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主人公はいつになっても冒険者ランクを上げない  作者: Patriot
戦後:二十三〜二十七歳

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悩み

木漏れ日の酒場。


カウンターで、一人頭を抱える男がいた。


戦争は終わった。


だが――。


国づくりは、そこからが本当の始まりだった。


スラム問題の解決。


その第一歩として進められたのは、税制改正だった。


続いて財政改革。


富の再分配による貧富の格差の是正。


王都の職人たちは、持ち前の技術力でスラム街のインフラ整備を着実に進めていく。


老朽化した上下水道は新しくなり、道路は整備され、衛生環境は見違えるほど改善された。


人々の暮らしは、少しずつ良くなっていく。


しかし。


どうしても受け入れられないものがあった。


奴隷制度。


帝国では当たり前に存在する制度だったが、王国の民は誰一人として受け入れようとはしなかった。


自由を守る国。


それが、王国だった。


戦争が終わり、一年。


王都は確かに変わり始めていた。


だが、その変化の中心で、今なお頭を抱える者がいた。


「ほら、飲みな。」


女将はそう言って、ジョッキをカウンターへ置いた。


「ありがとうございます。」


男は小さく頭を下げる。


終戦後、帝国から王国へ派遣された官僚だった。


この一年、税制改革や行政制度の整備に追われ、毎日のように陽だまりの酒場へ足を運んでは、一人頭を抱えている。


セレナは苦笑しながらグラスを拭いた。


「悩み事?」


「ここ最近、ずっとそんな顔してるけど。」


官僚は力なく笑う。


「ええ……。」


「仕事が、なかなか思うように進みません。」


その時だった。


酒場の奥から、一人の青年が勢いよく立ち上がる。


赤髪。


背には大剣。


「俺に任せろ!!」


酒場中に響き渡る大声だった。


一瞬静まり返る店内。


次の瞬間――。


「ぶははははっ!」


「はっはっはっ!」


酒場は大爆笑に包まれた。


女将は額に手を当てる。


「ガレス。」


「官僚さんの悩みを、あんたが解決できるわけないだろ。」


「なんでだよ!」


ガレスは不満そうに胸を張る。


「困ってるなら助ける!」


「それだけだ!」


再び酒場に笑いが広がる。


官僚は呆気に取られながら、その光景を見つめていた。


帝国では考えられない。


国の制度を任される役人に、冒険者がこんな気軽に声を掛けることなどあり得ない。


だが――。


気付けば。


官僚自身も、小さく笑っていた。


官僚は静かにジョッキを持ち上げる。


そして、店内をゆっくりと見渡した。


頭の中で、この一年かけて集めた資料を思い返す。


――木漏れ日の酒場。


王都でも名の知れた冒険者酒場。


そして、その店主。


女将。


本名、マーサ。


かつて”アマゾネス”の異名で名を馳せた女性冒険者。


現ギルドマスターがまだ現役だった頃、その相棒として数々の依頼を踏破し、最高ランクへ到達した英雄。


二十年前、突如として冒険者を引退。


その理由を知る者は少ない。


しかし先の戦争では北門へ立ち、帝国軍を最後まで寄せ付けなかった。


帝国軍でも、その名を知らぬ者はいない。


官僚の視線が酒場の奥へ移る。


赤髪の青年。


大剣を無造作に背負い、豪快に笑っている。


――ガレス。


最年少で昇格記録を塗り替え続けたBランク冒険者。


戦場では、その豪快な剣筋と王都中へ響き渡る大声で兵たちの記憶に刻まれた。


そして。


官僚の視線は、ガレスの隣へ移る。


静かに酒を飲む、一人の黒髪の青年。


どこにでもいそうな職人。


しかし。


南門を守り抜いた男と特徴が完全に一致している。


帝国魔術師団を壊滅させたのは、

工具箱を肩にかけた、腰まで伸びる長い黒髪の青年であったと。


王都の誰もが口を揃える。


「あいつは職人だ。」


官僚は小さくため息をついた。


「……やはり。」


「何度資料を読み返しても。」


「あの青年だけ、意味が分からない。」


夜も更けていく。


冒険者たちは一人、また一人と酒場を後にした。


「また明日な。」


「おう。」


賑やかだった店内も、少しずつ静けさを取り戻していく。


やがて残ったのは四人だけだった。


赤髪の青年、ガレス。


その隣で静かに酒を飲む黒髪の青年。


カウンターの向こうでは女将と、エルフの店員セレナが後片付けをしている。


官僚は空になったジョッキを見つめ、小さく息を吐いた。


「……さて。」


机へ代金を置き、立ち上がる。


その時だった。


「失礼します。」


穏やかな声と共に、黒髪の青年が隣の席へ腰を下ろした。


官僚は思わず目を丸くする。


青年は微笑みながら尋ねた。


「それで。」


「悩みって何です?」


ちょうどそのタイミングで、セレナが新しいジョッキを二人の前へ置いた。


「はい、おかわり。」


そして官僚へ笑いかける。


「ヒロなら相談に乗ってくれるわよ。」


その言葉を聞いたガレスが勢いよく立ち上がる。


「おい!」


「俺は!」


酒場に響く大声だった。


しかし次の瞬間、腕を組み、大きく頷く。


「……まあ。」


「ヒロなら適任だな!」


そう言って得意げに胸を張る。


女将は呆れたように笑った。


「あんたが偉そうにしてんじゃないよ。」


酒場に、小さな笑い声が広がった。


笑い声がゆっくりと収まっていく。


酒場に静かな時間が戻った。


官僚はジョッキを両手で包み込むように持ち、小さく息を吐く。


「……お話しします。」


誰も口を挟まない。


ヒロも、ガレスも。


