第62転 賢人と武者姉弟
部屋を出ると、廊下に竹達が屯っているのを発見した。
「おー、何だ。お前ら、そんなところにいたのか」
竹達は三人ではなく、ハンサムな若者と一緒にいた。誰だろう。会合に参加していなかった事から輪廻転生者ではないのか。それとも何か事情があるのだろうか。
「ふん。扉に耳を着けて盗み聞きしていたのではあるまいな?」
続いて部屋から出てきたフィンが嫌味を言う。間髪入れず敵意を放ってくるとは、いっそ逆に見上げた奴だ。ぶった斬ってやろうか。
「フィン殿」
「クックックッ……。行くぞ、ディムナ」
「御意に」
パラシュラーマに窘められたフィンは低く含み笑いをすると、ディムナと呼ばれた若者を連れて去っていった。結局あの若者は誰だったのだろう。まあいいか。彼を気にする前に俺には少し用事がある。
「カルル、ちょっといいか? こいつが話があるんだって」
「うん? 何ですぞ? こいつ?」
カルルを手招きし、もう一人の人物を引き合わせる。その人物こそは金髪の男児だった。会合中から変わらず作り物めいた笑顔を貼り付けている。
「ほっほぉう、結構な美少年! こちらはどちら様で?」
「初めまして、お姉さん。僕はピタゴラスといいます」
「あー、あのピタゴラスの定理の!」
ピタゴラス。
紀元前六世紀頃、古代ギリシアに生まれた思想家。知識を求めて各地を放浪し、哲学者にして数学者と祭り上げられ、『サモスの賢人』と讃えられた。ピタゴラス教団の開祖であり、オルペウス教の影響から輪廻転生の思想を取り入れていた。
「それで、彼の有名なピタゴラス先生が拙僧に何の御用で?」
「異世界転生軍の情報が欲しいのです。……というよりは情報の精査がしたいのです」
「精査?」
「――実はな、あの『終局七将』に内通者がいるんだとよ」
「な、何ですと!?」
カルルが目を丸くして声を荒立てる。竹も波旬も驚愕を禁じ得ないようだ。
やはりこれはカルルでも知らなかったか。今まで話題に出てこなかったから、そうだろうと思っていたが。『終局七将』――異世界転生軍の幹部に内通者がいるとはカルルも意外だった様子だ。
「僕達が今日まで無事だったのは、その内通者に『終局七将』の居場所を教えて貰っていたからなんです」
「成程。奴らと遭遇しなかったから生き残れたという訳ね」
その内通者のお陰でフィン達は『終局七将』との接敵を回避する事ができたのだ。回避するどころか七分の四も遭遇している俺達と比べたら全く羨ましい限りである。
「誰なのよ、その内通者って」
「それが俺にも教えて貰えなくてよ」
「すみません。情報漏洩の観点から僕と金太郎首領、パラシュラーマ顧問以外の人間には秘密と取り決められていまして」
「是非もないな。秘密は知る人間が少なければ少ないほど堅牢だからな」
波旬がピタゴラスに同意する。波旬は織田信長でもある。元戦国武将として部下に情報を明かさないまま行動した経験が彼にもあったのかもしれない。
「その上、あまり信頼できる相手ではないと転生の女神から警告されていまして。ですので、カルルさんとの情報とすり合わせをして、偽情報を掴まされていないかを確認したいのです」
「成程、妥当な判断ですな。いいですぞ」
カルルが若干誇らしそうに快諾する。やはり仲間外れにされたのが寂しかったのだろう。今は頼られて嬉しそうだった。
「じゃあ、俺達は先にホテルに行っているから。作戦の内容はそこで話す」
「あいあいさー。じゃ、またあとで」
ピタゴラスがカルルを連れて部屋に戻る。さて、それでは駅前のホテルに行くとしようと歩き出そうとしたその時だった。
「申し、申し。少しお時間よろしいでしょうか?」
背後から声を掛けられた。
振り返れば、黒髪ポニーテールの女性がいた。まだ若齢というべき青さを顔立ちに残している。彼女は先程の会合ではあまり発言しなかった覚えがある。確か彼女の名前は――
「――巴御前。何か用か?」
巴御前。
平安時代末期の女武者。一騎当千の英傑であり、弓や薙刀を得意としたが、何よりも膂力の強さで有名。日本史でも珍しい女性の武者である事からよく能や歌舞伎の題材にされた。
「この子を見掛けたら私に教えてくれませんか?」
そう言って巴御前が渡してきたのは一枚の写真だ。写真には巴御前ともう一人、彼女と風貌が似た少年が映っている。年の頃は十五歳前後だろうか。快活そうな日本男子だ。
「こいつは?」
「牛若丸の輪廻転生者――そして、私の弟です。前世ではなく当世の弟です」
「巴御前の輪廻転生者の弟が、牛若丸の輪廻転生者……!?」
牛若丸。またの名を源義経。
巴御前の同時代に活躍した武将。日本では織田信長に並ぶ知名度を誇る英傑だ。鞍馬の大天狗に師事し、兵法や剣術を学んだとの伝承が残されている。最期は兄に捨てられ、三十歳の若さでこの世を去った。
巴御前の夫は牛若丸の軍勢に殺されている。牛若丸は夫の仇なのだ。その仇が当世では自分の実弟として生まれてくるとは、なんという運命の悪戯だろうか。
「前世に覚醒した時、生前の恨みがどうしても忘れられず、私はあの子と喧嘩してしまいました。それからずっと顔を合わせられなくて……そうこうしている内に異世界転生軍との戦いで離れ離れになってしまったんです」
無理もない。むしろよく喧嘩で済んだものだ。その場で殺し合いが始まってもおかしくなかっただろうに。
「わ、私、あの子に謝らなくちゃいけないんです……!」
巴御前の声が震える。目じりには涙が浮かんでいた。
「前世が仇でも大切な弟なんです。絶対に手を放しちゃいけなかったんです。巴御前になったからといって、今の家族が大事じゃなくなる訳がないんです。それがあの子と別れてからようやく気付けたんです」
それは分かる。俺も桃太郎に目覚めたからといって、今生の祖父母や学友達が大事ではなくなったなんて事は全くない。桃太郎の頃の人間関係も今生の人間関係も等しく守らなくてはいけないものだ。だから、その関係が絶たれそうになっている巴御前の焦りはよく理解できる。
「私、あの子に謝らなくちゃ。お願いです、あの子を見つけて下さい……!」
深々と頭を下げる巴御前からは強い後悔と切望の念が感じられた。牛若丸が行方不明になったのが余程堪えているようだ。
そんな女性の前ですべき返事など決まっている。
「分かった。会ったら必ずあんたの前に連れてくる」
「ありがとう御座います……!」
巴御前の頼みを引き受けると約束する。俺の承諾に上げた巴御前の顔がパッと華やいだ。その右目からは涙が零れていた。一筋の雫が頬をつーっと流れ落ちていく。
「すみません、失礼します」
自身の涙に気付いた巴御前が目尻を拭い、背を向けて立ち去った。彼女が向かった先は地上に出る通路とは逆の方向だ。恐らく人気のないところで、一人で落涙を落ち着かせたいのだろう。ここで無闇に追う真似はできない。
「……皆、もう行こう」
「……そうね」
このままここにいてもできる事など何もない。
俺達は巴御前を置き去りにし、ホテルでカルルを待った。




