リリアさん!赤ちゃんが欲しいです!
いつもの朝。
ヒロは勢いよくギルドの扉を開けた。
「リリアさん!」
受付へ一直線に向かう。
リリアはいつもの笑顔で迎える。
「おはようございます、ヒロく――」
その言葉を遮るように、ヒロが口を開いた。
「赤ちゃんが欲しいです!」
ギルド中が静まり返る。
「……。」
「…………。」
「………………え?」
リリアは目を見開いたまま固まる。
「ひ、ヒロくん!!」
顔を耳まで真っ赤に染め、思わず両手で口を押さえた。
周囲の受付嬢たちも動きを止める。
依頼書を書いていた冒険者はペンを落とし。
酒を飲んでいた冒険者は盛大に吹き出した。
「ぶふっ!」
「な、何言ってるんだあいつ!」
「朝一番から爆弾発言だ!」
「ついに言いやがった!」
ギルド中が一気に大騒ぎになる。
当のヒロだけが、きょとんと首を傾げていた。
◇
◇
◇
その日の夜。
木漏れ日の酒場には、多くの人が集まっていた。
親方。
工房の職人たち。
受付嬢たち。
冒険者たち。
いつも以上の賑わいを見せている。
その中で。
リリアは誰にも気付かれないよう、店の隅の席へそっと腰を下ろした。
少し離れたカウンターの端には、ギルドマスター。
いつもの席だった。
その正面では、女将が黙々と料理を作っている。
二人は言葉を交わさない。
ただ、いつも通り。
酒場には笑い声とジョッキの音が響き、料理の香りが店内を満たしていた。
ガレスはジョッキを置き、真剣な表情で口を開く。
「話は聞いた。」
「それで?」
「事情を説明しろ。」
酒場中の視線がヒロへ集まる。
ヒロは照れくさそうに頭をかいた。
「仕事が終わって。」
「いつものように、近所の子どもたちと遊んでたんだ。」
誰も口を挟まない。
静かに続きを待つ。
「別れ際にね。」
「子どもたちが言ってくれたんだ。」
ヒロは少し笑う。
「『お兄ちゃんに子どもができたら、その時は僕らが遊んであげるよ』って。」
その言葉を思い出したのか、優しく目を細める。
「……嬉しかった。」
少し照れながら続けた。
「だから。」
「リリアさんとの赤ちゃんが欲しいって、なったんだよね。」
酒場が静まり返る。
誰も笑わない。
皆、その理由があまりにもヒロらしくて、言葉を失っていた。
ガレスは大きく息を吐き、天井を見上げた。
「……。」
「何から説明すりゃいいんだ。」
酒場中が静まり返る。
ヒロは真面目な顔のまま続ける。
「今まで、インフラ整備と魔法工学しか勉強してこなかったからね。」
「生物学は無知なんだ。」
「生命の誕生。」
「その神秘。」
少し考え込むように腕を組む。
「神秘か。」
「教会にお祈りに行けば授かるのかな?」
一瞬の静寂。
そして次の瞬間。
「ぶはっ!」
「ははははは!」
「違う!そうじゃねぇ!」
「誰か教えてやれ!」
「ヒロ、本気で言ってるぞ!」
酒場中が大爆笑に包まれた。
ガレスは額を押さえたまま、大きくため息をつく。
「……今日は長くなりそうだ。」
店の隅では。
リリアが静かにその話を聞いていた。
「……。」
最初は。
「赤ちゃんが欲しいです。」
その一言に頭が真っ白になった。
だが。
事情を聞けば、思わず笑みがこぼれる。
「本当に……。」
「ヒロくんらしい。」
小さく胸を撫で下ろした。
その一方で。
酒場中の大人たちは頭を抱えていた。
「で……。」
「何から教えればいい?」
「いや、その前に誰が説明する?」
「お前が行け。」
「いや、お前だ。」
誰も名乗り出ない。
妙な沈黙が酒場を包んだ。
その時だった。
女将が厨房から顔を出し、一喝する。
「くっちゃべってないで飲みな!」
「ここは飯を食って、酒を飲む場所だよ!」
