褒美
広場の横にある空き地。
五年前。
王女アンを狙う刺客の出現により、一度も剣を交えることなく終わった模擬戦。
あの日を知る者たちは、口々に囁いていた。
「ついにやるのか。」
「五年前の続きだ。」
「今度こそ決着が見られる。」
空き地の周囲は、人で埋め尽くされていた。
冒険者。
騎士。
職人。
町の住民。
誰もが、この一戦を見逃すまいと息を潜めている。
空き地の中央。
剣聖セバスは、愛用の細剣を模して作られた特製の木剣を静かに構える。
その正面には、Sランク冒険者ガレス。
肩に担ぐのは、普段振るう大剣と同じ長さ、同じ重心、同じ重量感を再現した特製の木剣だった。
五年前とは違う。
互いが本来の戦い方を存分に発揮できるよう、この日のためだけに用意された得物。
誰も文句をつけられない、真の模擬戦である。
空き地の脇に置かれた木製のベンチ。
そこには王女アンとヒロが並んで腰掛けていた。
アンは懐かしそうに二人を見つめ、小さく微笑む。
「わざわざ特製の木剣まで作ったの?」
ヒロは頬杖をついたまま、ぶっきらぼうに答えた。
「ガレスが負けるところなんて見たくないからね。」
アンはくすりと笑う。
その言葉は、五年前。
あの日、ヒロが口にしたものとまったく同じだった。
「今日はいなくならないでよ。」
ヒロは少しだけ目を細める。
「そんなこともあったね。」
空き地の中央へ視線を向け、小さく呟いた。
「もう五年も経つのか。」
二人の視線の先では、セバスとガレスが静かに向かい合う。
五年前には果たせなかった勝負。
王都中が待ち望んだ一戦が、今まさに始まろうとしていた。
◇
◇
◇
模擬戦が終わり、人々の熱気も少しずつ落ち着きを取り戻していた。
広場の喧騒を眺めながら、アンとヒロは並んで歩く。
アンはふと何かを思い出したように足を止めた。
「そういえば。」
「これって、助けてもらったお礼だったよね?」
ヒロは少し目を丸くした後、ふっと笑う。
「ああ……懐かしい。」
「そういえば、そうだったね。」
アンは両手を後ろで組み、ヒロの顔を覗き込む。
「あなたは何にするの?」
ヒロは少しだけ考え込む。
「そうだな……。」
しばらく黙ったあと、照れくさそうに頬を掻いた。
「豪華じゃなくていい。」
「質素で構わない。」
「ギルドと酒場から近い、二人暮らしできる部屋を紹介してほしい。」
アンは一瞬きょとんとする。
「家?」
ヒロは苦笑しながら頷いた。
「収入が低くて、審査が通らなくてね。」
そのあまりにも現実的な願いに、アンは思わず吹き出した。
「ふふっ。」
「王女へのお願いが、それ?」
ヒロは肩をすくめる。
「今の僕には、それが一番ありがたい。」
アンはしばらくヒロを見つめると、優しく微笑んだ。
「分かった。」
「任せて。」
「王都で一番いい大家さんを紹介してあげる。」
ヒロは照れくさそうに笑った。
「助かるよ。」
◇
◇
◇
後日。
王宮の執務室。
アンは書類へ目を通している国王アルバスの前に立っていた。
「お父様。」
「ヒロが褒美が欲しいって。」
その一言で、アルバスの手が止まる。
「……何?」
ゆっくりと顔を上げる。
「今、何と言った?」
「ヒロが褒美を欲しいって。」
アルバスは椅子から勢いよく立ち上がった。
「ついにか!!」
机を叩き、目を潤ませる。
「今まで何度褒美を与えようとしても断り続けた男が……!」
「ついに望みを口にしたか!」
「余は嬉しいぞ……!」
感極まったように目頭を押さえる。
アンはそんな父を見ながら、少しだけ言いづらそうに口を開いた。
「あのね……。」
「その内容なんだけど。」
アルバスは満面の笑みで頷く。
「申してみよ!」
「城か?」
「領地か?」
「爵位か?」
「いや、いっそ宮廷へ迎えても──」
アンは苦笑しながら首を振る。
「借家を紹介してほしいんだって。」
「…………。」
執務室が静まり返る。
アルバスは口を開いたまま固まっていた。
「……借家?」
「うん。」
「ギルドと酒場から近くて、二人暮らしできる部屋がいいって。」
「収入が低くて審査が通らないらしいよ。」
「…………。」
アルバスはゆっくり椅子へ座り直した。
「余は……。」
「土地を与えることもできる。」
「屋敷を建てることもできる。」
「望むなら領地も、身分も授けられる。」
そこまで言って、深くため息をつく。
「そんな余に頼むことが……借家の紹介?」
頭を抱える。
「……逆に分からんぞ。」
アンは肩をすくめながら笑う。
「ヒロらしいでしょ?」
アルバスはしばらく天井を見上げていたが、やがて苦笑した。
「……ああ。」
「実に、あの男らしい。」
◇
◇
◇
ヒロは窓を開け、ゆっくりと通りを見下ろした。
昼下がりの陽射し。
行き交う人々。
