよ!?」
「だって二人が『やって』って言うから……。」
「だからってあんな重ね掛けしないでしょ!」
重ね掛け。
残夏は自由になった身体で凪と顔を見合わせた。
そして。
『重ね掛けだ!』
残夏と凪の声が重なる。そうか。玲は術を重ねてかけていたのか。
それでなんで指まで動かせなくなるのかは分からないが、少しだけスッキリした。
そんな残夏たちの頭を玲が撫でてくれる。
「正解。よく出来ました。」
「なに?どういう事?」
「だから、二人にかけてって言われたんだよ。」
不思議そうな清治に苦笑しながら、玲が事の成り行きを話した。
それでようやく理解できたのか、清治が眉を下げて息を吐き出す。心配してくれたらしい。
「ごめん。また玲が悪戯してるのかと……。」
「え?俺そんなに信用ないの?」
「たまに梓とかでやってるから……。」
たまに梓にやってるんだ。なんだか知りたくない事を聞いたような気がする。
しかし清治がお詫びに、と淹れてくれたミルクティーが美味しかったため、残夏は黙って大人たちの会話に耳を傾けた。
玲がミルクティーに垂らす蜂蜜が、照明を反射して宝石みたいだ。
「でも清治、流石だね。すぐに解かれちゃった。」
「あれくらいはね。玲も手加減してたでしょ?」
「さあ、どうかな。」
くすりと玲が笑う。
あれで手加減なのか。それを解く清治も清治だろう。つくづく思うがこの人たちは少しばかり規格外なのではないだろうか。
ーーそういえば隊長たち、いくつなんだろ……。
ふと、そんな疑問が頭をよぎった。
確か高専を卒業してすぐに隊長に就任したのだったか。それからどのくらい経っているんだろうか。
この二人は同期だから、多分同い年のはずだ。
「え?歳?」
「24だよ。」
清治が首を傾げ、玲がにこにこと答える。
しかし残夏は玲の答えに少しばかり愕然としていた。
いや、若い。若いのは分かっていたけれど、残夏の想像よりずっと若い。
残夏とひと回りくらいは違うと思っていたのに。
「玲ちゃん、19の時にぼくと会ったんだよね!」
「そうだね。懐かしいなぁ……まだ学生だったよね。」
「あれも東條さんのお使いだっけ。二手に分かれて、合流したら玲が凪を連れててびっくりしたよ。」
「そうなんですね……。」
なんだか懐かしそうに目を細める玲たちに、少しだけ羨ましい気持ちになった。
凪も清治も皆んな玲の昔を知っていて、共有できる時間があって。
残夏ももう少し早く出会えていたら良かったのに。
ーーあ……。
またいつもの不思議な感覚だ。
何かを失っているような、忘れてしまったようなそんな感覚。
しかし残夏は意識してその感覚を打ち消した。
だって信じると決めたから。
例え玲が残夏に何かをしていたとしても。
「あ、俺そろそろ時間だから。」
「東條さん?」
「そう。今日は護衛があってね。……じゃあね、二人とも。術式頑張って。清治もあと頼むね。」
「はーい!いってらっしゃい!」
「任せて、隊長。」
手を振って執務室を後にする玲に、残夏は頭を下げてからそっと息を吐き出した。
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毎日が平和で、楽しくて。
だからどうしようもなく考えてしまうことがある。
この平和はきっと誰かが無理して作ってくれたものだと。
残夏は自室のベッドに寝転がって、白い天井を見上げながら溜息を吐き出す。
そして目を閉じて記憶を探った。ヒミズと出会ったあの日の記憶を。
これが最近の残夏の日課だ。
記憶は討伐任務の見学で田中に出会ったところから始まり、平和な時間、田中の異変、建物の崩壊、凪たちの優しさ、ヒミズの到来、とどんどん場面が変わっていく。
そのどれもが鮮やかに思い出せるのに、たったひとつ。ヒミズが叫んでいた言葉が思い出せない。
それに相対していた彰良の言葉も。
そしてその二ヶ月後、残夏が倒れたという一週間の出来事も。
残夏はそこまで思い出してからもう一度息を吐き出した。
うん、やっぱり確信した。
ーー隊長が俺の記憶を消したんだ……。
そうじゃなければ、こんな記憶の抜け方は普通じゃない。
それに玲がやったという根拠もある。
ヒミズと相対していた彰良。彼の言葉は思い出せなくても、激昂している様子は覚えている。
あんな風に彰良が感情を昂らせる相手は玲しかいない。
それと強いてあげるなら、残夏の記憶の揺らぎに対する違和感は、玲を見ていると起こる頻度が高いから。
その二つがあの人だと分かる理由だ。
ーーなんでだろう……。
どうして玲は残夏の記憶を消したのだろうか。
何か知ってはいけないことを知ってしまったから?