店内が静まり返る。
そして誰からともなく息を吐いた。
「……助かった。」
酒場中の大人たちが、心の中で同じことを思っていた。
◇
◇
◇
次の日。
地下工事もひと段落し。
ヒロは親方と職人たちと共に、地下で小休憩を取っていた。
水筒を片手に一息つく。
そんな穏やかな時間。
ヒロがふと思い出したように口を開く。
「そういえば。」
「昨日は結局聞けなかったんですけど。」
職人たちが一斉に顔を上げる。
「赤ちゃんって、どうやって授かるんですか?」
空気が止まった。
いつもなら。
板金。
鍛冶。
導管。
どんな仕事でも、不器用ながら丁寧に教えてくれる職人たち。
しかし今回は違った。
「いや……。」
一人の職人が頭をかく。
「板金のやり方なら、うまく教えられるんだが……。」
別の職人も腕を組む。
「導管の配管なら説明できる。」
「でもよ……。」
「急にそんなこと言われてもなぁ……。」
職人たちは互いに顔を見合わせる。
誰一人として口火を切れない。
工事現場では頼れる大人たちが。
今だけは、全員困り果てていた。
◇
◇
◇
その日の夜。
木漏れ日の酒場。
ヒロは女性陣のテーブルに座っていた。
そこには受付嬢たち。
女性冒険者たち。
なぜか全員が真剣な表情でヒロを見つめている。
ヒロは手帳とペンを取り出した。
「それで。」
「赤ちゃんは、どうやって授かるんですか?」
一同が顔を見合わせる。
最初に口を開いたのは、受付嬢の最年長だった。
「こういうことはね。」
「男がしっかりリードするんだよ!」
ヒロは真剣な表情で頷く。
「なるほど。」
さらさらと手帳へ書き込む。
「メモ、メモ。」
その隣で、若い受付嬢が少し照れながら口を開く。
「それはね。」
「リリアちゃんを幸せいっぱいにして。」
「まるで天国みたいな気持ちにするの!」
ヒロはきょとんと目を丸くした。
「じゃあ。」
「今までリリアさんは幸せじゃなかったんですか?」
カラン。
ヒロの手からペンが落ちる。
女性陣は一斉に頭を抱えた。
◇
◇
◇
次の日。
一同は、木漏れ日の酒場ではない別の酒場へ集まっていた。
集まったのは、親方。
職人たち。
受付嬢たち。
女性冒険者たち。
そしてガレス。
用件は、もちろん一つ。
ヒロのことだった。
ガレスが腕を組み、全員を見回す。
「それで。」
「ちゃんと教えたのか?」
その一言で、職人たちが一斉に視線を逸らした。
「いや……。」
「急だったしよ。」
「板金なら教えられるんだ。」
「導管だって説明できる。」
「でも、専門外っていうかな……。」
「俺たちにも心の準備ってもんが……。」
言い訳が次々と飛び出す。
その瞬間。
「何やってんだ!」
「しっかりしろ!」
「大人だろ!」
周囲から一斉に叱責が飛んだ。
職人たちは小さくなって黙り込む。
すると今度は、受付嬢たちと女性冒険者たちが胸を張る。
「私たちはちゃんと教えたよ!」
「そうそう!」
「ばっちり!」
ガレスが眉をひそめる。
「何を教えた?」
受付嬢の一人が得意げに答える。
「男はリードすること!」
「相手を幸せいっぱいにすること!」
一瞬の沈黙。
そして。
「それ、教えたうちに入らねぇだろ!」
酒場中から一斉にツッコミが飛んだ。
女性陣は顔を見合わせる。
「……あれ?」
「違った?」
◇
◇
◇
その日の夜。
木漏れ日の酒場、二階。
ガレスとヒロの部屋。
二人はそれぞれのベッドに横になり、天井を見上げていた。
しばらく静かな時間が流れる。
やがて、ガレスがぽつりと口を開く。
「……ヒロ。」
「起きてるか?」
ヒロはゆっくりと顔を向けた。
「うん。」
