スラム街
スラム街を作り直す計画が始まって一年。
ヒロとガレスは、二十三歳になっていた。
ガレスはAランクへ昇格。
王国を代表する冒険者の一人として、大型モンスター討伐や国境警備など、難度の高い依頼を任されるようになっていた。
一度王都を出れば、数日。
長い時には数週間帰ってこないことも珍しくない。
その名は、今や王国中へ知れ渡っていた。
一方で。
ヒロは相変わらずFランクだった。
朝、決まった時間にギルドへ顔を出す。
受付で依頼を受け、そのまま王都のインフラ整備へ向かう。
昼になると、一度ギルドへ戻る。
「おかえりなさい。」
受付の向こうで、リリアが柔らかく微笑む。
二人はギルドの中庭へ移動し、並んで腰を下ろす。
リリアの手作り弁当を広げ、他愛もない話をしながら昼食を取る。
食べ終えると、ヒロは静かに立ち上がる。
「行ってきます。」
「いってらっしゃい。」
短い言葉を交わし、再び仕事へ戻る。
そして夕方。
その日の作業を終えると、ギルドへ戻り報告書を提出する。
変わらない毎日。
変わらない仕事。
それでもヒロは、その日常を心から気に入っていた。
ある日。
ヒロは、かつてスラム街と呼ばれていた場所を歩いていた。
かつて泥だらけだった道は、美しく舗装されている。
上下水道は整備され。
魔力導管は新しく引き直され。
夜になれば街灯が街を優しく照らす。
ヒロはゆっくりと辺りを見渡した。
そして、小さく笑う。
「……中心街より、よっぽど綺麗だね。」
その声を聞いた一人の男が振り返る。
「あっ!」
「ヒロさんだ!」
その一言で、街中がざわついた。
「あ、本当だ!」
「ヒロさん!」
「帰ってきたぞ!」
一人。
また一人と、人が集まってくる。
かつて仕事を教えた青年たち。
公共事業で初めて工具を握った男たち。
毎日のように鬼ごっこへ付き合った子どもたち。
荷物持ちを頼まれ、お使いをしていた老人たち。
今では誰もが笑顔だった。
「あの時はありがとうございました!」
「仕事、続けてます!」
「親方に褒められました!」
「ヒロ兄ちゃん!」
「また遊ぼう!」
子どもたちが駆け寄り、ヒロの腕へ飛びつく。
老人たちは目を細めながら笑った。
「お前さんのおかげで、ここは本当にいい街になった。」
ヒロは困ったように笑う。
「僕じゃありません。」
「みんなが頑張った結果ですよ。」
「僕は、少し手伝っただけです。」
その言葉に、大人たちは顔を見合わせる。
そして誰からともなく笑い出した。
「相変わらずだな。」
「全部、自分の手柄にしねぇ。」
「だからみんな、お前についていったんだ。」
ヒロは照れくさそうに頭を掻く。
見上げた先には、かつては想像もできなかった景色が広がっていた。
子どもたちの笑い声。
職人たちが木槌を振るう音。
夕食の支度をする香り。
そこにはもう、“スラム街”と呼ばれていた頃の面影はなかった。
人々が自らの手で築き上げた、新しい街が息づいていた。
その時だった。
人混みの向こうから、数人の男たちが歩いてくる。
顔には無数の傷跡。
鋭い目つき。
鍛え抜かれた肉体は、今にも力を持て余しているようだった。
事情を知らない者が見れば、思わず道を空けてしまうような男たち。
だが。
周囲の誰一人として、その姿を恐れる者はいなかった。
男たちはヒロの前まで歩いてくる。
そして。
一斉に深く頭を下げた。
「お久しぶりです!」
「兄貴!」
その声に、ヒロは苦笑する。
「その呼び方、やめようよ。」
男たちは顔を見合わせて笑った。
「無理ですよ。」
「兄貴は兄貴ですから。」
彼らは、かつてスラム街を縄張りにしていたチンピラたちだった。
食うに困れば盗みを働き。
力で物を奪い。
毎日のように喧嘩を繰り返していたならず者たち。
だが、スラム改修工事が始まった日。
現場荒らしをしようとして――。
職人たちとヒロに、文字どおり叩きのめされた。
親方の拳骨で記憶を飛ばし。
職人たちの蹴りでドブに頭から突っ込んだ。
あの日以来。
彼らは現場で働き始めた。
最初は嫌々だった。
だが、一日働けば飯が食えた。
二日働けば金がもらえた。
一週間もすれば、自分で稼いだ金で酒を飲めるようになった。
気が付けば。
盗みを働く理由は、どこにもなくなっていた。
一人の男が照れくさそうに笑う。
「兄貴のおかげで、今じゃ立派な職人見習いです。」
「毎日、親方に怒鳴られてますけどね。」
その言葉に、周囲から笑いが起こる。
ヒロもつられて笑った。
「それなら大丈夫。」
「一人前になる頃には、もっと怒鳴られてるよ。」
男たちは顔を見合わせる。
そして声を揃えて笑った。
「あぁ。」
「それなら安心だ。」
ガレスの名は、今や王国だけに留まらなかった。
大型モンスターを討ち。
国境を守り。
幾度となく国を救った英雄として、その名は周辺諸国にまで轟いていた。
誰もが知る英雄。
それがガレスだった。
一方で。
ヒロの名を知る者は、決して多くはなかった。
Fランク冒険者。
王都でインフラ整備を行う職人。
世間の評価は、その程度だった。
王都で暮らす人々ですら、ヒロという名を知らない者の方が多い。
しかし。
ほんの一部の者たちだけは違った。
王都の職人たち。
かつてスラムで暮らしていた人々。
そして。
国王アルバス。
剣聖セバス。
宮廷魔術師団長アルヴィン。
彼らだけは知っていた。
ヒロという青年が、どれほど常識外れの存在なのかを。
その力を。
その知恵を。
その優しさを。
だからこそ、三人は時折思う。
もしヒロが、本気で名声を求めたなら。
もしヒロが、冒険者として頂点を目指したなら。
――ガレスよりも、遥かに高い場所へ辿り着いていたのではないか。
そんな考えを、胸の内だけに秘めていた。
だが。
当の本人は、そんなことを一度も望まなかった。
今日もまた、誰にも気付かれないまま。
王都のどこかで、人々の暮らしを支えている。
それだけで、ヒロは十分に満足していた。
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