それとも気に障るようなことをしたから?
でもきっと、両方違う。
あの人が残夏を遠ざける理由なんてひとつだけ。
ーー守るため……。
以前の残夏なら、きっと記憶を消されたと分かった時点で取り乱していた。
裏切られたのだと怒って、絶望して、泣き喚いていたと思う。
だけどそれをしないのは、これまでであの人の事を少しだけでも理解出来たからだ。
玲は意地悪で悪戯好きだけど、勝手に誰かの記憶を消したりしない。
玲がもしそれをやるのなら、それはきっと記憶を消した相手を守るためだ。
バレたってきっと自分が全部悪いと笑うんだろう。
だから残夏は玲を嫌いになったり、絶望したりしない。
でもやっぱり少しモヤモヤするはする。主に玲に対してというよりは、無くした記憶についてだ。
残夏は何を知って、何のために無理をして倒れて、そして記憶を消さないとまずいと思われたんだろう。
それはちょっと知りたい。いや、知ったらまた暴走しちゃうんだろうか。
だったら知らない方がいいんだろうか。
「はあ……。」
溜息がまた溢れて落ちた。
玲のことを信じてる。14番隊の皆んなも雄星も司も彰良も楽も。
だから。
ーー強くなったら、もっと理解できるのかな……。
守られなくてもいいくらいに、強くなれたら。
残夏はベッドから起き上がると、窓の外の三日月を見上げた。
春の夜は霞がかってあまり綺麗に見えないけれど、それが少しだけ玲に似ていると思う。
ーー強くなろう。
少しずつでいい。
無理して倒れないように、自分なりのペースで。
残夏は月光を掴むように右手を握り締めると、またベッドに戻った。早く眠らなければ。
明日もまた忙しくて楽しい日常が待っているから。
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「おお、悪いな。こんな時間に呼び出しちまって。」
月も霞んだ薄暗い夜。
白石は少しばかりの焦燥感を持て余しながら、目の前に立つ男に視線を向けた。
ここは繁華街の路地裏。どれだけ表が華やいでいようと、裏には光は入らない。
まるで目の前の男のようだ。
暗がりで顔早く見えないが、軽薄な口調に、嘲るような笑み。そのどれもに裏があるようで気に入らない。
しかし、白石にはもうこの男以外いなかった。
「……何の用だ。」
低く問いかけるが目の前の男は気にしていないのか、へらりと気安く笑うのみ。
こっちは消灯時間後に組織の外に出てきているというのに。
焦燥感が募っていく。早く帰りたい。
しかし男はそんな白石の心情を慮る事もなく、ひらりと手を振った。
「まあまあ、そう急くなよ。ゆっくりしようぜ。」
徐に取り出したライターを片手で弄びながら、男はまた笑う。
その拍子に影がさした顔に光が反射して、かけている眼鏡を光らせた。
時代遅れの分厚いガラス眼鏡だ。
そんな野暮ったい男は弄んでいたライターを一度止めると、今度は胸ポケットを漁り出す。
それを見ながら白石は頭の片隅で、片腕なのに器用だとぼんやり思った。
「ああ……そういや煙草切らしてんだった。坊主、持ってねーよなぁ?」
「持っているわけないだろう……!!」
苛立ちで歯を食いしばりながら、白石は声を絞り出す。
早く、早く。
そればかりが頭を巡ってぐるぐるする。
対照的に男は、態とらしく悲壮感たっぷりの様子で溜息を吐き出した。
ーーなんでこんな事に……。
思い浮かぶのは憎たらしい顔の数々。
その全てへの激しい怒りのまま、白石は拳を握り締めた。
白石の人生はずっと思い通りだった。
由緒正しい家柄。恵まれた才能。
本家筋では無い事が残念であるが、分家ながらに取り立てられるのは白石の自尊心を満たしてくれた。
南宮は守りの一族。
『南宮』と名乗れるのは本家の者のみで、分家は須く別の名を持つ。
だから親戚といえど親近感は無い。むしろ敵対心すら持っている。
なぜなら白石は、幼い頃からずっと親族の歳が近い者たちと比べられて生きてきたのだから。
雄星や司みたいな馬鹿な落ちこぼれとも比較され、どれだけ我慢してきたことか。
しかしようやく努力が実り、時期南宮当主に目をかけて貰えるようになった。
全ては順風満帆。
高専さえ卒業すれば、南宮の下で経験を積み、ゆくゆくは南宮家に養子に入って、南宮当主に。
ずっとそういう道筋を立ててきた。実際、途中までは上手くいっていた。
あいつ。
小鳥遊残夏が来るまでは。
ーーあの化物のせいで……!!
