帝国へ
王国と帝国の戦争が終わり、一年。
帝国から派遣された官僚たちの尽力もあり、長年王国を悩ませてきたスラム問題は、大きく改善へ向かっていた。
やがて両国は、本格的な国交を開始する。
人が行き交い。
物が行き交い。
技術が行き交う。
その礎となるのが、王国と帝国を結ぶ街道だった。
街道の整備は、王国と帝国の職人たちによる大規模な公共事業として始まる。
ヒロもまた、その一人として工事へ参加していた。
道路を舗装し。
橋を架け。
上下水道を整備し。
魔力導管を延ばしていく。
街道は、一日では完成しない。
工事は長期に及び、職人たちは街道沿いに設けられた駐屯地へ寝泊まりしながら作業を続けていた。
ヒロも例外ではない。
王都へ帰ることは、以前よりずっと少なくなった。
工事が進むにつれ、現場は少しずつ王国から離れていく。
やがて国境を越え、帝国領内で作業をする日も増えた。
休みの日になれば、そのまま帝国の街を歩くこともある。
市場を眺め。
職人たちの工房を見学し。
食堂で食事をする。
かつて敵国だったその場所は、少しずつ「隣国」へと変わり始めていた。
ヒロは今日も、名もなき一人の職人として、その変化を静かに支えていた。
その頃。
王都のギルドでは、小さな変化が起きていた。
リリアが、ため息をつくことが増えたのだ。
以前は毎日会えていた。
朝、「おはよう」と挨拶を交わし。
昼には一緒にお弁当を食べ。
夕方には依頼の報告を受けながら、その日の出来事を話す。
それが二人の日常だった。
けれど街道工事が始まってからは違う。
三日に一度。
一週間に一度。
そして今では、一か月に一度帰って来られれば良い方だった。
もちろん、事情は分かっている。
王国と帝国を結ぶ街道。
ヒロなら、きっと参加すると最初から思っていた。
だから寂しいなんて言えない。
言ってはいけない。
それでも。
ふと気付くと、ため息が漏れてしまう。
その様子を、周りの受付嬢たちは心配そうに見つめていた。
「リリアさん、大丈夫ですか?」
「少し休憩しませんか?」
リリアは慌てて笑顔を作る。
「ううん、大丈夫。」
そう答えるものの、その笑顔はどこか寂しげだった。
冒険者たちもまた、少しだけ物足りなさを感じていた。
毎日聞こえていた、二人の何気ないやり取り。
「おはようございます。リリアさん」
「おはよう。ヒロくん。」
「今日も頑張ってね。」
「はい。」
たったそれだけの会話。
それなのに、今では誰もが自然と耳を傾ける、ギルドの日常になっていた。
その日常がなくなると、ギルドは少しだけ静かに感じられる。
「早く帰ってこねぇかな。」
誰かがぽつりと呟く。
その言葉に、何人もの冒険者が小さく頷いていた。
それも、そのはずだった。
ヒロが受付へ来ない。
ただ、それだけのこと。
それだけで、ギルドの空気は大きく変わってしまう。
「次の方。」
リリアは淡々と依頼書を受け取る。
表情一つ変えず。
無駄話もなく。
手続きは正確で、速い。
非の打ち所がない。
だからこそ――。
「……氷の女王、復活したな。」
冒険者の一人が小さく呟く。
「最近、笑ってるところ見てねぇ。」
「俺なんか目が合っただけで背筋伸びたぞ。」
「あれが本来のリリアさんなんだよな……。」
以前は違った。
ヒロが受付へ来る。
「ヒロくん、おはよう!」
その瞬間だけ、氷は跡形もなく溶ける。
優しく笑い。
頬を赤くし。
少しだけ照れた表情を見せる。
冒険者たちは、それを毎日のように見ていた。
だから勘違いしていたのだ。
リリアは優しい受付嬢なのだと。
違う。
優しかったのではない。
ヒロがいたから、優しくなっていただけだった。
その事実を、ギルド中が思い知る。
数日後。
依頼を終えた冒険者たちが酒場で真剣な顔をしていた。
「……祈るか。」
「そうだな。」
誰からともなく席を立つ。
全員が静かに両手を組み、天を見上げた。
「どうか……。」
「街道が、一日でも早く開通しますように。」
「ヒロが、早く帰ってきますように。」
「頼む!」
「俺たちに、あの笑顔を返してくれ!」
その日。
王都の神殿では、不思議な祈りが急増したという。