少し歩けばギルド。
反対へ行けば、木漏れ日の酒場。
風が部屋の中を心地よく吹き抜ける。
ヒロは小さく笑った。
「お世辞抜きに、いい部屋だね。」
「アホ王女のくせに、よく探してくれたもんだ。」
壁にもたれかかっていたガレスが、静かに口を開く。
「……ここに決めんのか?」
どこか寂しそうな声だった。
ヒロは窓の外を眺めたまま頷く。
「うん。」
そして振り返り、少し照れくさそうに笑う。
「十五年も君のいびきを聞いて寝てたからさ。」
「リリアさんと二人になっても、最初は寝られないかもしれないけど。」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
「ぶはっ!」
ガレスが吹き出した。
「何だよそれ!」
「そこは普通、新生活を楽しみにしろよ!」
ヒロも笑い返す。
「もちろん楽しみだよ。」
「でも、君のいびきが聞こえない夜なんて初めてだからね。」
「うるせぇ!」
二人は顔を見合わせ、大声で笑った。
◇
◇
◇
数日後。
開店前の木漏れ日の酒場。
店内では女将とセレナが開店の準備を進めていた。
カウンターでは、開店前だというのにギルドマスターが酒を飲んでいる。
扉が開き、リリアが静かに店へ入ってきた。
「おはようございます。」
「おや。」
女将は手を止め、穏やかに笑う。
リリアは真っ直ぐ女将の前まで歩くと、深く頭を下げた。
「女将さん。」
「ヒロくんと一緒に住むことにしました。」
女将は驚く様子もなく頷く。
「聞いてるよ。」
「それにしても律儀なもんだね。」
「普通、女はそんな挨拶しに来ないよ。」
リリアは顔を上げ、真っ直ぐ女将を見つめた。
「当然です。」
「大事なお子さんですから。」
その言葉に、女将は目を細める。
カウンターからギルドマスターが豪快に笑った。
「はっはっは!」
「確かにそうだな。」
酒を一口飲み、どこか懐かしそうに呟く。
「もう十五年か。」
「マーサが拾ってから毎日見てきた。」
「泣いて、笑って、怒られて。」
「気付けば立派な男になりやがった。」
店内に静かな時間が流れる。
奥で皿を拭いていたセレナは、そっと目元を拭った。
「……なんだか、お嫁に行く子の親みたいですね。」
女将は照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「何言ってんだい。」
「あの子は昔から、人を見る目だけは良かったんだよ。」
その言葉に、店内は穏やかな笑いに包まれた。
しばらく談笑した後、リリアは深く一礼する。
「それでは、失礼します。」
踵を返し、店を出ようとした、その時だった。
「待ちな。」
女将が静かに呼び止める。
カウンターの下から、一つの革袋を取り出す。
どさり、と重い音が響いた。
「これ。」
「持ってきな。」
リリアは革袋を受け取り、その手を止めた。
革袋には、王家の紋章が刻印されている。
見間違えるはずがなかった。
五年前。
剣聖セバスから報奨金として受け取り、自らギルドで処理した、あの革袋だった。
リリアは驚いたように顔を上げる。
「……これは。」
女将は苦笑した。
「ヒロが預けてった金さ。」
「国王からの報奨金。」
「『いらないから。』なんて言って、あたしに押しつけてきたんだよ。」
「ったく。」
「どこまで金に興味がないんだか。」
女将は革袋をリリアの胸へ押し返す。
「あの子は受け取らない。」
「だから、あんたが持っときな。」
「新しい暮らしには何かと金がかかる。」
リリアは慌てて首を横に振る。
「ですが……。」
女将は優しく言葉を遮った。
「いいから。」
「あの子のために使う金なら、あの子も文句は言わないよ。」
少しだけ声が柔らかくなる。
「幸せにしてやんな。」
リリアは革袋を両手で抱きしめた。
その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「……はい。」
深く頭を下げる。
「必ず。」
その返事を聞いた女将は、小さく頷いた。
「よし。」
「行ってきな。」
リリアが店を出る。
◇
◇
◇
扉の鈴が静かに鳴り、店内に再び穏やかな静けさが戻った。
ギルドマスターは酒を一口飲み、ぽつりと呟く。
「……寂しくなるな、マーサ。」
女将は鼻を鳴らした。
「何言ってんだい。」
「あたしには、うるさいのが一人残ってる。」
ギルドマスターは一瞬きょとんとした後、大きく笑い出す。
「はっはっは!」
「違いねぇ!」
奥で皿を拭いていたセレナも、思わず吹き出した。
「ふふっ。」
店内には、いつものように穏やかな笑い声が響いていた。
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