ハグレモノを組織で飼うなど、到底許される事ではない。だから白石は率先して残夏を排除しようと動いた。
それなのに、その全てが裏目に出る。
最初にいた、南宮派の教師はいつの間にか消え、現れた武田は決して贔屓をしない厳格な男だった。
いくら白石が訴えても、化物を化物と認めない。
あんな組織人失格の男が担任なんてぞっとする。
そして雄星と司。
彼らは一族の落ちこぼれのくせに、南宮の指示すら聞かずに化物に取り入っている。
それなのに、白石はあいつらに勝てなかった。
そして極め付けの特別講習。
あんな、司令官に気に入られているだけのお飾りが。
協調性がないなどと白石を批評したあの男。
絶対に許さない。
あいつもきっと化物を懐に入れて組織の崩落を狙っているのだ。
それなのに、誰も白石の話を聞かない。
南宮ですら最近の白石の成績に苦言を呈してきた。
誰も彼も真実を見ようとせず、あまつさえ白石を批判するなんて。
『俺はその気持ち、分かるぜ。』
そんな折、そう声をかけてきたのが白石の目の前にいる男だ。
名を『榊』というらしい。
最初は白石も警戒していた。しかし榊は白石に教えてくれたのだ。
組織の上層部が、化物を一掃しようと計画していることを。
これに白石が力を貸せば、相応の見返りを渡すと。隊長や、南宮家なんて目じゃないほどの地位を白石に約束してくれると。
榊はその為に暗躍している元組織の人間で、今は上層部に仕えているのだと言っていた。
公式的には、十一年前に死亡しているのだとか。
もちろん、全て信じたわけじゃない。
そんな都合の良い話があるわけがない。
しかし調査した結果、実際に榊の名前は組織の記録に残っていた。十一年前に死亡した事も。
そして。
「そういや、テストどうだった?当たってただろ。」
「……。」
榊が組織の人間かどうかを判断する上で、白石は期末テストの答案を要求した。
上層部近くに位置する人間なら、それくらい簡単にやってのけるだろうから。
そして榊はすぐに答案を手配してくれ、白石は余裕でトップの成績で二年生に上がる事ができた。
これは、信用に足る働きだ。
白石が頷くと、榊は心得たように笑う。
やはりその笑顔は気に入らないが、上手くやれば白石はまた理想の道筋に、いやそれよりも高い場所へと昇りつめられるかもしれない。
ーー利用してやる……。
例え提示された見返りが無くとも、白石がこれからも順風満帆な人生を送れるように、リターンをなるべく多く貰うのだ。
そしてあの化物も排除すれば一石二鳥。これ以上の事はない。
気がつけば白石の口元は緩んでいた。
それに目敏く気付いた榊も笑う。
「いいねぇ。……それじゃあそろそろお仕事の話だ。」
ーー見てろよ、小鳥遊。
お前の堕ちる先は地獄だと決まっているのだから。
月が霞む。
雲が月光を隠し、白石と榊を闇が覆った。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード12はこれで完了です。
次からはエピソード13になります。
残夏が浮かれる裏で様々な事が起きていますが、この先どうなるのか。
次回は初めての外部演習編です。
楽しみにしていただけたら嬉しいです。
次回更新は4/4土曜日です!(19:30目安ですが、前後する時はXでお知らせします)
水曜日は短編を投稿予定です!
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よろしくお願いします!