ガレスは少し照れくさそうに頭をかく。
「昼間も。」
「昨日も。」
「みんな説明できなかったみたいだからな。」
「俺が話す。」
ヒロは黙って頷く。
ガレスは茶化すことなく、できるだけ丁寧に説明を始めた。
静かな部屋に、ガレスの声だけが響く。
――そして。
話が終わる。
ヒロはゆっくりと起き上がり、ベッドに腰を掛けた。
両手で顔を覆う。
耳まで真っ赤だった。
「…………。」
しばらく沈黙が続く。
ようやく絞り出すように一言。
「僕……。」
「ギルドで、とんでもないこと言っちゃった……。」
ガレスは苦笑する。
「やっと気付いたか。」
ヒロはそのまま頭を抱えた。
「リリアさんに……。」
「顔向けできない……。」
ガレスは天井を見上げ、大きく笑った。
「がははは!」
「明日も普通に受付してるさ。」
ヒロは枕へ顔を埋め、小さく唸る。
「……穴があったら入りたい。」
ヒロがゆっくりと顔を上げる。
「……そういえば。」
「ガレスは、なんでそんなに詳しいの?」
ガレスの表情が固まった。
「……。」
「……まあ、その。」
珍しく視線を逸らす。
頭をかきながら、言葉を探す。
「いろいろ……だ。」
それ以上は何も言わない。
ヒロは首を傾げる。
「本とか?」
「……。」
「年上の人に教わったとか?」
ガレスは答えない。
「寝るぞ。」
それだけ言って毛布を頭までかぶってしまった。
「え? あ、うん。」
ヒロは不思議そうな顔のまま明かりを消す。
静かになった部屋の外。
扉にもたれかかるように立っていたセレナは、両手で真っ赤になった顔を覆っていた。
「もう……。」
小さく呟くと、誰にも気付かれないよう足音を忍ばせて廊下の奥へ消えていく。
部屋の中では、ガレスだけが毛布の中で小さくため息をついた。
◇
◇
◇
次の日。
冒険者ギルド。
ヒロは勢いよく受付へ駆け寄った。
「リリアさん!」
リリアは少し驚きながら顔を上げる。
「お、おはようございます。」
ヒロは深く頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「昨日、ガレスから全部聞きました!」
「僕、何も知らなくて……。」
「困らせて。」
「恥ずかしい思いまでさせてしまいました。」
受付は静まり返る。
そして。
「ぷっ。」
「はははっ。」
「あいつ、本当に昨日知ったのか。」
冒険者たちが吹き出す。
誰も茶化さない。
ただ、温かい笑いだった。
リリアは小さくため息をつく。
「もう。」
「ヒロくんらしいですね。」
そう言って、優しく微笑む。
「私は気にしていません。」
ヒロはほっと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます。」
少しだけ間が空く。
ヒロは真っ直ぐリリアを見つめた。
「でも。」
「気持ちは変わりません。」
ギルド中が静まり返る。
「いつか、リリアさんとの赤ちゃんが欲しいです。」
「だから。」
「まずは。」
「僕と付き合ってください!」
一瞬。
時間が止まった。
リリアは耳まで真っ赤に染まり、目を潤ませる。
そして、小さく頷いた。
「……はい。」
「よろしくお願いします。」
その瞬間。
ギルド中が歓声に包まれた。
「おおおおっ!」
「やっとか!」
「めでてぇ!」
そして、誰かがぽつりと呟く。
「……あいつら。」
「付き合ってなかったのかよ。」
その一言で。
ギルド中が大爆笑に包まれた。
お読みいただきありがとうございました!「続きが気になる」「面白い」と思っていただけましたら、画面下の「ブックマーク登録」や「★(評価)」で応援していただけると励みになります。




