第8話 この子たちは、返却品ではありません
庭の門は、閉じられていた。
ノクスが格子へ向かって、体を押しつけている。
首を掻き、煙を吐く。
トビさんがフィオとミミを別の庭へ移し、イーサ様は壁から離れたところへ記録役を下がらせていた。
辺境伯がノクスの前に立った。
魔法の壁が現れ、竜の頭を押し返す。
暴れるときに閉じ込めるためではなく、傷つけ合わない距離を作るための壁だった。
私は彼の後ろへ回った。
「ノクス、聞こえますか」
金色の目が、こちらを向いた。
見えているのに、見ていない。
背後で、鈴がもう一度鳴った。
ノクスの翼が、跳ねた。
「鈴を取り上げろ!」
辺境伯が叫ぶ。
警備の人が走り、叔父の手を押さえた。
鈴の音が止まった。
竜はまだ、首を掻いていた。
痛みの合図が止まっても、痛むつもりの体は、すぐに戻らない。
「鳴りやみました。ここは、庭です」
私は、いつもの椅子を指した。
いつもの本が、開いたまま落ちている。
「ノクスの本があります。トビさんも、います」
彼の頭が、少し下がった。
「来いと、言えばいい。私が買った竜だ!」
叔父の声がした。
警備の人に腕を押さえられても、口は止まらなかった。
「伯爵様、そのまま渡していただければ、誰も傷つかない」
辺境伯の左腕から、血が落ちた。
最初にノクスを止めたとき、欠けた格子が当たったのだろう。
彼は壁を保ち、私の前を空けていた。
私は、ノクスを見た。
行かないで、と言いたかった。
私も、命令をしたくなった。
でも、ここで私が、私の言うとおりに、と言ったら。
ノクスの目が、本を見た。
母竜の絵。
それから、辺境伯の血を見た。
「……カイル」
初めて、彼の名前を呼んだ。
「カイル、いたい?」
魔法の壁の向こうで、辺境伯が息を吐いた。
「少し。あとで、先生に診てもらう」
ノクスの首が止まった。
長い前足が、地面へついた。
「ここ、いる」
黒竜は、座った。
金色の目から、涙が落ちた。
「くび、いや。ここ、いる」
イーサ様が、はっきり言った。
「記録してください。本人が、居場所と、望まない処置を述べました」
ノクスは、叔父の方を見なかった。
私の足元へ鼻を近づけ、止まった。
「いい?」
いつも、黙って膝へ乗せていた顎。
今日は、尋ねた。
「いいです」
私は座った。
重たい顎が、膝へ乗った。
叔父は、まだ何か言っていた。
調教だ。演技だ。私が育てた娘の仕業だ。
私は、その方を見た。
「この子たちは、返却品ではありません」
自分の声が、遠く聞こえた。
「ここにいたいと、今、言いました。その返事を聞いてください」
イーサ様は、叔父が持っていた証書を回収した。
鈴を持ち込まないよう求められていたのに、隠していたこと。
診察を妨げ、保護対象を危険にさらしたこと。
捕獲業者から引き継いだ道具を所持していたこと。
「取引の実態も、調べます。こちらへ」
叔父は連れて行かれた。
荷馬車は、空のまま残った。
庭が静かになったあと、ノクスは長く、泣いた。
誰も、泣きやむことを急がせなかった。
私の隣に、辺境伯が座った。
魔法の壁が消える。
彼の腕へ、トビさんが布を当てた。
「リゼ」
私は顔を上げた。
彼は、私の震える手を見ていた。
「君も、怖かったな」
その声で、私も泣いた。
ノクスの顎は重く、彼の手は、温かかった。




