新居
数日後。
ヒロは工房へ足を運んでいた。
新生活で使う家具を、自分の手で作るためだ。
その隣には、リリアが立っている。
工房の扉が開いた瞬間。
職人たちの動きが一斉に止まった。
「お、おう……。」
「えっと……。」
誰もが落ち着かない。
工房へ女性が来ることなど、これまで一度もなかった。
一人の職人が慌てて椅子を運ぶ。
別の職人は湯呑みにお茶を注ぎ始める。
「あ、あの……。」
「今日はいい天気ですね。」
「そ、そうですね。」
ぎこちない世間話。
あまりにも不自然な空気に、リリアは思わず笑いを堪えた。
その時だった。
「お前ら!」
親方の怒鳴り声が工房に響く。
「仕事しろ!」
「「「はいっ!」」」
職人たちは蜘蛛の子を散らすように、それぞれの持ち場へ戻っていく。
その様子を見ていたリリアは、とうとう吹き出した。
「ふふっ。」
工房に、ようやくいつもの空気が戻る。
ヒロは親方の前まで歩くと、静かに頭を下げた。
「相談があります。」
「家具を作ったことがありません。」
その一言に、親方は一瞬きょとんとした。
次の瞬間、声を上げて笑い出す。
「がははは!」
「そりゃそうだ!」
「お前が今まで作ってきたのは、橋や水路、道具ばっかりだからな!」
「家具なんざ、作る機会があるわけねぇ。」
笑いながらふとリリアへ目を向ける。
黒く艶やかな髪。
そこには、ヒロが作った髪飾りが静かに輝いていた。
親方は目を細め、小さく頷く。
「……いや。」
「家具じゃねぇが。」
「一つだけ、インフラ以外に作ったもんがあったな。」
リリアは照れくさそうに髪飾りへ触れる。
親方はヒロへ向き直った。
「安心しろ。」
「一から教えてやる。」
ヒロは深く頭を下げる。
「お願いします。」
親方は口元を緩める。
「まずは木を知れ。」
「家具作りは、そこからだ。」
新居。
ダイニングテーブルで、ヒロとリリアは向かい合ってお茶を飲んでいた。
窓から差し込む柔らかな陽射しが、部屋の中を優しく照らしている。
ヒロは湯呑みを置き、ふっと息を吐いた。
「結局、全部作っちゃった。」
リリアは部屋を見回し、小さく笑う。
床はすべて剥がし、一から張り直した。
壁も。
天井も。
トイレも。
バスルームも。
クローゼット。
ダイニングテーブル。
ソファ。
この部屋のほとんどは、ヒロが作り上げたものだった。
ヒロは少し照れくさそうに笑う。
「でも、一番時間がかかったのは……。」
そう言って視線を向けた先には、一台のドレッサー。
リリアもつられて目を向ける。
途端に、耳まで真っ赤になった。
「……ごめん。」
「何回も作り直させちゃった。」
ヒロは笑って首を横に振る。
「謝ることじゃないよ。」
「毎日使うものだから。」
「リリアさんが気に入ってくれるものを作りたかった。」
リリアは照れくさそうに笑う。
「もう……。」
「そういうこと、さらっと言うんだから。」
ヒロもつられて笑った。
「苦労した甲斐はあったかな。」
リリアは嬉しそうに頷く。
「うん。」
「世界で一番、自慢のドレッサー。」
ヒロは立ち上がると、寝室へ向かった。
ベッドの端へ腰を下ろし、ゆっくりと体重をかける。
軋み一つない。
さらに向きを変え、何度か揺らしてみる。
「……よし。」
満足そうに頷く。
その様子を見たリリアは、不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
ヒロは苦笑した。
「実は、このベッドだけは一悶着あってね。」
――工房。
ヒロは一枚の設計図を親方へ差し出した。
「ベッドです。」
「二人で寝られる広さにして、荷重も計算してあります。」
親方は図面を眺める。
しばらくして、眉をひそめた。
「……強度が足りん。」
ヒロはすぐに首を横へ振る。
「そんなはずありません。」
「荷重計算は何度も確認しました。」
「僕の計算は間違ってません。」
「強度は足りてます。」
そのやり取りを聞きつけ、職人たちが次々と集まってくる。
図面を覗き込み、一人が気まずそうに頭を掻いた。
「……ああ。」
「足りねぇな。」
別の職人も苦笑する。
「これじゃ足りねぇ。」