もちろん。
神官たちは最後まで、その理由を知らなかった。
◇
街道工事には、王国と帝国の職人たちが集められていた。
最初は、衝突ばかりだった。
「その組み方じゃ甘ぇ。」
「そっちこそ無駄が多い。」
「王国のやり方なんぞ知らん。」
「帝国の理屈なんか知るか。」
互いに腕へ絶対の自信を持つ職人同士。
頑固者ばかりだからこそ、口論は絶えなかった。
だが。
数か月も経てば、その空気は少しずつ変わっていく。
相手の仕事を見て。
技術を知り。
腕を認める。
言葉は少ない。
それでも、一緒に汗を流すうちに、いつしか国境など気にならなくなっていた。
ヒロもまた、その輪の中にいた。
派手なことは何一つしない。
黙々と仕事をこなし。
困っている現場があれば手を貸し。
誰よりも早く、誰よりも丁寧に仕上げる。
そんな毎日の積み重ねが、少しずつ周囲の信頼を集めていった。
有名になったわけではない。
英雄になったわけでもない。
ただ、一人の職人として認められた。
気付けば、王国の職人も帝国の職人も関係なく、ヒロへ仕事を頼むようになっていた。
「ヒロ。」
「こっちを見てくれ。」
「悪い、こっちも頼む。」
そんな声が、あちこちから飛ぶ。
街道が完成へ近付く頃には、仕事終わりが一日の始まりになっていた。
「今日はこっちの酒場だ。」
「いや、昨日はお前んとこだったろ。」
「今日は帝国式の酒を飲ませてやる。」
ヒロは毎晩のように、帝国の酒場へ連れて行かれた。
二十三歳。
世間では立派な大人だ。
だが、職人たちから見れば、まだまだ若造だった。
「ほら坊主、飲め。」
「この鍛冶法はな……。」
「石工ってのはな。」
「橋はな、基礎が命なんだ。」
鍛冶職人。
石工。
木工職人。
左官。
彫刻師。
ありとあらゆる分野の職人たちが、酒を片手に自分の仕事を語り始める。
ヒロは目を輝かせながら、その話へ耳を傾けていた。
酒を飲み。
技術を学び。
また酒を飲む。
そんな毎日だった。
王都では。
「ヒロくん、ちゃんとご飯食べてるかな……。」
と、一人の受付嬢が心配していることなど――。
当の本人は、知る由もなかった。
◇
◇
◇
長い歳月をかけた街道工事は、ついに完成した。
王国と帝国を結ぶ、新たな大動脈。
職人たちは互いの健闘を称え合い、大きな達成感に包まれていた。
これでようやく王都へ帰れる。
そう思った矢先だった。
「悪いが、まだ通行は禁止だ。」
帝国の役人が申し訳なさそうに告げる。
「数日後、国王陛下と皇帝陛下が、この街道を最初に通られる式典がある。」
「それまでは誰一人として通れない。」
ヒロは思わず肩を落とした。
「……くだらない。」
そう呟きながらも、その顔はどこか笑っていた。
平和だからこそできる催しだ。
戦争が終わった事を改めて実感した。
「仕方ないか。」
ヒロは軽く伸びをする。
「帝国の街でも散歩しようかな。」
工具箱を肩へ掛け直し、ゆっくりと街へ歩き出した。
石畳の道を進みながら、店先を一軒一軒眺めていく。
「リリアさんへのお土産は……。」
「何がいいだろう。」
装飾品。
お菓子。
珍しい布。
どれも悪くない。
しかし、決め手に欠ける。
「もう少し歩いてみよう。」
そう呟いた時だった。
屋台から香ばしい匂いが漂ってくる。
思わず足が止まった。
「兄ちゃん、食ってくか!」
店主に勧められるまま、見たこともない料理を受け取る。
一口。
「……!」
思わず目を見開いた。
「美味しい!」
その一言に、屋台の主人は豪快に笑う。
「だろ!」
「帝国へ来たなら、これを食わなきゃ始まらねぇ!」
ヒロは夢中になって頬張る。
「これ、どうやって作るんですか?」
「この香辛料は?」
「この焼き加減は?」
職人らしい質問が次々と飛び出す。
屋台の主人は嬉しそうに笑いながら、一つひとつ丁寧に教えていく。
その姿は、まるで料理人と弟子だった。
リリアへのお土産を探しに出たはずなのに。
気付けばヒロは、また新しい知識を手に入れていた。
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