女将もセレナも、ただ耳を傾けていた。


「終戦後、私は帝国から派遣されました。」


「王国の制度を尊重しながら、帝国の行政制度を取り入れる。」


「それが私の役目です。」


穏やかな口調で、一つずつ語り始める。


「税制を見直しました。」


「財政も整理しました。」


「役人の育成も進めています。」


「職人の皆さんのおかげで、スラムのインフラも整いました。」


「以前とは比べものにならないほど、衛生環境は改善されています。」


そこまで話すと、一度言葉を切る。


「ですが……。」


「一番難しい問題だけが、どうしても解決できません。」


酒場は静まり返っていた。


「スラムの人々へ、お金を配ることはできます。」


「食料を支給することもできます。」


「住む場所を与えることもできます。」


「ですが、それでは自立には繋がりません。」


官僚はゆっくりと顔を上げる。


「帝国では。」


「働く場を保障し、生活を保障するために、奴隷制度があります。」


「管理する代わりに、飢えることはない。」


「働けば衣食住も保証される。」


「だから私は……。」


「この制度なら、スラムの人々も自立できると考えました。」


苦しそうに笑う。


「ですが。」


「王国の皆さんは、誰一人として受け入れてくださいませんでした。」


「奴隷制度。」


「その言葉を聞いただけで、拒絶されます。」


視線を落とす。


「自由を愛する国。」


「だからこそ、管理されることを嫌う。」


「理屈では理解しています。」


「ですが……。」


「どうすれば、自立を支えながら自由も守れるのか。」


「その答えが、どうしても見つからないのです。」


そう言って、官僚は静かに頭を下げた。


「皆さんなら……。」


「何か、知恵を貸していただけませんか。」


酒場は静まり返っていた。


誰もすぐには口を開かない。


やがて、ヒロが静かにジョッキを置いた。


「一つ、提案があります。」


官僚は顔を上げる。


ヒロはゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。


「仮設住宅を建設しませんか。」


「それを王国の公共事業として進めるんです。」


官僚は首を傾げる。


「公共事業……ですか。」


「はい。」


「ただし、建てるのは現役の職人ではありません。」


「スラムの人たちです。」


「もちろん、職人が監督します。」


「危険な作業や技術指導も、すべて職人が責任を持ちます。」


「でも。」


「実際に汗を流して家を建てるのは、そこで暮らす人たちです。」


官僚は黙って耳を傾ける。


ヒロは続けた。


「まずは、自分たちで自分たちの住む場所を作る。」


「その過程で技術を覚える。」


「仕事を覚える。」


「手に職を付ける。」


「完成した住宅には、そのまま住めばいい。」


「お金が貯まるまでは、そこを生活の拠点にする。」


「そのまま好きな仕事を始めてもいい。」


「お金がたまったらもっと大きな家へ引っ越して、新しい生活を始めてもいい。」


「もし病気や高齢で働けない人がいるなら。」


「その住宅で生活支援を受ければいい。」


酒場は静まり返っていた。


ヒロは穏やかな口調のまま続ける。


「公共事業はなくなりません。」


「道路。」


「橋。」


「水道。」


「魔力導管。」


「建物。」


「王都には、これからも直す場所も造る場所もたくさんあります。」


「だから。」


「仕事に困ることはありません。」


官僚は目を見開いた。


ヒロは小さく笑う。


「生活を守る。」


「でも。」


「生き方までは縛らない。」


「それが、王国らしいと思うんです。」


その言葉に。


酒場は静かに、深い沈黙に包まれた。


官僚は言葉を失っていた。


ただ、ヒロの顔を見つめる。


しばらくして、小さく息を吐いた。


「……そうか。」


その一言が、自然と漏れる。


「私は。」


「制度ばかりを見ていました。」


「どう管理するか。」


「どう支援するか。」


「そればかり考えていた。」


ゆっくりと視線を落とす。


「ですが、あなたは違う。」


「人を働かせることではなく。」


「人が、自分の力で立ち上がる仕組みを考えていた。」


官僚は思わず笑みを浮かべた。


「奴隷制度ではありませんね。」


「これは……。」


「未来への投資だ。」


ヒロは照れくさそうに頭を掻く。


「職人ですから。」


「仕事なら、いくらでも思い付きます。」


「それに、僕もスラムの問題には長年頭を抱えてましたから」


その言葉に、官僚は思わず笑った。


「なるほど。」


「だから皇帝陛下が。」


「『職人とは何なんじゃ』と頭を抱えられたわけですね。」


酒場に笑いが広がる。


ガレスは豪快に笑いながらジョッキを掲げた。


「だろ!」


「ヒロはすげぇんだ!」


女将は呆れたようにため息をつく。


「だから、あんたが威張るんじゃないよ。」


「いてっ!」


頭を軽く叩かれ、ガレスは頭を押さえる。


再び酒場に笑い声が響いた。


官僚は静かに立ち上がる。


そしてヒロへ向かって、深く頭を下げた。


「ありがとうございました。」


「今日、ようやく分かりました。」


「王国は、自由を守っているのではない。」


「人が、自分の意思で生きる権利を守っているのですね。」


ヒロは少しだけ考え、小さく首を振った。


「たぶん。」


「みんなが、それぞれ好きな生き方をしているだけですよ。」


「それが、たまたま王国らしかっただけです。」


官僚は微笑んだ。


その言葉を胸に刻みながら、静かに酒場を後にした。

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