ヒロは困惑した。
「だから、どこがですか?」
「計算は合っています。」
工房に妙な沈黙が流れる。
親方は大きくため息をついた。
「……しょうがねぇ。」
ヒロを手招きする。
「ちょっと来い。」
ヒロが近づくと、親方は耳元で何かを小さく囁いた。
その瞬間。
ヒロの顔がみるみる真っ赤になる。
「…………。」
数秒固まったあと、勢いよく頭を下げた。
「つ、作り直します!」
工房中に笑い声が響いた。
――現在。
リリアはその話を聞き終えると、耳まで真っ赤に染めた。
「も、もう……。」
「親方さんったら……。」
ヒロも照れくさそうに頬を掻く。
「職人みんな知ってたみたい。」
「知らなかったの、僕だけだったよ。」
二人は顔を見合わせる。
そして同時に吹き出した。
新居祝いの日。
ヒロとリリアの新しい家には、朝から大勢の人が集まっていた。
最初にやって来たのは、親方と工房の職人たち。
「邪魔するぞ。」
挨拶もそこそこに、職人たちは部屋の中へ散っていく。
床を踏み鳴らし。
壁を軽く叩き。
窓の開閉を確かめ。
建具の動きを確認する。
「床鳴りなし。」
「壁も問題ねぇ。」
「建付けもいいな。」
「丁寧な仕事だ。」
誰も褒めようとはしない。
ただ淡々と確認し、不具合がないことを口にしていく。
それが職人たちなりの賛辞だった。
最後に全員が寝室へ集まる。
視線の先には、一台のベッド。
親方は手で軽く揺らし、頷いた。
「うん。」
「今度は問題ねぇな。」
その一言で、職人たちから一斉に笑いが起こる。
ヒロは耳まで真っ赤にした。
「もう、その話は勘弁してください……。」
笑い声が収まった、その時だった。
玄関の扉が勢いよく開く。
「なんで、あたしらより先にあんたらが来てんだい!」
女将が呆れたように声を上げる。
その後ろからギルドマスターも苦笑しながら入ってきた。
親方は振り返りもせず答える。
「職人だからな。」
その一言に、女将は呆れたようにため息をつく。
「まったく。」
そう言って、持ってきた差し入れをテーブルへ置いた。
「ほら。」
「あんたら、菓子折りくらい持ってきたんだろうね?」
親方と職人たちは互いに顔を見合わせる。
「いや。」
全員が同時に笑みを浮かべた。
次の瞬間。
工具袋から、金槌や鉋、差し金を次々と取り出す。
「最終調整だ。」
親方が口元を緩める。
「ヒロ。」
「見てろ。」
「……はい!」
ヒロは思わず背筋を伸ばした。
職人たちは散らばり、床の水平を測る者。
蝶番を微調整する者。
引き出しの滑りを確かめる者。
家具の脚を削る者。
ほんの一ミリ。
ほんの僅かな狂いすら見逃さず、次々と手を入れていく。
誰一人として無駄な動きはない。
その姿を見つめながら、ヒロは小さく笑った。
「……やっぱり、敵わないな。」
その時だった。
「ヒロー!」
聞き慣れた大声と共に、玄関の扉が勢いよく開く。
「新居祝いに来たぞー!」
ガレスは迷いなく部屋へ上がると、そのままソファへどかりと腰を下ろした。
「おお!」
「座り心地いいじゃねぇか!」
その隣で、セレナが慌てて頭を下げる。
「ちょ、ちょっと!」
「少しは遠慮しなさい!」
「新居なんだから!」
ガレスはきょとんと首を傾げる。
「え?」
ヒロは苦笑しながら肩をすくめた。
「どうせ、すぐそうなるよ。」
「最初だけ畏まられても意味ないね。」
その一言に、リリアとセレナは顔を見合わせる。
次の瞬間。
「ふふっ。」
「あははっ。」
二人は同時に吹き出した。
ガレスだけは訳が分からず頭を掻いている。
「何だよ。」
「俺、何かしたか?」
再び笑いが広がった。
そこへ、再び玄関の扉が叩かれる。
ヒロが扉を開く。
そこに立っていたのは。
王女アン。
そして、その一歩後ろには剣聖セバス。
部屋の空気が一瞬で止まった。
親方も。
職人たちも。
女将も。
ギルドマスターも。
誰もが目を丸くして立ち尽くす。
「お、お……。」
「王女殿下……?」
思わず誰かが呟いた。
そんな空気の中、ヒロだけはいつも通りだった。
「ああ。」
「だって、この部屋を紹介してくれたの王女だしね。」
その一言に、アンは少し照れくさそうに笑う。
「新居祝い、持ってきたよ。」
やがて、親方は工具を片付ける。
「よし。」
「こんなもんだ。」
職人たちも満足そうに頷いた。
「仕事だ。」
「いつまでも邪魔しちゃ悪い。」
「行くぞ。」
「「「おう!」」」
親方と職人たちは、それだけ言い残して家を後にした。
玄関が閉まると、部屋の空気は少しだけ落ち着きを取り戻す。
リビングでは、ソファに王女アンとセバスが腰掛けていた。
その向かいには、ヒロとガレス。
一方、ギルドマスターは持参した酒瓶を抱えたままキッチンカウンターへ向かう。
「マーサ。」
「つまみ作ってくれ。」
女将は振り返りもせず答えた。
「もう作ってるよ。」
包丁の軽快な音が響く。
その隣では、リリアがセレナに教わりながらお茶の準備をしていた。
「急がなくていいから。」
「お茶は慌てて淹れるもんじゃないわ。」
「……うん。」
リリアは何度も頷きながら湯呑みへお茶を注いでいく。
その手は少しだけ震えていた。
王女と剣聖を前にして緊張している――。
そんなわけではない。
(見られてる……。)
視線の先には女将。
キッチンカウンターではギルドマスター。
隣にはセレナ。
リリアにとっては、王女やセバスよりも。
十五年間ヒロを見守ってきた人たちに見られている方が、何倍も緊張した。
まるで。
両親と姉に見守られながら、新しい生活を始める娘になったような気分だった。
「……。」
その様子に気付いたセレナは、小さく微笑む。
「大丈夫。」
「いつも通りでいいのよ。」
その一言に、リリアの肩から少しだけ力が抜けた。
その時だった。
ふと、アンの視線が寝室の入り口へ向く。
そこに置かれた一台のドレッサー。
艶のある木肌。
繊細な彫刻。
陽の光を映す大きな鏡。
アンは思わず立ち上がった。
「まあ!」
目を輝かせ、胸の前で手を合わせる。
「素敵……!」
吸い寄せられるようにドレッサーの前まで歩み寄る。
「これもヒロが作ったの?」
ヒロは照れくさそうに頷く。
「うん。」
「一番時間がかかった。」
「何度も作り直したからね。」
その言葉に、リリアは耳まで真っ赤になる。
「……ごめん。」
「私が何度もわがまま言ったから。」
ヒロは笑って首を横へ振った。
「いいんだよ。」
「毎日使うものだから。」
「妥協したくなかった。」
アンは二人を見比べ、嬉しそうに微笑む。
「世界に一つだけのドレッサーか。」
「羨ましいなぁ。」
リリアは照れながらドレッサーへ視線を向け、小さく頷いた。
「……私の宝物です。」
気が付けば、部屋には四人だけが残っていた。
ヒロ。
リリア。
ガレス。
そしてセレナ。
さっきまでの賑やかさが嘘のように、新居は静かな空気に包まれている。
リリアはソファへ腰を下ろすと、大きく息を吐いた。
「ふぅ……。」
その様子を見たセレナが、思わず吹き出す。
「ふふっ。」
「緊張した?」
リリアは照れ笑いを浮かべながら頷いた。
「ええ。」
「とても。」
ガレスは首を傾げる。
「王女様と剣聖がいたからか?」
リリアは苦笑しながら首を横に振る。
「違うわ。」
「女将さんと、ギルドマスターと、セレナに見られてる方が緊張したの。」
その一言に、セレナはまた吹き出した。
「それ、分かるかも。」
ヒロも苦笑する。
「僕も、親方に見られてる方が緊張するしね。」
四人は顔を見合わせる。
そして、新居には穏やかな笑い声が響いた。
帰る時間になった。
玄関先。
ガレスは靴を履き終えると、少しだけ言いづらそうに頭を掻いた。
「……なあ。」
「たまに、遊びに来てもいいか?」
ヒロは少しだけ驚いた顔をしたあと、ふっと笑う。
「たまにと言わず。」
「いつでもおいで。」
その一言に、ガレスは安心したように笑う。
だが次の瞬間。
意地悪そうに口元を吊り上げた。
「もちろん。」
「夜には必ず帰るけどな。」
一瞬、静寂が流れる。
意味を理解したヒロとリリアの顔が、みるみる真っ赤に染まった。
「なっ……!」
「ガ、ガレス!」
リリアも耳まで真っ赤にして俯く。
ガレスは腹を抱えて笑い出した。
「はっはっは!」
「その顔が見たかった!」
玄関には、しばらく笑い声が響き続けた。




